同窓会
「同窓会、か。あれから十年経つのか」
つい感傷的になってしまった。
十年前、俺は中学三年だった。同じクラスの三田優佳と付き合っていた。いや、今思えば、あれは付き合っていたと言えるのかと疑問に思ってしまう。何故なら、親友の木崎雅人と雅人の彼女の堀田楓を交えたダブルデートばかりだったから。
雅人と堀田は自他公認のカップルだったが、俺と三田はお互いに「石田君」「三田さん」と名字で呼び合っていた。雅人と堀田は「雅人」「楓」と名前で呼び合い、よくじゃれ合っていた。俺と三田は手を繋いだ事もない程度の仲だったのだ。
だが、決して三田が嫌いだった訳ではない。この世の誰よりも好きだった。だからこそ、手を繋げなかった。まともに顔も見られなかった。ダブルデートも、全部雅人と堀田がお膳立てしてくれたもので、俺と三田は只二人と一緒に行動しているだけだった。それでも俺は嬉しかった。三田と一緒にいろいろな場所に行けたから。三田自身が俺の事をどう思っていたのかは確かめた事がないが、
「付き合ってください」
三田から告白されて、付き合い始めたのだから、嫌いだという事はないと思う。その時の俺はまさに天にも昇る心持ちだった。死んでもいいと思うくらい、喜んだ。
しかし、何度かダブルデートを重ねていくうちに、雅人と堀田が俺が三田の事を好きなのを何かで知り、三田に頼んで俺に告白してもらったらしいという情報が入った。その情報は伝聞の伝聞くらいの不確かなものだったが、俺は信じてしまった。何故なら、ダブルデートの時、三田はあまり嬉しそうではなかったからだ。最初のうちは、俺は緊張してて気づかなかったのだが、三田はいつも寂しそうな顔をしていて、少しもデートを楽しんでいる様子がないのがわかったからだ。
そんな状況が続き、俺は何度か雅人を問い詰めて真相を聞き出そうかと思ったが、怖くてできないでいた。
それから二ヶ月が経ち、夏休みに入った。それはあまりにも突然の出来事だった。
「え?」
家の玄関で雅人から告げられた時、俺は耳を疑った。三田が突然転校してしまったというのだ。それも何百キロも離れた関西のどこかの町へ。
「お前、何も聞いていないのか?」
雅人も俺のリアクションを見て驚いていた。
「ああ。何も聞いてない。そんな様子、全くなかった」
俺はあまりにもつらくて立っていられなくなり、その場に蹲み込んだ。
「楓にも何も言わずに行っちまったらしい。あいつも相当落ち込んでいたよ」
雅人の言葉は遠くから聞こえるようだった。俺は意識を失いそうだった。
「同窓会なんだけどさ、三田から連絡があって、来るらしいぞ」
仕事帰りに居酒屋でばったり行き合った雅人に言われた。
「三田が?」
ここ数年、すっかり忘れていた存在だった。いや、過去の記憶の部屋の扉から溢れ出てくるのを必死に抑え込んでいたのかも知れない。それが証拠に、定期的に夢には出てきていたから。当然の事ながら、中学の制服を着た三田だったが。
「仕事で関東に来るらしいんだ。楓、すごく喜んでいたよ」
雅人と堀田は昨年結婚している。式には俺も出席したが、何も覚えていない程上の空だった。
「良かったじゃねえか。もしかすると、もしかするぞ」
雅人はニヤニヤしながら言ったが、俺には何の感慨もない。何の連絡もなく関西に行ってしまって、また突然姿を見せられても、対応に困るだけだ。
だが、雅人のゴリ押しもあり、俺は出席する事にした。どこかで三田優佳に期待する俺がいたのだ。そんな事はあり得ないとわかっていながら。
そして、同窓会当日になった。ホテルの貸切の大広間に現れた三田は期待を裏切らなかった。あの頃も美人だったが、もっと綺麗になっていた。他の男共も、色めき立つ程だった。鼓動が速くなり、全身から汗が噴き出すのを感じた。
「久しぶり、石田君。元気そうでよかった」
笑顔で声をかけられ、呼吸を忘れそうになる。
「そ、そうだな。三田も元気そうでよかったよ」
上滑りした言葉が口から出た。すると、
「ああ、今は『三田』じゃないの」
不意に衝撃的な事を言われた。
「え?」
俺は間の抜けた顔で彼女を見た。彼女は何故かはにかんだ様子で、
「今は草薙なの」
草薙? あのお笑いの? などとボケる余裕もなかった。
「そ、そうなんだ……」
それ以降、彼女が何かを話していたのだが、何も耳に届かなかった。俺も何か言ったのだが、全く記憶にない。会が始まり、乾杯をしたり、出てきた食事を食べたりしたのだが、それも覚えていない程ショックだった。
(俺は今でも三田が好きなんだ。こんなに悲しくなる程)
俺は二次会を断わり、まさしくトボトボとホテルを出て、駅へと舗道を歩いた。
何を期待していたんだ。十年ぶりの再会で、三田とまた付き合い始めて、遂に婚約、そして結婚。
バカだ。独りよがりも大概にしろ。自分の愚かさに涙が出そうになった。
「ちょっと、どうして黙って帰るのよ?」
三田、いや草薙さんの声がした。幻聴かと思い、そのまま歩く。
「聞こえてないの?」
まただ。明日医者に行こう。
「石田君!」
ぐいと右の手首を掴まれた。ようやく幻聴ではないと理解して振り返ると、そこには頬を膨らませて俺を睨んでいる草薙さんがいた。
「く、草薙さん。どうしたんですか?」
つい他人行儀ーーいや、実際他人だがーーな口調で応じた。
「あの頃もそうだったよね。石田君は私を『三田さん』て呼んで、名前で呼んでくれなかった。すごく悲しかった」
え? どういう事? 俺はどうにか、
「だって、三田いや草薙さんは、雅人と堀田に頼まれて俺に告白したんでしょ? ホントは好きじゃないのに、無理してデートに行ってくれたのでは……」
「誰がそんな事言ったの? 私は自分の意思で石田君に告白したんだよ? でも、石田君は何回デートしても、私の顔を見てくれないし、敬語のままだし、それが凄くつらくて……」
草薙さんの目が潤んでいる。また鼓動が速くなってきた。俺が思っていたのと全然違うのか?
「だったら何故、黙って転校したんですか?」
俺はどうしても訊きたかった事をやっと言えた。
「それは、母と父が離婚して、急遽神戸の母の実家へ行く事になって、誰にも話をできないまま、父の家を出たから……」
驚いた。そんな話、今の今まで知らなかった。
「ごめん」
お互いにほぼ同時に口から出た。
「何がごめんなの?」
草薙さんが言った。
「何も知らなくて、いきなり文句を言ってごめんなさいっていう意味です」
すると草薙さんは、
「私の方こそごめん。誰に伝えられなくても、石田君には言うべきだったとしばらくして思った。でも、慌ただしく神戸へ行ってしまったので、貴方の連絡先がわからなくなってしまって……。ごめんなさい」
深々と頭を下げた。
「もういいんですよ。十年も前の事なんだから」
俺は照れ臭くなって言った。
「ありがとう、石田君。そういうところが好き」
涙ぐんだ草薙さんの顔を見て、思わず抱きしめたくなる。だが、今は彼女は人妻だ。
「じゃあ、二人だけで二次会をしようか」
草薙さんが腕を組んできたので、それを振り払い、
「な、何言ってるんですか!? 草薙さんは結婚してるんでしょ? そんな人が他の男と腕を組んだり、二人きりで二次会とか、ダメでしょう?」
真顔で言ったはずなのだが、草薙さんは笑い出した。
「私、結婚なんてしてないよ、石田君」
「はあ?」
まさしく狐につままれたような状況になった。草薙さんは笑いを堪えながら、
「両親が離婚して、私は母の旧姓になったの」
「ああ」
合点がいった。草薙さんはまた腕を組んできた。
「だから、何も支障はないの。それに私達、お付き合いをやめた訳じゃないでしょ?」
草薙さんがいたずらっぽい笑顔で俺を見上げる。
「言われてみれば、そうですね」
「だから、敬語はやめて」
「はい、あ、うん」
十年という長いようで短いインターバルを超えて、俺達はまず遠距離恋愛を始める事になった。