【11】 脱稿と校了。そして――。
初校の第一校では、驚く程の赤が入って返ってきた。
その修正は並大抵の分量ではなく、もはや、『校正さんが入る』などの意味がないくらいだった。実際、「校正作業」は、あの状態からどう行われたのか、未だに謎ではある。直した文章は元の文章の原型をとどめていなかったくらいのだから。
執筆というのは、結構ハードなスケジュールをこなす必要がある。しかも、私はこれでも「いつも締め切りギリギリ」の部類に入る。ほかにきちんとスケジュールをこなしている方の筆の速さ、段取りの良さなどは信じがたいほどだ。
初校にも関わらず、初稿並みの直しが来ているのだからこれはもう、自分の才能に疑問符をつけざるを得ない。
しかし、才能がないのなら、せめて努力はすべきだった。必死で頭を捻り、アイデアを捻出して挿入。前後に矛盾がきたさないように調整していく。
語彙力の少なさも、この時点で、徹底的に改稿を加える。
語彙力不足に関して、ここで使ったテクニックは、役に立つかも知れないので記録に留めておこう。
1、インターネットの類語辞典、『シーソラス』を参考にする。類語辞典を買う必要はないと思う。インターネットなら、検索したい語が一発でわかるし、色々と役に立った。ただ、注意しなくてはならないのは、機械的に類語を埋めていると、『日本語の文章でなくなる』ことだ。
『書くべき類語を思いつく能力がなくとも、使われている類語が適切かどうかを読み取る能力』は、絶対的に必要になってくるし、それが物書きとしての最低ラインだ。
2、『自分が繰り返し使ってしまう表現 (舌打ちする・肩を竦める 等の癖になってる言い回し)』に関しては、ワードソフトの「検索」機能を使って、できる限り異なった表現に変えていく。単調な語彙のレパートリーを改善して潰していくわけだ。
この2点が、語彙力の低さを補う上で役に立ったテクニックだ。
もっとも、気合が入りすぎて難しすぎる表現を使ってしまい、逆に読みにくくなってしまうきらいがあって、我田引水の状態に陥ってしまったこともまた、明記しておく。
第一校で大きな直しを終えたあとは、第二校、第三校と続いていく。だが、改稿を重ねるにつれ、赤もどんどん少なくなって、本が完成に近づいて行っているのが分かった。
そんな折、カバーの帯作成に関しての報告がMさんから届いた。
これはノウハウとかではなく、面白い知識になると思うので、書いてしまおう。
『帯』と言われて、ピンと来ない人もいるかもしれない。
新品の本を買うと、本の4分の1くらいを覆う程度の小さな紙が本に巻いてあるのだが、それのことである。
本のキャッチフレーズなどが書かれているわけだが、このフレーズによって、読者が本を手に取るかどうかに大きな影響が出る。いわば、表紙と合わせた、『本の顔』である。
「そんなものくらいで、売り上げが変わるの?」
変わるのである。有名なのは、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』という作品。
重版がかかって、二刷目に、帯に「泣ける」「電車の中で読まなければ良かった」などの、読者の声を帯に盛り込んだところ、売上が前月比で3倍にも跳ね上がったらしい。
そんなわけで、帯を考えるのは、編集にとっての大仕事である。
私は自作はマイナーだと思っていて、「売り」と呼べるものが思いつかないくらいだったから、「売れるフレーズ」を作らなければならないMさんには、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だが、Mさんもさるものだ。おそらく相当悩んだ結果であろうが、出来てきた帯のフレーズは、思わず「ほう」と呟いてしまうほど見事なものだった。プロ編集、恐るべし。
どんなことが書かれているかは、ここでは割愛する。
とても惹かれるフレーズなので、興味があったら、書店かネットで、書影を確認して欲しい。
そして、本のデザインが出来上がって送られてくる。
本の表紙のタイトルや著者名、その他のデザインには、プロが関わる。
私も出版に関わって初めて知ったのだが、タイトルの文字のフォント一つとってみても、表紙の見栄えを生かすも殺すもデザイナーの力が大きく関わってくるのがよくわかる。実際、表紙のイラストはずっと見てきたが、文字が載るだけで、印象がグッと変わった。
ここらへんは、本当にプロの仕事で、確認して頂ければわかると思うが、ふすいさんの超美麗な表紙イラストに、絶妙にマッチするデザインになっている。
地獄の第一校が終わってからは、ほとんどが確認作業になっていた。第二校が終わり、第三校をチェックし、表紙のデザインと帯のチェック。そして、参考文献の提出と、カバープロフィール作成(表紙の裏の折込に書かれているプロフィール作成。あれも、実は自分で書きます)、そしてあとがきのチェック。
そうして、「もう私のやることはないかな」と感じられるようになってきてから、今後のスケジュールのMさんへの確認と、前々からずっと思い続けていた質問を、Sさんにメールでぶつけることにした。
つまり、
「結局のところ、『未練』が取り上げられたのは何故だったのか?」
「期待に応えることはできたか? 少しでも、面白い作品になったか?」
これが、この一連の創作活動を通して、ラストの質問になる。
ある種の高揚感を持って、メールを送信した。
◇◇◇
実は、以前にも電話口で「なぜ『未練』を拾う気になったのか」を、Sさんに訊いたことがある。
Sさんはもったいぶるでもなく、簡潔に答えてくれた。
「――ああ、それはね」
「はい」
「『未練』を読んでみて、その中のひとつの話が凄く面白かったからだよ(その話については書籍に入れたので、WEB版では規約により削ります。他の話は書き下ろしとかぶらないので、掲載のままで良いそうです)。あの話が書ける人なら、きっと面白いモノがかけるだろうなって、そう思ったの」
私は驚いた。まず、その話が気に入ったとはいえ、そこまでたどり着くには、本編を結講読み込まなければならない。そこまで、読んでくれていたわけだ。
ネットではよく、『WEBの拾い上げでは、ポイント数だけが考慮されて、内容なんて読まない』とまことしやかに囁かれている。もちろん、そういう出版社もあるのだろうが、少なくともF文庫に関しては、そんなことはないのだと知った。
「……ありがとうございます。あれは、トリッキーな話でしたが、ちゃんとした心理療法の裏付けがあったりします」
「うん、それは知ってた。私も、少し心理学かじったことあったからね。それで面白く感じたんだ」
「なるほど、そちらに興味があったんですね。確かに、カウンセリングものって、『イン・ザ・プール』とか、『空中ブランコ』とかも面白いですしね。精神科医の伊良部とか、いいキャラですよね」
「うん、あれは面白い。何が面白いって、治療方法がめちゃくちゃなのに、伊良部に診てもらいたいと思わせられたりするのがすごいんだよ」
「そうですよね! あとは、『クワイエットルームにようこそ』とか、結構ありますよね。死神ものという点では、やはり『死神の精度』とかも面白かったですよね」
「伊坂幸太郎ね。あの人の作品は私も好き。『ラッシュ・ライフ』とか……」
「……『終末のフール』、『オーデュボンの祈り』……そうですよね、本当に面白い。あんな作品、どうやったら書けるんだろう?」
「いや、あなたも、そうならなきゃいけないんだけど」
「へ? あ、ああ……いや無理……頑張ります」
Sさんは苦笑したものだ。
◇◇◇
そうして、Sさんからメールが返ってきた。
重ねた質問の返答は、以下のようなものだった。
Q なぜ『未練』がひろいあげられたか?
A 以前電話で伝えたように、面白さを感じたからです。
キャラ立ちの良さと、「人の未練を聞く」というキャッチーさがポイントでした。
Q 期待に応えることは出来ましたか? 少しでも、面白い作品に仕上がりましたか?
A 少しというか、かなり小説としてはレベルアップできたと胸を張っていいと思います。
とてもがんばりましたね。
「とてもがんばりましたね」
この最後の言葉に、どれだけ救われた気分になったかは、言葉に尽くせない。
ただ、ここからがSさんのSさんらしいところで、そのすぐ後に、
「今後の執筆活動へのアドバイス」
が書かれていた。
いわく、
・描写力を上げる練習を。
・誤字、誤用をなるべく減らす。
・構成の緩急、メリハリを意識する。
・デビュー作にありがちなのだが、改稿のたびに「素晴らしい作品にしよう」と、力が入りすぎ、難しい言い回しや単語を使いがちになる。『未練』でもそれが見られた。
ストーリーとキャラクター、ドラマをどれだけ読者に分かりやすく伝えるか、が、今回の原稿修正の肝だった。
そうして、最後に、
「小山さんの他作品にもあるような、テンポの良さ、キャラ立ちの良さは、小山さんの強みです。その強みと、今回の執筆作業で学んだことが、もう少しすると、小山さんの中で上手く馴染むと思います。
その時、『未練』の書籍版を見直していただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします」
そう、締めくくられていた。
最後の最後まで、Sさんは編集者だったと思う。作品と、『私』という作家とずっと向き合い続けてくれていた。結局のところ、紛れもないプロと仕事を出来たのだなと、押し寄せてきた感慨とほろ苦い気持ちに、ただかぶりを振った。
それから、Mさんから、今後のスケジュール、イラスト・デザイン周りのチェックなどを経て、なんとか校了できそうだというメールが届いた。
私はMさんとSさんの多大の助力に感謝の意を伝え――。
少し考えたあとに、最後の一文を付け加えた。
『モノは仕上げました。あとは売ってください。』
私はそこまで書き上げたメールを再度読み返して、誤字脱字・誤用をチェックして完成させると、メールを送信し、大きく伸びをした。
さて、私に出来ることは、ここまでだ。