いろ、色、イロ 4
「いやだなあ、分かってますよ。じゃあ連絡待ってますからお願いしますね」
にやけた顔で霧夜は受話器を置いた。切る寸前に特大の溜息が聞こえてきた気がしたが、深呼吸でもしたのだろう。
「迷惑そうにされたのではないですか?」
柚羽の問いに、ちっちっちっと人差し指を振る。
「担当外のことは知らないって言われたけど、でも調べてくれるってさ。優しいよねえ」
「電話を早く切りたかったんでしょうね」
「ん? キルちゃん何か言った?」
「いいえ、何も」
柚羽は首を振ると霧夜に向けていた視線を、机上のパソコンに移した。
霧夜が電話越しに話していた相手は、刑事の紫悠雷華だ。カイチが死亡した事故の詳細を訊いていた。雷華の所属は、主に殺人事件を取り扱う捜査一課。本来であれば雷華に訊くべきことではないのだが、霧夜は嬉々として彼女の携帯に電話をかけた。好きな女性と話す機会を逃すわけにはいかないからだ。しかし、霧夜の行動は得てして逆効果となる。今回もまた、事件の捜査で駆け回っている雷華を苛立たせる結果となった。もっとも、霧夜は彼女が苛立っているとは露ほどにも思っていなかったが。
「それにしても、ヤクザからの依頼を受けることになるとはねえ。キルちゃんがあんなこと言ったからじゃないの?」
本日二杯目の牛乳たっぷりコーヒーをずずずっと音を立てて飲みながら、霧夜は恨めしそうに柚羽を見た。
『会社員でも主婦でもヤクザでも前科持ちでも構いませんから』
ハクを連れて豪生が来る前に柚羽が言った台詞だ。誰でもいいからという意味だったのだが、まさか本当にヤクザが依頼に来るとは。瓢箪から駒が出ることもあるのだなと柚羽も少し驚いた。が、その驚きはパソコンの画面にある“-”という記号にすぐさまかき消された。ヤクザだろうがお客様は神様だ。
「依頼料はきちんと払っていただけそうですから、問題はないと思います。それより……リンジーさんは本当に黄燐会の方だったのですね」
「俺の身の危険の心配は、なし? ……そっか、キルちゃんはリンジーの現役時代を知らないのか。あいつは裏の世界じゃ、そりゃあ恐れられてたよ。黄燐会の番人とか呼ばれてて、西の方でもその名が知られていたらしいから。ま、俺もあんまり詳しくは知らないけど」
がっくりと項垂れた霧夜だったが、すぐに立ち直った。柚羽が冷たい態度を取るのはいつものことだからだ。
「どうして足を洗われたのでしょうか」
「本人は飽きたからだって言ってたな。でも、さっきの様子だといつでも復帰できそうだねえ」
つい十五分前に繰り広げられた光景を思い出し、霧夜は眉尻を下げて溜息を吐いた。パソコンから眼を離し柚羽も頷く。
「確かに……凄い迫力でした」
ふざけた態度を取る霧夜に殴りかかろうとした男たちを、豪生はたった一言で止めた。チンピラのような、ただ威勢がいいだけの大きな声ではなく、凄みを効かせた、本物の極道の声。数分前まで女言葉で話していたとはとても思えない迫力のある声だった。
事務所の扉いに背を向けて座っていた豪生は、ソファから立ち上がり、ハクを掴んだままでいる桃井に眼を向けた。数秒の間の後、桃井の顔は面白いほどに青くなっていった。ド派手な化粧をしていても、豪生が誰であるか分かったらしい。
「墨田の親分さんは元気にしてるかい」という豪生の言葉に、桃井は額に脂汗をびっしり浮かべて頷くしか出来なかった。そして、彼の身体は裸で北極にいるかのように激しく震えていた。「あんまり組の名を落とすことしてると――」どうなるか分かっているだろうな。
言い終えるころには、桃井たち四人の姿は事務所から消えていた。
呆然とした様子のハクにミドリの写真を出させ、それを霧夜に渡した豪生は、「じゃあお願いね。後でまた来るから」といつもの調子で去っていった。
「キャラが違いすぎだろ。ったく、面倒事を持ち込みやがって。消えた女と金を捜せって言われてもなあ。それもヤクザよりも先にだとか、無理難題言い過ぎでしょ」
「やるしかありません。もう依頼料の前金はいただいてしまいましたから」
ミドリの写真と一緒に、ハクはくしゃくしゃになった封筒を置いていった。中には一万円札が五枚、入っていた。おそらく豪生に渡すつもりで持ってきたのだろう。だが、渡す前に彼に殴り飛ばされ霧夜の事務所に連れてこられてしまい、探偵を雇うための金に変わってしまった。
出どころは、もしかしたらあまり褒められたものではないのかもしれない。しかし、くしゃくしゃになった五枚の万札からは、ハクの思いが伝わってくる気がした。
「はぁ、しょうがない。やるしかないか」
霧夜はマグカップに残っていたコーヒーを勢いよく飲み干した。
依頼人の思いに応える。相手が誰であれそれは変わらない。変えてはいけないのだ。それが探偵の仕事、探偵の本質なのだから。




