氷雨と大牙……無鬼(後半)
「大牙、無鬼は……人から生まれる、そして、人から突如、鬼となる……」
氷雨の真っ直ぐな目は、嘘偽りが無い事実を大牙に伝えていた。
「俺、鬼になるの……母様を殺した奴みたいに……」
真顔で氷雨と百仮を見詰る大牙の頬を大粒の滴が流れ落ちていく。
母親を殺めた存在を恨み、自身を護る為、母親と同じような者を出さぬ為に、過ごした時間に亀裂が入るように心に大牙の悲鳴が響く。
しかし、百仮はそんな大牙に対して、煙草の煙を吐き掛ける。
「ふぅ……」
「ゲホ、ゲホッ」
煙に咳き込む大牙、百仮は煙草の火を消すと、ゆっくりと喋り始める。
「早い話、儂と修行をせねば、鬼になる、七日で、見込みがなければ、鬼にならぬように、その腕を斬らせて貰う、勿論、修行をしないと言うならば、この場で腕を貰い、話は終いじゃ」
大牙は、涙を拭うと、静かに頷いた。
腕がなくなるよりも、自分自身が、母親を殺めた鬼になることを嫌い、最後まで負けたくないと言う、強い思いが大牙を前に前に押し出していく。
百仮は、大牙の表情を、まじまじと見詰めたまま、氷雨に声を掛ける。
「氷雨、酒が有るだろう、持ってこい」
「……いぇ、その、此処には今、酒は無いんです……」
氷雨の返答は、百仮の予想だにしないものであり、耳を疑うように聞き直すも、その返答は変わらない。
禁酒生活を強いられていた事実を知り、百仮は腹を抱えて笑いだす。
「ファハハハ、氷雨が禁酒生活とは、此れは、予想外じゃ、はぁ、しかし、直ぐに酒を手に入れねばならない。山を降り、酒を調達するぞ」
大牙の手に包帯を巻き付ける氷雨。
優しくも、申し訳なさそうな表情、大牙は、聞きたいことを声に出そうとするも、無言で、質問を飲み込んだ。
早々に小屋を後にする三人、山の麓にある村で、酒を買う。
その際、百仮は大牙に対して、声を掛ける。
「小僧、本来ならば、其ほどの鬼霧を体内に宿す事などない、儂が放ったあの術は、本来、鬼との繋がりを計る物だ、知らぬうちに、鬼になる傀外は、少なくないからな」
「傀外?」
「傀外は、人と鬼の種を持ち、産まれた存在だ、儂も、氷雨も、元は傀外よ、そして、小僧……お前も傀外のようだな、運命と言う奴か……人として、開花すれば、“傀動”の力が、鬼として、開花すれば、“無鬼”となる……無鬼は、五体満足にて、開花する、傀動も同様だ。まあ、開花後に四方を失っても力はそのままだがな」
百仮は、大牙が鬼になるならば、手を切り、五体満足でない存在にすると、改めて口にした。
その後、すべての用意を整えると、三人は神社に向かう。
神主は、百仮の話を聞き、神社を後にすると、鳥居に氷雨が結界を作り、神社を覆う。
庭で待たされる氷雨と大牙の元に、酒を清めた終わった百仮が、静かに姿を現す。
「始めるぞ、氷雨よ。庭に火を炊く、準備を手伝え」
薪が次々に組まれ、特殊な文字と紋様が印された紙に火がつけられ、くべられる。
炎が大きく舞い上がり、次々に薪が焚べられていく。
炎の前には、百仮、その横に薪を焚べる氷雨、大牙はそんな二人の後ろに座らされる。
「陰邪、滅壊火刃、安行真信、雌牝双運、鬼切断解!、陰邪、滅壊火刃、安行真信、雌牝双運、鬼切断解……」
百仮が、祓いの言葉を口にしていく。
大牙の腕から、黒い霧が空に向けて上がっていく、しかし、突如として、空に向かっていた霧が、地上に舞い戻る。
「な、なんじゃ! こんな事が……」
焦る百仮と氷雨、しかし、次の瞬間、霧は百仮の前方に目掛けて、飛んでいく。
炎の先に消える黒い霧、その先に、真っ赤な眼を輝かせた、肌が黒く成り始めている女の無鬼が姿を現す。
無鬼は、大牙を誘うように、手を動かし始める。