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偶然の脅迫状 1

「人は恋に落ちた瞬間、嘘つきになる」

             アメリカの作家 ハーラン・エリスン

『――いま申し上げた条件に当てはまる人物はたった一人しかいません。そう、貴女だけなのですよ』


『……その通りです。私が殺しました。許せなかったんです、私の人生をめちゃくちゃにしたあいつが!』


『詳しい話は署で聞きましょう。いやー、噂通り見事な推理でしたな。それで、次はどこに行かれるのですか?』


『風の向くまま気の向くまま。また、どこかでお会いしましょう』



「行く先行く先で事件に出くわすなんて、呪われてるとしか思えないけど……キルちゃんどう思う?」


 最近人気の女優が出演している化粧品のコマーシャルを眺めながら、霧夜はふわぁと欠伸した。

 季節は春、時刻は昼過ぎ。窓から差し込む暖かな日差しのせいで、ついついまぶたが重くなってくる。

 ここは、都内にある築三十年は過ぎている、年期の入った五階建てビルの三階。二つある扉のうち、一つには借り手がおらず、不動産会社の名前と電話番号が書かれた紙が貼られている。そして、もう一つの扉には簡素な看板が掲げられていた。

 山神やまがみ探偵事務所。

 だらしなくネクタイを緩めた姿で、机に両肘をついてテレビを見ている男、山神やまがみ霧夜きりやがこの事務所の所長だ。現在三十二歳、独身。

 長い前髪と垂れた細い眼、ぼやーっとした顔が特徴として挙げられるだろう。ごく稀にきりっとした顔つきになるのだが、たいていは炭酸の抜けたソーダのような締まりがない表情をしている。


「どうも思いません。テレビドラマです。そんなこと考える暇があるなら仕事の一つでも拾って来て下さい。浮気調査でも猫探しでも、何でも構いませんから」


 斜め前に置かれたシンプルなワークデスクに姿勢よく座り、銀縁の眼鏡の奥から霧夜を冷たく睨んでいるのは、霧夜の助手であり唯一の所員である祈留おりとめ柚羽ゆずは、二十四歳。

 赤茶色に染めた肩にかかる長さのさらりとした髪、切れ長の眼に小さな形のよい唇。グレーのタイトなスーツに身を包んだ彼女は、可愛いというより美人という表現が相応しい。

 半年前に職探し中に、とある事件で霧夜と知り合い、流れと勢いで働くことになったのだが、彼のやる気のなさっぷりに再び職を探すべきかどうか最近真剣に悩んでいる。


「それと、何度も言いますけど、その殺人鬼みたいな呼び方やめて下さい」


 霧夜は柚羽のことをキルちゃんと呼ぶ。理由は単純かつ明快。呼びやすいから。いくら柚羽が抗議しても、彼はこの呼び方を気に入っていて変えるつもりはない。

 今も「あー、喉渇いたな」と再び大きな欠伸をしながら、聞こえない振りをして椅子から立ち上り、隣の部屋にある簡易キッチンへと消えていった。


『次回、消えた宝石と少女の涙! 来週も風来ふうらい探偵をお楽しみに!』


 テレビからは霧夜が見ていたドラマの次回予告が流れいる。

 ドラマのように毎週決まって依頼人が現れてくれればいいのに。無理だと分かっていてもそう願わずにはいられない柚羽だった。

 

「どうしてこの事務所が八年も続いているのか、理解不能だわ」


 依頼人など多くても月に二人だ。ゼロという月もあった。なのに、何故この事務所は潰れないのだろうか。もしかして、所長は裏で何か非合法な商売でもしているのか? などと柚羽が整った顔を顰めて考えていると、事務所の扉がノックされた。

 柚羽は無機質な灰色の扉を開けに入口へと向かう。依頼人だという期待はしていない。この事務所を訪ねてくる人間は、依頼人よりも怪しい宗教勧誘や集金などの方が遥かに多いからだ。


「はい、どちら様で――」


 柚羽が開ける前にがちゃりと扉が開き、金色の髪をした人間が身体をくねらせながら入ってきた。


「はぁい、霧夜ちゃん。元気ぃ?」


 鼻にかかった甘い声。ただし、上品な甘さの高級菓子ではなく、大量の砂糖が入った健康に害がありそうな菓子を連想させる。その声を聞いた途端、簡易キッチンでコーヒーを入れていた霧夜の顔が、食中毒になったかのように歪んだ。


「こんにちは、リンジーさん。どうかしましたか?」


 柚羽が応接ソファに促すと、来客者は嬉しそうにその身を沈めた。

 どこで購入したのだと訊きたくなる、真っ黄色のジャケットにヒョウ柄のパンツを完璧に着こなしているその人物の名は、リンジー。と言っても外国人ではない。れっきとした日本人だ。本名は輪寺わのでら豪生ごうき

 名前からも分かるように、生物学上も見た目も男性。しかし、心はそうではない。

 正確な年齢は不明だが、霧夜よりも上なのは間違いない。彼女、いや彼に年齢を訊いた人間は、ことごとくコンクリートで固められ海に捨てられるらしい、というのは彼を知る人間なら誰でも知っている噂。普通なら冗談だと鼻で笑うだろう。だが、彼の場合は冗談ではない可能性が十分にあった。

 何故なら、輪寺豪生という人物は普通とは言い難い経歴の持ち主なのだ。


「今日も可愛いわね、柚羽ちゃん。霧夜ちゃんいるかしら」


「リンジーさんも素敵ですよ。所長ならキッチンでコーヒーを煎れています」


「んもう、コーヒーなんてアタシの店で飲んでくれればいいのに」


 豪生は厳つい顔ながら可愛らしく頬を膨らませ、ジャケットの内ポケットからメンソールの煙草を取り出した。兎の絵が描かれたオイルライターで火を点け、ふぅ、と紫煙を吐き出す。煙草を挟む彼の指先には、どぎつい色のネイルアートが施されていた。


「節約してるの。依頼がないから」


 牛乳を入れたコーヒーをスプーンでかき混ぜながら霧夜がキッチンから姿を現す。そして自分の机に戻ると、しぶしぶといった感じで視線をソファに座る豪生に向けた。

 豪生はビルの一階で“セカンド”という名前のカフェバーを営んでいる。目立つ場所にあるわけではないのに、客足はそれなりにあるようで経営は順調。年中閑古鳥(かんこどり)が鳴いている山神探偵事務所とは月とすっぽん、天と地ほどの差がある。


「チラシを入れたティッシュでも配ってみたら? ああ、そうそう、そういえばこの間、店に来たお客さんがね、警察官に一目惚れしたらしいんだけど、どうやって声をかけようって頭抱えて悩んでたわ。霧夜ちゃん、解決してあげたら?」


「リンジーさん、それは探偵の仕事ではありません」


 デスクに戻った柚羽が、豪生に冷静な突っ込みを入れる。


「いいじゃない別に。恋のキューピッドって素敵だと思うわ」


「そう思うんならリンジーがやればいいだろ――」


 こんこんこん。また事務所の扉が叩かれた。

 一日に二回も来客があるとは珍しい。今度こそ勧誘か集金かなと思いながら、柚羽は灰色の扉を開けた。

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