恋する少女と触手の悪魔ツタノメ
「おはよう、ツタノメ」
ベッドからゆっくりと起き上がって、右手の甲を見る。
「…もうー、だんまり?」
二つ目の言葉を発すと、そこから、ゆっくりと"目"が現れた。それは、あまりにも綺麗で、限りなく邪悪な、真赤の瞳。
《目に、挨拶という習慣はない》
「寂しいじゃん。あとツタノメは邪悪じゃないからね」
《…何でも良いが。とにかく、今日の獲物を探しに行くぞ》
「え、起きたばっかなんだけど。気が早いよー、朝くらいいちゃいちゃしてよう?」
《誰が。貴様目的を忘れたわけではないだろうな?》
「忘れたわけじゃないけど、…分かった。じゃあ速攻で終わらせて最速で帰っていちゃいちゃしようね!」
《惚けるな。早く終われば次の獲物だ、今は少しでも多く蓄えねばならん》
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「えーと、…此所?」
《違いない。一人の男と、袋…いや箱か?…何かに詰められた人間の一部が見える、あれは_》
「ごめん待って! それ以上詳しく言わないで、気持ち悪くなってきた」
《軟弱な…。 おや、彼が死体を取り出しそうだな、収穫の確認でもするつもりか?》
「うっ、見たくもないのに! お邪魔しますっ!!」
けつまずきつつも急いで扉を開ける。が、少々遅かったようで、もろに"一部"を視界に入れてしまう。
「「うわあああぁぁぁっ!?」」
直後、無駄に広く暗い部屋に二人分の叫び声が響き渡った。それは絶対に見たくなかった物を見てしまった彼女の声と、隠れ家で安心しきっていた男との、歪に完成された共鳴だった。
「っ、馬鹿あぁっ!何で出してっ…!しまって、早く!!」
"一部"を持って固まっている男を全力で怒鳴りつけた。突然の出来事が二重に起きた男は、激しく混乱した様子で持っていた"一部"を箱の中へ乱雑に突っ込んだ。
「あ、えっ、おお、お前…誰!?」
「うっさい!死ね!!」
男の第一声を無惨に蹴り飛ばし、左腕を前に出した。
見開く右手甲の"目"、ぐっと踏みしめる足。相手を見据える彼女の瞳は、殺意よりも先程の怒りが強い。そして、未だ混乱したままの男。とても美しいとは言えない光景だが、これが、彼女の基本的な執行風景である。
前に突き出した左腕が、激しく蠢き始める。そして、黒く変色し、無数の触手へと姿を変えた。全てが不規則にうねるそれは、間髪入れずに十数メートル先の男に向かっていった。
男は、何が起きたのか分からなかった、自らの快楽のために人を殺め、貪るはずだったのに。突然名も顔も知らぬ少女に乱入され、しかもそれは人間ではないときた。男はこの短い間でなんとか思考を巡らせたが、丁度「逃げよう」と結論付けた所で、もう触手が目の前へ迫っていた。
骨の折れる音が響いた。
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肉のえぐられている音が、だだっ広い部屋に生々しく反響している。
「う…、駄目だやっぱ、見れない」
すぐ側で行われている惨状から目を逸らす。
《今は仕方がない。あと少し成長すれば丸飲みにしてやろう、我慢しろ》
「ん…分かった、気遣いありがと…。うっ、やばっ臭いも無理」
《酷いな。…契約者の健康は重視しているから此方も努力はするが、「慣れておけ」とは言っておく》
「だよね…、これからもっと沢山やらなきゃいけないんだろうし。…がんばる、…うぷっ」
《吐くなよ?》
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「…うー、なんとか耐えた…外の空気おいしー…」
《軟弱な…。まあいい、予想よりも早く終わった。次に行くぞ》
「えっ、うそぉ、帰ろうよぉ」
《怠けるな。私が何の為に貴様を救ったかは知っているだろう、貴様が丁度良い器であっただけのこと。私に"利用"されることは、貴様も承知した筈だが?》
「選択の余地は無かったけどね。"生きるか死ぬか選べ"なんて十代の女の子に言うとか意地悪すぎるよねー」
《不満か》
「まさか、私は感謝してるよ。命が助かったうえに、ツタノメに会えたんだもん、得しかないって。ただ…もうちょっとツタノメと惚けてたかったなぁ…って」
《…貴様がどうしてその思考になるのかが未だに_》
"目"が、言葉を詰まらせた。
「? どうしたの」
《同胞が近くに居る…》
「えっ、…それって」
足を、止める。
《後ろ上方!!》
「っ!」
左腕を触手に変え、後ろへ振り向く。
そして、衝突した。
「チッ、損ねたか!」
男は、後ろに飛び退き、地を踏みしめ拳を構え直した。
「…誰?」
「誰でも良いだろ。言うとすりゃあ同業者か?」
男は嘲るように笑った。
彼の両手は、浅黒い鱗に覆われ、おとぎ話に登場する竜の様に、鋭く変形している。そして、右手の甲には、淡い青色をした"目"が覗いていた。
「同業者ならどうして襲ってくるの、普通はお互い干渉しない様にするんじゃなかった?」
「いつもはそうなんだが…、あそこの男食ったの手前らだろ? ちょっとイラついてな」
《短絡的だな。その程度の理由で敵対するとは》
男の"目"が、こちらを見る。
《僕もそう思います。ただ、僕は彼のこういう無茶苦茶なところに惹かれたので、彼を止めるとか、無粋なことは致しません。大人しく殺られてくれませんか》
「おい何言ってんだウロコノメ、イラついたのは手前だろうが。勝手に俺一人の責任にすんじゃねえ」
《…はて、何の事か》
「チッ、まぁそういうわけだお二人さん。容赦はしねえぞ」
《悪いが、此方も敵対者に容赦をする気はない。追い返すぞ、契約者》
「言われなくても。あと、そろそろ名前で呼んで欲しいなーって_っ!!」
左腕の触手を伸ばし、男を襲う。男は、後ろに下がってこれを回避した。
「へぇ、面白い力じゃねえか!こっちもたぎるってもんさ!」
《…タケル!ちょっといいですか!》
「どうした!」
《この戦い、我々が不利です!》
「は? 開口一番何言ってんだ手前!」
《見たらわかるでしょう!間合いで負けています!》
「だからどうしたってんだ」
《どうしたも何も、あんな人達に突っ込んで行ってみなさい、手足を捕まれるなりされて終わりですよ!》
「おいおい、言い出しっぺが情けねえな!」
・・・・・・・・・・
「…なんか、様子変じゃない?」
《言い争いをしているようだな》
「えーっと、じゃあ…チャンス?」
ここぞとばかりに触手を暴れさせる。
「どわあぁっ!? ちょ、待っ、こいつやべえッ!!」
《ふっかける相手を間違えてしまったようです、逃げますよタケル!》
「お、おう!! 回れ右、背後の警戒は頼んだ!!」
男は踵を返し、全力を込めて駆け出した。
「あっ、逃げた!?」
《…何がしたかったんだ》
「追いかけるよツタノメ!」
《何だと? 放っておけば良いだろう》
「私とツタノメの邪魔をしたのに? 放っておくわけないじゃん」
《…全く、貴様はいつも私の理解を越える…。良いだろう、契約者がそう言うのであれば、その様に》
「ありがとう、ツタノメ」
靴を脱いで、裸足になる。両足が、黒い触手へと変貌した。
「場所は?」
《九時方向、あちらだ》
無数の触手の内一本が、方向を示した。
「了解、とばすよ! まだ慣れてないからこけたらごめんね!」
《その時は私が調整する。訓練する良い機会だ、積極的に進め》
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《タケル、不味いことになりました》
「今度は何だ」
《彼女、追いかけてきているみたいですよ?》
「は?」
《凄いですね、手足の触手を綺麗に使って飛ぶように迫ってきています。あ、もうすぐそこに》
「分析してる場合か! くそッ!」
《何をする気ですか?》
「ここに車があるだろ?」
・・・・・・・・・・
突如、目の前に巨大な物体が迫ってきた。
「っ、車!?」
《_!》
瞬間、触手が彼女の意思と反して動き、彼女を離脱させた。宙を舞った車は、そのまま地面に、無惨に叩きつけられる。
「…っ、ありがとう、ツタノメ」
《例には及ばん。砕けた身体を修復する羽目にならず何よりだ》
「あいつは何処?」
《依然、逃走中だ。我々程ではないが、速いな。このままでは…、_ああ、やはり見失ったか》
「えっ、もう!?」
《すまない、やはり未だ"足りない"様だ。あまり遠くまで見渡せん》
「あいつ等…。ツタノメ! なら次の獲物探しに行くよ!」
《…珍しいな、貴様がそちらにやる気を出すなど》
「人の恋路を邪魔する奴は、…ってこと」
《…分からんな。だが、獲物探しなら歓迎しよう。…丁度、轢き逃げをした奴が近くに居る。幸運だな、向かうか、契約者》
「了解! 後、私の名前はレンナ! そろそろ覚えてよね!」
《"成し遂げた"ときは、その様に》
目の悪魔と、その契約者。ツタノメとレンナは駆け出した。
世界を我が物とする為に。
ツタノメと、幸せに愛し合うために。
それぞれの野望を成就させる為に。
今宵も二人は、悪人を探して食らい続けるだろう。