氷雨と大牙……炎国の老将と炎国の王1
氷雨が肩から掛けた長い布袋を大牙に渡す。
「大牙よ、敵であれば、人とて、切り捨てよ! 人は鬼よりも時として、悪であるとこの瞬間に学べッ! よいな!」
布袋の紐を解き、中身を確める大牙、開いた瞬間、息を飲み、氷雨の顔を確める。
袋の中身は、氷雨の師が使っていた鬼斬り刀が入っており、既に※下緒が解かれている状態であった。
※下緒──刀が抜けぬよう(誤って使わぬよう)に束と鞘を結ぶ紐。
「氷雨、この刀って?」
「嗚呼、それは我が師が使っていた鬼斬り刀だ! 一度、お前は其れを持ち出したな、その日の夜だ、夢で師が呟いた、お前を後継者にと、わかったら刀を抜けッ!
前に道塞ぐ者あらば、全て切り捨て駆け抜けよ、背中は同志に任せ、悩む事は無駄だと学べッ! 刀を振り抜け大牙ッ!」
刀から、風が吹き抜けるような感覚、大牙の手が微かに震えるも、束に手を当てた瞬間、風が暖かく大牙の手を包むように内側に吸いつけられていく。
力強い氷雨の言葉、悩む事は無駄なのだと、素直に聞き入れた刃に迷いはなく、力いっぱいに鬼斬り刀を振り抜く。
「馬鹿ッ! そっちに振り抜いたら! あちゃあ……計画変更だッ! 直ぐに真っ直ぐ走れ!」
氷雨の慌てる声、そして、大牙が振り抜いたら刀の先には、炎国の国境があり、大牙の一振りは、風の刃となり、鎌鼬のように国境の壁に綺麗な斬撃を刻んでいた。
「え!」
大牙と五郎が驚く最中、夜夢が氷雨の後に続き、紅琉奈が大牙を抱えて動き出す。
それに続いて走り出す五郎の後ろから、黒雷の者達が慌てて追いかけていく。
その直後、炎国の国境から、大気を歪める程の高熱源態が大牙達の居た位置に向けて発射される。
「頭を下げろッ!」
氷雨の声に慌てて、屈む大牙達。
後方から追っていた黒雷の者達は、慌てて回避すると、急ぎ白雲に向けて姿を消す。
『一旦、引きます! 炎国相手なんて、御免です』
白雲を操る香北は、黒雷の者達を乗せると即座に姿を消していく。
ホッと、する大牙、しかし、目の前で氷雨が両手を頭より高く上げる姿が眼に入る。
「絶対に手を出すな、絶対だ」
氷雨が全員に向けて声を出す、すると、直ぐに周囲の景色が歪んでいる事実に皆が気づく。
炎国が、最初に火炎弾を放った目的、それは、空気を歪める事で熱で姿を隠していた部隊の存在を隠す為であった。
大牙達を囲んでいた者達は炎国の兵士であり、氷雨はこの場で揉めることを避けようとしていた。
空気が元に戻り、姿を現す炎国の兵士達、それは間違いなく一般兵であった。
紅琉奈が大牙を護ろうと動こうとした瞬間、氷雨が再度、手で“待て”と、合図をする。
大牙も紅琉奈を止める事でその場は抵抗の意思がなくなる。
そんな最中、隊長であろう年配の老人が氷雨に向けて喋り掛ける。
「これは、これは……水国の……御手を御下げくださいませ、貴女様に無礼があれば、我々の首が幾つあっても足りませんからな」
老人の名は、謙影。
炎国の国境を任され指揮する老将である。
姿こそ、老人であるが実力は炎国、五本の指に入るとされ、炎を操る炎国と水国が揉めることなく、今に至るのも、老将──謙影の存在があってこその結果であった。
水国と炎国間での小競り合いがなくなった理由の一つであり、炎国大三将の一人でありながら、炎王の相談役の立場にあり、発言の影響力は三将の中で一番と噂されている。
そんな人物が、氷雨に対して頭を下げる姿に兵士達が慌てる。
「将軍、どうか、頭を上げてください! 他の兵に不安が広がります」
副官であろう人物が慌てて声を掛ける、すると、先程まで穏やかであった謙影の表情が一変し、鬼すらも逃げ出す程の形相を露にする。
「黙らぬか……キサマ一人の首で済む案件にあらず、わからぬのならば、辞職せよ……愚か者が国を滅ぼすは歴史が示しておる……そうでないと、思うておるが、考えはどうかね、副官?」
圧倒的な威圧感と老人とは思えぬ迫力に、兵士達は、静かに姿勢をただし、息を飲み。
「考えが足りず、出過ぎた発言を致しました……」
「うむ、此方の方々は、炎国様の御友人だ。傷一つで、千の兵が首を失うだろう……お前がワシの後釜だ、確りと眼を養うのだ、よいな?」
話が終わり、老将、謙影と部下達に連れられ、炎国の国境から国内へと案内される。
水国と炎国の国境に聳え立つ門が開かれていくと、鬱蒼とした森が広がっており、一本道が、森の果てまで続いている。
大牙は初めての異国の地に足を踏み入れたのだ。




