銀河戦争セールス(三十と一夜の短篇第18回)
長い長い凍眠から、彼はめざめた。
「おはようございます、ジロー。地球惑星時間で二六年と一二〇日ぶりの朝です」
語りかけてくる姿なき女声は、イレースのものだ。地球人種・功罪次郎三郎、WEPOC社営業部員。A126星系より、A114星系への移動のため凍眠……凍眠の後遺症である見当識障害はなく、意識も目的もはっきりしている。
「おはよう、イレース。いいめざめだ」
可変汎用戦闘艇イレースは彼の相棒であり、大宇宙をわたる彼の棲み家である。女性格の、WEPOC社が産みだした機械生命体第一号である。
凍眠カプセルから這いでて、ジェルスーツを脱いで裸になる。締まりのわるい肉、矮躯。痘痕に出っ歯。小ぶりの目玉に団子っ鼻。ぽつりぽつりとまばらな頭髪は、ないほうがいっそ清々する。貧相を自嘲する。地球人種の美意識など大宇宙の基準に照らせば、まるで意味がない。白のシャツに紺の上下、赤地に黒の水玉が鏤められたネクタイを絞める。ジローの戦闘装束である。
「三〇分ほどで、A114星系に入ります」
どこの星へ営業をかけるのかはすべて、本社からの指示による。そこにジローの意志が入りこむ余地はない。銀河連邦圏内の顧客まわりよりも、新規開拓。本社から無人偵察機をほうぼうに飛ばして、ある程度の文明を有する生物が棲む惑星を見つけだす。A114星系第四惑星に知的生命体の存在が認められ、ジローに調査命令が下ったのだ。
「A114星系第四惑星に到達」
青地に、白と緑のコントラスト。生物が棲息できる惑星の外観は、だいたいどれも似かよってくる。重力や大気の配合が、惑星ごとにちがっている。それぞれの環境に適応した生物の姿態はさまざまである。
イレースは、第四惑星への降下を始める。可変汎用戦闘艇イレースは、直径二〇メートルの円盤である。円の中心に、ジローが居住する艦橋がある。艦橋の両脇に、二門のレールガン。艦底部前面に二基のミサイル砲門を備えている。この形態で宇宙を飛翔する。円盤の左右と上部の後尾に、三枚の翼を立てる。変形することで、宇宙空間と惑星下のどちらもゆくことができる。
イレースの現在のこの姿は、製造された当時の姿とは異なる。機械生命体であるイレースは「脱皮」をくりかえすことで、その「体」を最新の技術に適応させてゆく。ヴァージョンアップ、もしくは成長。地球の惑星時間に換算して、千年ちかい時を生きている。産まれたのと同時に、ジローとともにありつづけている。
A114星系第四惑星。大気構成と重力は、地球のそれとほぼ変わらない。広大なサバンナの上に、イレースは垂直に着陸する。棲息生物の文明レベルが高くないことの証左である。
「ジロー。北へ三五六四メートルの地点に、熱源反応を多数確認しました。そちらへ向かいますか?」
ジローがうなずくと、イレースは静かに変形する。三枚の翼をふたたび格納し、機体底部からキャタピラを四基出して接地する。航空機からオフロード・モービルへ。ジローはただ乗っているだけで、イレースへの操作をなにひとつおこなわない。ただ意思をしめすだけでよい。
直径三メートルほどの竪穴がいくつかあり、そこから出入りしている。八本の細い肢を持つ扁平な姿態は、地球上に棲息した蜘蛛そのものである。体高は一.八メートルから二.五メートル、全長は三メートルから五メートル。地球の蜘蛛とは、サイズがまるで異なる。胴体の前正面に巨大な人面があることも、大きな差異である。
どうやらこれらは、この惑星から発生した生物ではない……ジローは類推する。〝春の大三角〟のキマイラがこの星に遺棄されて、繁殖したもの……兵器生体の墓場というケースを、ジローはいくつか知っている。兵器生体の失敗作……この蜘蛛の化物も、そうなのだろう。
その確証はすぐに得られる。イレースを見てどよめき洩れる言葉が、〝春の大三角〟の公用語によく似ている。濁音と半濁音の多い、音楽めいた言語。旋律の差異によって、ニュアンスや同音異義語を区別する。ジローは〝春の大三角〟の公用語も習得している。「なんだや、これは」「長老を呼んでこい」と、彼にも聞きとれた。
「やあ、みなさん。こんにちは」
イレースから軽やかに降りたったジローはほがらかに、〝春の大三角〟標準語で蜘蛛型生物たちに語りかける。蜘蛛型生物らの言語はひどい訛り、こちらのほうがスタンダードである。
「私は功罪次郎三郎ともうします。ちがう星から参りました。宇宙人です。みなさんと友好を結びたいと、やってきた次第でございます」
「長老を呼んでくるっちゃ。ちょっと待ってくんろ」
蜘蛛型生物のうちの一匹が、ジローの呼びかけにこたえる。人面にある口をもごもごと動かし、そこから言葉が発せられている。醜怪な外見とは裏腹に、知性と理性が具わっているらしい。これであればセールスのしようもあると、ジローはほくそえむ。
竪穴のなかの、蜘蛛型生物の住居に案内される。壁面のいたるところに糸状の粘膜が張りめぐらされ、その上を蜘蛛型生物たちが往来する。ジローは蜘蛛型生物たちの腹を見あげながら歩く。その糸状粘膜が彼らの体内から分泌精製されたもの、大小さまざまな用途に適応する資材であることをあとで知る。
奥の奥の広間に、長老は鎮座していた。胴体前正面の巨大な人面から老若男女を見わけることは、ジローにはできなかった。ジローにはどれもこれも同じに見えるが、彼らのあいだではきちんと判別がつくらしい。
「異邦からの客人よ、よく参られた」
ジローにはほかと判別のつかない声音で、長老が言う。ジローが自分たちの世界について簡略に語ると、長老は理解したらしい。見かけによらず、知能は高い。今度は長老が、この星の情勢を語りきかせる。
「この一帯の支配権を、われらキギル族とキギロ族で争っている。戦況は一進一退。敗れれば、一族は滅ぶ。どうにかならぬものかと、頭を悩ませておる」
〝春の大三角〟において「キ属」というのは、虫型の兵器生体に冠される名である。「キギロ」と「キギル」というのはおそらく、一族の始祖の名であるのだろう。
戦争。ジローにとって、望むべく状況である。武器を売りこむことができる。どのような武器を売って、どのように利益を回収するか。ジローの脳が、めまぐるしくめぐりだす。
「長老。私におまかせください。私は武器商人です。必ずや、よい結果を導きだせるでしょう」
この蜘蛛型生物にはどのような装具がふさわしいのか、ジローは即座に着想した。流体金属装甲……通常は戦艦などをコーティングする半液状の装甲を、生物用にカスタマイズする。超空間倉庫に、流体金属装甲のストックはある。
超空間倉庫へはジローのポケットのなかの、掌大の端末装置で直結する。三次元と時間の観念のない超空間のなかに、WEPOCの製品を収納している。人間の生身では耐えられないそのなかへイレースに乗って入り、イレースのマニピュレーターで製品を回収する。
流体金属装甲は銀色の、人間大の球状をしてころころと床を転がる。この時点では固体。熱を加えると液化し、球の形状が損われると半固体となる。粒子や光子を遮り、物理攻撃を防ぐ。半固体を保持するため、被装対象の動きを妨げない。この流体金属装甲を蜘蛛型生物のために改良して量産する。それをイレースによって実行する。
女性格であるイレースは、工廠能力を有する。ジローの脳波をスキャンし、その設計図と概念を読みとる。工廠能力によって、ジローの構想どおりの製品を生産する。イレースはこの生産を、ジローとの性交とその結実と捉えているふしがある。機械生命体であるイレースに性的快感があるのかどうか、人間であるジローにはわからない。彼女は彼を愛し、彼の要求にすべてこたえてきた。
機械生命体の感情めいたものの真贋については、議論がつづいていて結論が出ない。研究者が機械生命体になってみないかぎり、永遠にこたえは出ない。機械生命体から研究者が出てこない。そもそも生物のそれにしたところで、実証はなされていない。
イレースの恋心がまことであれまやかしであれ、ジローにとってはなんの問題にもならない。ただただイレースを利用するのみである。この千年以上、彼女は彼の忠実な僕でありつづけている。彼女がこの関係性を崩そうとしたときに初めて、彼は問題として捉えるのだ。
ジローの設計図をもとに、イレースはあらたな流体金属装甲を産みだす。サイズはもとの半分ほど。蜘蛛型生物用にカスタマイズされた、流体金属甲冑。
「ジロー、どうですか?」
問うイレースの平板な声音から、ジローは熱を感じとる。昂揚感。ジローは満面の笑み(「ああ、なんて醜いんだ」と自嘲せざるをえない顔)をつくり、イレースにこたえる。
「いつもありがとうな、イレース」
流体金属甲冑は液体となり、蜘蛛型生物たちの体をつつむ。半固体となって、蜘蛛の形に定着する。
「おお。これはすばらしい」
肢さきの爪や顔の牙でつつきあいながら、キギルの戦士たちは歓喜の声をあげている。
「ジローどの、よいものをくだされた。礼を言う」
長老の礼にこたえながら、ジローは考える。ビジネスである以上、キギル族から回収しなければならない。隔絶された者らであるから、現時点では連邦通貨での回収ができない。地球時間における半世紀から一世紀におよぶ、長期的展望が必要である。文明と経済活動を教え、インフラを持ちこんで連邦圏に組みこむ。そこから何世紀かかけて、利益を得る。回収に、それほど時間はかからないはずである。
いや。経済活動をおぼえさせるまでもない。蜘蛛型生物たちが分泌する糸状粘液。すぐれた資材になりうるので、それを提供させればよい。そういった交渉は、事が済んでからでよい。ジローはまったく焦らない。
「きょうこそキギロの奴輩を滅ぼすとき。出陣だ」
長老の号令一下、流体金属甲冑を纏ったキギルの戦士たちが砂埃を立てる。ジローはオフロード・モービル形態のイレースに乗り、そのあとにつづく。ピットカメラを一〇基ほど空に飛ばし、蜘蛛型生物たちの戦いをゆったりと見物する。
蜘蛛型生物どうしの、じつに原始的で野蛮な戦いである。いや。それは戦いではなく、キギル族による一方的な虐殺である。キギロ族の爪と牙は、流体金属甲冑をとおさない。黄色と緑の混ざる汚ならしい体液を撒きちらすのはキギロ族、その肉に汚ならしくむしゃぶりつくのがキギル族。おぞましい共喰いに、ジローは顔をしかめる。しょせんは〝春の大三角〟の下等生物……彼は文明人であることのしあわせを、ぐっと噛みしめる。こんな化物に産まれないでよかった、と。
野蛮な慣習をやめさせようだとか、そういった傲りの持ちあわせはジローにはない。同じ地球出身の者たちに、そういった使命に燃える正義漢が多い。同輩らの使命感を、彼は嘲笑する。いらぬお節介である。地球人種にしたところで、最高位生命体や〝冬の大三角〟から見れば下位なのである。より下位の生物を見て教化しようなどという姿は、滑稽である。それがビジネスとして成立するのならよいが、まあ一銭にもならない。無駄な動き、徒労である。
功罪次郎三郎は、利益を追求しつづける超一流のビジネスマンである。比類ない商品知識と開発の知識を具え、エースパイロットでもあるゼネラリスト。現状に満足せず、つねに高み高みを志向する。すべては利益のため。金銭の求道者である。
「これはいったい、どうしたことか?」
キギルの長老が鬼の形相で、ジローに詰めよる。
凱旋したキギルの戦士たちがばたばたと、肢を折って斃れだした。死んでいる。欠陥だ……ジローは原因を即座に察した。
窒息死。蜘蛛型生物の呼吸器が皮膚上にあって、流体金属甲冑の残滓がそれを塞いだにちがいない。「拙速はセールスマンの敵」。もっときちんと精査して、より完璧なものを提供すべきであった。後悔はいつも、先に立ってはくれない。
「申しわけございませんでした」
ジローは土に額をこすりつける(この謝罪の姿勢が、蜘蛛型生物に理解されたのかどうか)。原因と不手際を正直に打ちあける。長老は落ちつきはらって、彼に言う。
「消費者センターというものがあるらしいね。イレースから聞いたよ」
蛮族とはいえ、それを束ねる者であるだけのことはある。彼ではなく、イレースから情報を入れている。
「この場できみを八つ裂きにするのはかんたんだ。だが、死は一瞬だ。今回の件で、多くのキギルの戦士が喪われた。その魂に報いるためには、きみにはもっと多くの時間を苦しんでもらわなければならない」
この失態を消費者センターに訴えられたら、ジローのセールスマン生命は終わる。社に多大な損害をあたえ、社会的信用を失墜させる。彼は返済不能の負債をかかえて、永久懲役の獄に墜ちる。
彼は猛省する。今回の失敗を教訓とし、次回から活かさなければならない。永劫にちかい時を生きながら、いまだ完璧にこなすことができずにいる。ここで失敗したことはむしろ、彼にとってはよかったのかもしれない。取りかえしのつかないような星でこのような失敗を犯していたら、彼は確実に終わっていた。けれどこの星なら、いくらでも挽回のしようはある。
「きみを拘束させてもらう」
「イレース!!」
ジローが叫ぶ。長老の放った糸状粘液に捉えられるまえに、イレースのマニピュレーターが彼を回収した。
イレースはジローの脳波を読みとり、全速力で竪穴を脱出する。蜘蛛型生物たちはイレースの速さに追いつけない。加速したまま広所に出ると、航空機形態となって空へ上がる。そのまま大気圏を脱し、イレースは永遠の夜に抱かれる。翼をしまいこんだイレースは、ジローに問う。
「ほんとうによろしいのですか?」
「……ああ。やってくれ」
ミサイル砲門から恒星A114に向けて、一発のミサイルが射出される。在庫カウント外の、原子炸裂弾のストックがあったのは僥倖である。こういった事態のために、ジローが打っておいた布石ではある。A114星系から、全速力で脱する。
原子炸裂弾は恒星A114のコアに到達し、超爆発を引きおこす。消したい失態と第四惑星を、星系ごと吹きとばす。本社への報告を自然なものとするためだけに。
「恒星爆発のため、A114星系消失。第四惑星への調査不能」
ジローはなにくわぬ顔で報告書をしあげ、航宙記録を改竄する。