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Spica  作者: 新良瀬 むすび
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上・下じゃ一話一話が長すぎるので、短く区切ることにしました。

 星の名前を追いかけるようになったのは、来年の冬に控えたセンター試験に教務がうるさくなってくるあたりの、高校三年の春だった。その時期は桜が散ったころだというのに妙に毎日が寒くて、俺は半ば暖を求める目当てで図書室に籠るようになっていた。

 部活にも所属せず、ただ周りに流されるままこの二年間を過ごしていたのだけれど、何故か図書室通いだけはやめなかった。暖を求める目当て、と今言ったけれど、もう半分は単純に図書室の本が長い時間を吸い尽くした後に出来る官能的な香りが好きで、自然と足を踏み入れていたこともまた事実になる。毎日のように通っていたのだから、やがて司書の有希子さんも俺の顔を覚え、毎日のように冷めた声で絡んでくる。

「伊坂幸太郎の新刊入ったよ。あんたがリクエストしてたやつ」

「……新刊って言ってもそれ、もう半年近く前に出たやつですよね? もうダヴィンチじゃ次のハードカバーの特集記事出来てましたよ」

「なら自分の金で買いな」

 嘘ですすみません、と何事もなかったように踵を返す有希子さんに反射的に声をかけると、背中越しに有希子さんは四百ページはあるであろう厚い本を投げつけてくる。頭に当たりそうになったところで受け止めたところで、俺はあんたこそ大事に扱え、と聞こえない程度の小言をうそぶいた。

「大体、あんた今年受験だろ? 本なんて読んでる暇あるの」

 貸出カウンターに備え付けられたワークチェアーに腰を下ろし、コーヒーをすすり始めた有希子さんは、ひざ元で文庫本を広げながら、俺の方を一瞥する。

「……有希子さんまでそんな教師みたいなこと言わないで下さいよ。ただでさえうちの学年受験にうるさいのが集まっちゃってて面倒なんですよ」

「ま、あんたが落ちようが落第しようが留年しようが知ったこっちゃないけどさ。ほどほどにしときなさいよ。で、今日もコーヒー飲むの?」

 有希子さんとこうして話すまでには実は半年近くの時間がかかっているのだけれど、口は悪いようで何かと気にかけてくれているから、そんなに悪い人じゃないと毎回思ってしまう。端正な顔立ちでスーツの着こなしが妙にエロく(特に胸元の膨らみや強調されたヒップが)、高い位置で栗色の長髪をくくりあげたところに異常に赤縁の眼鏡がフィットしていると言うだけあって相当な美人なのだけど、人の顔をほとんど覚えないせいで多分彼女が校内で覚えている相手なんて一握りしかないかもしれない。

 異様に味と色の薄いアメリカンコーヒーの入ったカップを貰い、俺は図書室で一番大きな本棚の右横に位置する大机の端に腰を下ろした。有希子さんから粗暴に受け取った本の厚い表紙を開いて、一口だけコーヒーをすする。苦みよりも酸味が先に口に絡みついて、飲むたびに何とも言えなくなってしまうのだけれど、もらえるだけありがたいのかもしれない。

 一度俺は本を捲ると、大概はそのままその世界に傾倒し、時間を忘れてしまうことが多い。落とした目線で一字一句を拾いながらその世界を頭の中に構築していき、時にはキャラクターの立場になって情景を想像する。それは漫画では味わうことが出来ない世界だった。漫画が嫌い、というわけではないけれど、個人の解釈によって出来上がる世界が微妙に異なってくるから小説は面白い。純文学や大衆小説、ライトノベルに至るまでそれは変わることなく、新たな世界を見せてくれる。環境的にも、部屋の匂いのほかにも、こうした不思議な世界を求めるために俺はこうして物語を追いかけているのかもしれない。

 ページを捲るたびにコーヒーをすすり、ひたすらその動作を繰り返して小一時間が立ったあたりで、俺はその異変に気が付いた。最初はひざ元に虫がたかっているのか程度の感覚で、あまり気にすることなく俺は文字を追いかけていた。次の異変は、目線の上に大量に積み上げられていく図鑑や小冊子の山。時折科学部が大量の資料を山積して調べものに来ることがあるから、これもあまり気にならなかった。そして最後に、時折俺の左隣をちょこまかとうろつく、薄桃色の布地。……ここ、学校じゃなかったか?

 目線を少しだけ左寄りにしたところで、俺は思わず飛び跳ねるようにその小柄な体から身を逸らした。俺のすぐ横に、全身薄桃色のパジャマで身を包んだ小柄な少女がいた。誰? いつからそこに? という言葉よりも、俺が最初に彼女に発した言葉に、彼女はきょとんとした目を見せた。

「……なんでパジャマ?」

 その声があまりに素っ頓狂だったらしく、彼女は袖もとで口を押えながらけらけらと乾いた笑みを見せた。

「君、変わってるねえ。お前誰だよとか、どうしてここに、じゃなくて最初にパジャマのこと聞くんだ?」

 パジャマ女は俺をまるで無知な子供か何かのように扱うかのような声で言った。色素の薄い肌と、髪の線維が乱れた黒髪は腰元まで伸びきっていて、えくぼを作る彼女はまるで浮浪者か何かに見えた。スリッパを履いていたから学校の生徒ではないと分かったけれど、それ以前の突っ込みどころが多すぎる。

 気づけば俺は、身を乗り出して有希子さんの方へ反射的に声を上げていた。

「ゆ、有希子さん!」

「うるさい館内は静かにしろ」

 流氷でも投げつけられたかのように一蹴される。

「そんなことより! なんか変な女が!」

 はあ? と気怠い声を返され、顔をしかめたまま有希子さんが俺の方へ歩んでくる。対して大きくないはずなのに、座ったまま有希子さんの方を見上げると、威圧感と言うか、いかにもやり手に見える女教師に見えて気圧されそうになる。

「やっ」

「……何、また抜け出してきたの」

 パジャマ女は机の端に腰掛けて、前歯を光らせながら何故か敬礼する。嘆息しながら有希子さんは腕を組み、彼女の額に人差し指を立てた。

「ちょ、痛い痛い痛い何するの有希子!」

 俺は目の前で何が起こっているのかを中々理解することが出来なくて、俺はただ呆然と有希子さんの指がパジャマ女の額をえぐっている情景を呆然と見つめる。

「鮎川先生に怒られるのは私なんだから、いい加減にしろってあれほどいっただろお前は」

「ごめん、ごめんってば!」

 最後に有希子さんの凸ピンがパジャマ女に炸裂し、彼女は頭を埋めて小さなうめき声をあげた。

「悪早いね乙女、こいつの道楽に付きあわせて」

 再び深く嘆息した有希子さんは、腕を組みながら呆れ顔で言う。

「いや大したことされてないから構わないですけど……誰ですか、こいつ」

 俺がうずくまる彼女を指さすと、まるで彼女は餌付けされた小動物か何かのように反射的に俺の顔を見上げた。なんだこいつ、と吐露しそうになると同時に、彼女の表情が笑みを見せているのに気付いて、思わずのけぞりそうになる。

「スピカ!」

 は? と反射的に返そうとしたところで、再び彼女は声を上げる。

「私、スピカっていうの。よろしくね、早乙女くん!」

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