黒い服の女
男はモヤモヤとした思いで車を運転していた。
さぁ、とりかかろうとした”事件”が、どういうわけか突然”事故”となったからだ。
どうにも気持ちの収まりがつかない男は、近くであった他案件のついでとばかりに現場のマンションまで部下と一緒に向かっていた。時折、年若い部下は時折、男を見ては声をかけるかどうか迷っているようだった。
事件性のない事故として決着がついた事件であったが、男には引っかかるものを感じている。
それは、被害者と一緒にいた女が事件と共に行方知れずとなっていた事。
携帯で自撮りしたと思われるその写真で、彼の後ろから抱き着くように顔をのぞかせている彼女は白い腕を彼の胸の前で交差しながら涼しげに笑っていた。
肩口に喪服のような黒い袖口をのぞかせながら。
「お前はそこで待っているんだ」
壮年というには少し早いだろうか、それでもそれまでの苦労が顔にしわとなって刻まれている男は口もとの無精ひげをいじりながら、念を押すように部下である若々しい男に言った。
「俺だけで行って来る。あの事故は事故じゃないかもしれないからな」
「しかし本署は事故で片づけたんじゃないんですか?問題になりますよ?」
「ああ。少し確認するだけだ。そんなに時間はとらないさ」
すこし、心配そうに見る若い男。
「しかしな、俺はあの事故を計画犯罪と思っているんだ。その証拠に婚約者があの事故以来失踪中だろう」
少し本音も混ぜながら、不謹慎な話題を少し楽しそうに、すこしおどけたように男は話す。
「と、いうわけだ。本署から連絡があるかも知れないからお前はここで待ってろ」
「はい!」
後半は命令口調になったからだろうか、目鼻立ちのくっきりとした若い男はいつも通り元気な声でいった。濃くて太い眉毛が昔の刑事ドラマの俳優を思い出させる。少し、ドラマのようなやり取りにあきらかに鼓動が高鳴っていることが歳のいった男にもよくわかった。
(そういえば、被害者も濃い顔してたな)
被害者は自室で心臓麻痺を起こして死亡していたらしい、まったくの密室だったが、検察がそう判断したため、事件性はないということとなった案件だった。資料としてみた生前の写真は恋人と二人楽しそうに笑っていたものだった。
まだ、規制線の跡が残っているマンションのドアの前まで来た男はスーツを整えながら呼び出しのベルを鳴らす。
「・・・・・。」
返事はない。当たり前のことではある。と、いうのもこの部屋の持ち主であるM氏は三日前に死んでいるからである。
(ドアも閉まって・・・・・開いている?)
「こんにちはー、すみません、どなたかいらっしゃいますか?」
とドアを開けて一言断る。カーテンでも閉めてあるのだろうか。部屋の中は薄暗かった。
(・・・・人気は感じない・・が、、。)
男は数日前に入った部屋に、なぜだか違和感を覚えていた。そして、本来入るべきではない奥へ入っていった。事件が事故となってからまだ家族にも連絡されていないはずなので、誰も入っていないはずだが、以前より片づいているように見える。
静かに目線が部屋の隅をかすめてゆく・・・
(人影?)
あわてて視線を戻すと、そこにいなかったはず人影があった。薄暗いうえに逆光のせいか顔立ちはよくわからない。しかし、シルエットから女性であることはわかった。
「すみません、私、○×署の…」
「・・・・あなた、帰った方がいいわよ」
いまさらながら、怪しいものではないと自己紹介をしようとしたが、さえぎる形で、その影はか細い声で呟いた。
「私はもうこの世にいてはいけない存在なのよ」
薄暗さに慣れてきたせいだろうか、目を凝らしてみると、そこには長い黒髪を持った線の細い女が生気のない顔で静かに立っていた。
あぁ、確か、、、
「M氏の婚約者ですね」
「、、まぁ、そうなるのかしら、なんだか行き違いはあったようだけれど」
溜息をつく女。あっけらかんとした感で肩をすくめて見せた。
彼女は男の中で容疑者だった。死亡から忽然と姿を消した女性。素性がわからず、調べていた途中で上からいきなり”これは事故だ”と言われる不思議な事件のほぼ中心にいた女性だ。
よく見ようと目を凝らしていたせいだろうか、不意に彼女と目が合ったような気がした。
「聞きたいことがあるんだが、入ってもいいだろうか?」
「どうぞ」
靴を脱いでリビングに入る。
警官と気づいたからか、男の視線からなにか感じ取ったからか、彼女は同意を示した。警戒してからか、興味ないからか彼女はリビングの突き当りから動こうとしない。窓が開いているのか、カーテンがゆらゆらと揺れていたが、その一角はなんだか時間が止まっているような空間に男は感じていた。
何から聞くべきか、女に警戒されないよう、男は出来るだけ自然を装う。
「さっきこの世がどうとかいっていたが・・・」
「、、、疲れたわ」
天井を仰ぎ見て、少し遠い目をした表情を見せる。口元に寂しげな笑みを残しながら。
ドキリとした。
「ええ。私は明日にはこの世にいないわ」
意外とあっけらかんとした返答だ。覚悟を決めたそれだろうか、男は、再度ドキリとした。
「・・・・」
男は何か言おうとして、彼女を見るとにこりと微笑まれた。予想外の表情に目線が外せなくなり、言葉が出てこなかった。
何とか目を閉じ、つばを飲み込み、心の体勢を立て直そうとする男。だが、目を開けてみた先の女の手にはいつからか鋭そうな長く湾曲した刃物が握られていた。
「おっおい、俺の前で自殺する気か?」
「えっ?・・・・ええ。まあそういうことになるかしら」
「冗談じゃない!考え直せ、なっ。生きていたらこれから楽しいことも起こるだろう。・・もし行くところがないんなら家に来てもいいんだぞ。だから死ぬのはやめろ、なっ。刃物をこっちに渡すんだ!そんなことをしても死んだ奴は還ってこないんだから!なっ」
一気に話したからであろうか。女はきょとんとした目でこちらを見ていった。
「な、長年つれそった恋人がなくなって辛いかもしれない、だ、だけれども、、、」
長年こういった職についていても自殺現場に立ち会うなんてあまりないものだ。男は変な汗を感じつつ、口をもつれさせながら説得しようと必死だった。
「貴方っていい人ね」
「えっ」
意外な言葉に思わず、疑問形で聞き返してしまう。
そんな男を見て、女はくすくすと笑った。
「そうね。あなたについて行くのもいいかもね」
女は思い直したようであり、男はとりあえず安心して溜息をついた。
「そうだな。そうし・・・・」
目を上げて女を見たとき、男は全て理解してしまった。今までの女の言葉も。そしてM氏は間違いなく殺されたということまでも。
そこには子供の頃読んでもらった絵本の中に出てきたもののそっくりの姿格好をした女が立っていた。
そう。天使の敵役の姿で。
黒い長衣の中から女であるそいつは今までの声から考えられないような低い声で大きな鎌を撫でながら言った。
「憑いて逝かせてもらうわよ」
男は外に出ようと体を動かそうとするが、気持ちだけが焦って体が動かない。
(こ、殺される!!)
そう思った瞬間ドアが勢いよく開いた。
「先輩、署から連絡です!」
「あらっ、いい男。」
『えっ?』
次の日・・・・・
比較的涼しい気がするこの日、男はまた違う若い刑事と行動を共にしていた。