龍夜さんあれこれ
「あー……それで、貴女はどうする? 男三人が穹の家で寝泊まりという訳だが、貴女は女神だ。空間をねじ曲げて貴女の仮の寝室を作成しようか?」
ほぼほぼ鉄壁の無表情がデフォルトの顔で助かった。一歩間違えれば照れで即死だったに違いない。
いや、嘘だが。
「あたし? あたしは別に大丈夫よー? 貴方はあたしに興味がないだろうしぃ、ルーくんは可愛い可愛いあたしの子供みたいなものだしぃ、ソラくんは余裕で対処できるから大丈夫よん」
危機感とは一体。女神だから確かに余裕で対処は可能だろうが、一応自分の性別の事をよくよく考えた方がいいと思うのだが。いや、流石『楽観』。
「……そうかね……。なら穹、お前はそれで大丈夫か?」
やや現実逃避をしながら、穹の方を向く。
無表情。
あれどうしたのだ穹いつもくるくると表情を変える元気なお前はどこにいったのだ私と同じ無表情になっているがどうしたのだ本当にパパとてつもなく心配。
「俺別次元に行きたい女神様お風呂上がりとか半裸でうろうろしそうで怖い」
穹が一息で言い切った。あ、察し。
うむ、分かるぞその気持ち。この女神ならやりかね………………おっと穹の読みが当たったな女神が生まれた世界ではここ何千年も行っているみたいだぞ……はぁ、タイミングが悪いな。うっかり視てしまった。
「あれぇ? 何で知ってるのぉソラくん?」
「ほらぁーーーー!!」
ああもう、だから嫌なのだこの眼。必要な情報と不必要な情報の区別もつかぬのだから。まあ、良かろう。だが、こんな嬉しくない女体があったであろうか。いや、ない。しなぁしなぁという効果音が付きそうな歩き方だった事を強調しておく。嗚呼、精神的に削れた。
ほんの一億年ぐらい前なら少しは動揺してみたかも知らんが、今更女体を見たところで役得だとか不埒な心だとか一切沸き起こらん。何億、何十億と生きているとどうでもよくなるな。まるで植物のような気持ちですらある。今なら光合成が出来るような、気が。
「……龍夜? 大丈夫か? 眉間に皺が寄ってるぞ?」
「光合成が出来るような気が……あ、いや悲しい事にうっかり視てしまった」
「ああっ、珍しい! 龍夜の顔が皺入り且つ無感動な瞳で意気消沈してる! ちょっと待て光合成って何」
「……穹、任せておけ。亜空間すぐ用意するからな。風呂上りに鉢合わせないようにもするからな……」
「無視かーい。無視なんかーい。まあうん、いいや…………無理するなよ……」
穹には刺激が強すぎるだろう。何故ならば件の女神は半裸どころか全裸である。いや確かにこちらの世界の宗教画等では何故か皆服を脱ぎ捨てているみたいだが、現実世界でそれを行ってしまえば……いや、そういえばここはファンタジー『世界』へと変貌していた。現代文明が至るところで感じ取れるが、ファンタジー『世界』なのである。それならば納得……してどうする。私は疲れているのだな。
のろのろと緩慢な動きで俺の寝室に向かう龍夜はいつも以上に背中が疲れて見えた。あいつがあんなに疲れるなんて、どれだけ服を脱いでたんだ。
「龍夜、大丈夫かな……」
「あたしの方を見てからあんな風になっちゃったんだけどぉ……どういう事かしらぁ?」
「あ、そうか……ええと龍夜の瞳は特別で……確か『神の見渡す眼』って言われてるみたい。確かあの人そう言ってたかな……で『神の見渡す眼』っていうのは大体生き物に対して発動するらしい。必ず発動する訳でもないし、要らんところで発動したりするからあいつ自体こんな眼いらんとか言ってたな」
龍夜が昔言ってた事とかを思い出しながら話していると、いまいち分からないという顔をした女神様が口を開いた。
「それは分かったんだけどぉ……一体それで何が視えるっていうのぉ?」
「ええと、その人の過去とか……罪とかを視てしまうって。けど未来とかそういうのは見えないって言ってた」
そう言ったと同時に、女神様は顔を両手で覆って膝から崩れ落ちた。
「み、見られたぁーーーーー!!」
「な、何がーーーー!?」
あ、いや、検討はついたけど思わず聞き返してしまった。はい、件の半裸ですね。分かりたくなかったです。
「あ、あたし……湯あみした後、全裸でうろうろしちゃうの……楽だからぁ……そ、それを多分見られちゃったのぉ……」
あ、全裸でしたか。
……えええ全裸ですか!? ファッ!?
どういう事なんだ……半裸どころか全裸ですかなるほどよく分かりません。
「おおう……うん、まあ、災難でしたね女神様」
「ナタスウィーリア様、だからあれ程御召し物を羽織ってくださいと……」
もうどう言葉をかけたらいいのか……もう、俺にはよく分からないよ……。龍夜助けてー。
はっ! 今……穹に助けを求められた気がする……!! だがすまない。今亜空間を作っている途中なのだ……助けたいが、後二分程待っていてくれ……!!
「それにしてもあの主従の馴染みよう半端ないな」
害なすつもりなら消し炭にするところだったが……ううむ、私も丸くなったな。若い頃は血気盛んだった……怪しい者は死なない程度に痛め付けたものだ。やり過ぎだと誰に叱られたのだったか……。若気の至りという奴だな。嗚呼、恥ずかしい。
「うむ、まあざっとこんなものか」
私にかかればこんなものはお茶の子さいさいだ。どうでもいい事だが、『お茶の子さいさい』という言葉が何か可愛い感じがする。是非とも穹に使って欲しいものだ。今、一瞬眉間に皺を寄せまくった穹が脳内に浮かんだ気がしたが気のせいだろう。使って欲しいと口に出した途端にそんな顔をされるだろうが、気のせいといったら気のせいである。
ではと、颯爽と穹のいるリビングへと戻ろうとした瞬間に背筋がざわついたのを感じた。嗚呼、やはり丸くなったな……ここまでの接近を許してしまうとは。
殺気。
明らかにこちらに近付いている。ゆっくりと近付いて来てはいるが、この力からして瞬間移動も可能だろうが……。
実に忌々しい……これは態とだ。
明らかに私に対して喧嘩を売っている。
だが、その喧嘩を買っても得は無いに等しい。寧ろ損ばかりだ。穹の事を守らねばならぬし、形勢を見て、『楽観』の女神が敵対せんとも限らん。となるとルマンも敵対しかねんし、相対的に穹の守りは手薄になる。
はてさてどうしたものか。
ぎしぎしと音を立てながらリビングに龍夜が戻ってくる。深いため息をついたと思ったら、右手に黒い上着を出現させた。あれは……魔王としての正装だ。
「『楽観』の女神よ、貴女は私達に敵対するかね? 敵対するならば容赦はせぬ。だが味方、若しくは中立で在ろうとするならば、私は何も手出しはせぬ」
さあ、選ぶがよい。
そう静かに告げる龍夜は、龍夜ではなく、魔王ラインハルトとしてそこにいた。
「……見られちゃって慌ててたけどぉ、冷静になったわぁ……あたしの性質は『楽観』。何が起きても大丈夫と前向きにしかとれないの。でも貴方を前にするとダメねぇ……」
冷静さを取り戻した女神様は、強気な瞳で龍夜を見返す。
「つまり?」
対して龍夜のその瞳は返答次第では滅ぼすことも辞さないと雄弁に語っていた。冷徹……その言葉が一番似合う。
「あたしは味方になるわぁ。ソラくんと知り合ったのもあるしぃ……敵になったら絶対罪悪感がわいちゃうものぉ」
胸の前で両手を軽く組んで、柔らかく微笑んだ女神様。妖艶なその姿とは裏腹なその手や微笑みに、俺は清らかさを感じた。
「その言葉、ゆめゆめ忘れるな」
その言葉を告げると、瞳を伏せた。再び開いた時には柔らかな光になっていたけれど、俺は少し複雑だった。守られる価値は俺にはないのに……。
龍夜からじいと見詰められた気がしたけれど、気が付かないふりをする。
と、衝撃が我が家を襲った。形容し難い轟音も響いて、もう俺はパニックだ。家の一部が壊れてしまったのが見えた。
俺の、家、が……壊れ、た?
「……」
「大丈夫だ穹。私が守る。ここから先には出てくるな」
呆然と座り込んだ俺の頭を軽く撫でて、物凄く珍しい微笑みさえ見せてくれた龍夜。ここと示されたのはカーペットで、俺を軽く押しやりながら、俺の近くにいたルーさんや女神様にもカーペットへ来るよう声をかけていた。どうしよう、頭が、上手く働かない。
「大丈夫だ穹。終わったら私がきちんと直すから。だからお前はここで動かないでいて欲しい」
似たような言葉を言うぐらいだから、俺は今、相当酷い顔をしているみたいだ。……当たり前、かな。変貌した世界の脅威が、今、襲いかかってきたのだから。平和な世界じゃないっていうのは理解できてたつもりだったんだけどな……。
俺は。
俺は。
強くなりたい。
どうしたら強くなれるかな。教えてくれよ、なあ……。
あれ?
あれれ?
ど、どうしてだ? あの人の名前が……思い出せない。
どうして。
穹の精神状態が、思った以上によろしくない。おかしいおかしいと密かに思っていたが、もしやあれが何かをしているのか……?
だが、今更……いや、とりあえずは目の前の脅威を片しておく必要がある。
「こぉんにちはー。僕の名前はゼル。覚えなくてもいいよ。君達はここで死ぬ運命だからねー」
軽い口調で現れたのは、異世界の竜王。だが、原因の一柱ではないようだ。どうやらただ単に虐殺をする為だけにこの世界に渡ってきたようだ。が、何か違和感を覚える。
「ほざけ、異世界の竜王よ。貴様は誰にものを言っているのだ」
首を傾げられた。長い黒髪が動きに合わせて揺れるが、腹立たしい事この上ない。
「君達に言ってるんだよー。『虚無』の性質の、異世界のま・お・う・さ・ま」
かんに障る。とてつもなく苛々する。穹を怯えさせておいて厚顔無恥なお子様が。しかも私の性質が『虚無』だと? どんな間違いだ。笑えんぞ。
「勘違いも甚だしい。私の性質は『虚無』ではない」
右手に用意していた正装を身に纏った。
私は幾つか決めている事がある。その内の一つがこれだ。スラックスこそ黒を纏うが、上着、ワイシャツ等は決して黒を纏わない。私が黒を纏う時は……
「私の性質は、『絶望』だ」
持てる力の全てを以て相手を潰す……本気の時だけだ。
「身の程知らずめが」
後悔して泣き叫ぶがよい。