いろ、色、イロ 14
黒いワンピースの女性――ミドリはアタッシュケースをポーカーの台の上に置くと、一瞬だけ霧夜に視線を向けてからケースを開いた。中には一万円札の札束が行儀よく並んでいる。
「きっちり五千万あります。なんだったら数えてもらっても構いません」
「おい、お前なに勝手に入ってきてるんだ! ここは――」
突然のミドリの登場に反応が遅れた黒服が、慌てて駆け寄ってきて彼女を連れ出そうとする。しかし、ミドリは掴んでこようとする黒服の手を払いのけた。
霧夜は音を出さずに口笛を吹く。清楚で大人しそうに見えても、肝は据わっている。伊達に墨田組組長の情婦をしていたわけではないということか。
「サングラスの人は引っ込んでて下さい。私は柳さんと話しているんです。というか、私をここに呼びつけたのは柳さんなんですから、文句を言われる筋合いはありません。そうですよね?」
最後の言葉は柳に向けられていた。
「あ、ああ。お前は下がっていい」
毅然としたミドリの態度に、ややたじろぎながらも柳は黒服に手を振った。何か言いたそうな顔を見せた黒服だったが、すぐに表情を戻し、頷いて壁際に下がっていった。
「来てくれて嬉しいよ、ミドリ。ほんの冗談のつもりだったんだけど、本当に金を用意するとはね。でも、この金は君のものではないだろう?」
柳は台に端に片手を置いて、もう片手で前髪を掻き上げる。なかなか様になっているとは思うのだが、先ほどまで顔を青くしたり赤くしたりしてサイコロを振っていたのを間近で見ていた霧夜の眼には、彼の仕草は滑稽にしか映らなかった。
「それが何か? 貴方は私を手に入れるために、私の恋人にイカサマ勝負をけしかけ、彼は五千万負けた。いえ、イカサマだったかどうかなんてもうどうでもいい。とにかく、彼が負けた五千万を持ってきた。それで問題ないでしょう?」
「いや、問題はあるよ。墨田組はこの金を必死に探している。私が持っていると知ったらきっと取り返しに来るだろう。そうなったら私の手元には何も残らなくなってしまう」
「誰にも話さなければいいだけです」
「それはそうだけど、ついうっかり口が滑ることもあるからね」
ついうっかりの部分を強調して柳は札束を撫でた。ミドリが持ってきた金には価値がないと言っているのだ。
高級クラブで働いていたミドリに一目惚れした柳は、偶然を装ってカイチに近づき、上手いこと言ってこのカジノに連れてきた。そして五千万もの大金を借金してしまったことに途方に暮れる彼の耳元でこう囁いた。「ミドリを差し出せば借金を帳消しにする」と。
ミドリは行くと言った。しかし、カイチは頷かなかった。ハメられたとはいえ、ミドリを渡すことだけは絶対に出来なかった。苦悩の末、カイチは組の金を盗んだ。柳に金を渡したあと、どうするつもりだったのかは、彼が死んでしまった今、誰にも分らない。だが、カイチが組とミドリを天秤にかけ、ミドリを選んだことだけは確かだ。だから、ミドリはここに来た。カイチの遺志を継いで、柳と対峙するために。
そして、彼女の思いを聞いた霧夜たちもまた、同じ思いで来ている。
「すいません、お取込み中に。ちょっといいですか? 随分と面白い話をしてますね。どうでしょう、この場に俺がいたのも何かの縁。俺にも一枚噛ませちゃもらえませんか?」
頃合いを見計らい、チップをいじりながら霧夜が口を挟む。
「すみません、山神さん。これは私と彼女の問題でして。申し訳ありませんが――」
「面白半分で首を突っ込もうとしないで下さい! 私の一生がかかっているんですから。それともなんですか。そのチップを全部くれるとでも言うんですか」
柳の言葉を遮り、ミドリが霧夜に食って掛かる。打ち合わせ通りなのだが、柚羽に演技指導されたのかと思うほど迫力があった。
「え、えっと、貴女の気分を害するつもりはなかったんです。謝ります。ちょっと気が大きくなってたみたいで。チップですか? いいですよ、全部あげます」
「え? ええ?」
ミドリがくりっとした眼を限界まで見開いて驚く。演技しているようには見えない。それはそうだろう。突然初対面の人間に一億以上の金をあげると言われれば誰だって驚く。
「何を言っているんですか、山神さん。貴方、正気ですか」
「正気も正気、大正気ですよ。俺は美人の味方ですから。柳さんも人を金で買おうとするなんていけない人だなあ。心までは買えないんですよ?」
グラスを指ではじくと、琥珀色の液体がゆらゆらと揺れた。霧夜が自分で銘柄を指定したブランデー。だが、まだ一度も口をつけてはいない。
「でもまあ、柳さんが納得できないのも分かります。だから、賭けをしましょう」
「賭け?」
「そう。一回限りの賭け。俺はこのチップ全部と貴方が欲しがっている情報を、柳さんはそちらの女性、ミドリさんでしたか? を賭けるんです。ここはカジノだ。物事を運に任せてみてもいいんじゃないですか?」
「…………」
柳は腕を組んで眼を閉じた。頭の中で忙しなく損得計算をしているのだろう。ミドリがちらりと霧夜に視線を向ける。安心させるように口もとに微かに笑みを浮かべて、黒服に気付かれないよう霧夜は小さく頷いた。同じようにミドリも頷き返す。
「……いいでしょう。何で勝負しますか?」
計算が終わったようだ。柳はギラついた眼で霧夜を見た。
「そうこなくちゃ。俺はチンチロリンでいい――」
「ポーカーです!」
「ええっ!?」
ミドリの発言に、今度は霧夜が演技ではなく驚いた。




