参 妖刀・雪血華
時代背景の都合上、わからない単語が多いと思われるので、わからない単語は最後の方の注釈を参照してください。
「ふーん、つまりお前さんは未来から来た18歳の学生で、巫女の姿をしているけど本当は男の娘という訳か。そして本名は霊璽郎だが、その美しい娘のような容姿のせいでそこにいる狐雪に勝手に霊華という名前を付けられてしまった、巫女になったのも全部狐雪のせいだ、今すぐ訴訟を起こしてやりたいと。何とも奇怪で滑稽な話だな。」
霊璽郎の身の上話を一通り聞いた一藍は牛鍋を食べながらそう言った。
「一部ツッ込みたく所はありますが、まあ大体そんな感じです。」
と、霊璽郎は答える。
「にしてもお前さん、どう見ても女子にしか見えないな。正直言葉遣い以外は完全に処女(※四十七)じゃないか。」
「貴方だって他人のこと言えた義理ですか。その顔で男だなんて、貴方だって俺と似たようなもんじゃないですか。」
「そいつは悪かったね。だけどね、これでも私は三十路過ぎてるんだよ。お前さん方のような若い者からしてみればもうおっさんってやつだよ。」
「え、えええええええええええええええええええええええええ!?」
突然のカミングアウトに、霊璽郎は驚きを隠せなかった。
「そ、その顔で三十路超えてるって…………最初せいぜい十代後半から二十代前半くらいだと思ってたんですが……。」
「霊華さん、妖人だったらこの程度は普通ですよ。むしろほとんどの人間が老化早すぎるんです。妖人だと中年のおじさんおばさんみたいになるまで最低でも500年、皺だらけの年老いた姿になるには最低でも1000年以上はかかります。」
狐雪の言葉を聞くと、改めて妖人の寿命の長さを思い知らされた。
「それに私は元維新志士、その程度の年齢な訳ないだろ。」
確かにそうだ。
今の時代に十代後半から二十代前半だと、十年前の幕末維新の頃はまだ子供である。
それを考慮に入れてなかった自分を後悔する霊璽郎であった。
しばらくして一藍は、
「霊璽郎、そろそろお前さんが来た『ヘイセイ』とかいう時代のことを少し聞かせてはくれないか。」
と霊璽郎に聞いてきた。
「あ、それ私も聞きたいです。霊華さんが来た時代ってどんな時代なんですか。」
先程まで一藍と一緒になって牛鍋を口にしていた狐雪も、興味津々で霊璽郎の話を聞こうとする。
「俺のいた平成という時代は、この時代とは全く違って着物を着ている人がほとんどいなくて、みんな一藍さんみたいに洋服を着ているんです。あとこの時代にない便利なものがたくさんあるんです。例えばボタン一つで飯を炊いたり食べ物を温めたりできるし、スマートフォンっていう小さな板のような物で電話やチャットという機能で意思疎通をしたり、そのスマートフォンっていう物でゲームっていう遊びができるんです。他にもいろいろあるんですが代表的な物を挙げると、テレビっていう薄い箱のような物で音が出せていろんな絵や写真や景色が見えてしかもそれが動いたり、ガソリンっていう石油からできた燃料で走る自動車っていう車があったりしますね。」
「コォン、人や馬や石炭ではなく臭水(※四十八)で走る車に電信や遊びに使える板、そしてボタンという物で動く釜に動く絵や写真や景色を映し出せてさらに音まで出る箱か……。中々興味深いな。」
「なんだか凄そうですね、霊華さんがいた時代って。僕、できることならなんだか行ってみたくなりました。霊華さんみたいに階段から落ちればできるでしょうか。」
「止めとけ狐雪、多分大怪我するだけだから。それに俺もなんで階段から落ちただけでこの世界にタイムスリップしたのかわかってないんだぞ。」
階段から転げ落ちようと言い出した狐雪を霊璽郎が制止する。
どうやら二人は霊璽郎の語る未来の世界の話に興味を持ってくれたみたいであった。
「いやぁ、久々に面白そうなものを聞かせてもらったよ。お礼に私の屋敷に連れて行ってあげよう。」
一藍は牛鍋を口にし、杯に入った酒を呷りながらこう言った。
「「ほ、本当ですか!?」」
まさか彼の屋敷に招かれると思っておらず、狐雪と霊璽郎は驚いた。
「ああ、普段は部外者を招くことはほとんどないのだが、今日だけ特別にお前さん方を招待しよう。」
「「あ、ありがとうございます!」」
二人は口を揃えてお礼を言った。
そして、食事を終えると同時に、三人は勘定を払って馬車に乗り、馬車で街はずれにある一藍の屋敷へと向かった。
そして、馬車に揺られながらしばらく行ったところで西洋風の大きな屋敷が見えてきた。
「あ、なんか大きなお屋敷が見えてきましたね。もしかしてこれが一藍さんの住んでいるお屋敷ですか?」
「ああ、そうだね。でもこれは別荘で、本邸は京都にあるんだ。」
程なくして馬車は屋敷の門の前で止まり、
「着いたでござる。」
馬車を引いていた黒羽がそう言って馬車の横扉を開けてくれた。
「あ、どうも。」
先程のようにどうせ無視されるだろうが、一応会釈だけはする霊璽郎であった。
「さて、ここからは私についてくるといい。」
二人が馬車から降りたところで一藍は狐雪と霊璽郎に着いてくるように促し、門を抜けて屋敷の前の道の中程まで来たところで何故か立ち止まった。
「あの……どうかされましたか。」
「ここで立ち止まってどうしたんですか。」
二人は一藍が道の真ん中で突然立ち止まったことに戸惑い、一藍の様子を伺う。
すると一藍はくるっと二人の方へ振り向き、
「突然だが狐雪、一つ手合わせを願えるかな?」
と言い出した。
「え、ええ!? いきなり何を言い出すんですか!? それにまた、何故こんなところで!?」
狐雪は突然勝負を挑まれたことに驚いた。
「お前さんが破落戸相手に見せた太刀筋、大したものだった。だがそれもこの明治という近代国家が治める時代での話だ。これが幕末の動乱だったら、お前さんのように太刀筋にわずかでも迷いがある奴は、確実に斬られている。もしかして、相手を斬るのが怖いのか?」
「えっ!?」
狐雪は今まで自分が胸に秘めていた相手を斬ることに対する恐れという感情を指摘されて驚いた。
それはそうだ。
狐雪は今までこの東京の平和を守るために幾人もの妖や悪人を斬ってきた。
しかし、相手を殺めたことなどただの一度もなかった。
何故ならば、斬った相手を殺さないこの雪血華しか狐雪は扱ってこなかったからだ。
斬られた者たちは死ぬことはなかったものの、斬った相手の動こうにも動けない苦悶の表情と、術を解くために運悪く大火傷を負ったり焼死してしまったりした者たちのことを思うと、どうにも心が締め付けられそうに苦しくなる。
それにこれがもし普通の刀であったら、相手は確実に死んだり腕や足がなくなったりしているのであろう。そう考えると胸の苦しみがどんどん激しくなっていくのだ。
そのため狐雪は、自分のやっていることは正しいのだろうかと悩むことがよくある。
しかしその恐れを他者に面と向かって言われることがなかったので、今まで周りからこの迷いを隠して生きてきた。
今までそれで大丈夫だったし、万が一の時は狼士組の方々が来てくれるなんていう甘い考えも持っていた。
そう、今ここで指摘されるまでは……。
「どうやら図星みたいだな。だが、言わせてもらう。戦う時は迷いを捨てて覚悟を決めなければ、戦場でのお前さんの死はほぼ確実だ。お前さんが今まで強い妖相手に命を拾ってこられたのも、偶々運が良かったのと、狼士組という強力な味方がいたからに過ぎない。中途半端な覚悟や窮地に陥れば誰かが助けてくれるなんていう考えでまともに戦える、ましてや国を守ることができるなんて思うな。所詮この世は弱肉強食、強ければ生き、弱ければ死ぬ。迷いや甘い考えは所謂心の弱さ、それを敵に見せた途端にそこを突かれて喰われるのが落ちさ。」
「そ、そんなことありません! 僕は中途半端な覚悟で戦ってきた事などありません! 仮にそうだとしても、誰も気付いていない僕の心の中が何故貴方にわかるんですか! 出鱈目言わないでください! それに僕は、ただ強い者だけが生き残り弱い者は死ぬなんていう弱肉強食の世なんか望んでいません!」
図星を突かれてムキになり、自身の心の迷いを隠そうとする狐雪に一藍は更にこう言った。
「誰も気付いていない? あの狼士組の局長の幕末時代の同志だった私から言わせてもらうが、あの男はお前さんの太刀筋と心の中を見抜けない程愚かな奴ではないぞ。そうでなければあれ程恐れられることはなかっただろうしな。あいつの事だ、おそらくお前さんの心を見通した上で、協力関係と称して単にお前さんの力を利用しているのだろう。お前さんを狼士組の正規の隊士に入れようとしないのも、お前さんと直接稽古をつけてくれずに部下に任せっぱなしなのも、そういう理由でなければ説明がつくまい。」
「うっ……。」
狐雪は、痛い所を突かれて押し黙るしかなかった。
「か、一藍さん! 流石にそれは言い過ぎなんじゃ…。」
霊璽郎は狐雪をきつい言葉で責め始めた一藍を諌めようとする。
しかし、一藍はそれに聞く耳を持つことはなく、逆に霊璽郎に忠告した。
「いや、言わせてくれ。それに霊璽郎、お前さんもだ。お前さんが今まで生きてきた140年後の未来は大層平和な時代みたいだが、この時代は凶悪な妖が日常的に人を襲っている上に、西南戦争が終わってからまだ半年程しか経っていない。つまり、またいつ大きな戦が起こるかもわからない決して平和なんていう生易しい時代なんかじゃない。いつまでも『ヘイセイ』という時代の感覚のままじゃあとてもじゃないが、この時代では生きていけないぞ。そのためにも巫女になったのならば、早く妖と戦う術を身につけたまえ。狐雪から色々お前さんの事を聞いたぞ、お前さんには普通の人間と異なる潜在的な能力を持っている、即ち巫女の才能があるとな。だからもしかしたらお前さんも、妖に対抗できるかもしれない訳だ。まぁ自分の才能を信じてせいぜい頑張りたまえ。」
一藍が最後に何故か激励の言葉を言い残したことに、霊璽郎は複雑な気持ちを覚えた。
「さて、話を戻そう。いいか、弱肉強食の世は望んで出来るもんじゃない、端からそういう風に世の中が出来ているんだよ。所謂自然の摂理ってやつだ。現に英国や仏蘭西、魯西亜、亜墨利加、阿蘭陀等の列強諸国は、亜細亜や阿弗利加の弱国を次々と喰らい、植民地にしているだろう。それに、強い力を持った妖が弱い人間を喰らうことなんかはまさに弱肉強食の典型例じゃないか。もしそんな世の中に異を唱えるというなら、今ここでその刀を抜いて自分の正義を吠えてみな! 私はこいつで応えてやる。」
一藍がそう言い放つと、頭の高帽子を脱ぎ捨て、自身の西洋杖を前に差し出した。
すると西洋杖の周りに紫の蝶が現れ、群れを成して飛び立って消えたかと思うと、そこに黒い鞘に収まった一振りの刀が現れた。
その刀は禍々しい妖気を漂わせており、まさに妖刀というのがふさわしい代物であった。
「こいつは妖刀・妖鬼瘴、幕末の頃からの愛刀さ。相手を一撃で仕留め損ねたとしても、体の一部を斬っただけで確実に相手を殺す刀だ。雪血華が不殺の活人剣というならば、この妖鬼瘴は究極の殺人剣といったところかな。それに私の得物はこの刀だけじゃない。」
そう言って今度は刀を鞘から抜刀し、その鞘を前に差し出した。
すると先ほどと同様に、鞘の周りに周りに紫の蝶が現れ、群れを成して飛び立って消えると、今度は一丁の回転式拳銃が現れた。
「そしてこれは、私がとある貿易商から仕入れたコルト・シングルアクション・アーミー(※四十九)を改造して造った、その名もSAA-MK2。特殊な構造のおかげで弾を装填する手間が省ける画期的な銃だ。え? 何故弾を装填する手間がないのかって? それはこういうことさ!」
そう言い放った一藍は屋敷の前の庭の石像に向けて銃の引き金を引いた。
バァン!
銃口から撃ち放たれた物は鉛の弾丸ではなかった。
弾丸状の青い火の玉が石像に向かって飛んでいき、弾丸が貫いた箇所があっという間に熱で溶け落ちてしまった。
「そ、そんなバカな……。」
それを見た霊璽郎は驚愕した。
こんな銃は140年後の現代にも存在しない。
それを一体この人はどうやって造ったのだろうか。
おそらくは妖術の類だと思われるが、何故石をも溶かすほどの高温の炎をこの銃が打ち出せるのかが霊璽郎はすごく気になっていた。
いや、西洋杖が刀に、刀の鞘が拳銃に変わる時点でもう現実ではありえないのだから、ツッ込むだけ野暮なのかもしれない。
だが、何れの武器もかなりの脅威になるということだけは間違いなかった。
狐雪もその様子を見て、驚愕の顔を浮かべていた。
霊璽郎と同様に、まさかこんな銃が現実に存在するなんて思っていなかったのだろう。
「そ、そんな刀と銃で戦うだなんて、僕を殺す気満々ってことじゃないですか! 」
「いや、別に私はお前さんに中途半端な覚悟と迷いがどれだけ己を弱くするかを教えてやるつもりであって、殺すつもりは全くない。だから普段ならこの二つで戦うところだが、お前さんの得物は刀一本だけだし、この銃は使わないであげる。あと、この戦いはどちらかの刀が先に折れた方が負けということにする。牙や鉤爪が折れた獣は、戦いの上では死んだも同然だからな。」
そう言って、一藍は拳銃を背広の振袖の中にしまった。
「わかりました。ではこの勝負、絶対に勝ちます!」
狐雪はそう言うと鞘から刀を抜き、雪血華を構えた。
「すぅ……。」
対する一藍の方も愛刀・妖鬼瘴を中段に構え、静かに息を吸う。
そして二人はお互いに側頭部のアホ毛を狐の耳へと変化させ、力の篭もった精悍な目付きで相手を見る。
獣系妖人は戦いの際に己の妖力を引き出さんとする時、側頭部のアホ毛が獣耳に変わるという。
その証拠に側頭部の毛が狐耳に変わった途端、二人は周りに妖特有の妖気に由来する如何とも形容し難いプレッシャーを周囲に放っていた。
声を上げて凄んでいるわけでもなく、静かに呼吸しながら刀を構えているだけなのに、二人からは戦いを見守っている第三者の霊璽郎でもなんとも言えない凄いプレッシャーを感じ取ることができた。
そして狐雪の方も、相当なプレッシャーを受けていた。
(流石は幕末の動乱で幕臣たちから修羅と恐れられていた方です。破落戸なんかとはとても比べ物になりません。油断も隙もあったもんじゃありません。それにどこからくるのか全く予想がつきません。やはりこちらから仕掛けるべきか…。)
「はぁはぁ…。」
あれこれと考えているうちに、狐雪は自分の呼吸が無意識に荒くなり、額から汗が滲み出てくるのを感じた。刀を握る手も無意識に強くなっていた。
一方で一藍の方は、全く焦ったような様子が見られず、刀を中段のまま動かさずに、ただ狐雪の動きに合わせて左足を合わせ、正面を位置取っていた。
これでは右か左、どちらに打ち込んでいいかわからない。
ひとまずここは無闇に手を出さずに、相手の方から出させるのが得策だろう。
少なくとも無闇矢鱈に突っ込んでいけば負けるということを本能が察していた。
そのため、足を前に踏み出そうとしても踏み出せなかった。
「やはり来ないか、ならば先手は取らせて頂く!」
一藍は刀を上段に構えると、
“蛇毒牙炎刀!”
まっすぐ前に踏み込み、上段に構えた妖鬼瘴に青い炎を纏わせ、それを狐雪に振り下ろした。
「くっ!」
狐雪は反射的に雪血華を斜に構えて防御の方を作った。
しかし、
「シャァッ!」
突然一藍の妖鬼瘴が軌道を変え、狐雪の手首の方へと打ち込まれた。
狐雪は妖鬼瘴の炎が手首に当たる寸前に反射的に後ろへ下がり、なんとか攻撃を防いだ。
だが一藍は交代を許すことなく素早い一歩を踏み出し、追撃を仕掛けてきた。
「てぃっ! やぁっ! はぁっ!」
烈火の如き攻撃は、角度を変えても何度も打ち込まれる。
その度に刀が纏った青い火の粉がこちらに降りかかりそうになる。
成る程、妖鬼瘴は炎の殺人剣か。
氷の活人剣である雪血華とはどこまでも対照的な剣であった。
ならば…。
“冰雪華!”
狐雪は雪血華に吹雪を纏わせた。
日の光に当てられて刀身に輝く粉雪は、まるで刀に雪の花が咲いたかのようだった。
「私の毒の焔にそのような粉雪を纏った剣で対抗しようとは、お前さんはその程度か! その雪が溶けて水になったところで、この妖鬼瘴の焔を消すことはできないぜ!」
「チッ……!」
やはり、燃え盛る青い炎と刀身に纏った粉雪では桁も格も違っていた。
このままだとこちらの敗北は確実だ。
ならばこのまま相手を油断させ、攻撃を弾いたタイミングで隙を狙えば勝機は____________。
攻撃に転じることなく亀になったつもりで防御を続ける。
刃がぶつかり合うたびに粉雪と火の粉が飛び散り、青い光が煌めいているのがなんとも美しかった。
攻撃を仕掛けないのは誘いだ。狐雪は自分を煽り、攻撃を仕掛けてきたところを迎撃するつもりであった。
しばらく耐え続けると、一藍は一度身を離した。そして___。
「さて、そろそろ終わりにするとしよう。」
“煉獄死炎!”
一藍は青く巨大な炎の竜巻を妖鬼瘴に纏わせ、狐雪の雪血華目掛けて一遍の迷いを感じさせることのない真っ直ぐな太刀筋で斬り掛かった。
「すぅ…。」
狐雪は呼吸を整え、雪血華を下段に構えると、相手の剣をさばくための太刀筋を脳内で思い描き________。
“冰点百華繚乱!”
先ほどよりも凄い勢いの吹雪を刀身に纏わせ、妖鬼瘴を迎え撃つ。
そして、青い炎と吹雪の竜巻がぶつかり合い___________。
折れたのは、雪血華の方であった。
「勝負ありだね。」
一藍は折れてしまった雪血華を一瞥すると、背広の振袖から拳銃・SAA-MK2を取り出して元の鞘の状態に戻し、妖鬼瘴を鞘に収めた。
一方狐雪の方は、相手が銃を使わずに対等な条件で戦ってくれたのに、自分が負けたというショックで呆然とし、折れてしまった雪血華を地面に落としてしまった。
(これが…、妖同士の戦い…。)
そして戦いの一部始終を見ていた霊璽郎は、最初こそは剣と剣での戦いだったのが大きな妖力同士のぶつかり合いとなった戦闘を見て、素直に凄いと思った。
そして自分が、これからこのような力を持った妖に対抗しなければならないことに対する恐怖心も、心のどこかに芽生えていた。
「まぁお前さんもよくやったよ。ただ迷いを完全には捨てきれなかったな。それに相手を殺すことを厭わない殺人剣と、不殺などという緩い覚悟を決め込んだ活人剣では速さも重さも全然違う。同じだと思っていれば、こうなる。これでわかったろう。甘い覚悟や迷いが戦場では命取りだってことを。だがこのままでは二度と剣は振るえまい。そこでだ。お前さんに一つプレゼントを進呈しよう。ついてきな。」
そう言って一藍は脱ぎ捨てた高帽子をかぶり直し、妖鬼瘴を元の西洋杖の状態に戻すと、狐雪と霊璽郎に屋敷の中へ入るように促した。
「「は、はい!」」
霊璽郎はそのまま屋敷の大きな扉を抜け、屋敷の中へと入っていった。
遅れて狐雪も気を取り直して折れた刀を拾って鞘に収めると、霊璽郎の後についていき、屋敷の中へと入っていった。
「うわぁ…、こんなに広い屋敷に入ったのなんて初めてだ。」
屋敷の中は大きなシャンデリアがかかった天井と大広間、そして階段の先には大きなステンドグラスの窓があった。
霊璽郎はその屋敷の広さと豪華絢爛さにあっけに取られていた。
外からでもこの屋敷の豪華さと大きさは窺い知ることができたが、いざ中に入ってみると改めて屋敷の豪華さと大きさを実感させられた。
「お帰りなさいませぇ、一藍様。ご飯にしますか? お風呂にしますか? それともぉ、わ・た・く・し?」
そしていきなり目の前に、白く長い髪に、雪の結晶の柄が入った純白の着物を着た、妖艶な白い肌の美女が出迎えてくれた。
顔立ちも整っており、薔薇色の唇と蒼玉のような瞳が特徴的で、細く白魚のような手の指には金剛石の指輪がはめられていた。
周囲には冷気が漂っており、その冷気に触れると今にも凍りつきそうであった。
「た、ただいま二結華。今は別にどれもいらないかな…。」
一藍は若干引き気味にそう答えた。
「えぇ〜。全く、一藍様ったらいけずですわ。もう。」
そう言って二結華と呼ばれた女性は、今度は狐雪と霊璽郎に目を向けると途端に目の光を失った。
「あの…、一藍様? この二人の女は一体なんですの……。まさか私に隠れて浮気をしていたのですか……。しかも二人とも私よりも若くてピチピチした娘じゃないですか。まさか、そのような小娘が好みでしたの? いいえ、一藍様は悪くありませんわ。悪いのは一藍様を誑かしたこの雌豚どもですわ。私の一藍様を誑かすなんて…….許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません許せません一藍様は私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの私のもの………。」
二結華は二人に対し凄まじい殺気を放ち、それと同時に周りから漂わせる冷気もどんどん強くなっていった。
((あぁ、この人典型的なヤンデレだ。しかも重度の…。))
そして二結華は着物の袖から巨大な氷の爪を出し、
「私の一藍様を誑かそうだなんていい度胸してますわねえぇ!! ここで始末して差し上げましょうかこの雌豚どもがあぁ!!」
「ひいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!!」
「コオォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!」
その爪で斬りかかろうと狐雪と霊璽郎に襲いかかった。
しかし、その爪が二人を斬り裂こうかという寸前で、一藍が西洋杖から刀を抜き、その氷の爪を受け止めた。
「待ってくれ二結華!! 誤解なんだ! 別にこの二人は私のことを誑かしていないし、それに巫女服の彼は男だ。とにかく落ち着いてくれ! 私は別に浮気なんてしてない!」
「そ、それは本当ですの?」
「ああ、本当だ。もし信じられないというなら、後でお前の好きなあいすくりん(※五十)をご馳走してやるからさ。」
すると二結華は氷の爪を仕込み杖の刃から離した。
「ま、まぁそれでいいですわ。そこのお二人さん、命拾いしましたわね。でぇもぉ、とにかく一藍さまには手出し禁止ですわよ。もし私の一藍様を誑かすっていうなら……。」
そう言って二結華は氷の爪を二人にちらつかせる。
「「は、はいっ! 肝に銘じておきます!」」
狐雪と霊璽郎は二結華に対し、本能的な恐れを感じた。
((この人は絶対に怒らせないようにしよ……。))
「あ、あの……。この人は一体?」
「ああ、こいつは雪女 二結華。私の愛人で、見ればわかる通り雪女の妖人だ。さて二人とも、こっちだ。」
一藍は二人に大広間の中央の階段に登るように促し、二人もそれに従った。
当然二結華も一緒であった。なんでも狐雪と霊璽郎が一藍に手を出さないか心配なので、監視をするらしい。
一藍の後についていき廊下を歩いていくと、一つの部屋に案内された。
部屋の中には、多くの本が並べられた本棚と西洋風の絵画や調度品、そして何枚にも積み重なった書類や立てかけた羽ペン、葡萄酒とグラスが置かれた机が配置されていた。
「黒羽、そこにいるんだろう。この者たちに紅茶を淹れてやってくれ。」
すると部屋の中に、いつ屋敷に入ったのかいきなり黒羽が現れた。
本当に神出鬼没だな、と思う霊璽郎であった。
「御意。」
黒羽は瞬時に消え、今度はティーセット一式を持って現れた。
「どうぞ、冷めないうちに飲むでござる。砂糖は机の上に置いておくでござるよ。」
「「ど、どうも…。」」
黒羽は皿に乗った二つの西洋茶碗に紅茶を淹れ、それぞれ二人に差し出した。
「お、美味しい…。」
「緑茶もいいですが紅茶も美味しいですね。ありがとうございます。」
その紅茶は、茶葉の芳醇な香りと旨味が程よく引き出されていてとても美味であった。
「どうも、とりあえずそれを飲んで少し待っていてくれ。」
そう言って一藍は机の上のグラスに葡萄酒を注ぎ、それを一気に飲み干すとこの部屋を後にした。
しばらくすると、一藍が戻ってきた。
彼が鍔(※五十一)と接する部分につけていた謎の輝石がついたはばき(※五十二)と、四枚の色が異なり、それぞれ火・水・雷・草と書かれたお札を持ってきて。
「まずは狐雪、お前さんからだ。これは普通の刀を妖瘴石の力を持って妖刀に変える装置だ。これがあれば折れてしまった雪血華の刀身も再生するだろう。ただしこの石の部分を強く押せば、この刀は不殺の活人剣からたちまち人を殺すことを厭わぬ殺人剣へと変わる。今の未熟なお前さんだったら、この石を押すか押さないかはよく考えたほうがいい。」
「は、はい…。というか未熟は余計です。」
頬を膨らませながら、狐雪はそう言って一藍からその装置を受け取り、雪血華にはめた。
すると、刀身はみるみるうちに再生して、すぐに元通りの長さに再生した。
「うわぁ…。これはすごいや。……あっ、てことはもしかして。」
これを見た霊璽郎はとあることに気づく。
「もしかしてあの銃も妖瘴石とかいう石の力で?」
「ふむ、存外聡いねお前さん。あれは私がコルト・シングルアクション・アーミーに妖瘴石を組み込んで独自に開発した改造銃だ。妖瘴石を埋め込んだおかげで、自動で炎の弾が装填されるようになっている。妖瘴石は強い妖力を宿していて、人間が直接触れるとあまりの強い力に耐えられずに死んでしまうが、妖が触れると妖力が回復するという毒にも薬にもなる石さ。だからこの石を武器に組み込めば近代兵器も強い力を発揮してくれるんじゃないかと考えて、今現在妖瘴石に関する研究を進めているところなんだ。ちなみに狐雪に渡したこれ、もう製品化していて、不平士族の連中や政府の軍人たちに売ったらかなり儲かったんだよね。ただあいつら、肝心なことをわかっていなかったんだよなぁ。」
「それって何ですか?」
「これ、生身の人間が使うとどんどん魂をこの妖瘴石に吸い取られるのさ。まぁポ◯◯ンでいうところの命の珠みたいなもんだ。」
「ああ、わかります。技の威力を上げる代わりにHPが十分の一ずつどんどん減っていくあれですよねー。」
(だから何でお前ら百数十年後の偏った知識には詳しいんだよ…。)
霊璽郎は心の中でツッ込まざるをえなかった。
「おかげでこれを使っていた連中はこの後原因不明でバタバタと死んでいってる。でも安心しな、妖はこの石に魂を吸い取られないからな。」
「そうなんですね。安心しました。」
(いや安心しちゃダメだろそこおぉ!!)
またもや心の中でツッコミを入れる霊璽郎であった。
「ただし、これは小さいから触れたところで妖力を回復させるだけだが、こいつの大きな結晶は妖人が触れると妖力を更に強大化させる代わりに人間として死ぬ__________つまり己の人間としての部分を否定し、完全なる妖怪となる。」
「あ、その話は聞いたことがあります。でもそうそう見つからないんですよね。妖瘴石の大きな結晶って。」
「そうなんだよな。ここ数年間ずっと妖瘴石の結晶の中でも最も大きいものである『妖瘴の巨石』を探しているんだがなかなか見つからないんだよなぁ。私の今の目的はその『妖瘴の巨石』を手に入れることさ。それが手に入ればいずれは………あ、いや、なんでもないからね今のは。」
(あ、こいつ今なんか誤魔化した。ぜってぇなんか誤魔化したぞこいつ。)
一藍は何かを言いかけたところで、誤魔化すようになんでもないと言った。
何か知られてはいけないことでもあるのだろうか。
でも、世の中詮索していいことと悪いことがあると知ったので、あえて詮索しないことにした霊璽郎であった。
「さて、次は霊璽郎の番だ。お前さんにはこの四枚のお札をあげよう。これに封じられているのは四体の式神だ。赤いのが火雀、青いのが水龍、黄色が雷虎、そして緑が草亀だ。戦う相手に応じて臨機応変に召喚するといい。呼び出す時は札をかざし、心の中で念じながら『召喚、〇〇!』と叫べばいい。なぁに、私にはもう必要ないものだ。遠慮せずに受け取るといい。」
「はい、ありがとうございます。」
霊璽郎はありがたく四枚のお札を受け取った。
気づけばもう夕方になっていた。
西洋風の窓から夕日が差し込んでいた。
おそらくもう帰る時間になっているだろう。
永山も心配しているかもしれない。
そう狐雪と霊璽郎が思っていると、一藍は再びグラスに注いだ葡萄酒を飲みながら、二人に帰るように促した。
「お前さん方、今日はもう帰りなさい。最近子供や若い娘を狙った拐かしが多いからね。なんでも犯人が見つからないから妖の仕業だと思われているらしい。まぁここの警察はほとんどあてにならないからな。」
「あ、忘れてました! 最近拐かしが多いからよく見回りをしていたのですが、今日は霊華さんを案内することに気を取られていてできませんでした!」
「いや、拐かしは夜に起きているのだから昼に見回りしても意味がなかろう。今日は神居神社まで私が馬車で送っていこう。丁度この後ある取引先に用があるからね。」
「一藍様、私めも連れて行ってください! この二人が一藍様を誑かさないか心配ですわ!」
「そ、そんなことしないので安心してください!」
(俺たち全然信用されてねぇじゃん。)
「はぁ、まあいいか。では黒羽、馬車の用意をしてくれ。」
「了解でござる。」
そう言って黒羽は再び消えてしまった。
そして四人は屋敷の外へ出て、馬車に乗った。
馬車に揺られながらしばらく行ったところで、神居神社の鳥居と石段が見えた。
「ほら、ついたぞ。ではまたお会いしよう、さようなら。」
「今日はありがとうございました。さようなら。」
「わざわざ送ってくださりありがとうございました。さようなら。」
狐雪と霊璽郎は一欄にお礼を言って馬車を降りた。
それを見計らって、御者の黒羽は馬車を走らせていった。
「はぁはぁ…、それにしてもこの石段、段数多いな。」
「まぁまぁ慣れれば楽ですよ。」
石段を登り終える頃には平気そうだった狐雪に対し、霊璽郎はもうへとへとになっていた。
そして神社の前でこの神社の神主、永山が二人を出迎えてくれた。
「おお、二人とも今帰ってきたのか。今風呂を沸かしたところだ。好きな方から入るといい。」
「じゃあ俺から先に入りますね。」
「じゃあ僕は待ってますね。」
その夜、霊璽郎は風呂に浸かりながら今日を振り返り、疲れを癒していた。
それにしても風呂はいいな。今日一日中の疲れが一気に飛んでいく。
急にタイムスリップしてしまったことに対する気苦労はあったものの、それも今では吹っ飛んでしまいそうだった。
と、その時、いきなり風呂の扉が空いたかと思うと、そこには一糸纏わぬ生まれたままの姿の狐雪が現れた。
「な、ななななななななななななななななな何やってんだお前はああああああああああああああ!!」
色白で柔らかそうな肌に、メロン大の胸部の丘。そしてその先に付いた薄桃色の果実と縦長の整った形をした臍の下にある______________なんだかもう色々といけないところが見えてしまってる狐雪を見て、霊璽郎は絶叫した。
そして自分の股の刀が大きくなってしまっていることに気づき、急いで両手でそれを隠した。
「何って、混浴なんて普通のことじゃないですか。何を叫んでいるんですか霊華さん、それに貴方は『男の娘』じゃないですか。僕、貴方になら自分の裸を見られても構いませんよ。出会い頭に股の刀を触ってしまったこともありますしお互い様です。」
「いやいやいやいやいやいや何そのお互い様!? あと少しは恥じらいくらい持t……はっ!!」
そこで霊璽郎はあることに気づいた。
(確かこの時代ってまだ江戸時代の名残が残っていて政府が禁止したにも関わらず普通に男女の混浴が当たり前だったらしいな、実際この年の25年前に来たペリーも日本の混浴文化を見て驚いてたらしいし。ってことは間違ってるのは俺!? 俺が間違ってるのか!?)
だんだん頭が混乱してきた霊璽郎に対し、狐雪はこう言い放った。
「さぁ霊華さん、僕と体洗いっこしましょう。そしてあの戦いで負った僕の傷心を癒してください!」
「いいから早く出てけえええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
霊璽郎は狐雪に強烈な右ストレートを喰らわせると、
「コオォンッ!」
狐雪は、風呂の扉を突き破って廊下へ吹っ飛んでいった。
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その頃、所変わってここは内務省の官僚、井上 平三郎の屋敷。
その一室にて、屋敷の主と思われる中年の太った男が部下と思われるネズミ顔の男と猿顔の男の二人組と話をしていた。
「おい、此の所連れてくる子供や若い娘の数が減ったのではないか? それにこの二日間は一人も連れて来ないでおめおめと帰って来おったなぁ? これでは入ってくる金が足りぬではないか! ただでさえ儂の目的を達成させるのに必要な高額な兵器を買い漁った時の借金を、あの胡散臭い隻眼の成金風情に返済せねばならんというのに! この役立たず共め! これでは何のために雇っているのかわからぬではないか!」
「も、申し訳ございやせん井上の旦那。ですがここ最近狼士組の方もこの事件に対して動き始めていやすので前みたいに下手に動けないんすよ。なんせ奴ら勘が鋭くて、ここ二日間奴らから身を隠すのにもう疲れたんすよ。」
「そ、そうっすよ…。あいつら結構腕が立つんで相手にしたくないんすよー。」
「言い訳など聞き飽きたわ! いいか、貴様ら。今夜からいつも連れてくる分の倍は連れてこい! でなければクビだ!」
「そ、それだけは勘弁してくだせぇ! 西南の役で西郷軍に与した妖人である俺たちには居場所がないんでさぁ! 警察に捕まったら一巻の終わりでさぁ!」
「ならば務めを果たせ。次の獲物は決まっているのだろう。」
「へい、あの牛鍋屋の小娘。あれなら絶対に期待に応えられる上物が取れると思いやすよ。」
「ですが、それにはちょいとばかし問題がありまして。」
「申してみよ。」
「実はあの牛鍋屋の女将、幕末の頃に修羅と恐れられた『妖四天王』の一人みたいなんでさぁ。それにあの女将、神居神社の例の女侍とも仲がいいんで奴が介入してくる可能性もありやす。そうなったら今度こそお縄になるかもしれねぇ。」
「それについては心配に及ばん。そのために俺がついているのだからな。」
そう言ったのは、警察の制服に身を包んだ顔に傷のある屈強な男、熊谷であった。
「うむ。頼りにしておるぞ。熊谷。」
「お任せください。それに、借金の件は踏み倒してしらばっくれれば良いではないですか。もしあれを決行した際にあの兵器が使われていることがわかれば、罪に問われるのはあちらの方だ。」
「おお、それもそうであったな。熊谷、お前も悪よのう。」
「いえいえ、井上様ほどでは。ですが、危ない橋を渡っているのは私めも同じ。井上様が内務卿になられた暁には…。」
「わかっておる。その時にはお前を大警視(※五十三)に召し立てよう。」
「ありがたき幸せ。」
「井上様! 狐々乃尾様がお見えです。」
突然部屋に小間使い(※五十四)が現れてこう告げた。
「チッ、やはり来おったか。見ていろ、貴様に金を払い続けるなどもううんざりだからな。」
そう言って井上はお客が待機している客間へ向かった。
客間では、一藍が配下の二結華と黒羽を伴って西洋机の向こうの椅子に腰掛けていた。
井上は西洋机の反対側の椅子に座った。
「ふん、待たせたな。まぁ大方わかっておるが、用件だけは一応聞いておいてやろう。また儂に集りに来たのであろう、この成金風情が。」
「集りとは人聞きの悪い。私はただ貴方がこの前買い占めた兵器の代金の支払いを請求しに来たですよ。温情で分割払いにして差し上げたのに、貴方は未だに代金を滞納していらっしゃる。一体いつになったら払ってくださるのか。商品を買ったら代金を支払う、私はただ当たり前のことを要求しているだけですよ。そんなこともわからない程貴方は馬鹿なのですか。」
「ふ、ふん! 知らんなそんなもの! 儂は貴様らに払う金なんぞ持ちあわせておらんわ! わかったらとっとと出て行け!」
「貴方にはその額の金を払うほどの代金がないんですか。おかしいですなぁ。こちらにいる黒羽から聞きましたが、貴方は一年前に汚職が発覚して閑職(※五十五)に追いやられたにも関わらず近頃大層儲かってるみたいじゃないですか。花咲か爺さんでも雇い始めたんですか。それで私に支払う金がないなんておかしいと思いませんか、井上さん。それにこれは個人的に気になっていることですが、貴方は私からあれほどの兵器を購入したり、屋敷の中に食いっぱぐれた大勢の士族や警視庁の幹部を引き入れたり、一体何を企んでいるのですか?」
一藍の言葉を聞いた井上は、何やら焦った様子でこう言った。
「も、儲かっている? ななな、何のことだ。儂はただのしがない中堅役人だぞ。それに兵器の使い道や屋敷に引き入れてる者など貴様には知る必要のないことだ。もう貴様に話すことなどない! 目障りだからとっとと失せろ!」
「あくまで契約を反故にするおつもりか。ならばこちらにも考えがありますよ。ですがこれ以上何を言っても貴方には無駄みたいですので、私はこれでお暇します。」
「おう! 出て行け! 成金風情が官僚である儂に何ができるというのだ! 貴様の顔なんぞもう見たくもないわ!」
一藍は井上にすごい剣幕で怒鳴られ、二結華と黒羽を伴って客間を後にした。
その後、帰りの馬車の中にて____________________________________________________。
「巫山戯やがって! あのクソ豚親父が! 私をコケにして契約を反故にした代償は高くつくぞ! さて、まずはどうやって奴の弱みを握るかだが…。」
一藍は個人的には明治政府を好いていない。
だから私情においては、この商談にはあまり乗り気ではなかった。
しかし、基本的に売り買い事には善も悪も関係ないと信じているので、例え相手が政府の役人でも不平士族でも善人でも悪人でも、向こうから一方的に契約を反故にしない限り取引は守るというのが彼の流儀であり、今回の件も否が応でも私情を捨てた上で取引に応じなくてはならなかった。
そのため彼にとっては、契約を一方的に破棄するという行為は売り手と買い手の信頼関係を失い兼ねない、決して許されざるべき万死に値する裏切り行為であった。
その場合はどんな手を使ってでも、契約を反故にした相手を破滅に追いやって全財産を根刮ぎ奪うのが一藍の商売のやり方であった。
「安心してくださいませ一藍様。実は黒羽があの豚親父に関する新しい情報を見つけてくれましたのよ。」
「コォン……。それはなんだ。」
「それが_________________________________________________________________________。」
「成る程、それは使えるな。ではこの手で奴に契約反故の代償を支払ってもらうとするかな。コヒヒッ、コッヒッヒッヒッヒッヒッヒッ…。」
馬車の中では、二結華から何やら美味しい情報を聞き出した一藍の不気味な笑い声が響いていた。
(※四十七):乙女。未婚のうら若い娘。
(※四十八):石油の古い呼び名。
(※四十九):アメリカの西部開拓時代に使用されていた回転式拳銃。コルト社製で当時のアメリカ陸軍にも制式採用されていた。別名ピースメーカー。
(※五十):アイスクリームのこと。
(※五十一):刀身と柄の間にある板。
(※五十二):刀身が鍔と接する部分に付ける金具。刀身が鞘から抜けないようにする。
(※五十三):現在の警視総監。この当時の大警視は薩摩出身の川路 利良(1834〜79)。
(※五十四):主人の身の回りの雑用をする女の召使い。
(※五十五):仕事が少なくあまり重要でない役職。