表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

懲りない奴

 それぞれの家には警察から連絡が入り、ひろしを除く各々の両親が蒼い顔をして飛んできた。満流の痛々しい姿を見るなり良子はおろおろと落ち着かず、正文は、良子の横でただ気弱そうに突っ立っていた。警察と医師の話を一通り聞いて、自損事故で、命に別状はないとわかると、良子は一先ず安堵の溜息を洩らした。両親の居所がわからないひろしには、大分時間がたってから、親戚のおじさんが迎えに来た。ひろしの父は大分前に家を出て行って、母は夜の仕事をしたり、飲んだくれたり、ぷいといなくなったりしてると、前にひろしが自嘲するように言ったことがある。ひろしの下には幼い妹と弟がいる。ひろしは学校へ行かないのではなく、行けないのではないかと思わないでもなかったが、そう思われることをひろしが一番嫌っていたので、みな、何も言わなかった。


 良子はてつ、祐二の親と連れ立って、早朝、畑の持ち主に謝りに行って、警察にも頭を下げた。車は大破したけれど、四軒で出し合って、弁償することになった。ひろしの家は出せる能力がないのが分かっていたし、いつ帰って来るかもわからないので、実質三軒で負担したようなものだが、時期が時期だけに、ここで揉めるわけにはいかなかった。幸い中古のボロパジェロだったから思ったほどの金額ではなかったし、何より運転していたのはひろしでよかったと、三軒の親たちは、内心胸をなでおろしていた。そして今度は高校中退のフリーターたちとつるんでいたのは中学にもろくすっぽ行っていないひろしのせいだと勝手に思い込み、もうひろしとは付き合うなと、各々の親たちが自分の子に念を押した。良子は悪いのはひろし自身ではなく、ひろしの親だと言ったけれど、ひろしとは距離を置く方が、満流の身のためだとも言った。理不尽さに胸がむかむかしてきたが、反論も、ひろしの擁護もできない自分に、一番むかむかしていた。みな自分が一番大事なだけだ。ひろし以外みな。ひろしは自分のことなんてどうでもいい、自分の大切なみんなを守ろうと、罪をかぶってくれたのに。。


 良子が各所に謝りに行っている間、病室には正文と満流の二人きり。気まずい空気が流れる。かつて役場仲間だった祐二の父と、正文は、正文が役場を辞めてから折り合いが悪く、正文は他の親たちとは目も合わせず、事の処理をすべて良子に任せていた。丸椅子に座り、膝から下を小刻みに揺らしながら黙って目を伏せている。頭のてっぺんが禿げているのが、ベッドを起こして座った状態の満流の位置からよく見えた。役場の仕事をやめてから、生計は良子の保険で立て、正文はずっと大して金にならない畑仕事ばかりしている。その代り、幼かった美咲の面倒は正文が良子の代わりにみた。だから美咲は母よりも父の方に懐いている。

 それほど根つめて働いている風には見えないけれど、まだ五十代なのに、腰が少し曲がってきてる。海風にさらされて、肌は耳の隙間までこげ茶に焼けている。てつの父親も、祐二の父親も、同じくらいの年齢だろうに、一人だけ、ずっと老けていて、なんだか生気がない。盗み見るように観察していると、不意に窪んだ目を少し上げて、

「大丈夫か。」

満流にはめったに口をきかない父が久しぶりに満流を見て言った。そして、諭すことも、なじることもしなかった。


 学校は退院するまで休まなければならない。どうせたいした勉強はしていない。よほどの内申書でないかぎり中南は大丈夫、のはずだった。だけど、それが怪しくなってきた。

 謝罪と、どうしてもキャンセルできなかった仕事を済ませ、午後から正文と共に学校へ行って校長に平謝りに謝り、担任の芳村と話をしてきた良子は、神妙な顔をして満流の病室に入って来た。六人の相部屋。満流は廊下を出て右手にある談話室に連れて行かれた。


 「あんた、大浜高校、危ないかもしれんよ。」

まだ怪我の痛みがずきずき残る満流にはそんなこと、今はどうでもよかった。でも、良子はおかまいなしでしゃべり続ける。

「内申書には今回の事は書かないらしいけど、悪い噂はすぐに広まるだろうから大浜高校は要注意だって。」

「ふーん。」

別にどうしても大浜に行きたいわけじゃない、私立でもいいし、なんなら中卒でもいいんだ、なんて投げやりな事を満流が漏らすと良子は目をむいて満流を責めた。

「あんたには、もっとましな人生を送ってほしい。父ちゃんも母ちゃんも高卒で苦労したから、大学まで行ってほしい。あんたは父ちゃんによく似たとこがあるから、ちゃんとした学歴や資格を持っていないとだめになると思うんよ。」

 父親に似ていると言われて満流はいやあな気分になった。あの人のようにだけはなりたくない、ずっとそう思っていたのだから。黙っている満流に良子は穏やかに言った。

「芳村先生がね、今からならまだ間に合う言うんよ。あんた、一、二年の成績、そう悪くないけん、今から死ぬ気でがんばったら八洲高校行けるいうて。」

「は?」

満流は一瞬耳を疑った。聞き直してもやっぱり八洲。この辺で一番、いや、断トツにレベルの高い高校だ。母は気でも違ったのか。

 今回の一件は示談として処理されたが、狭い田舎のこと、学校関係者の耳には当然入る。公立校はどこも素行には厳しい。しかも大浜は同じ西海町内にある高校だ。しかし、八洲は西海町からは二つ隔てた南予地区の高校だ。家から遠いので通学も電車か自転車になる。それに唯一八洲はユニークな校風で、中学時代、少々悪い噂があっても、寛容に受け入れてくれるというのだ。もちろん、学力は必要。ここが難関なのだが。

 良子は満流に八洲を受けさせようともう決めていた。一度決めたことは絶対に貫く。満流は自分が八洲高校を受けることになったのを受け入れるしかなかった。

 別に反対するほどの情熱なんて初めからない。受かろうと落ちようと母の問題。俺の知ったこっちゃない。死ぬ気でがんばれば行ける? がんばることそのものが難しいのに?


 良子がベッドを仕切るカーテンを開いたまま洗面所に行こうと廊下に出るとなにやら甲高い声で誰かとあいさつをかわしている。「あら、おじいさんが、そう、それは大変ね」なんて声が聞こえる。そして

「失礼しまーす」

と体育会系の野太い声と同時にミカがドアから顔を出し、同室のおやじたちにいちいち「こんにちは」なんて会釈しながら入ってきて、満流のベッドをみつけて顔をしかめ、

「おまえ、ほんっと、懲りない奴だな。」

満流への第一声はこれ。

とはいえ、首にプロテクターをはめた痛々しい姿に目を細くして

「大丈夫か?」

とだけ聞いた。そして、学校でとんでもない噂が飛び交ってる事や、てつも祐二も今日は学校を休んだことなどを報告して、はい、とピンクのクリップで留めてある一束のレポート用紙を差し出した。クラスメート有志がとってくれた授業のノートだと言う。

めくってみてドキっとした。

「これ…。」

そう言ったものの、なんて聞いていいのかわからず「サンキュ」とだけ言ってまた字を眺めていると、

「すごく丁寧だろ。それ。」

ミカが意味ありげに言った。

「これ誰が……」

そう聞きかけた時、

「あら?」

えみりの声。えみりが友達と二人で開けっ放しのドアの前にいた。

「じゃ、あたし、じいちゃんの病室に行ってくるわ。」

ミカを見てびっくりしているえみりに真顔で会釈して、来たとき同様部屋のベッドにいちいち会釈して、ミカは病室を出て行った。入れ違いに良子がヤクルトを四つ抱えて戻ってきた。

 えみりは白いカスミソウとピンクのカーネーションのかわいい花篭を良子に渡し、膝の上で良子にもらったヤクルトをくるくると弄びながら「びっくりした。」とか、「痛い?」とか、単語を並べた。満流も「うん」とか、「いや」とか短く返すだけ。良子が、背後で目を光らせているのでどうも居心地が悪い。

 本当はもっといろいろしゃべりたいのだろうけれど、えみりはミカがなんでお見舞いに来たのかだけはきっちり聞いて、十分くらいで、名残り惜しそうに病室を出て行った。

 「かわいいけど、ちょっと頭悪そうな子やね。まあ、後ろにいた子よりはましやけど、……かあちゃんはミカちゃんが一番いいと思うわ。」

いやいや、ミカ関係ないし。友達の方も引き合いに出されていい迷惑。無理やり連れてこられたのだろう。少し後ろで口を半開きにして終始ぼーっとしていたから良子の言い分も解らないではないが。

 良子が帰った後は、同室の兄ちゃんやおっちゃんから、「あんたもてるねえ。男前やもんなあ、」なんて冷やかされた。七十くらいのじいさんなどは、良子がスタイルいいし、真矢みき似の美人だと言って顔をくしゃくしゃにして褒めまくっていたし。確かに良子は鼻筋が通っていて、ちょっと男好きのする顔をしている。満流の目と鼻は母親譲りだ。バリバリ仕事をしているからか、三十代半ばにしてはスリムだし若々しい。でもまあ、真矢みきは言い過ぎでしょう。所詮田舎のおばさんだ。暇な入院患者はちょっとしたことでもネタにしてオーバーアクションで退屈を紛らわすのだ。


 学校からそう近くないのにえみりは一週間、毎日見舞いに来た。その笑顔は満流にとって退屈な一日を潤す清涼剤になった。良子は平日は仕事で七時以降にしか来ないから、それまでは、二人っきりで病棟の隅に隠れて、不自由な首をいたわりながら、キスしたりもした。そんな時、ぽっと頬を赤く染めるえみりは無性に愛しく思えた。


 えみりはミカに変わって授業のノートを毎日持って来てくれた。えみりの方からミカに申し入れた。ミカに宣戦布告するようでちょっと怖かったけれど、恋する女の子は強い。えみりは勇気を振り絞って、お願いしてみた。運動会の日、満流を呼び出した時の勇気に比べたらこんなのちょろい。それに、ミカは厳しいところは厳しいけれど、いったんバスケを離れると、後輩にもくったくなく冗談を飛ばしたりする面白い先輩だから。とは言え、やっぱ一人じゃ無理だから、バスケ部の友人に付き添ってもらったのだけど。

 するとミカは、あっさりと二つ返事でえみりにバトンタッチ。昨日は入院してるおじいさんの見舞いがてら顔をのぞかせただけで、毎日病院にノートを運ぶ気なんてさらさらなかったのだ。えみりが3Bにノートを取りに行くと、クラス委員の楢崎恭子がえみりにノートを渡してくれた。授業ノートは何人かで手分けしてとっていると恭子に聞いたとえみりは言っていたけれど、そこに書かれた字は明らかに毎日同じ筆跡だった。その授業ノートはとてもわかりやすくて丁寧で、今日、どんな授業をしたのかが手に取るようにわかるものだった。それをながめているだけで、この一週間、学校へ行くよりもずっと勉強できたのではないかと満流には思えた。小さく角ばった右下がりのその字は、あの時の手紙の字に、よく似ていた。


 骨折もむち打ちも抱えたまま、満流は一週間で退院し、良子に連れられ、ひとまず学校へ挨拶に行った。これで校長室に入るのは二度目だ。今度は校長の言葉を神妙に聞いた。平謝りに謝る母の姿は見たくなかったから、ずっと校長の太鼓腹を見つめているしかなかった。校長室から出て、改めて母を見ると、目の下が黒ずんで、なんだかこの一週間でやつれたような気がした。一気に四十代半ばの中年女性の風貌。

 口の中一杯に砂が湧き出てくる。さらさらと、ただ流れていた後悔が、今胃袋で固まって、形になった気がした。母に申し訳ない。だから、退院したその日から、家庭教師をつけられ、本格的な勉強を強いられても、黙って従った。だけど、期待されても困る。俺は、期待には添えない。


 翌日から授業に出た。3Bの教室。満流が教室に入っていくとにやにやしながら男連中が寄ってきた。なんの問いも何のねぎらいもなく、いつもの朝のように一週間ぶりの満流に接する。少し首と腕をいたわるそぶりはみせながら。満流もそのありがたい歓迎に応えてにやけるだけ。教室を見渡すと、瞳がまっすぐな黒い髪を風になびかせて開いた窓から外を見ていた。


 久しぶりの授業はすいすいと頭に入った。あのノートをいつもながめていたのと、昨日の家庭教師のおかげだ。数学の抜打ちテストがあったけど、満流は自分でも驚くほど問題が解けた。範囲はこの一週間に習ったことだった。


 席替えがあって、瞳は今は満流の斜め後ろの席。窓際の一番後ろ。問題を解き終えて溜め息。数学は得意だけど、ここはできて当然。だって二回もノートに書いたのだもの。平然と教室に入って来て、何食わぬ顔をして席に着いた満流を後ろから眺め、瞳はなんだか一週間、やるべきことができて平和だった自分に気づく。毎日ノートを取りに来る小犬のようなあの子は、満流の新しい彼女だと、みんなが噂していた。もてるんだ、あいつ。それは悲しいことではなく、むしろ喜ばしいことだと思えた。やきもちなんか焼かない。自分が勝手に振り回してしまったことの罪滅ぼしが、できたようで、嬉しい気分だった。でも一方で、不安にかられる。なんなのかわからない不安に。まっすぐに、自分の心を信じることができたら、もっとすっきりできるのに。


 放課後、てつが3Bに顔を覗かせた。祐二に会いにD組に寄ったら一足先に帰っていた。

「ユウちゃん、あれからますます受験勉強に燃えてるんや。」

てつがそうつぶやいた。祐二も担任から事情を聞いて、何としてでも八洲高に受かろうとがんばっているらしい。てつに、自分も八洲を受けることになったとは、言い出せず、満流は黙ってうなずいた。

「満流、もう事故るなよ。」

ミカが廊下の向こうで大声を出し、親指を下げて長い舌を出す。

「うるせえ。」

そう言って反対方向を向くと、教室から出てくる瞳の視線にぶつかりそうになって、あわてて踵をかえした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ