記憶というのは曖昧ですね
力に惹かれて一柱くらいは来るだろうと予想はつけていたが、まさか変貌してから直ぐとはどういう事なのだろうか。女神の後に青二才とはいえ竜王までもが現れるとは思っていなかったので、正直戸惑っている。
「家主である穹は、面倒くさがって多分丸投げしてくると思うので私が代わりに説明しよう。今はとりあえず空いている部屋を使うと良い。そうだな……」
「はーい分かったよー。あ、ソラくん空いてる部屋ってどこかなぁ?」
「面倒くさい龍夜に聞けし」
「私の話を聞いていたかね?」
穹は面倒くさがるとさっき説明したばかりだが聞いていたのか青二才。それに私は何か言いかけていただろう……絶対聞いてなかったに違いない。今度から鳥頭と呼んでやうか。
後、初対面から思っていたが、喋り方が緩いな。思わず気が抜け
「へぶんっ」
……何もない所で躓いてこける、というのは……竜王としてどうなのか。
嗚呼、成る程……薬を作る為と鱗を直ぐ出せた理由が分かった気がする。よく怪我を量産するんだな。自分が。
「あいたたー……なぁんで何もない所でこけちゃうかなぁー……」
「大丈夫かよゼルさん。あ、膝擦ってる。なぁ龍夜ー、絆創膏ってあったっけ?」
「お前もか穹」
教えた事を忘れられるとパパ地味に悲しい。とりあえず後で穹には場所を教え直すとして、ゼルの怪我を治しておく。ほら膝を出せ。膝を。いや口内炎は知らん。
「……わぁ……リューヤさんはなんでも出来るんだねぇー」
無邪気な笑顔が胸に刺さる。先程の私の仕打ちを忘れたのか? 忘れるのも大概あれだが、忘れてなくてその笑顔が出来るのなら本当にある意味立派な竜王になるぞ貴様。私のなけなしの良心が痛む。
「とりあえず止めてくれまいか? その笑顔……」
「え、どうしたのリューヤさん? ……あ、分かった。さっきの対峙した時の僕は、おかしかったとはいえ一応竜王モードだったから違和感が強いんだねぇー。でもあれは本来の竜王モードじゃないから安心していいよー」
「……ゼルさんって、多分天然入ってるよな……」
これは……虚偽状態の時以上に厄介な気がする。
今日は珍しい龍夜が沢山見れるな。明らかに狼狽えている。周りから見たら確かに無表情のままだけれど、俺からしたら何で分からないのかって思う。
「ねぇソラくん……ハルトくんのあれって怒ってるのぉ?」
ほらね。
「違いますよ、あれね、ただただ狼狽えてるんです。なつかれた事にね。後、ナターリア様とルーさんに対してのあれも、実は怒ってた訳じゃないんです。警戒の度が過ぎてただけ」
「……ソラは良く分かるな……私には苛々しているようにしか見えないのだが……」
「やっぱりルーくんも思ったあ? どう見てもハルトくん怒ってるようにしか見えないのよねえ……うう、最初に会った時怖かったわぁ……」
主従組は怒ってるようにしか見えないらしい。無表情だけど、言葉もきつい事が多いけど、龍夜は本当は優しいのに。
……そういえば龍夜は、私は怒るという事をしたくない。怒るというのは心を疲れさせてしまう、精神を壊してしまうなんて昔俺に語ってくれた気がする。
その後は決まって、穹はそのまま笑っていてくれと悲しげに俯いていたような気がする。
だからゼルさんに対しての怒りは、俺のせい。俺が弱いから。俺が傷付いたらすぐに死んでしまう人間だから。だから龍夜は……だから龍夜はあの人に………………? ……あれ……? あの人に……? 何だっけ? 俺は何を考えてたっけ? そもそもあの人って誰だっけ……?
……思い出せない……。
記憶がどんどん……何だろう……無くなる? いや……入れ替わる気がする。
どこから俺の記憶? どれが俺の記憶?
「無理に考える必要はないぞ、穹。今日一日で様々な事が起こったから疲れているんだ……もう今日はゆっくり休め」
龍夜の穏やかな声が、上から降ってくる。霧雨みたいにぱらぱら。見上げると、優しげに細まるラピスラズリの瞳。
ああ、うん、大丈夫だ。
何があっても龍夜となら大丈夫だ。
俺は龍夜の事を、この世の誰よりも信じているから。
安心したら眠気が襲ってきて、目を開いているのが辛い。
「お休み穹。優しい夢が見れますように」
お休み龍夜……ああ、言えたかどうか……わからないや……とても、ねむく……て、ねむ……
安心しきった顔で眠りに落ちた穹を片腕で抱えて歩き出す。もう19歳とはいえ、私からしたらまだまだ子供の穹。今日の私の行動は、多大なる精神的疲労を与えてしまった事だろう。それを申し訳無く思うと同時に、燻っていた怒りが心の奥底で蠢くのを感じる。
これでもうはっきりした。やっと解除された。薄々虚偽にかかっているのは分かっていたが、かかっているという事しか分からないのは頂けない。
そう、もう14年になるだろうか……あの屑が穹に対して行った仕打ちへの怒りを、虚偽の裏で抱えた年数は。
いや、それだけでは無い。あれは私にも牙を剥いてきた。
一番最悪な形で。
それのせいで……それのせいで……あの世界は……。嗚呼、いや、私の、せいか。
思わず出たため息が穹の髪の毛を揺らす。焦げ茶色の猫っ毛というのか……それが顎の下で揺れるものだから、やや擽ったい。だが、その擽ったさは何よりも代え難いものだ。
遠い昔に私が背負った罪や、悲しみは消える事は無い。だが、それでいい。私は赦されたい訳では無い。救われたい訳でも無い。
そう、ただ私は救いたかっただけなのだ。
『絶望』でしかないのに。
ドアを開けると、亜空間の部屋へと繋がる。このドアを開けられるのは私と穹だけである。穹が自ら招き入れない限り、堅牢な要塞として機能してくれる筈だ。家に関しては不特定多数が来るからと、少し緩めにしていたのが敗因だな。
寝具に横たえ、タオルケットをかける。そういえば湯浴みがまだだったと思い出すが、まあ致し方無し。
リビングに戻ると、それぞれ別の方を向いていた視線が一斉にこちらを向く。
「リューヤさん、大事な話があるんだけれど……構わないかなー?」
ゼルが真剣な顔をしつつ、私の様子を窺う。声音は気の抜ける喋り方のままだったが。
「……構わないが、どうした?」
「ん。ありがとう。ええと、凄く言いにくいけれど、リューヤさんも虚偽にかかってるよ、ね? まあ、あの……多分だけれどもさー」
……驚いた。若輩とはいえ流石は竜王と賞賛しておこう。
「……良く分かったな、ゼルよ。確かに、私も虚偽にかかっている。ただ……それが分かりはしても、何に対して虚偽が発動しているのかまでは……私には分からぬのだ」
厄介なのはと、一つ呼吸をおいて続ける。
「虚偽状態は自分で確信を持たぬ限り永久に続く。一つは分かったが……未だ虚偽状態が続いているままだ…………そうだな……一つ、話をしようか」
脈略のない言葉に主従組は目を見合わせて、ゼルは首を軽く傾げた。
「今から14年前、私と穹が出会った話だ……」
14年前、私は住んでいた『世界』からこの『世界』に渡ってきて、『神』に暫く滞在させて頂きたい。貴方を害する事はないと誓いを立てた。鮮明に今でも思い出せるよ。この『世界』の『神』は酷く傲慢であった。自分の世界の者には慈愛に満ちた瞳を向けたが、私には冷たい視線を浴びせるばかりであったな。まあ、私が魔王だというのが第一の理由であろうとは思うがな。
そして『神』から好きにするがいいと投げやりな許可を貰った私はこの世界を見て回ろうと思い付いた。しなければならない事は山積みで、あれも追いかけなければならなかったが、それを片していくには少しばかり心が疲れ過ぎていたのだ……。何の言い訳にもなりはしないがな……。そして何の運命の悪戯か……ふと見かけた一家団欒に、心が柔らかく解れていくのを感じた。その矢先だ。あれは私が少しでも心を癒すのすら不愉快だったのであろうな……唐突に姿を現して、その一家を、子供を除いて惨殺したのだ。
……もう、分かるだろう。その時の子供は穹だ。動かなくなった両親を前に、泣きわめく事も出来ずにただ震えていた穹を私は咄嗟に抱き締めた。あれが気が変わって穹に危害を加える可能性が有ったからな。懐に抱え込んだ穹は顔をぐしゃぐしゃにしながら私にすがりついてようやっと泣きわめいた……頻りに怖いと叫んで両親を呼んでいた。胸が苦しかったよ。私が偶々顔を向けてしまっただけで、心を少し癒してしまったばかりに、穹は愛すべき両親を喪ってしまったのだから。
泣きわめく穹に頻りに謝る私に対して、あれは酷く楽しそうに語りかけてきた。無様だねと。
思わず右腕に魔力を集中させてあれを吹き飛ばしたのだが、直ぐに後悔した。息の根を止めればよかったと。あの時、あれが穹に虚偽をかけてしまったのだ。
だが、今となってはそれで良かったのかもしれない。両親の事についても虚偽が発動したからな……。
あれがかけた虚偽状態が解除されるまで、穹には仮初めの安らぎが手に入るのだから。
私を蔑むなら蔑むがいい。中途半端だと。あれをしっかり追いもしなかった。穹の両親を喪わせてしまった。穹を完全に救えもしなかった。
私がしたのは、14年間仮初めの安らぎを与え続けた事だけ。……穹が気付かない内に、絶望を与え続けてしまった事だけ。
本当は私は消えた方が良かったのだろう。あれを追いかけた方が良かったのだろう。だが私には出来なかった。心配だった。どうしても傍にいたかった。救いたかった。
私のエゴだ。
例えどのような結末になったとしても、穹を護れるのならば、私はどうなったって構わぬのさ。
……あれが放り出すように私に任せた等と虚偽をかけられたが、何て事はないこれが真実だ。私はまんまとあれを野放しにしてしまったんだ。
それがこの『世界』の、この様だ。
「リューヤさんは、優し過ぎるんだね。それで自分が傷付いてるみたいだよー。でも、目の前のソラくんを護ろうとした事は、正しい事だと僕は思うんだけどなぁ」
「貴方達にそういった過去があったのねぇ……ソラくんに、あたしとかゼルくんとかが近寄った時の反応の理由が分かって何だかほっとしたわあ」
「まだ一日しか彼とはいないが、貴殿の事を信頼しているのははっきりと伝わってきた。不安定になる時もあるようだが……貴殿は確かに彼の心の支えになっているのだ。胸を張りたまえよ、貴殿は魔王の前に、彼の父親兼親友だろう?」
「……な、にを、言っ、て……?」
訳が分からなかった。何故? 何故私にそんな言葉をかける? 私は責められる筈だろう?
「リューヤさんは自分自身が肯定出来ないのかなあ? それとも自分が赦せない?」
どこまでも優しく、まるで絹でくるむ様な声音に声を失う。
どうすればいい? どうすれば? 一体どうすれば?
どうすれば私は責められるんだ?
「……うん。そうか、そうなんだね…………リューヤさんは、赦された事が……無かったんだね……」
ひゅっと息が詰まる音がした。
言い当てられた。
私の半分も生きていない、子供に。
「あらゼルくん。それって……どういう事かしらぁ?」
「そのままだよーナタリーさん」
ぐらぐらと地面が揺れている気がする。嗚呼、危ない。そうだ穹を……いや、私が亜空間へと運んでいったのだった。
「大丈夫、大丈夫だよ。リューヤさん。ほら、座って座って……リューヤさんは今大分ぐらぐら揺れてるの。身体的にも、精神的にも。さっきの僕よりも酷い状態なんだ。ね、分かる?」
ぽふぽふという音を立てながらこちらへと歩み寄るゼル。足音かと思ったが、どうやらクッションを軽く叩いているようだ。そしてソファーへと導かれ座るよう促される。ついでとばかりにそのクッションを持たされた。
色褪せて少しばかり白っぽくなった元々は焦げ茶色のクッション。
私が一番初めに穹に渡したもの。
「赦されていいんだよ、リューヤさん。赦されていいんだ。だってリューヤさんは僕を見逃してくれた。まあソラくんがいたからこそになるけど……けど、リューヤさん自身が優しくないと僕を生かそうなんてしてくれないでしょう? ソラくんが望んだとして、実行に移すか移さないかはリューヤさん自身の自由だ。それでもダメなら、そうだなあ……リューヤさんを赦したいって思うのは僕のエゴって事で一つどう?」
おあいこ! なんて楽しそうに笑うまだ大人になりきれていない青年の顔を、私は直視出来なかった。
「……おあいこか……少しばかり意味合いが違うのではないのかね……?」
その笑顔が眩しすぎて、私はそっと目を伏せた。
……私は、赦されて良いのだろうか。
赦しを求めてない、救いを求めてないというのは、私の、ただの、言い訳。穹の側に居る事で救われているから。
それ以上を求めてしまうのは禁じられている気がして……。
答える声は、ただ、優しかった。