いろ、色、イロ 12
霧夜の言う“面倒ごとを引き受けてくれる女”とは、何のことはない、柚羽のことだ。給料を払い探偵助手から雑用まで幅広い仕事をしてもらっているし、足を引っかけられて地面と激突したのも事実。お前を殺すというのは、折留柚羽が“キルユー”とも読めるから。決して嘘はついていない。ただ少しばかり大げさに表現したに過ぎない。
話を聞いてどんな人物を思い浮かべるかは個人の自由だが、柳は“面倒ごとを引き受けてくれる女”を裏の人間だと判断したらしい。平静を装ってはいるものの、頭の中では霧夜からどう情報を引き出そうかと忙しく策を巡らせているであろうことが、彼の表情からは見え隠れしていた。
第一段階はクリア。へらへらした笑みを浮かべて再び回り始めるルーレットのホイールを見ながら、霧夜はシャンパンを飲み干した。今ごろ柚羽がミドリに状況の説明をしているだろう。終われば携帯に連絡がくる。霧夜の役目は、それまでの間に柳の興味を自分に向けさせることだ。
カジノ経営のような裏の仕事をしていれば、どうしても裏社会の人間を頼らざるを得ない部分が出てくる。しかし、ヤクザとの繋がりを隠したい柳にとって、積極的に黄燐会に頼みたくはないはずなのだ。対等な関係を築けているうちはいいが、もしも関係が崩れたとき、立場が弱くなるのは眼に見えている。
だから、組織などに属していない金だけで動く人間を欲しているのではないかと考えたのだが、霧夜の勘は見事に当たっていた。
「ここで一発大穴を当てて、彼女の機嫌でも取ろうかと思ったんですけど、いやはや、なかなか思い通りにはいかないものですね」
両手を上げて首を振って見せる。賭けたくても賭ける金がないから思い通りにはいかないわけなのだが、柳は霧夜が負け込んで金が無くなったと思ったようで、心底申し訳なさそうな顔になった。
「お楽しみいただけなかったようでとても残念です。どうでしょうお客様――そういえばまだお名前を伺っていませんでした」
「ああ、俺は山神っていいます。仕事は、まあ手広くしてるから何でも屋かな」
依頼内容によって役目が変わる探偵は、何でも屋と言えなくもない。
「山神さんどうでしょう、奥に特別な台を用意しているのですが、遊んでいかれませんか」
「いやでも、もうすっかり財布が薄くなってしまいましたから」
すっかりもなにも、財布がぶ厚かったことなど数えるほどしかない。
「いえいえ、チップは必要ありません。山神さんに賭けていただくのは、情報です」
「情報ですか? 柳さんの方が情報通でしょう。コンサル会社の社長さんなんだから」
「表の情報には確かに多少は通じていますが、私が求めているのは……これ以上は言わなくても分かっていただけますね」
さっぱり分かりませんね。と、口にしたいのを堪え、霧夜は曖昧な笑みを口もとに浮かべる。獲物は餌に食いついた。あとはしばらく泳がせて、釣り上げるだけだ。
「ふうん、ま、構いませんよ。面白そうだし」
「ありがとうございます。ではこちらにどうぞ。お飲み物は何がよろしいですか」
「そうだねえ、シャンパンはもう飽きたし、コニャックをお願いしましょうか。リシャール・ヘネシー、あります?」
「もちろんです」
柳はにこやかに応じて霧夜からグラスを受け取り、近くにいたウェイターに指示を出した。
このような場所で焼酎水割りなどとはさすがに言えず、咄嗟に唯一知っている高級ブランデーの名を挙げたのだが、あって良かったと霧夜は心の中で安堵の溜息を吐いた。柚羽であればワインの銘柄をすらすら言えるのだろうが、普段ビールしか飲まない霧夜に、洋酒の知識は全くなかった。何故リシャール・ヘネシーを知っていたかといえば、いつも見ているドラマに出てきたからだ。毒殺の凶器として。
「山神さんは和と洋、どちらがお好きですか」
「和、ですね。日本人ですし。トイレは洋式派ですけど」
「は?」
「ああ、いえ、気にしないで下さい。独り言ですから」
笑いを噛み殺しつつ霧夜は手を振ると、柳は首を傾げながらも歩き始めた。
会場の一番奥にある、ぶ厚い黒いカーテンをくぐると、そこはポーカーの台が置かれた小部屋になっていた。シャンデリアの照明は豪華だが、装飾品と呼べるものはそれだけで、至ってシンプルな部屋だ。台に備え付けられたスツールは三脚。三人以上の客は入れないということか。裏カジノの更に裏の場所。人には言えない取引をするのにこれ以上ふさわしい場所もないだろう。
「鬼が出るか蛇が出るか――楽しみ楽しみっと」
誰にも聞こえない声で呟く。ここからが本番。この賭けに勝たなければ、柚羽と立てた計画が泡と消えてしまう。
「一通りのものは揃えてありますが、何にしましょう?」
「俺が決めていいんですか? ――じゃあ、チンチロリンで」
そう言って霧夜はサイコロを振る真似をし、真ん中のスツールに腰を下ろした。




