いろ、色、イロ 3
「そのカイチって男はいくら持って逃げたんだ?」
肩越しに振り返って机の上にあるマグカップを取りながら霧夜が尋ねる。
「五千万、っす」
ぶっ、と霧夜は飲みかけたコーヒーを盛大に噴き出した。げほげほむせる彼に柚羽と豪生の冷たい視線が刺さる。
「かなりの大金ですね。何に使うつもりなのでしょうか?」
当然の疑問。だが、答えられる者は誰もいなかった。豪生は肩を竦め、ハクは顔を歪めて首を振る。
「あんたはカイチと親しかったんだろ。何か聞いてないのか? いや、ちょっと待て。あんたさっきミドリを捜してくれって言ったな。なんでカイチじゃなくてミドリなの?」
気管に入ったコーヒーの排除が終わった霧夜が問いかけると、ハクは急に元気を失い視線を床に落とした。
「それは……」
「カイチはもう死んでるからよ」
言いよどむハクの代わりに、豪生が口を開いた。さすがの彼も神妙な顔をしている。
「死んだ? 殺されたのか?」
墨田組に見つかり制裁を受けたのか。今までの話の流れから霧夜はそう思った。だが、答えは否だった。
「事故死よ。墨田組の奴らに殺されていたら、ハクがあたしのところに来ることもなかったでしょうね」
なるほど。墨田組がカイチを見つけ、金を回収したうえで殺したのだとしたら何の問題もない。一般常識的には大有りだが、墨田組にとっては万事解決、めでたしめでたしとなる。
それが事故死ということは、つまり、
「カイチが死んで金の在処が分からない、と。んで、それを知っているのがミドリって女で、墨田組が血眼になって捜している。気が立ったヤクザは何をしでかすか分かったもんじゃない。彼女の身が危険だから墨田組よりも前に見つけて欲しい――こんなところか」
確認するように霧夜が豪生に視線を送ると、彼はぱちぱちと手を叩いた。
「さすが霧夜ちゃん、お見事。仕事がなくてテレビばっかり見てても頭は鈍ってないみたいね。そうなのよ、まったく困った厄介ごとを持ってきてくれちゃってね。さっき店で話を聞いたときは、一瞬我を忘れちゃったわ」
「一言余計だっての」と舌打ちして、霧夜はコーヒーを口に含んだ。
豪生が“一瞬我を忘れた”結果、ハクの左頬が膨れ上がる事態になったのだろう。
「ごう……リンジーさんには本当に申し訳ないと思ってます! でも他に頼れる人がいないんです。金もミドリさんも消えてしまって組は大騒ぎです。組員全員に招集がかかって、ミドリさんを死にもの狂いで捜してます。このまま金が見つからなければ、墨田組が黄燐会から制裁を受けることになりますから。それがどれだけやばいことなのかは分かってます。でも、俺はアニキが組を裏切ったなんてどうしても信じられないんです!」
そこまで言うと、ハクは膝を折って床に手をついた。
「お願いします! 金はいくらでも払います! 何年かかっても必ず払います! だから、ミドリさんを見つけて下さい! 俺は理由が知りたいんです。アニキが組の金を持ち出した理由が、アニキが死んですぐにミドリさんが姿を消した理由が。お願いし――」
必死に喋っていたハクの動きがはっと止まった。扉の外から荒々しい靴音――それも複数――が聞こえてくる。と、同時に獣が唸っているような叫び声がした。
「ハァァクゥゥ! どぉこぉだあぁぁ!」
ばんっ! と扉が、外れそうな勢いで開く。見るからに善良な市民ではない出で立ちの男が四人、殴り込みにでも来たような雰囲気で入ってきた。ハクの顔色がさっと変わる。
「も、桃井の兄貴、ど、どうしたんすか」
「どうしたんだじゃねえだろ。てめえを捜しにわざわざ来てやったんだよ。オヤジが呼んでるんだ、とっとと来やがれ」
桃ではなくパイナップルを素手で握りつぶせそうな角刈りの男は、これぞ暴力団という眼でハクを睨みつけた。ハクが兄貴と言ったことからも四人は墨田組の組員だろう。
「え、は、はい。あ、いや、すぐ行きますから、あと五分待ってもらえないですか」
ハクの言葉に桃井の額に血管が浮き上がった。床に膝をついていたハクの胸ぐらを掴み、力ずくで引きずり上げる。
「ハク、てめえいつから俺に口答えできるようになったんだ、あぁん?」
「すっ、すいま、せんっ、した」
「その辺にしといてあげれば。彼、息ができてないみたいよ?」
殺気すら立ち込める緊迫した状況にも拘わらず、霧夜は緊張感の欠片もないのほほんとした声で止めに入った。
「んだこら! 部外者はすっこんでな!」
桃井の後ろにいた三人のうちの一人が怒声を発する。殺気が膨れあがるのは当然の結果と言えるだろう。しかし、霧夜は平然と言葉を返した。
「いやいや、部外者はあんたらの方でしょ。ここ俺の事務所だし」
「がたがたうるせえ! ぶっ殺されてえのか貴様!」
「ああやだやだ、すぐに暴力に訴えようとする。あ、だから暴力団って言うのか」
「所長、なに呑気に感心しているんですか」
柚羽が冷静に突っ込みを入れる。彼女もまた霧夜同様、普段通りの態度を崩していなかった。
「ふざけやがってえぇっ!」
桃井以外の三人の男が、顔を真っ赤にして霧夜に向かってくる。しかし、霧夜は一歩も動こうとはしない。
「そこまでにしな!」
墨田組の動きを止めたのは、彼らが入ってきてからずっと沈黙をたもっていた豪生だった。




