第三話「買物と温もりと」③
自室でくつろいでいる俺の耳に軽快なリズムが反響する。
届くリズミカルなその音は、所謂料理の音だった。
まな板の上でステップを踏む包丁が、沸沸と煮たつ汁物が、その身を焦がす肉と野菜が。
異なる波長を合わせ、実に聴き心地の良いメロディーを奏でている。
不思議と、見ているはずのバライティ番組なんかよりはずっと鮮明に耳に届いた。
ふと思えば、実家にいた頃は嫌というほど耳にした記憶がある音だ。
別段俺は休日に手を貸すくらいの料理を手伝うタイプの子供でもなかったが、それでもこの音を嫌いにはなったことはない様な気がする。
朝はアラームの代わりに、晩は夕食の合図に。
今こうして耳にしているからこそ、その音と匂いが酷く懐かしく感じられた。
一人暮らしを初めてまだ一年、されど一年。
離れなければ感じることのできなかった、たった一度きりの感情。
いつか思い返すことなあっても、きっとこの感情を忘れることはないだろうと、俺はこの時強く思う。
「凛ちゃん、もう直ぐ出来るよー」
キッチンからかけられた声に、俺はうーとかおーとか適当な言葉を送り返す。
気づけば生姜焼きの良い香りがこちらまで漂ってきている。
食べる前から分かる美味しさに、やはりインスタントに頼ってばかりでは駄目なのかもしれないと自分の生活を省みるが、一人暮らしを始め料理の大変さを理解してしまった今、到底自炊なんてする気分にはなれないというのが本音だ。
昔の俺、もっと手伝ってれば良かったかなぁ……。なんて、今更後悔しても仕方のない話だったりもする。
食器や飲み物を用意するべく立ち上がりリビングのすぐ横にあるキッチン向かうと、そこには俺の汚い、もといとっ散らかった部屋には似ても似つかわしくない、清楚で溢れかえるエプロン姿の女がいた。
後に積もることもあるであろう、新雪のような穢れのない白銀の髪が頭の後ろで束ねられている様は、形容するならば、パステルピンク色の大地に一本の川が流れているみたいな感じだ。
そう。所謂ところのポニーテールといつやつである。
白夜は普段の髪を下ろした印象の方が強いためか、その姿はやけに新鮮に映って見え、露わになったうなじは、嫌に艶めかしい。
昨今目にすることも多くなったメジャーな髪型だとは思うが、なかなかどうして、かなりくるものがある。
「凛ちゃん?早く準備してよー」
ぱっと白夜が振り返り、困ったように物言う。
そんな幼馴染にいつまでも見とれている訳にもいかないので、
「お、おう……」
焦りながらも、食卓という名ばかりのテーブルに諸々の用意をした。
やがて調理を終えた白夜が米と生姜焼きをよそい、2人向かい合って席に着く。
「「いただきます」」
ありがたやーありがたやーと深々と手を合わせてから、俺は従順に箸をつけた。
「どうかな?」
味噌汁とか副菜とか一通り口にし終えたタイミングを見計らって、白夜が箸を止め顔を覗き込んでくる。
「や、美味いよ。うん」
「おぉー、それは何よりだよっ!」
嬉しさを隠そうともせずに満面の笑みを見せる白夜。
いや、実際かなりの腕ですよ、ほんと。
「今日は自分でも思うけど、結構上手にできた日なんだよねー」
「そうか、ツいてるのかもな」
「だね、凛ちゃんついてるよ」
とか言い合っているものの、正直いつも美味くてついてる感じなんだが……、とは口には出さない。
「リクエストには応えれたかな?」
最終評価を問う白夜に、俺は呆れてみせる。
「それ、今聞く……?」
違ったらどうすんの、作る前に聞きなさいよ……。とも思ったのだが、要は生姜焼きの感想を聞かせろということだろう。
素直に褒めようにも食レポとかレビューとかその辺の経験が全くと言って良いほどにないので、小っ恥ずかしさもあり割と困ってしまうが、まぁ食わせて貰ってるしそれくらいならと、もぐもぐ生姜焼きを頬張りつつ、俺は少しふざけながらもしっかりと褒めることにした。
「……まぁ、この生姜焼きな。肉が旨いのかタレが美味いのか分からんが取り敢えずウマい。なにこれ、修行ってた?」
「え。……や、やってはないと思うけど。昔、お母さんと一緒に作ったことがあってね……」
この際俺の褒めていたのかも分からないちょっとした冗談が軽くあしらわれたことはさて置いて、まぁ何となく分かってたが、いつもに増して迷いがなかった理由はそれか。
「ほーん。……あの母親とね」
俺は昔の記憶を引っ張り出しつつ、そんな曖昧な返事をする。
実際、白夜の母とはそれなりに面識があるのだが、あの人が娘と料理をしている姿など、なにぶん想像に難しい。
「あ、言っても幼稚園の時の話だけどね」
「あぁ、なるほど」
それならまだ、密かに納得がいくのかもしれない。
「それに小学生になると、もう凛ちゃんの家に通いだしてたしね」
古い思い出を懐かしむように、静々と続ける白夜。
そんな姿を見て、俺もまた振り返る。
「寂しいからって、それでよく俺の家に来てたな。夕飯まで一緒だったことも少なくないな」
「……うん、そう、だったね」
「んでもって家が近いものだから、泊まりとか云々言い出して」
「そ、それはもう忘れてよぉ……」
子供時代の拙い羞恥に顔を手で覆って頬を赤らめる白夜。
まぁ白夜はそう言うが、何気ないことも簡単に忘れられないくらいに俺たちは時間を共有し過ぎている。
今にして思い返せば、あの頃は当然のように共に生活を過ごしていたものだ。
それこそ、可能な限りは近くにいたからか、懐かしいあの日々の当初を分かり易く例えるならば、子供特有の、馴れ合いにも似た関係によるものだったと今更に思う。
母子家庭である所の白夜は、今でこそしっかりとした印象もあるが、やはりそうは言うもののあの頃は1人の小学生に変わりない。俺が手を引くまでの一年間、孤独による寂しさを普通以上に感じ慣れてしまっている。
「でも……ほんと懐かしいよね。子供だったから出来た思い出だもんね」
「まぁ……、今はそうもいかないからな」
小学生でも中学生でもない、高校生なりの幼馴染では、やはり難しいものがある。
「でも、今の関係も私は好きだから、……良いの」
けれど白夜は何かを大切に胸に仕舞い込む様に、そっと胸に手を当てた。
「やっぱり、美味しいね」
「……あぁ」
そんな姿に俺はただ、何をとも言えず返事を返しただけだったが、白夜はうっすらと頬を緩め、その嬉しげな雰囲気を隠すことはなかった。
幾ばくかの雑談を添えて満たすがままに食べ終えること数分。
息を揃えることもそれから幾ばくかの雑談を共に満たすがままに食べ進めること数分。
息をそろえることもなく、俺たちは再び手を合わせる。
「「ごちこうさまでした」」
それからはいつもの流れとして遅くなる前に白夜を寮に返し、諸々の片付けを終える。
俺はソファーに深く腰掛け、コーヒー片手に1人寂しく一息ついてから。
思うに、こんな寒い季節の中。
ーーーー今日は温もりに満ちた一日だった。
第三話を書き終えました。
次話も白夜は引き続き登場しますが、数人?新キャラもちょいと出てきます。
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