2 東京オリンピック開催の是非
我が校における弁論部は他校と違って、壇上で演説するために弁舌を磨くわけではなく、テーマを決めて賛成派と反対派に分かれて意見を戦わせる競技ディベートが主な活動内容となっている。
代表的なテーマとしては、「バナナはおやつに含まれるのか?」というのがある。正解はないのだが、この場合、より説得力を持った意見を見つけ出した方が勝ちとなる。
勝ち負けといっても、明確に判定が下されるわけではない。正解のないテーマを扱うことが多いので、そこら辺はテキトーだ。
競技ディベートの最も面白い点は、仮に僕個人がバナナはおやつじゃないと思っていても、バナナおやつ派にチーム分けされたら、自分の感情を殺して理論を構築しないといけないところだ。それが頭の体操として凄く楽しいのである。
「今回のテーマは『オリンピック開催の是非について』だったわね。本当は夏休み前にやりたかったけど、部の活動も休止していたから仕方ないわよね。オリンピックは終わっちゃったけど、総括も含めて議論していきましょう」
司会進行は部長である真心先輩が務めている。
「席順通り、オリンピック賛成派は上条君、兎野くん、雫ちゃんの三人で、反対派は私、千夏、理人くんの三人」
それぞれの陣営が三対三で向かい合って座っている状態だ。
事前にクジを引いて決まったわけだが、前述した通り、賛成派だからといって必ずしも本人が賛成しているわけではない。逆もまた然りである。
「それでは始めましょうか。まずは賛成派からお願いします」
それを受けて、運動部の部長でもあるゲストの上条先輩が僕の方を見た。
「二人とも下級生だから、ここは俺が先に話をしよう」
内容が被ることが多いので先に話しちゃった方が楽だけど、今回はテーマが重たいので、他の人の出方を知るためにも、僕としてはありがたかった。
「俺は最初から最後まで開催には賛成だった。オリンピックとは、その火を絶やさないことに意義があるからだ。スポーツに興味のない人にとっては災難でしかないかもしれないが、中止にまで追い込まれることはなかったし、そういう意味では賛否を問わず、すべての日本人が聖火リレーのランナーだったのだと思う。これに関しては、スポーツに関わるすべての人が感謝しなければならない。俺も運動部の部長をしていたので、反対派の人にもお礼が言いたい。開催に協力してくれて、ありがとう」
そう言うと、反対派の三人に向かって頭を下げるのだった。
何度も言うが、反対派の席に座っているからといって、その三人が開催に反対していたかどうかは分からないのである。なぜなら競技ディベートでチーム分けされたに過ぎないからだ。
「お礼なんていいよ」
身振りを交えて応じたのは桃原先輩だ。
「コロナで大変だったけど、オリンピックを観て、ひたむきに努力している人たちが沢山いたんだと思って、ワタシも挫けずに頑張ろうって思ったもん。自分とは関係なくても、感動はするんだよ」
それに対して真心先輩が隣に座る友人に冷たい視線を送る。
「感動するのは構わないけど、あなた、反対派だってことを忘れてない?」
「あっ、そうだった。オリンピック、反対!」
そこで拳を突き上げるが、ご覧の通り、所詮は高校生のディベートなのでユルユルだ。
「俺は賛成派だけど、反対する気持ちも解る」
ゲスト参加だけど、上条先輩は冷静だ。
「世の中には溢れるほど娯楽があるし、感動といっても他で間に合わせることができるだろうからね。巨額の税金だって投入されているし、それに何よりも、わざわざパンデミックの最中に世界中から人を集める必要があるのかと」
これは反対派の意見を述べたわけではなく、相手の言い分も理解しているという、弁論テクニックの一つだ。
「それでもオリンピックは開催しなければならなかったんだ。なぜなら四年に一度の選手にとって、次が保証されている人なんて一人もいないからだ。いつも出ているように見える人ですら、当たり前じゃないのがスポーツなんだよ」
どうでもいいと思っている僕と違って、先輩は熱量が違う。どこからどう見ても賛成派で間違いない。
「それでは反対派の意見も聞いてみましょうか」
そこで理人くんが指名された。
「もう終わっちゃったけど、それでもボクは反対します」
彼はオリンピックを誰よりも楽しんでいた一人だけど、競技ディベートではしっかりと反対派チームとしての立場を守って戦えるのが理人くんだ。
「今回は社会問題になるほど開催の是非が叫ばれたわけですが、誰もスポーツが憎くて反対していたわけじゃないと、それは始めに言っておきたいと思います。パンデミックが起きなかったら、従来から存在する商業主義への批判はあっても、中止を求めることはなかったでしょう」
まずは反対している人を悪者に見えないようにしたわけだが、これも弁論テクニックの一つといえるだろう。
「ボクたち反対派は、開催の是非を命の問題として捉えました。仮にスポーツの祭典ではなくて、文化系のイベントであったとしても、世界中から人を集めるような大規模な祭典ならば、同じように反対していたと思います」
まるで理人くん本人の意見に聞こえるが、競技ディベートなので本心は分からない。
「先ほど上条先輩は『競技者に次の保証はない』と言いましたが、これは生きている人間ならば誰にだって同じことが言えると思います。誰もが命の保証などないのだから、死の確率が高い時期に、あえて強行することはないだろうと思うのです。ワクチンの接種スピードを考慮すれば、秋に開催するのが妥当だったんじゃないでしょうか? そうすれば観客を入れて行うことも可能だったので」
楽しんだけど不満もあるという、これが理人くんの本音の可能性もあるけど、それが分からないのが競技ディベートの面白さでもある。
「延期はない」
反論したのは上条先輩だ。
「運動をしていない人は簡単に延期しろって言うけど、世界中のアスリートが開催時にコンディションがピークを迎えるように調整しているわけだから、様子を見ながら先延ばしにするとか、そういった乱暴な変更は理解が足りないな」
これは、いけない。関係者にしか解らないとか、そういう特別な意識では説得力を生まずに反発を食らうからだ。
「それに法的にも延期はできないんだ」
場の空気を察した上条先輩が目先を変えた。
「基本的にオリンピックは夏に開催できる都市に限定して立候補を募ったわけで、それが契約なんだから再延期の可能性は始めからなかった。だから一年延期できただけでも最大限の譲歩だったんだよ」
これは、いい。契約書を出せば法的根拠を理由に弁論を組み立てることができるので、大体の議論に勝つことができるからだ。
「その契約だけど――」
真心先輩だ。
「それこそが反対する理由なのよ」
真打登場である。
「アルゼンチンで開かれたIOC総会で最終プレゼンテーションが行われたんだけど、その時に東京のプレゼンターは口を揃えて『東京は安全だ』と言っていた。でも、日本人ならば八月の東京がスポーツに適さない危険な時期だって誰でも知っている。つまり嘘をついて契約を取ったということになるの。危険であることは、招致委員会が発足した時には既に認識されていた」
これは、まずい。相手チームに契約内容の不備をつかれると一気に形勢が逆転してしまうからだ。
「熱中症による緊急搬送のピークは、まさにオリンピックの開催時期と同じなので尚更よね。多い時には一週間で八千人を超えることがある。人流が減少している今年のデータでも五千人を超えているの。東京だけでも三百五十人以上が搬送された。だから危険な七月開催は、そもそも始めから招致すべきじゃなかった」
細かな数字を出して説得力を持たせるのが真心先輩の弁論テクニックだ。頭が悪い人が真似すると逆にツッコまれるけど、悔しいけど部長には隙がなかった。
「今回のオリンピックはバブル方式による感染対策が施されたけど、もしも伝染病が発生していなかったら、熱中症によって観戦者が亡くなっていたかもしれない。期間中にそんなニュースが流れたら、心の底から楽しむことはできなかったでしょう。そういう意味では、無観客によって観戦者が緊急搬送される事態を避けられたので良かったのだと思う」
これだと賛成派が命を蔑ろにしているような印象を与えるので、かなり不利な状況だ。
「秋に開催すればリスクが軽減できると分かっているのだから、やはり開催に反対するのが賢明な判断だったといえるでしょう。そういう意味でも反対派の意見は重要なリアクションだったと思う」
ここまで言い切っても、真心先輩自身が反対派だったかどうか分からないのが競技ディベートの面白さだ。僕にとって部長は、依然としてミステリアスな存在のままだった。
「そもそもの契約に問題があったのだから、無事に終わったから成功だったと結論付けるのではなく、全日程が終了した今こそ検証が必要だと思う。その作業も含めて開催を強行した人たちにあるのだから」
IOCと東京都の問題なのに、すべての責任が賛成派にあるかのような印象付けをするのも、真心先輩の弁論テクニックの一つだ。
「一点だけ反対派に落ち度があるとしたら、中止を求めるのではなく、秋に順延するように意見を一本化すべきだったことね。開催と中止の二元論になったことで、どちらにとっても後味の悪いものになってしまったものね。秋に開催すれば全ての人が幸せになれたのだから、中止を叫ぶのではなく、秋に順延で一つになるべきだった」
それを先に反対派から提案したことで、より建設的に見せることができるわけで、ここら辺のテクニックも見事だ。また、あたかも落ち度が一点しかないような言い回しも秀逸である。
「といっても、メディアの都合で夏開催は動かせなかったでしょうけどね」
それを表情を作りながら本当に残念そうに言うところも弁論テクニックの一つだったりするわけだ。
「でもさ、イベントに反対しまくって、これ以上、世の中をつまらなくしてどうするのって思うよ」
それを反対派の桃原先輩が口にしたものだから、全員が思わず笑ってしまうのだった。
「お願いだから、足を引っ張らないで」
部長に窘められたけど、本人は口を尖がらせて不服そうだ。
「賛成派の意見は? もうないの?」
真心先輩が問い掛けたが、上条先輩はお手上げの様子だった。
「オリンピックの商業主義に関しては誤解があると思います」
雫ちゃんは控え目な性格なので、ここは僕が対抗するしかなかった。
「スポーツの大会を運営する上で出資するスポンサーはなくてはならない存在です。会場を作るにも、既存の施設を維持するにもお金が掛かるからです。スポンサーの支援があるからスポーツ文化が守られているといっても過言ではありません」
結論から入るのが僕の弁論テクニックだ。
「特にお金の集まりにくいマイナー競技にとってオリンピックは、支援者を増やしたり競技人口を増やしたりする絶好の機会となります。大会自体は四年に一度ですが、関係者にとっては死活問題でもあるのです」
本音の部分では、なんで僕がわざわざ味方しないといけないのか、という思いはあるけれど……。
「今回の東京オリンピックは『スポーツとは何か?』と深く考えさせられました。批判の声が日に日に高まり、一部の限られた人たちから終いには、スポーツ選手個人へ参加を辞退する声が上がったほど危険な状況も生まれたのです」
賛成派チームとしては、反対派の異常な行動を論うというのも弁論テクニックの一つである。
「しかしよく考えると分かると思うのですが、オリンピックに参加しているのはスポーツ選手だけではありません。スポーツ大会では、ホテル・旅館などの観光業、移動の足となる交通産業、食事に必要な農業漁業、他にも工業品や衣料品、建設業やデザイン業、そしてエンタメ産業や、新聞雑誌テレビのマスメディアも大きく関わっています」
競技ディベートに勝つためには、賛成派には多くの人がいるとアピールしなければならない。
「学校等の教育機関は育成にも関わっていますし、スポーツ産業というのは僕たちが思う以上に巨大産業なんです。何よりも大事なのは、スポーツに関わる全ての人が、反対派と同じく納税者であることを忘れてはいけないと思います」
相手チームを攻撃するだけではなく、納得してもらうことが競技ディベートでは重要だ。
「膨大な予算に対する批判は分かりますが、スポーツ産業が納める巨額の税金は、予算を得るだけの充分な資格があります。オリンピックを開催することで、未来への投資になるのですから、絶対に惜しんではならないんです」
反対派を否定するのもテクニックとして重要だ。
「大会の是非を命の問題と考えるならば、スポーツ産業による巨額な納税によって医療の財源を支えているという一面もあるのだから、中止にしてスポーツ産業を潰すような真似をしてはいけないということになります。僕たち日本人の医療は経済活動を行うことで維持することができるので、中止という選択はありません」
競技ディベートでは言い切ることも重要だ。そして、最後に反対派の矛盾点も指摘しておく。
「僕が一番に感じた反対派の最大の違和感は、スポーツ産業の中心企業でもある新聞やテレビが中止を訴えたことです。ボイコットして筋を通したのならば信念に基づいた行動と受け取ることができたのですが、結果的に世論を扇動しただけでしたので、そこにポリシーが感じられなかったので、反対派の意見が薄っぺらく感じたのです」
醜態を晒したメディアの悪いイメージを反対派に重ねるのも、弁論テクニックの一つである。
「世論を持ち出すなら、オリンピックを強行した内閣支持率の下落は各社大差がないので、民意を納得させるには至らなかったということになるわね」
数字に強い真心先輩に返り討ちに遭ってしまった。だけど言われっぱなしはよくないので最後に付け加える。
「コロナ禍におけるオリンピックの感染対策こそ後世に残すべきレガシーだったと思うんですけど、それをアピールできなかったというアナウンス不足は、賛成派の努力不足だと素直に認めます」
世論調査まで否定するとドツボに嵌まるので、認めるべきは認めるのも弁論には必要だ。オリンピックに関するアンケート調査を持ち出す手もあるが、調べたけど数字にバラつきがあるので止めておく。
「それでは最後に雫ちゃんの意見を聞かせてもらいましょうか」
まだ桃原先輩が話していないが、部長が締めに一年生を指名した。
「はい。あっ、ええと、わたしは、反対するのが怖いから、賛成です」
独特な言い回しをするのが特徴だ。
「怖い? 何が怖いの?」
ゆっくり考えるのも雫ちゃんの特徴だ。
「はい。もしも自分がオリンピックに携わっていたらって思うと、すごく怖かったです」
彼女は当事者の身になって考える弁論方法を取る。
「オリンピックは大事な仕事で、それを中止するということは、仕事を辞めろって言われてるわけで、わたしだったら耐えられなかったと思います。反対する人も仕事をしているはずなのに、どうしてオリンピックの人だけが大事な仕事を奪われなければならないのか……」
雫ちゃんはオリンピックに関心を示さなかったけど、競技ディベートでは誰よりも親身になって考えられるという特徴がある。
「みんなで仕事を辞めるなら公平だったと思います。でもオリンピックの人だけが責められるというのは心が痛みます。そして、何よりも怖いのは、中止を求める声が、いつか、巡り巡って、自分にも向けられるんじゃないかって、そんなことを想像したら怖くなりました」
情に訴える弁論テクニックを持っているので、高校生レベルの競技ディベートでは彼女が一番強かったりする。といっても、それはテクニックなどではなく、雫ちゃんの本心の可能性もあるけれど……。
「人には色んな趣味があって、スポーツに限らず、世の中には沢山のイベントがあります。そんな中で反対を叫べば、自分が好きなイベントにも矛先が向けられるかもしれません。だから反対するのではなくて、オリンピックの感染対策を見習おう、っていう声を上げるべきだったと思います。それが自分の大切なイベントを守る方法だと思うので」
そこで拍手を送ったのが、反対派の席に座る桃原先輩だった。
「雫ちゃん、最高だよ!」
そう言って目をうるうるさせるものだから、真心先輩も注意するのを控えるのだった。
「今回も千夏がいるチームの負けみたいね」
雫ちゃんの意見には反論しずらいということもあり、彼女の弁論テクニックのおかげで勝たせもらうことができた。
「もうさ、勝ち負けなんかどうでもいいよ。それよりもオリンピックの話をしよう!」
こうして今日も桃原先輩の連敗記録が更新したのだった。
※次回の更新は未定です。最終回があるタイプの物語ではありませんので、興味を引く面白そうな弁論テーマが見つかったら続きを書きたいと思います。