従者から見た悪役令嬢
「お父様!婚約破棄されたって、本当ですの!?」
「あぁ、そうだ。今朝方、王城から正式な通告があった。」
「や、やりましたわ!」
悲壮な顔をしていらっしゃる旦那様の横で、お嬢様はにんまりと口元を歪めなさっています。
俺は、思わず呆れてしまいました。
彼女は、事の重大さに気がついていないのでしょうか。
だとしたら、本当に“愚か”としか言いようがありません。
「エリザベス。お前にはもはや、良縁は望めまい。3日後、修道院に行ってもらう。その方がお前の為にもなろう。」
「分かりました。」
「話は以上だ。出て行け。」
彼女は軽やかな足取りで部屋を出て行きます。反対に、俺は鬱々とした気持ちでした。
なぜって?そりゃ、そうでしょーよ。
折角、この馬鹿女に媚びて媚びて媚びりまくってきたっていうのに。この女は皇太后になるどころか、修道院送りになっちまったんだから。
あーぁ。俺の今までの苦労は全部水の泡かよ!
「ルーカス。さっきの話は聞いていたわね?」
「はい、お嬢様。」
「でも、私は修道院なんかに行くつもりはないの。私は、平民として生きていくのよ。ずっと、普通になりたかったの。」
何を言っているんだこの女は。
俺は生まれて初めて、仮にも貴族相手に本気の殺意を覚えました。
この女は、毎日どれほどの人間が死んでいるのか知らないのだろうか。病気や飢餓、凍死や殺人。ほんの少し裏通りに行っただけで、死体がゴロゴロ転がっている。
平民は、貴族とは違うのだ。
暖かなベッドは勿論、穴の空いていない壁すらない。
一日中働き続けても、粗末な食べ物をたべ、病気になっても薬一つ買えない。田舎の方では、不作の年は子供を口減らしに売らなければならないし、都会の方では、女は身体を売らなければ一人で生きる術もない。
それを、なりたかっただと?
毎日毎日毎日。シーツのあるベッドで寝て、一日三食も食事をしていたお前が?病気になった時には医者を呼んでもらえたお前が?所詮は庭いじりしかした事のないようなお前が?
冗談じゃない!
どれだけ、俺たち平民を馬鹿にすれば気が済むんだ。
「幸い家督はお兄様が継いで下さるし、この家は私が居なくとも十分に繁栄しているわ。だから、今度は私の番。私、此処を出て街で暮らそうと思うの。」
「…家を出るという事ですか。旦那様の許可も無しに。」
「そういうことになるわね。ねぇ、ルーカス。貴方も、一緒に行かない?此処にいたって、どうせお母様たちにいびられるだけでしょう。自由に生きてみたくはない?…まぁ、決めるのは貴方次第だけどね。」
ダメだダメだダメだダメだダメだ。
俺は、この能天気女を殴りたい衝動を抑えるのに、必死でした。
なにが、自由だ。なにがいびられるだ。
俺が、お前の何倍苦労して今この地位に立っていると思っているんだ。どれだけ貴族に媚びへつらって、此処に立っていると思っているんだ。
お前は何一つ知らないだろう。奴隷が、ここまで這い上がるのにどれほど危険を冒してきたかなんて。
どこかニヤニヤとした面構えのエリザベスが、心底気持ち悪く思えました。
まるで、自分の言葉こそ真理だとでも言いたげな顔。
俺が同行することに、些かの疑念も覚えていないようでした。
「嫌です、俺は残ります。」
「え。な、なんでかしら。」
「俺は、平民になんてなりたくない。そんな所で止まりたくない。もっと、もっと上を目指したいからです。」
信じられないような顔をするエリザベスを見て、ほんの少しだけ胸が空きます。
こいつに拾われた時、虐待の酷い主人から逃げてきたと言ったがそれは違います。真っ赤な嘘です。
俺の前の主人は、とある伯爵家の当主でした。
彼もこの女のように変なことをほざく奇人で、周りからは常に孤立していました。
たしか俺を買った時も、奴隷制度に反対だの何だの言ってたっけ。
そこでの生活は、なかなかに快適でした。だが、それじゃダメだ。
俺はもう二度と、奴隷時代のような生活には戻りたくなかった。すぐ目の前にあるような、貴族たちの生活が眩しくて仕方なかった。
俺も、ああいう風になりたい。綺麗な服を着て美味しいものを食べて、お風呂に入って暖かい寝床で寝たい。
そう思うのは自然な事でしょ?
もう、決して誰にも虐げられないように。
虐げる側の人間に、俺はなりたかった。
だから、あの日。
主人の財産を奪って、数人の仲間と共に俺は屋敷から逃亡しました。
その金を元手に、商売を始めるつもりでした。
うんと大金持ちになってやる。そう思っていました。
ところが、計画は失敗。俺は途中で仲間に裏切られ、道で野垂れ死にそうになっていたところを、偶然にもこいつに拾われたというわけです。
その時やっと俺は悟りました。
違う、成り上がりたいのなら逆らうのではない。“貴族に媚びへつらう”事こそ、成功への近道なのだと。
「こんな所で終わってたまるか。俺は、成り上がりたい。例えどんな事をしてでも。登りつめて、もう二度とあんな惨めな生活には戻らない。」
「ちょ、待って。どこへ行くの?」
「出ていくというのなら、どうぞご勝手に。俺は旦那様から給金を得ているのであって、貴女の僕ではありませんので。失礼します。」
焦った声を無視して、扉を閉める。
もはや役に立たない女など眼中になく。俺の頭は既に、どうすれば旦那様に気に入られるかという事へ傾いていました。




