【6】 初めての修羅場 ~書いて書いて書きまくれ!~
先日の打ち合わせで、初稿作成までのスケジュールが決められていた。
Mさんは、こう話していた。
「出版は、考えたのですが、10月を考えています」
「10月?」
私は聞き返した。
「そうすると、脱稿するのは、そのもっと前……」
「そうなんです。わかってらっしゃいますね、出版の最低2か月前までには第一校をお願いしたいです。初稿の締切は○月末で」
血の気がサーっと引いていく音が、自分でもわかった。
打ち合わせから初稿の締切まで、約ひと月と少し。その間に、今日打ち合わせたことを含んでプロットを上げて、チェックバックしてもらって、それから本編執筆。
――本原稿に取り掛かれる時間は、3週間ほど?
洒落になってない。仕事をしながらの執筆では、余裕で死ねるペースだ。
デスマーチは、この時期らへんから響き始めたのだと思う。
私は焦って汗をかきながら、速攻でプロットを建てていった。
前述したが、私のプロットの量は半端ない。1話分50ページの文章でも、40ページのプロットを建てる。
それが3話分だから、単純計算で約120ページ。
しかも、それぞれの話に、導入と山場と締め、オチを用意しなければいけない。
徹底的に頭をひねり、打ち合わせで戴いたヒントを頼りに、なけなしのアイデアを加え、発展させていく。
WORD (……は持ってないので、キングソフトライター)に、思いつくままに書き付けていく。しかし、すぐにアイデアが詰まる。
書かなければ。書けない。
時間がない。いや、まだ大丈夫? 慌てる時間か?
スランプという悪夢の4文字が、目の前に迫っている。
そんな毎日を繰り返していくうちに、パタリ、と書けなくなった。
――何もしてないわけじゃないよ。考えてるんだよ。
言い訳だ。実際に、一文字も進まないだけだ。
書かなきゃ。書けない。
検索ソフトに、「小説家 書けない」「小説家 スランプ」などの検索ワードを打ち込んでいく。そうしてネットに逃げ込んで、さらに時間が過ぎていく。
余談だが、「作家 修羅場」で出てきたサイトなどは面白くて、余計時間を消費してしまった。
『漫画家さんとアシスタントさんと』のアニメの一話目を見たり、『少女たちは荒野を目指す』の、主人公が缶詰にされる話を見たり。結構余裕こいてるな、とか自分に突っ込みながら。
スランプにズッポリとはまり込んだ。
一文字も書けないでいるうちに、締切だけは無情に迫って来る。
編集者の「すぐ」は「しばらく間を置いて」、「明日」は「2,3日後」、「2,3日後くらいまでに」は「いつかは不明です」ということはだんだんわかってきていたが、ひとつだけ、きっちりと期日を守るものがある。
「締切」である。
もう時間がない。書くしかない。書けなくても、書くしかない。
そこで、ようやく悟った。
趣味で書いている作家と、商業作家の、たったひとつの違い。
趣味の作家は、書けるときに書く。
商業作家は、書けない時にも書く。
たったこれだけの違いだ。
しかし、後者の苦しみは「締切」という枷が課せられたものしか、実感できないものだろうと思う。
追い詰められた私は、睡眠時間を削り、夜10時半に寝て、朝の4時に起きる生活へと切り替えた。職場が遠いので、朝6時30には家を出なくてはならない。準備をするので、5時半くらいまでしか書けない。でも、それなら1時間半は書ける。
極限まで時間を切り詰めて、執筆に充てる。もう、そうでもしないと、間に合う時間帯ではなかった。
ただし、アニメのNEWGAMEだけは、社畜の密かな楽しみとして必ず見ることにしていた。
今日も一日頑張るぞい。ぞい。執筆じゃない本業も大切だよね。
――第一の修羅場が始まった。
とにもかくにも、「一文字も書けねー! 万策尽きたー!」と言っていられる状況は、とっくに過ぎている。
書けなくても書かなくては、当然ながら進まない。
書いても書いても終わりが見えなくても、書かなくては終わらない。
「無理」
「燃え尽きた」
「万策尽きた」
そういった声を飲み込んで、ただひたすらキーボードを叩く。
作家という職業は、職人気質であると思っていた。
だが、それは違う。商業作家にとって、クオリティは一番ではない。
まず締切は守ること。
それだけは死守。納期優先。
特に、新人の場合は、締め切りを過ぎたらどんなことになるかすらわからない。
我ながら駄文だ、と思っても、消してはいけない。止まってもいけない。
ひたすら文字を書き連ね、進んでいく。
書けないときは、順番通りに書かない。書けそうなシーンを、優先して書いていく。
書いた順番が、1→5→3→7→2になっても気にしない。
このやり方は、先輩作家である朱雀さんが教えてくれた。感謝にたえない。
修飾過剰になっても、推敲しない。まずは書くこと。
なぜそうするのか?
実際、なぜそうするべきなのかは、この時身にしみてわかった。
パソコンで打った文章というのは、後からいくらでも修正が効く。
だから、まずざっくりでもいい。物語を完成させ、いいアイデアが沸いたら、加筆修正していく。どうしても進まなくなったら、ごちゃごちゃと書き連ねた文章を洗練させていく時間に充てる。
そうして、どんどん形ができていく。
それは、増築を重ねた建物のような出来にはなるが、少なくとも家は建つわけだ。
作家にとって必要なのは、この、『家を建てる』こと。
細かな修繕やさらなる増築は、その後行う。
これが私が経験した、一番効率の良い原稿の上げ方である。
――理屈はいいから、まず原稿を完成させろ。
これである。これに尽きる。
そうして、追い込みをかけた月末。
なんとか滑り込みで、原稿が完成した。
分量こそ随分多くなってしまったが、晴れて初稿の完成である。
もう、やりきった感でいっぱい。
意気揚々と、メールにファイルを添付して、Mさんへと送った。
そうして、Mさんから返信が来る。
「初稿をお送りくださり、ありがとうございます。
分量については、削れるところは削って行く方向でいければと思っております。
今後は、前にもお伝えしたとおり編集プロダクションのSさんとダブル担当となります。数日以内に、Sさんから連絡が行くと思います」
ふむふむ。なるほど……? 確かに、ダブル編集って言ったものな。
初顔合わせで、Kさんが来たのも、あくまで代理だし。
そうして数日後。Sさんとの連絡が取れた。
「どうも、Sです」
「あ、どうも、小山です」
「Mさんの方から連絡があったと思いますが、今後は、私が主導で担当させていただくということで」
「はい、わかりました」
「早速原稿に赤を入れさせてもらいます。それを直していただくということで」
「はい」
「……で、締切なんですけど、○月末までによろしくお願いします」
「……は?」
「初校を上げていただくのが、○月末ということです」
「……それって、また余裕で死ねるスケジュールだと思うんですけど?」
面白そうに笑う声が聞こえる。
私は首を傾げ、疑問をぶつける。
「……そういえば、Mさんに今回渡したのが初稿ですよね? 初稿が終わったのに、また初稿なんですか?」
「ああ、知らなかったんだね。インターネットで見てみて。業界用語でね、原稿の『稿』の字の初稿と、学校の『校』の字の初校は違うんだよ。今回出してもらうのが、『初校』。今度提出してもらったら、それに、校正さんの赤とか入るから」
初稿が終わり、間髪入れずに訪れた、初校の締切。
――こうして、修羅場の第二幕の緞帳が上がっていく。