偶然の脅迫状 5
雷華に案内された場所は、マンションの一階部分にある駐車場、その一番奥だった。すでに搬送されたあとのようで死体はなかったが、真っ赤なスポーツタイプの外国車と黒色のSUVの国産車の間に、乾いた血痕が生々しく残っていた。その周辺には、番号が書かれたプラスチック製のプレートがいくつも置かれており、鑑識課の制服を着た大勢の人間が写真を撮ったり指紋を採取したりしている。
「最初に確認しておきますけど、山神さんの言う湧宮煌刃とはこの男性で間違いありませんか?」
雷華がスーツの内ポケットから取り出した写真の顔を見て、霧夜は眉を顰めながら頷いた。
「表情は全然違いますけどね」
写真の男の眼は、かっと見開き、苦悶の表情を浮かべている。痛みに悶えながら絶命したであろうことは明白だった。
「それで、死因は何なんですか? これだけ血の跡があるってことは刺殺?」
「警察の公式発表を待って下さい。と言いたいところですが、そうです。検死はこれからですが、背中を複数回刺されたことによる失血死で間違いないみたいです。ちなみに、訊かれる前に言っておきますけど、凶器は見つかっていません」
霧夜が口を開きかけたのを見た雷華が、彼を手で制し、凶器についての説明を付け加えた。雷華の言うとおり凶器のことを訊こうとしていた霧夜は、以心伝心だったとだらしなく頬を緩める。
「私たち、昨日、湧宮さんにお会いしたのですが、いつごろ亡くなられたのですか?」
しまりがない顔になった所長を冷たく一睨みしてから、柚羽は雷華に視線を向けた。
柚羽も雷華のことが好きだ。といっても、もちろん恋愛感情を抱いているわけではなく、こんな女性になりたいという憧れのようなもので、彼女を前にしたからといって霧夜のように舞い上がったりはしない。
「検死官の所見では死後一時間くらいだそうよ。死後硬直も始まってなかったみたいだから。通報があったのが十一時三十四分、検死官が遺体を見たのが十二時過ぎだから、おおよそ十一時ってことになりますね」
死後硬直は死体がある場所の気温、死亡者の年齢にもよるが、およそ死亡から二時間で始まる。今は春で暑くも寒くもないから、単純に考えれば二時間以内ということになるのだが、検死官が一時間以内と言うからには別の根拠があるのだろう。死後数十分で死体下部に現れる、紫色の斑――死斑の状態で判断したのかもしれない。
「発見者はマネージャーですか?」
「いいえ、ここの住民です。その黒のSUVの持ち主の妻ね。ああ、赤いスポーツカーは被害者のよ。会社勤めの旦那が休日に使うことがほとんどで、自分が運転することは滅多にないけど、今日はたまたま遠出の用事があって、それで車に乗ろうとしたら、血だらけで倒れている男を発見したと、聞き取りした警官から聞いているわ」
その女性は殺害時刻には近所の歯医者にいて、確認も取れたから犯人ではないと雷華は締めくくった。
駐車場は、三台分のスペースが両側に六箇所、計三十六台の車が駐車出来る構造だ。スペースごとにコンクリートの壁で区切られているため、一番奥で倒れていた煌刃を見つけるには、彼の車と同じスペース、もしくはその向かいのスペースに車をとめている人間でないと難しいだろう。
後に警察がマンションの住民に聞き取りを行ったところ、第一発見者の女性よりも前に駐車場に行ったという人物が現れたのだが、何もおかしなところはなかったと証言したという。その人物が契約している駐車スペースは一番手前だった。
「それはさぞ驚いたでしょうね」
日常的に死に関わる職業についていない限り、死体を見る機会などそうそうない。ましてや、他殺体など一生に一回も見ない人間が大多数だ。第一発見者となった女性は、己が見たものを死ぬまで忘れられないに違いない。
「今は自室で休んでもらっています。そろそろこちらから質問したいんですけど、いいですか?」
雷華が腰に手を当てて霧夜を軽く睨む。怒った顔も可愛いと思いつつ霧夜は、こくこくと何度も首を縦に振った。
「ええ、ああ、はい、もちろんです。何でも訊いて下さい」
振っているのは首だけでなく尻尾もだな、と柚羽は呆れながらずれ落ちそうになったバッグを肩にかけ直した。
「では、被害者との関係は?」
「依頼人です。いや、でした、かな。昨日事務所に来たんですよ」
「依頼した内容は何だったんですか?」
「それが、彼は誰かに脅されていたみたいなんですよね。あ、これ公にはしないで下さいよ。一応守秘義務があるんで」
霧夜は携帯を操作し、脅迫状の画像を雷華に見せながら、昨日の煌刃とのやり取りと今日の行動についてを話す。三通の脅迫状は三人の別々の人間が作成したという、霧夜と柚羽の推理も付け加えて説明した。
「なるほど、それでここに来たんですね。分かりました、お二人は犯人ではないと信じることにします」
「ええっ、疑ってたんですか!? 俺が殺人なんてするわけないじゃないですかー」
「どんな可能性でも考えるのが刑事の仕事です。犯人は現場に戻ってくるって言いますしね。まあ、九割方冗談ですけど」
雷華はにこりと笑った。
「もう、冗談きついですよー」
焦ったじゃないですかと頭を掻いて笑う霧夜の隣で、一割は本気だったんですねと、柚羽が誰にも聞こえない声で呟いた。