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4 大谷翔平のMVP論争

 今回のディベートテーマは、大谷選手のMVPに対して是非を問うものだった。記者投票において満場一致で決まったので議論の余地はないのだが、それをあえて論戦するのが弁論部の活動なのである。


「誰が見てもMVPなのに、やる意味あるの?」


 やる気のない桃原先輩に対して、真心先輩が涼しい顔で答える。


「それはやってみないことには分からないでしょう?」

「賛成派が勝つに決まってるよ」

「だから今回は反対派を増やして四対二にしたの」

「それでも絶対に賛成派が勝つに決まってる」

「それは貴方の頑張り次第じゃないかしら?」

「なんで大ファンのワタシが反対派なのよっ」


 それはクジで決めたから仕方がなかった。今回は賛成派が真心先輩と佐藤くんの二人で、反対派が桃原先輩と僕と理人くんと雫ちゃんで、席もその順番で向かい合うように並んで座っている。


「佐藤くんはこの後も予定があるようなので始めましょうか」


 いつものように進行は真心先輩が務めた。


「それでは早速だけどゲストの方に大谷選手の偉業を語ってもらいましょう」

「いきなり自分ですか?」


 ゲストを後回しにすると喋ることがなくなるので、うちの部では先に自由に喋ってもらうようにしている。


「野球より緊張するな」

「賛成派は大谷選手の魅力を語るだけで勝てるから安心して」


 正直、真心先輩と一緒のチームで戦える彼のことが羨ましかった。部長からの励ましの言葉は、どれだけ心強いか……。


「言葉がありません」


 先輩から魔法の言葉をもらった佐藤くんが語り始めた。


「言葉がないというのは、言葉にできないということではなくて、誰も成し遂げた者がいないことをやり遂げたので、新しい称賛の言葉を見つけなければならないので、そういう意味で言葉がないんです」


 同感だ。


「二刀流ということでベーブ・ルースと比較されますが、ベーブの場合は二刀流時代に四十本以上のホームランを打つような打者ではありませんでしたので、誰とも比較できないんです。投打で高いレベルの数字を残したということで、大谷選手は間違いなく唯一無比の存在です」


 異議なし。


「だからベーブ・ルースよりもスゴイとかじゃなくて、反対に打者としてはベーブの方が上とか、そういうことじゃなくて、本当に、誰とも比較できない実績を残しちゃったんで、比較するとしたら、今年の大谷翔平しか存在しないんです」


 異次元だ。


「プレーの質に関しても文句のつけようがありません。力強い打撃や支配的な投球、どちらか一つでも充分なのに、両方ともトップレベルなのだから二刀流で正解なんです。といっても失敗するリスクもあったので、これは結果論でもあるんですけど」


 佐藤くんの言う通り「どっちかに専念すればよかったのに」と言いたい人たちが沢山いたと思う。いや、そういう人たちが得意げに「だから言っただろう」と自慢げに話す世界線もあったわけだ。


 それを覆してシーズンを走り切ったから異次元の称賛があるわけで、そのリスクを承知しながらも二刀流を成功させた大谷選手の精神力も、やはり常人離れしている。


「二刀流ばかりが取り上げられていますが――」


 佐藤くんはまだまだ言い足りないようだ。


「俺が特に凄いと感じるのはバッター大谷やピッチャー大谷ではなく、ランナー大谷です。玄人くろうと目線で語りたいというのもありますけど、本当に走塁も凄いんです。シングルヒットをダブルにするって、本当に考えられないんで」


 それは僕も記事で読んだことがある。


「一流のメジャーリーガーがまるで怠慢プレーをしているように錯覚しますが、普通なら進塁しない、というか出来ないので、やっぱり大谷選手が凄いんです。ほんと、身体能力だけじゃなくて、集中力や、観察力や、判断力が優れているので、大谷選手ほどパーフェクトな野球選手は存在しないです」


 食事にも気を付けているという記事も読んだ。


「唯一、俺が大谷選手に近付けるのは試合に臨む姿勢、意識だけなので、そこだけは絶対に手を抜かずに頑張りたいです。あとは勝ちたいという気持ち、その気持ちを持ち続けて、これからも野球を続けます」


 身体は大きくなったけど、いつかの野球少年そのものだった。


「もう、賛成でいいよ」


 早くも桃原先輩が降参してしまった。


「貴方ね、今の彼の話をちゃんと聞いてた?」


 真心先輩が呆れている。


「文句なしのMVPだよ」

「そうじゃなくて、勝ちたい気持ちが大事だっていう話でしょう? 簡単に諦めてどうするのよ」


 反対派に勝ち目はあるのだろうか?


「じゃあ理人くん、後は頼んだ」


 うちのリーダーは自ら打席に立つ気はないようである。


「はい。それでは反論します」


 言うまでもなく、彼は大谷選手の大ファンである。


「今シーズンの成績で唯一の欠点として挙げられているのが打率の低さです。これまでは打率.267のマーティ・マリオンが史上最低打率でしたが、打率.257でそれを下回りました。ロジャー・マリスも打率.269でMVPを獲得していますが、六十年前とか七十年前の話なので、近年の傾向に照らし合わせると見送るべきだったと思います」


 過去に低打率での受賞があった時点で根拠が薄弱だ。


「以上です」


 終わっちゃった。


「それだけ?」


 部長も驚いている。


「だったら、こちらもデータで勝負しましょう」


 反対派にとっては苦しい展開だ。


「大谷選手の今期の成績は先発投手でもありながら155もの試合に出場して、打者としては本塁打46本、打点が100、打率は.257で、四球96、盗塁が26で、三塁打はリーグ最多の8をマークしています」


 すごい、の一言。


「投手としては23試合に登板して9勝2敗、130回以上を投げて防御率が3.18、奪三振が156で、与えた四球が44、サイヤング賞の候補には選ばれなかったけど、規定投球回数をクリアしているので充分な働きだったといえるでしょう」


 投手成績だけでも、エンゼルスの投手陣の中ではエース級の活躍だった。


「首位打者が何勝したのか? ホームラン王がどれくらい三振を奪ったのか? またはサイヤング賞を受賞したピッチャーが何本のホームランを打ったのか? それをデータで示すことができなければ、MVPの議論は終わり」


 無理だ。


「お言葉ですが、それは暴論です」


 部長に異を唱えたのは、意外にも雫ちゃんだった。


「MVPの選考基準が打者と投手の合算した成績に限られてしまうと、MVPの価値そのものが失われてしまうからです。シーズンのMVPを決めるならば、もう少し視野を広げて考えなければいけないと思います」


 野球に対して興味が薄いから冷静に反論できるのかもしれない。


「わたしがMVPに相応しいと思うのは、ブルージェイズのブラディミール・ゲレーロ・ジュニア選手です。打率、出塁率、長打率、OPSの全てで大谷選手を上回っているので、数字に関しては申し分がありません」


 打者としては大谷選手以上の怪物だ。


「ゲレーロ・ジュニア選手は勝率の高いチームがひしめくアメリカンリーグの東地区で戦っていたことを考慮しなければなりません。ヒーニー投手が移籍した7月30日にエンゼルスのシーズンが終了して、それ以降は消化試合を行っていたのに対して、ブルージェイズは最後までプレーオフ進出を懸けて戦っていました」


 現地のアメリカで議論になっている記事を読んで勉強したのだろう。


「失礼な話になりますが、優勝を懸けて本気で戦って伸ばした記録と、消化試合で積み重ねた記録では、同じ打点でも価値が違うと思うんです。シーズンのMVPを決めるなら、殊勲賞に相応しい一打や一投の価値、その積み重ねで選ぶべきだと思います」


 ドンッ!


「なに言ってるの! 雫ちゃんっ!」


 机を叩いて反論したのは、味方であり、リーダーでもある桃原先輩だった。


「大谷選手はチームのために出来る限りのことをしたんだよっ! これ以上、なにが出来たっていうの? チームが負けたのを大谷選手一人のせいにするなんてヒドすぎるよ」


 誰も、そんなことは言っていない。


「いや、わたしは、なにも、貶すつもりで言ったわけでは……」


 雫ちゃんが戸惑っているが、僕は解っている。


「チームが弱いのは球団経営の責任でしょう? 選手の責任じゃないよ」


 今回も桃原先輩が敵側に立って意見したが、真心先輩にとっては援護射撃なので、諌めようとはしなかった。


「これは雫ちゃんの言う通りね」


 諌めるどころか、対立を逆手に取って利用するのが部長だ。


「メジャーリーグには選手がどれだけ勝利に貢献したかを示すWARという指標があるもの。それで大谷選手は両リーグトップの9.0を叩き出したのだから満票での受賞に疑問の余地はないのよ」


 ちなみにゲレーロ・ジュニア選手は6.8だった。


「それでも、わたしはゲレーロ・ジュニア選手がMVPを受賞すべきだと思います」


 雫ちゃんはブルージェイズの試合を一度も観ていないと思うけど、反対派のクジを引いたことで熱烈なファンに見えてしまう、それが競技ディベートの面白さだ。


「なぜなら指名打者で出場していた大谷選手と比べて、ゲレーロ・ジュニア選手は一塁手として守備に就いていたイニングが圧倒的に多いからです。過去にDHでMVPを獲得した選手がいないことから、今回もDHに対して賞を贈るべきではないと思いました」


 往年の名投手ペドロ・マルティネス氏に関する翻訳記事を引用したのだろう。


「また、22歳以下でのシーズン最多本塁打記録を打ち立てた点も評価すべきです。ヤンキースの伝説的なプレイヤーであるジョー・ディマジオを抜いたことでも、それがいかに偉大な記録であるか理解できると思います」


 彼女は僕よりも勉強してきたようだ。


「MVPの選考基準は幅広くなっており、ならば22歳で三冠王に限りなく近い数字を残したゲレーロ・ジュニア選手の難易度を考慮すべきと思います」


 議論することで、ゲレーロ・ジュニア選手の凄さも増したように感じる。


「大谷選手以後、二刀流で活躍する選手がたくさん出て来るかもしれません。しかし、ゲレーロ・ジュニア選手のように若くして三冠王に近づいた選手は、向こう五十年は現れないかもしれないのです。二刀流が当たり前になった時、やっぱり大谷選手よりもゲレーロ・ジュニア選手の方が凄かったと、そのように振り返る時が来るかもしれませんので、わたしは反対です」


 反対派の模範的な解答だが、これに反論するのが真心先輩だ。


「議論に『たられば』を持ち込むならば、ピッチャーでありながらホームラン王を争う選手がこれから出て来るのか、それも解らないわけだから、選考基準に未知数を持ち込まない方がいいと思う」


 これは正論だ。新人賞が未来を約束したものではないように、あくまで該当する期間の成績だけで決めなければならない。


「それでも、僕は反対します」


 いや、僕個人は賛成だ。


「理由は……、そもそも野球とはチーム・スポーツであり、誰か一人の活躍によって勝敗が決まるようなものではないからです。決勝点を挙げなければ勝つことはできませんが、失点していれば、ただの得点で終わります。つまり野球にはヒーローがいても、MVPは存在しないんです。だから大谷選手のMVP獲得に反対します」


 MVPの概念をひっくり返すことでしか、反対派が勝利する方法はなかった。


「そうだそうだ!」


 なんでも乗っかる桃原先輩が加勢してくれたが、イヤな予感がした。


「個人競技じゃないんだから最優秀選手賞なんておかしいよっ! それにメジャーって、ピッチャーの受賞が少ないんだよね? そんな偏っていいものなの? それで公平に選んでるって言える? 言えないよね?」


 引き分け狙いだが、悪くない展開だ。


「それにMVPを決めてるのって記者なんだよね? どうしてファンじゃないの? オールスターがファン投票なんだから、MVPもファンに決めさせればいいんだよ」


 桃原先輩が我を通し始めてきた。


「主張が滅茶苦茶ね」


 それを見逃さないのが、真心先輩である。


「それはMVPの是非であって、大谷選手の議論ではないでしょう? 論点ずらしは減点なので、よって今回は私たち賛成派の勝利とします」


 こうして今回も桃原先輩の全敗記録が継続されるのであった。

 最終回があるタイプの物語ではありませんので、興味を引く面白そうな弁論テーマが見つかったら続きを書きたいと思います。

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