【7】 第二の修羅場 ~リテイクは忘れた頃に~
編集プロダクション。そう聞いても、最初はピンと来なかった。
字面だけ見れば、文字通りなんだろう。編集業を請け負っている会社。
まあ、そんなものかな、とは納得できる。だが、仕事相手として関わるとなると、話はまた別。ここまでの経験で、執筆業というのはまさに、作者と編集者の共同作業にほかならないと身にしみて分からされている。生み出される作品というのは、作者単体ではつくりえない、編集を配偶者とした子供のようなものなのだ。
そんなわけで、今回担当してくれるSさんの素性も、事前に調べてみた。
Sさんが所属する編集プロダクションを早速ネットで調べてみて、驚いた。その携わった作品のラインナップはそうそうたるもので、驚くを通り越して、面食らったものだ。こんな名作の中の一作品に、私が名を連ねるのか。思わず戦慄する。
そんなSさんから連絡があった後に届いたPDFは、隙間もないくらいぎっしりと赤で染まっていた。最終的に直されたであろう箇所は300ページ余の原稿に、500箇所をゆうに超えていたと思う。
まずは第一話。F文庫のMさんの編集で修正した原稿に、今度はSさんが赤を入れる。
語の使い方、曖昧表現、冗長表現、編集のアイデア、再考を促こと、矛盾点を指摘すること、不自然な点を指摘すること。大筋なストーリーこそ変わらないものの、文章的・内相的に、徹底した指摘が入る。
それをメールで打合せしながら逐一直し、どんどんブラッシュアップしていく。
Sさんは、接するごとに分かってきたことだが、かなりのベテランで、やり手である。少しこもった声をした女性だが、歯に衣着せぬ言動で、初回の打ち合わせから腹を割って話ができた。
Sさんは言う。
「とりあえず、今私のもとにあるMさんの編集があった原稿は、分量を大幅にオーバーしてるから、本のページにして50ページくらい、削れるようにしていきましょう」
時間に追われたせいか、かなり余計なことを書いているから、これは妥当な意見だった。
『50ページ削る』などというと驚くかもしれないが、無駄を省けばそのくらいになるであろう目算はある。
さらにSさんは、指摘する。
「これね、ここ。新人の作家さんは特にやっちゃうんだけど……作家さんはもちろん自分の書いた文章の意味がわかってるからさらりと言葉を流しちゃうけど、読者にしてみれば、意味が取れない・理解できないということが結構あるの。だから、ここの表現は考え直して」
言われてみて、なるほどと頷く。自分自身がどんなに技巧を凝らして、名文かな、と思えるような文章をかけたとしても、それが読者に伝わらなければ、クソ文だ。
知恵を絞って書き、洗練させたわかりづらい自己満足の数行は、稚拙でわかりやすい一言に劣る。
「ええと、ここはね、ノンブルの○○○」
「はい……ええと、すみません、ノンブルってなんですか?」
「え? ああ、知らないのかー。業界用語でね、ページの番号に関する用語だよ。業界用語知らないといろいろ不便だから、資料をメールで送るよ」
「ありがとうございます」
一緒に仕事をしていて勉強になることが多い。感謝しながら、筆を進める。
そうやって的確なアドバイスを貰いながら、文章を洗練させ、加筆し、減筆し、ブラッシュアップを重ねていく。作業は締切2週間前に差し掛かりつつあった。
残る修正校は2話分 (『あなたの未練』は、連作短編です)。執筆作業も山場といったところだった。
Sさんから届いた、ほぼ書き下ろしの3話目の修正メール。
まず、序盤の直しが入って、PDFで送られてきた。
直す箇所は相変わらず多いが、それほど大変な感じでもない。さらには、青線で矢印が引っ張ってあって、「ここの感じ、いいですね!」などとの書き込みもあり、密かにガッツポーズをしたくらいだった。
――爆弾は、その次のメールに仕込まれていた。
送られてきたPDFに目を通し、すぐに蒼白になった。
根本的な点でのダメ出しがされていたのだ。小手先の修正では、とてもじゃないが糊塗できないほどの、大転換を迫られる指摘が、きっぱりとした口調で書き込まれていた。
私は泡をくらい、動転し、しばし呆然とした。
……それから、慌ててメールを送信した。
『小山です! 3話修正につきまして、至急打ち合わせをさせて頂けませんか!?』
メールは時を待たずに帰ってきた。Sさんも、この話の致命的なことを気にしていたのだろう。
『そのほうがいいと思います。本日の夜から、打合せしましょう』
焦りつつ、約束の時間までに、問題点を浮き彫りにした、打ち合わせ用のレジュメを作成する。私は打ち合わせがあるごとに、レジュメを作成し、編集と歩調を合わせるのが常だった。
ほとんど見直しもできないまま書類を作成し、送信。打ち合わせのわずか一時間前のことだ。後は打ち合わせの時間を、焦れる気持ちと戦いながら、ひたすら待つ。
時間ぴったりに電話をかける。
夜だというのに、編集部は通常業務のようで、少なからず驚きを受けたことを覚えている。
「Sさん、3話の直しなんですが」
「ああ、そうだね。ファイルもらって、ちょっとした回答をメールで送り返したよ。届いてない?」
「え? あ、今見ます。ダウンロードしてプリントアウトしますんで」
「焦らなくていいからね」
Sさんは、アハハ、と笑った。
「……それでね、この話は2話の話の流れを受けて、主人公が成長してきているのに、成長の方向性がなんだか……。読んでみて、『あれれ? どうしちゃったのー?』って感じだった。一話一話で見るのではなくて、一冊の本にした時、どうしても違和感になっちゃう」
「……なるほど。そうですね。確かに、何かおかしいです」
「うん、だから、矛盾のないように修正していかないといけない」
理解はしていた。だが、心臓に冷たい汗が伝うのだけは、抑えられそうになかった。
「つまり、ほとんど根本的なところからの修正が必要ということですね……」
「そうだね。……頑張って」
締切2週間前。3話目に突入して、ほぼリテイクの指示がかかった。
……それから、打ち合わせは3時間ほどに渡った。変えるにしても、どういう方向性で変えていくのか、どうすれば矛盾なく、さらには、どうすればもっと面白くできるか。
平日は仕事がある。時間は取れない。
ここでの指摘は致命的であるが、まったくもってもっともでもある。
直さないわけには行かない。
アイデアを出しまくり、方向性を決め、打ち合わせを終える。
すぐにレジュメを作って送信。
話し合って合意し合ったことに間違いはないかを確かめる。
「今日は寝ないで書きます!」
「頑張って! 私も寝ないで最終話 (4話)を読むから!」
――もう、やるしかない。
方向性は定まった。アイデアも出した。どこまで満足できる出来まで仕上げられるかわからないが、とにかく、仕上げることだ!
睡眠時間を削り、執筆を続ける。
激務になってしまったとはいえ、それは自分の責任だ。
私は病院事務の傍らで執筆を行っていたが、執筆作業を理由にして、病院の仕事を疎かにすることもまた、絶対にできない。
出版のことを伏せたまま、twitterで「社畜辛い」「執筆辛い」などのつぶやきを通勤途中に漏らしながら、文句のつかない仕事をこなす。
どうしても時間が追いつかず、電車の中でスマホのメモアプリに文章を書き綴っていたら、いつの間に周囲に注意が行かなくなり、4駅乗り過ごしてしまって青ざめたことを覚えている。
そうして、修羅場をくぐり抜け、なんとか3話目の形が出来上がろうとしていた時、Sさんから、これまた書き下ろしに近い、最終話の修正メールが届いた。
メールを開いてみると、そこには以下のような宣告が、ディスプレイの上で無機質に光っていた。
「『未練』の最終話、ラストまで返します。
かなり難産でした。
ちょっと読んでて辛いです」
この山場に来ての、2度目のリテイクがかかった。