偶然の脅迫状 6
霧夜と柚羽は雷華と共に、マンションのエレベータに乗り込んだ。「ついて来られると困るんですけど」と嫌そうな顔をする雷華に、霧夜が文字通り拝み倒して何とか同行を許してもらったのだ。
これでまた両想いへの道のりが長くなった。“閉”のボタンを押しながら、柚羽は冷静に二人の関係を分析していた。
エレベータが滑らかに上昇していく。ゴールドスイートは十三階建てで、煌刃の借りていた部屋は最上階の十三階だ。
扉が開き、三人はエレベータを降りる。観葉植物が置かれた廊下の両端に扉が一つずつあり、片側には制服警官が立っていた。他の階が四戸あるのに対し、最上階は二戸しかない。それだけ広いということだ。もちろん家賃もそれ相応に高いのだろう。
「湧宮の部屋は右側の1301号室です。いいですか、くれぐれも余計な質問は謹んで下さいね?」
「それはもちろん、ええ、分かっておりますとも」
満面の笑みを浮かべて頷く霧夜を見て、雷華は本当に大丈夫かなと少々不安に駆られながら、警官に警察手帳を提示し、1301のプレートが掲げられた部屋の扉を開けた。
マンションにしては広い廊下を歩きリビングに入る。大型の液晶テレビに、淡い緑色の絨毯の上に置かれた革張りのL字のソファとガラス製のローテーブル。壁際のサイドボードには、洋酒のボトルがずらりと並んでいた。
ソファには、赤いワンピースドレスと黒いパンツスーツという対称的な服装の女性が、距離をあけて座っており、その周辺をスーツ姿の男と鑑識が動きまわっている。二人の女性はどちらも顔を伏せており、その表情は窺い知れない。
「おい紫悠、そいつら誰だ?」
霧夜たちに気付いたスーツの男が、眼光鋭く近づいてくる。白髪まじりの髪に、ベルトの上に乗った腹。年齢は五十そこそこといったところか。
「課長、彼らはですね――」
幼い子供が見たら泣きだすこと必死の厳つい顔の男に、雷華が小声で説明する。最初のうちは般若のように眼を吊り上げていたが、最後には苦虫を噛み潰したような顔になりながら納得してくれた。
「部屋にあった被害者のジャケットに入っていた名刺はお前のか。後で誰か行かせようと思っていたが……紫悠、お前は署に戻る前にそいつらの事務所行ってブツを回収して来い。鑑識には言っておいてやる」
「分かりました」
「ありがとうございます、課長」
霧夜がそう言うと、男にギロリと睨みつけられた。
「えっと、波積さん、ちょっとこちらに来ていただけますか?」
パンツスーツの女性がぱっと立ち上って歩いてくる。それにつられてワンピースドレスの女性も顔を上げたが、すぐにまた俯いてしまった。課長はもう一度霧夜を睨んでから、リビングの奥にある部屋へと消えた。
雷華は女性を廊下へ促しリビングのドアを閉める。
「何でしょうか?」
緩くウェーブのかかった黒髪。ぱっちりとした眼。ふっくらとした形の良い唇。整った顔立ちだが、今はその表情を暗く沈ませている。無理もない。身近にいた人間が殺されたのだから。
「この二人は山神さんと折留さん。山神さん、この方がマネージャーの波積深耶さんです」
雷華に紹介され、霧夜と柚羽は軽く頭を下げる。訝しげに首を傾げながら、女性も頭を下げた。
「誰だお前らは、って顔されてますね。安心して下さい、怪しい者じゃありませんから」
怪しい者が言いそうな台詞トップ3に入るであろう言葉だ。これを言われて安心できる人の方が少ないだろう。事実、マネージャーの深耶が、不審そうに霧夜を見る。
「あれ? なんで疑いの眼差しを向けられてるの? 怪しい者じゃないって言ってるのに」
不思議そうに頭をひねる霧夜に、柚羽と雷華の口から同時に溜息が零れた。
「所長、少しの間、引っ込んでいただいてよろしいですか。すみません波積さん、私たちは探偵業を営んでいる者です。実は、昨日湧宮さんからある相談を受けまして、その調査で本日貴女とお話させていただく予定でした。内密に調査をとのご希望でしたので、雑誌記者として楽屋にお邪魔する約束だったのですが、湧宮さんからお聞きになられてはいませんか?」
霧夜を押し退けて前に出た柚羽が、流れるような口調ですらすらと説明する。探偵と聞いた深耶の肩が一瞬ぴくりと動いた。
「探偵、さん、ですか。いえ、湧宮からは何も聞いていませんが……」
「被害者と別れたのが昨日の午後十時で、それ以降は会っていないのですよね?」
小さな声で柚羽の問いに答える深耶に、雷華が確認の意味を込めて訊ねる。
「はい。今日は十二時までに楽屋入りするように伝えていました。いつも早めに来て、遅刻するなんてことは一度もなかったので、わざわざ当日に連絡を入れたりはしないんです。ですが、今日は十五分前になっても来なくて……何度も携帯にかけてはみたんですが」
誰も出なかった。当然だ。携帯の持ち主はこと切れていたのだから。
マンションに行こうかどうしようか迷っていたところに、警察から連絡が入り慌てて駆けつけた、というのが深耶の言い分だった。
「被害者の携帯に貴女から着信が複数回あったことは確認しています。ところで、湧宮さんがどうして殺害されたのか、心当たりはありませんか? 例えば……そう、誰かに恨まれていたとか」
「いえ、それは……」
「隠し事はしない方がいいですよ。警察が調べればすぐに分かることなのですから」
俯いて言葉を詰まらせる深耶に、柚羽が淡々と言う。後ろで霧夜が「それ俺が言おうと思ったのに」と不満げに口を尖らせて零した。三十を過ぎた男のすることではない。
「もしかして、恨んでいたんですか? 被害者のことを」
「違います! 私は湧宮に恨みなんてありません。言い淀んだのは、その、ちょっと」
顔を上げて雷華を睨んだあと、深耶は気まずそうな視線を霧夜と柚羽に向けた。煌刃が探偵を雇った理由が知りたい、そんな顔をしている。だが、口に出して訊こうとはしない。隠し事をしているのは明らかだった。
「そっか、なるほどねー」
柚羽の後ろでいじけていた霧夜が、突然ぽんと手を叩いた。
「メッセージカードを贈ったのは波積さん、貴女なんですね」