氷雨と大牙……突然の襲来、ひょっとこ男(前編)
とある朝、その日の氷雨は、朝から緊張に包まれた不安そうな表情を浮かべていた。
初めて見る表情、大牙は心配になり、声を掛ける。
「氷雨、どうしたの? なんかあったの?」
大牙の声に、氷雨は慌てて返答する。
「少しまて、大牙……」
そう口にして、立ち上がる氷雨。
奥の部屋にある棚に向かい、小さな箱を取り出す、中には道着が入っており、氷雨は大牙にそれを手渡した。
「それに着替えておけ、今から、“氷雨”と呼ぶことを禁止する。師匠と呼ぶんだ、いいな! 絶対に忘れるなよ、大牙!」
強い口調と、真剣な表情に圧倒される大牙、無言のままに頷いくと氷雨は優しく微笑んで見せる。
「すまんな、大牙、少しの間だからな」
普段の氷雨とは、違う汐らしい一面に、大牙は今までに感じた事のない不思議な感覚で胸がいっぱいになる。
氷雨と視線を合わせられなくなった大牙は、不意に立ち上がる。
「き、着替えてくるね。氷……じゃなくて、師匠」
少し寂しそうな、表情を浮かべる大牙に軽く頷く氷雨。
大牙に渡された古い道着は、確りと洗濯されており、太陽の香りが仄かに残されている。
昨日から用意されていたのだろう、と、大牙はそう思い、ながらも急ぎ、着替えを済ます。
道着は少し大きめで、裾の部分を折るように着なければ、歩くのにも支障が出てしまう。
「大牙、どうだ? 少し大きいが……ぶかぶか、だなぁ……思ったより、背が小さいのぅ」
困ったように、頬を指で掻く氷雨。
「少し此方に歩いてみろ。直してやる」
言われるままに、歩みを進める大牙、しかし、足が思うように進まない。
「ふふ、なんだか、赤子が必死に歩いているみたいで、可愛いぞ大牙よ?」
クスクスと笑いながら、氷雨は立ち上がり、大牙の方に歩いていく。
そんな氷雨の言葉に、むきになる大牙は急いで移動しようと足をあげる。
「な、酷いよ! っ! うわあぁっと」
「あ、馬鹿!」
道着の裾を踏み、転びそうになる大牙。
慌てて、倒れそうになった大牙を庇うように抱き締める氷雨。
「危ないだろ! 磨ぎ石や、他にも色んな物があるんだ! 気をつけよ、大牙!」
「ご、ごめん」
氷雨に抱き締められたまま、謝る大牙、その瞬間、引戸が勢い良く開け放たれる。
二人が引戸に視線を向けると、ひょっとこの面を被った老人が立っていた。
「えっと、あれ、ひょっとこ?」
大牙がそう呟くと、氷雨の表情は、生気が消え去ったように真っ青に変わる。
ひょっとこ男は、小屋の中に入ると氷雨と大牙に向けて声を掛ける。
「久しいのぉ、氷雨よ……その小雀はなんじゃ? お前の他に弟子が居たなど、儂は聞いてないが、お前さんは、何者かね?」
返答に困る氷雨を庇うように、大牙が一歩、前に出る。
「俺は大牙、氷雨は師匠だよ。じいさんは誰?」
大牙の質問を聞き、氷雨の顔が更に真っ青になる。
ひょっとこ男も、大牙の質問の内容を聞き、雰囲気が変化する。
「ほう、氷雨の弟子じゃと、ならば、話が違ってくるのぉ」
ひょっとこ男はそう言うと、大牙を外に呼び、構えを取る。
「掛かってこい、氷雨の弟子だと言うならば、少し実力を見てやろう」
大牙は言われるがままに、ひょっとこ男に向かっていく。