いろ、色、イロ 16
「いやあ、楽しい時間を過ごさせてもらってありがとうございました。俺はこれで帰りますね。ミドリさんも一緒に帰ります?」
スツールから立ち上がった霧夜は、同じく席を立ったミドリに手を差し伸べた。しかし、彼女はその手を取ることなく、カードを見たまま茫然自失の状態で固まっている柳を睨みつけた。
彼の前に並んでいるカードは、クラブのジャック、スペードのジャック、クラブの5、ダイヤの3、ダイヤの2。対する霧夜が台に並べたカードは、クラブの2、ハートの1、それとスペード、ダイヤ、ハートの三枚のクィーン。幸運の女神ならぬ幸運の女王が、霧夜に微笑みかけていた。
「もう二度と、金輪際、永遠に、私に近づかないで下さいね。このハゲ!」
ふんっ、と鼻息荒く、ミドリは靴音を響かせて部屋から出ていく。柳の髪は豊富にあり、今のところ頭皮が見えそうな気配はない。面白い捨て台詞を吐く子だなと、霧夜は少しミドリという人間に興味がわいた。
「チップは次まで預けておきます。あ、そうだ、これ。今日楽しませてもらったお礼によかったらどうぞ」
上着の内ポケットから小さなメモ用紙を取り出し、台の上に置く。
「明日の午前一時に行ってみてください。手順も書いてあります。貴方の望みを叶えてくれると思いますよ。――多少の代償は必要かもしれませんけど。じゃ、失礼します」
片手をポケットに突っ込み、ひらひらと手を振って霧夜は仕切りカーテンをめくり外に出る。ちらりと後ろを振り返ると、霧夜が置いたメモ用紙に手を伸ばす柳の姿が見えた。
出口に向かいながら視線を巡らせ柚羽を捜す。彼女はバーカウンターに座っていた。視線が合うとさっと立ち上がり、霧夜に近づき腕をからませる。
「どうでした?」
「一瞬焦ったけど、まあ結果オーライって感じ? 彼女は?」
「もう出ました。タクシーで事務所に向かうよう言ってあります」
「そ。じゃあ俺らも帰ろうか。タキシードは肩が凝って仕方ないわ」
「バーカウンターで隣にいた男性があまりにしつこくて、顔にカクテルをぶっかけようかと何度も思いました」
誰に聞かれても問題ない雑談を交わしながら、霧夜と柚羽は金と欲望の渦巻く遊技場を後にした。
表通りに出てタクシーを拾う。雑居ビルに着いたときには、日付が変わろうとしていた。
三階の事務所には明かりが点いており、中に入るとミドリと豪生が向かい合って応接ソファに座っていた。
「二人ともお帰りなさい。いま簡単にミドリから話を聞いていたところよ」
「山神さん、折留さん、本当にありがとうございました」
霧夜と柚羽を見てぱっと立ち上がったミドリが深々と頭を下げる。
「ま、依頼だからね。気にしないでいいよ。キルちゃんコーヒー入れてー」
上着を机に放り投げ、霧夜は自分の椅子にどかりと腰を下ろした。首を回すと、ごきっ、と骨が鳴る音がする。
「分かりました」
簡易キッチンに入っていった柚羽は、しばらくして人数分のコーヒーを淹れて戻ってきた。香ばしい匂いに場の空気が和む。
失敗のできない一発勝負の作戦だっただけに、緊張を強いられはしたが、計画通りにことが進んだ。最後の仕上げが残ってはいるものの、概ね成功したといっていいだろう。
「カイチが死んでから心休まる時間がなくて疲れ切ってるだろうけど、あんたには行ってもらわないといけないところがある。どこかは分かるわね?」
コーヒーを飲んで落ち着いた表情になっていたミドリの顔が、さっと強張る。
「墨田組、ですね。はい、覚悟は出来ています」
膝の上で重ねた手を強く握りしめたミドリは、豪生の顔を見てしっかりと頷いた。
「ま、そんなに構えなくてもいいわよ。あたしも一緒に行ってあげるから」
「え、いえ、でも……」
「ついてってもらいなよ。カイチ君から聞いてるかもしれないけど、そう見えてリンジーは元|黄燐会≪こうりんかい≫の幹部だから。墨田組の組長とも顔見知りみたいだし」
戸惑うミドリに霧夜が豪生の過去を話す。豪生とカイチは知り合いだったのだからミドリとも面識があるかと思ったが、どうやら初対面らしい。カタギになった豪生にカイチは遠慮したのかもしれない。
「そう見えてって、どう見えるっていうのよ」
説明のされ方に不満があるらしく、豪生が紫色のアイシャドーをひいた眼で睨んできた。
「少なくとも見目麗しくはないだろ」
「んまあっ、失礼しちゃうわ! 毎日お肌のお手入れは欠かさずしてるのよ!」
「そういう問題じゃない」
「あの……」
言い合う二人の間で、ミドリがおずおずと口を開く。一人黙々とコーヒーを飲んでいた柚羽が、すぐに反応を示した。
「どうされました、ミドリさん」
「この方は、探偵さんではないのですか?」
「…………」
「…………」
「…………」
三人は無言で顔を見合わせ、そしてきょとんとしているミドリに視線を移した。
「天然?」




