偶然の脅迫状 3
三枚の紙を机に並べ、じっくりと観察する。
まず、『秘密をばらされたくなければ……』という金銭を要求する内容のメッセージカード。黒いインクで書かれた文字は、不自然に角張っており、筆跡を隠そうとしたことが窺える。おそらく定規を使用したのだろう。
次に『復讐してやる』と書かれた紙。こちらはA4のコピー用紙で、中央にパソコンで書いたと思われる文字が並んでいる。色は赤色。
そして三枚目には、一文字ずつ切り取った新聞紙で『殺す』。紙は『復讐してやる』と同じく、A4のコピー用紙。
「この三つはどこに置かれていたんですか?」
「えっと、三日前のカードは楽屋に届けられた花束の中。二日前のは家のポスト。昨日はジャケットのポケットに入ってた」
「ポケットの中に? では、入れることが出来る人は限られていそうですね」
「うーん、それがそうでもないんだよな。俺、よくジャケットをあちこちに置いてどっかに行っちゃうから。昨日も楽屋とか車とかに置きっぱなしにしてたし。一人で入ったレストランで、ジャケット脱いでトイレ行ったりもしたしね」
「なるほど」
つまり誰にでも機会はあったということになる。疑わしいのは、煌刃の行動を把握していた人間、つまり彼と親しい関係にある人物だが、決めつけるのは早計だろう。煌刃を尾行なり待ち伏せなりしていれば、彼が席を外した隙にジャケットに封筒を忍ばせるのは、そう難しいことではないはずだ。とはいえ、全くの無関係の人間が入れたとも考え難いが。
「これらを入れた人物に心当たりがありますか?」
「それが全然ないんだよ。誰かに恨まれるようなこともしてないし、ばらされて困る秘密もないし」
煌刃は大袈裟に肩を竦めて首を振る。脅迫されているにも拘らず、彼からは危機感が感じられない。これで嘘をついているとすれば相当の大物だが、それはないだろうと霧夜は判断した。ということは、彼は無意識に人に恨まれるようなことをしていることになるのだが――
「あり得る」
「何か言った?」
「あ、いえいえ、ただの独り言です」
手をぱたぱたと振って作り笑いをしながら、めんどくさい依頼だと霧夜は内心溜息を吐いた。
煌刃が名前を挙げてくれればその人物を調べるだけで済む。しかし、誰も思いつかないとなれば、まず誰がから調べなければならない。しかも、霧夜の予想が当たっていれば、この脅迫文を書いた人物は――
(ああ、断りたい)
霧夜はカップを手に取り口をつける。そうしてコーヒーを飲みながら、さりげなくこちらの様子を窺っている柚羽に視線を送った。
――断っていい?
――絶対に駄目です。
――えー、だってさ……
――い・い・か・ら、受けて下さい。
――……はい。
柚羽に睨まれた霧夜は、しゅんとなってカップを机に置いた。怒った彼女は鬼より恐ろしい。本人には口が裂けても言えないが、日頃からそう思っている霧夜である。雇用主と従業員という、至極はっきりとした関係であるのに、上下関係が破綻している二人なのであった。
「えーっと、では依頼内容はこれらの手紙を書いた人物を見つける、ということでよろしいですか?」
「うん、それでいいよ」
柚羽はさっと椅子から立ち上り、一枚の用紙を煌刃の前に置く。
「では恐れ入りますが、こちらに必要事項をご記入ください。分からない箇所は空白のままで構いません」
「ああ、申込用紙ね」
さらさらとボールペンを滑らせ、煌刃は用紙の空欄を埋めていく。少し癖のある丸みを帯びた文字だ。
「お住まいが二つあるんですか?」
住所が二つ記入されているのを見て、霧夜が訊ねる。
「上に書いたのは新居。下のは独身のときから借りてるマンション。テレビ局から近くて便利だから、解約せずに残してるんだ。はい、これでいいかな」
「ありがとうございます。問題ありません」
差し出された用紙を受け取り、柚羽は調査にかかる費用の説明をする。決して安い金額ではないのだが、煌刃はうんうん頷くだけだった。そして、最後に期限はどうするかと訊くと、「見つかるまで」と欠伸まじりに言ってのけた。依頼人の多くは、金額の高さから「まずは三日」や「とりあえず一週間」などと日数を指定してくるものだが、さすがは名の知れた俳優ということか。
「もういいかな? 撮影の休憩中に来たからそろそろ戻らないと。あ、それは預けとくから」
言いながら煌刃は立ち上り、キャスケットを被ってとサングラスをかけた。
「あ、ええ。貴方をよく知る人にお話を窺ったりしたいのですけど、構いませんか?」
霧夜もソファから腰を上げる。柚羽はすでに扉の前に立っていた。
「えっと、じゃあマネージャーかな。明日は昼からテレビ局にいるから来てくれていいよ。でも探偵だってことは絶対に言わないように。そうだな、雑誌記者ってことで。受付にもそれで話を通しとくから」
「分かりました。それと、あと一つだけ」
「何?」
「今日は届いていないのですか?」
「見てないね」
そう言って煌刃は柚羽が開けた扉から出て行った。きいぃぃ、と甲高い音をたてて扉が閉まる。
霧夜は再びソファに身体を沈めると、盛大に溜息を吐きながら依頼人が置いていった脅迫文を眺めた。
「厄介な依頼引き受けちゃったなぁ」
「差出人が三人いるからですか?」
「やっぱりキルちゃんも気付いてたんだ」
恨みがましい視線を送るが、柚羽は素知らぬ振りで煌刃が書いた申込用紙をファイルに挟む。はぁ、と霧夜はまた溜息を吐いた。
優秀な秘書が言った通り、三通の脅迫文を書いたのはそれぞれ別人だろう。手書きにパソコン、新聞紙の貼付と、一貫性がなさすぎるし、何より三日の間に金銭の要求が殺意に変わるなど不自然極まりない。三日連続というのが単なる偶然なのか、犯人同士が結託しているのかは不明だが、犯人が三人いるというのは間違いない。つまり、三倍の手間がかかる。
「めんどくさい。けど、やるしかないかー。キルちゃん、ネットで彼の交友関係調べてくれる?」
「もうやってます」
「そう。じゃあ何か分かったら教えて。あとビニール袋ちょうだい。これ、入れとかなきゃね」
「台所の棚に入ってますから、ご自分で取って来て下さい」
「……はい」
柚羽に一蹴された霧夜はソファから立ち上がり、とぼとぼと簡易キッチンへと向かう。棚の中から目的のものを見つけて戻ってくると、キーボードを叩いていた手を止めて柚羽が何か言いたそうに霧夜を見ていた。
「どうかした?」
「いえ、どうしてさっき湧宮さんは、自分をよく知る人物に、奥さんの名前を挙げなかったのだろうかと疑問に思いまして」
「さあねえ。一緒にいる時間が妻よりもマネージャーの方が長いからじゃないの? 気になるんだったら明日訊いてみたら?」
「……そうですね」
柚羽は頷いて止めていた手を動かし始めた。霧夜は携帯で写真を撮ったうえで、ビニール袋に脅迫状を入れた。
二人とも予想もしていなかった。湧宮煌刃と二度と話が出来なくなることを。
次の日、彼は死体となって発見された。