偶然の脅迫状 7
深耶の顔から急激に血の気が失われていく。霧夜の発言が当たっていることは誰の眼にも明らかだ。しかし、それでも彼女は素直に認めようとはしなかった。
「な、なんのことですか」
ぎゅっと拳を強く握りしめた深耶は、今にも泣きそうだ。
「その顔で否定しても説得力はないかな。さっき雷華さんが、湧宮を恨んでいるかって訊いたとき、私“は”恨んでいませんって答えたよね。あれは、自分は違うけど恨んでいる人を知ってるという意味に取れる」
「私は……」
「一番不自然だったのは、俺とキルちゃんが探偵だって知ったとき、一瞬だけ反応したけどそれだけだったことかな。本当に何も後ろ暗いことがなければ、まず最初に、俺たちが何故ここにいるのかを訊くはず。だけど、貴女は何も訊かなかった。それは湧宮が探偵を雇う理由に心当たりがあったから。それが当たってるかどうか知りたくてそわそわしてたんでしょ」
「山神さんの言っていることは本当ですか?」
雷華が静かに、だが嘘は許さないという強い態度で訊ねる。さすがにもう言い逃れが出来ないと思ったようだ。深耶はがっくりと項垂れると、小さな声で「はい」と呟いた。
脅迫状を送った理由は、メッセージカードに書かれていたとおり金が欲しかったから。自分の店が持てたら結婚したいと言った恋人のために、金を工面したいと考え、その結果思い付いたのが煌刃を脅迫することだった。
カードに具体的な内容を書かなかったのは、複数回に分けて脅迫に真実味を持たせようとしたかららしい。花屋で働く恋人に煌刃の楽屋まで花を持ってきてもらい、そこにカードを添えた。
「彼は何も知りません。ただ花束を持ってきてほしいと頼んだだけです」
「その方の氏名と勤務先を教えていただいてよろしいですか?」
分かりましたと言って、深耶が恋人の氏名と花屋の名前を雷華に告げる。そして、どうか脅迫していたことは言わないでほしいと訴えた。
「確約はできませんが、善処はします。まあ、湧宮の死亡推定時刻に貴女がテレビ局にいたことは確認が取れていますから、さして重要視しているわけでもないのですが。波積さん、貴女が書いたのはメッセージカード一枚のみ。間違いありませんね?」
「間違いありません。お金を脅し取ろうとはしましたが、湧宮を殺したりなんかしていません」
脅迫されている者が脅迫している者を殺害してしまう、というのはドラマなどでもありがちだが、逆のパターンはあまりないと思われる。そんなことをすれば、金を取ることが出来なくなってしまうからだ。つまり深耶には煌刃を殺す動機がない。それに、現場不在証明――いわゆるアリバイもある。彼女が犯人という可能性はほとんどないと言っていいだろう。
「ところで、脅迫のネタは何だったのですか?」
一番重要なことを柚羽が訊ねる。またしても霧夜が「俺が訊こうとしたのになー」と不満を垂れたが、三人の女性は揃って彼を無視した。
「女性のことです。湧宮には奥様以外にもう一人付き合っている女性がいました。結婚を境に関係を終わらせたようですが、それでも公になればイメージダウンは免れません。それにその、奥様に知られることだけは避けると思ったんです」
煌刃は二人の女性を天秤にかけた上で伴侶を選んだ。その理由が資産家の娘であるということ、簡単に言えば金目的だったと深耶は言うのだ。
三人の視線が自然とリビングに通じるドアへと向けられる。新婚早々に未亡人となってしまった、赤いワンピースドレスの女性は、いま何を思っているのだろうか。
「クソ野郎ですね」と柚羽が真顔で呟いたが、幸いにしてそれを聞いたのは霧夜だけだった。
「やましいことも、ばらされて困る秘密もないって言ってたけど、でっかいやましい秘密持ってたなー」
あれだけきっぱりと言い切った煌刃は、ある意味大物だったと言えるかもしれない。
「多分、誰にもばれていないと思っていたんだと思います。私が知ったのも偶然でしたから」
約半年前、オフの日に深耶が街を歩いていると、見知らぬ女性と手をつないで歩く煌刃がいた。ウィッグと眼鏡で変装していたため、周囲の人間は誰も気付いていなかったが、深耶には分かった。何故なら、そのウィッグと眼鏡は、以前ドラマの撮影で使おうとして、イメージが違うとリハーサルの段階でボツになったものだったからだ。
「なるほど。それでその女性の名前は知っているのですか?」
「はい……そのとき二人の後を尾行しましたから。脅そうとか考えたわけではなく、純粋に相手の女性が誰なのか気になったので。帝東大学病院の外科担当の先生でした」
垣内という苗字らしいが、下の名前は分からなかったと深耶は言う。そして携帯を取り出し、雷華に差し出した。
「その方が垣内さんです」
霧夜が雷華の肩越しに携帯を覗くと、きりっとした顔つきのショートヘアの女性が横顔で写っていた。いかにも隠れて撮りましたというアングルだったが、女性を特定するには十分に役立ちそうだった。
「この携帯はしばらくお預りします。また改めてお話を伺うことになると思いますが、今日はもうお帰りいただいて構いません」
「分かりました。私はお金欲しさに湧宮を脅迫しました。ですが、けして彼のことが嫌いだったわけではありません。刑事さん、どうか彼を殺した犯人を見つけて下さい。お願いします」
深耶は深く頭を下げると、玄関の扉を開けて出ていった。