【8】 第二の修羅場・その2 ~デッドラインを超えて~
締め切り間際に来ての、2度のリテイク。
理不尽と思われるだろうか?
いいや、実はそうではないと思う。
前述したとおり、私はF文庫というレーベルを買っている。
世の中には、「どこかはわからないが、なんとなく違う」と言った理由で全没を食らわせたり、その作品のストーリーはもちろん、設定すら破棄させて、ジャンルを代えさせ、一から書き直させる編集だっている(あくまで、一般論である。あくまで)。
そのことを考えたら、F文庫は、ダメ出しするにもきちんと理由を述べ、ダメ出ししつつも作品を尊重して無下にしないのだから、作家にとっては良いレーベルと言える。
物書きにとって、『良いレーベル』とは、販売部数が多いとか、印税が多いとか、そういう基準で決まるものではない。要は、『どれだけ自分の作品を買ってくれているか』である。作品というのは作家にとって子供のようなものであるから、それを認めてくれることは、何にも代え難い報酬なのである。
だから、2度目の実質リテイクがかかっても、心が折れることはなかった。
まだ戦える。まだキーボードが打てる。睡眠不足の毎日にはもう慣れている。
Sさんからの直しは、本稿を大幅に削除し、論理をちゃんと筋道だったものに変え、ネタを仕込み、必要な物以外は描写を省いていく、という方向性だった。
もちろん、必要な記述は入れていく。その上でのスリムアップだ。
例のごとく忙しい時間を割いてもらって打ち合わせを入れ、合意に基づいて修正を行うように働きかけていく。
「ここ、削って3分の2ぐらいにって書いてありますよね? 本当に、バッサリやることになりますね」
「そうだね、切っていいと思う。最終話は特に修飾過剰な箇所があるから」
「えっと、それならノンブルの○○○ページから……長いな……ノンブルの……○○○ページまで。ああ、もう! 長すぎるんですよ。まどろっこしくづらづらと!」
「いや、書いたのはあなたでしょう?」
Sさんは愉しそうに笑い声を上げた。
それからの作業は、とにかく文章と内容を洗練し、凝縮していくことに費やされた。
迫って来る締切。ついつい、ボヤキが出て、出版することを知っている友達や親戚にすら迷惑をかけた。
こういう時、支えてくれる人の存在は、やはりすごくありがたい。
よく「作家は孤独」などということを言われるが、私の経験では、作家は孤独になったら決して良い仕事はできない。
何を言ってもやはり、どこかで支えられて生きているのだ。
残された限りある時間の中で、少しでも良いものを。
そう思いながら、ひたすらキーボードに向かう。友達に、「死ぬー」だの、「進捗ダメです!」などのつぶやきやスタンプを送るのはご愛嬌。
そうこうするうちに、Sさんから連絡が入った。
「締切だけど、来週の○曜、朝までね。それが待てるギリギリ」
「あ、はい……。え? えっと、そうすると、なんだっけ、最後の最後の締切。何ラインだっけか?」
「デッドライン?」
「そうそう、それです。それが……」
「うん、○曜の朝。朝までは、待つ」
もう、何を言われても、驚きは感じない。
腹はくくった。あとはやるだけだ。
冗長を省き、拙い語彙を尽くして言い換える。一行でも、一字でも多く、削る。
削れ。削れ。削れ。
彫刻家が、無骨な石塊から美を形にしていくように。
そして同時に、ひたすら加筆していく。
文章の巧さなんて、二の次だと思わないと、加筆なんてとてもできない。
私はまだ、そこまですごい作家ではない。
ただ、伝わるように。自分の言いたい声が、届くように。
伝えろ。届けろ。必要な一文、一文字を書き綴れ。
削り、加え、さらに削っていく。
誰にでもわかる二律背反。それを、形になるまで仕上げていく。
削れ。加えろ。
自分のできる極限までブラッシュアップし、規定のページ数で、伝えたいことを、伝えられるようにしていく。
ここまでやっても、山のような赤が入る。それが当然。
でも、心は折れない。折られない。
読んでくれるから。こんな拙い作り話なのに、読む編集の方もいい大人なのに、読んでくれた上で、真剣に、本当にクソ真面目に、真正面から向き合ってくれるから。
――原稿は×曜の深夜に完成を見た。
少しためらう気持ちもあったが、翌朝になって何かあっては元も子もないので、そのまま送ることにした。
翌日。
昼休みにスマホで開いたメールに、『原稿受け取りました』という連絡が入った。
だが、ギリギリまで引っ張ったものの、直前で思いついて入れたアイデアによって、送った文章はどうしても微修正が必要に思えた。
デッドラインは割っている。
どうする? 少しでも、面白いものにしたい。
――ここまできたら、プライドもくそもない。
頭を下げてメールを送り、頼み込んだ。
「どうしても筋が通らない箇所を微修正したいです! 仕事から帰ったらすぐ修正を送りますから、どうかお願いします!」
返答は短く、待つ旨と、修正稿の送り方についてだけ記されていた。
家に帰って、電車の中でスマホにメモしていた修正を、速攻でタイプし、送信する。
間に合うだろうか? 待っていてくれるだろうか?
どこまでなら、時間は許されるのだろう?
――出来上がった!
すぐに文章を見直し、慌ただしく確認してから、原稿を送る。
それから、しばらく経って、返信が来た。
『無事入稿しました!
後は、送られたデータに、編集と校正さんが入ることになります。
原稿をお返しするまでひとまず、ゆっくり休んでください!』
私は、本当に、本当に、久しぶりの安堵の息を吐いた。
――間に合った!