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難波の夜からテンションアゲアゲ

 西海中学は、その名のとおり、瀬戸内海西側の、松山から海岸線を車で約一時間の、夕日が有名な町にある。東側の、のどかな空気漂う小高い山にはみかん農家が立ち並ぶ。



 うっとおしい三年の先輩も引退し、こんな残暑で蒸し暑い日に体育館なんかでうだってはいられない。一年坊主には基礎練を言い渡し、満流ら二年生は休憩中。ここの渡り廊下は校内一涼しい絶好の場所。西から吹く海風が心地いいんだ。





 「みつるーっ、さぼってんじゃねーぞー」



 体育館横の手洗い場から野太い声。鬼キャプテン仲野ミカが刈り上げた髪からしずくを垂らしながら叫んでくる。なにかと同じバスケ部の満流たち三人組にからみたがるのはいつものこと。西海中ではちょっとイケてる風貌の長崎満流にモーションかけてると陰で噂されてもどこ吹く風。そんな噂はミカを知らないヤツが言うだけで、ミカは男子といる方が馴染んでる。実際、水道の蛇口から直接口に水を流し込んで、タオルで首やら脇やらをゴシゴシ拭いている姿は男よりも男らしい。


 名指しされた満流はと言えば、にやけた顔を一瞬ミカに向けただけで、いつもの三人組でゲームに夢中。




 農家の跡取り息子てつと、色白でお坊ちゃん顔の祐二、そして中二にしては長身の満流の三人は幼馴染でいつもつるんでいる。ゲームに飽きて一息つこうと満流が窓枠に座って飲みかけのコーラを飲もうとしたその瞬間、



「ねえ。」


背後から低い声。びくっとして振り向くと、たしかさっきミカの隣にいてこっちを見てた首の長い女の子が、いつの間にかもうそこまで来てまっすぐに立って満流を見上げてる。



「喉乾いた、それ、ちょうだい。」


 小さな細い体にきらきら光る大きな黒い瞳。横にきっちりと分けた前髪を、二本のピンで留めている。背筋を伸ばして見つめるむき出しのその目の力に返事もできず、満流の手は口の前でストップモーション。


「もーらい!」


そう言って、その子は素早く満流からボトルを取り、すぼめたピンクの唇にペタっと押し付け、上を向いて一気にコーラを流し込んだ。白い首がこくりと上下に動く。


「ありがと、生き返った。」


そう言って、上唇をぺろっとなめた。丸い目が細長くなり、幅広のふっくらした頬で、不二家のペコちゃんを連想させる。そのあと彼女はちょこっと残ったコーラを「はい」と満流に差し出した。


「全部、いいよ。」


満流が、やっと我に返って斜めにはにかんだ唇で言葉を吐き出すと、


「ううん、もういい。」


そう言って、まるで満流が残ったコーラをちゃんと飲むかどうか探るように目を見開いて見つめてる。スイッチを押されたようにコーラに口をつけた。薄めの唇にぺたっとオイリーな感触。甘いコーラの香りと混じって、ふんわり桃の匂い。感じた瞬間、食い入るような目が安心したようにまた三日月になる。背筋と同じ,ピンとした肩までの黒髪を西風にはたはた揺らしながら。 






 一か月後、学校の集会で、その子の名前がわかった。開田瞳。新人戦の表彰式で女子バスケ部に並んで名前を呼ばれ、校長から賞状を受け取っていたんだ。壇上に出ていく姿は大股でかちっとしたまさに体操選手のあの歩き方。でも、体操部? そんなのうちの学校にあったっけ? 





 それからたまーに廊下ですれ違ったり、バスケのコートの隅でミカと話してるのに出くわしたり、何かと視界に入って来たけれど、コーラの一件から半年は特に何もないまま過ぎていった。三年生で初めて同じクラスになり、ゴールデンウイーク直前の修学旅行で二人の関係が急接近した。





 松山から大型フェリーで大阪へ二泊三日の旅。自由行動でUSJを回り、笑いまくった二日目の夜、難波のホテルの土産コーナーを、ぶらぶら物色していた時のこと、祐二が妙な顔をして満流にこそこそと話しかけてきた。



「このペンダント、どう思う?」


手にはふたつのペンダント。銀製で、それぞれ一つずつ見るとアンバランスな形だが、二つをぴったり重ねあわせるとパズルのようにきれいにはまり、安定した形になるものだった。「ラブペンダント」と書かれてある。


「どうって?」


ピンとこない満流に、祐二が興奮気味に語った。


「楢崎さんにこれあげようかと思うんやけど。」


へえー。満流はちょっと驚いた。祐二が楢崎を好きなのは昨夜初めて知った。嵐山のホテルの六人部屋で、好きな女の告白大会をしたからだ。


いきなりで何にも言えない満流に、祐二は


「みっ君、渡してくれないかな。」


楢崎は去年同じクラスだったし、大柄で明るい話し易い子だったので、満流は、別にいいよとOKした。それはよかったのだが、祐二が


「みっ君も開田に渡すんだったら、おれ、渡してやるぜ。」


と言う。昨夜満流は、みんなの乗りに押されるように瞳の名を告げた。「好きな子なんかいない」と言っても誰も認めてくれないから、苦し紛れになんとなく、思い浮かんだ名前だった。なのに……。


「このペンダントって、世界中に一組ずつしかないオリジナルな組み合わせなんやって。このペンダントを持ってるカップルは必ず結ばれるって。」


 役場勤務の父に専業主婦の母を持つ祐二は普段は馬鹿ばかりの満流のよき相棒だけど、根がまじめで変に優等生なところがある。売店のあやしげなおじさんから吹き込まれたらしいことを信じ込んで、くりくりした丸い目を一層丸くして得意げに語る。そんな祐二に引っ張られるようにして買ってしまった「ラブペンダント」。二つで千五百円。値段も手頃。



 なんか深く考えないまま、それぞれが買ったそのペンダントをそれぞれが互いの相手に渡すため、二人でどきどきしながら夜がふけるのを待った。





 満流が呼び出すと、楢崎恭子は赤い顔をして現れた。祐二からだと言うと一瞬躊躇していたが、彼女はまじめな顔をして、素直に受け取ってくれた。



 一方祐二は、瞳を直接つかまえることができずにたまたまローカで見かけたミカに、瞳を呼んで来るように頼んだ。瞳と一緒にミカまでくっついて来たのを追い返すのに一苦労したけど、やっと二人になって、祐二は瞳に言った。



「みっ君が、これ、渡してくれって。」


「え?長崎君が?」


そう言ったまま、その言葉とペンダントを前にして、瞳はしばらく考える風だった。


「なんで長崎君がうちにこれくれるの?」


「それは……まあ、そういうことでしょ」


答えが楢崎に対する自分の気持ちとかぶってしまい、自分で照れてしまって祐二はうまく答えられない。


「もらって、いいのかな。」


「いいっしょ。」


祐二は自動的にそう答えたものの、しどろもどろで瞳が何かに迷っているなんて想像する余裕なんてない。


 瞳はさらに二分くらい迷った末、



「じゃあ、もらってあげとく。」


と最後はいつもの三日月目をしてぺろっと舌を出した。


 お互いに一応成功を収めて、満流と祐二は自販機でコーラを買って、小さな祝杯をあげた。



「もらってあげとく」


ちょっとひっかかったけど、まあいいか。




 金曜日に修学旅行を終えて土日と休みで三日目の月曜日の昼休憩。C組の楢崎が教室のドアの隙間からちょこんと顔を覗かせて、満流に合図する。「おれ?」自分で自分を指差しながら近づくと、淡いピンクの封筒を手渡された。表には「東野祐二さま」ときっちりとした丸い小さな文字で書かれていた。部活の時渡すと、祐二の顔が一瞬ぱっと明るくなった。てつと三人盛り上がって、囲んで中身を見て、盛り下がった。





「これはやっぱり受け取れません。ごめんなさい。楢崎恭子」




 たったそれだけ書いてあって、ピンクのナイロンのちいさな包みに例のペンダントが大切そうに入れてあった。





 部活を終えた帰り道、祐二は門のすぐ脇のどぶ川にピンクの封筒をくしゃっとまるめて捨てた。部活の時にはずした自分のペンダントと一緒に。





 瞳が所属しているのは私設の体操クラブだった。N女子体育大学で体操をやっていた選手が、愛媛に帰って来て教鞭をとり、結婚を機に教師を辞め、夫の住むこの西海の町営体育館で体操を教えている。瞳は五歳のころからこのクラブに通い、今では週四日、学校から帰ると、すぐに町営体育館で夜遅くまで体操の練習をしている。田舎の体操教室で、道具もままならないけれど、チャイルドの部で四国優勝した瞳の才能を見出してからのコーチは瞳に時間を割いて、リズム体操のような一般コースの指導の後、マンツーマンで熱心に教えてくれる。毎週土日には設備の整った松山の高校に練習場を借りて練習をしている。その熱意に報いるためにも、修学旅行から帰った日も少し遅れて入り、三時間みっちり練習。ウオーミングアップに二時間かけるので、実質の練習は一時間弱になるのだが。





 満流と瞳は、あの日からメールのやりとりをしていた。日に二、三通ずつくらいのゆるーいやりとりだったけれど。



「今から体操いってくるね」


「がんばって。俺は今からテレビ」


「これから塾」


「俺はDS」


 まあだいたいいつもそんな感じ。だけど、そんな他愛のないやりとりでも、瞳からのメールは嬉しくて、満流は何度も何度も携帯を開いて見つめた。ちかちか点滅するピンクのハートマークが瞳の顔に重なってついついにやけてしまう。





 瞳は、二年の新人戦では県大会優勝。女子バスケット部と並んで全校生徒の前で表彰もされた。満流はその時瞳の名前を初めて知った。そんな瞳は、五月から始まる総体では、県大会はもちろん、四国大会も突破し、全国大会へ行くことを狙っている。学校の正式な部ではなく、校外で練習している私設のクラブであっても、生徒が学校に申請し、学校が認めて運動部として登録しさえすれば、その学校代表として中学総合体育大会に出場することができるのだ。



 一方西海中学の由緒正しい正式な部である満流の方は過去にも今もあまり実績がない、適当なやわなクラブ。女子は歴代結構いい成績を挙げているのに、なぜか男子の方は歴代ぱっとしない。顧問の先生もスポーツには縁のない定年間近のおじいちゃん。以前は抜群に運動能力のあるヤツもいたにはいたんだけど、そいつが抜けた昨秋の新人戦では地区大会リーグ戦、三戦三敗。キャプテン満流に副キャプテン祐二、あとはてつと適当に下級生のローテーション。このメンバーで歴代ワースト記録を作った。ミカというスーパー中学生が一人いるだけで、県大会優勝して、後一歩で全国大会の女子バスケ部とは雲泥の差。まあ、女子の方は顧問も熱血体育教師の芳村だし、練習量も男子とは雲泥の差なんだけどね。



 でもそんなことは今の満流にはどうでもいいとるに足りないこと。難波のあの夜から、テンションアゲアゲ。バラ色の青春が始まりかけているのだから。



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