プロローグ
あなたは、見つけたの? ほんとうの、願いごと
『さよならピアノソナタ/蛯沢真冬』著:杉井 光
「ねえ、見える? あれが、スピカだよ」
冬の寒気がまだ残る屋上で、彼女は無邪気に細い指を宙に向けた。薄桃色のパジャマと対比するかのような青白い肌からは一層血の気が見えないのに、彼女は俺の手を引いて空に舞叩く煌めきを一つずつ口ずさむ。
「もう、せっかく抜け出してきたんだから楽しもうよ? ほら、あれが北斗七星で……」
布地の薄い俺のコートを引っ張る彼女の手はどこか嬉々としていたのに、俺は彼女に笑みひとつ向けることが出来ずにいた。それは、彼女を知ってからずっとだったのかもしれない。こうして彼女はいつも俺に星のきらめきに負けないくらいの笑顔を見せてくれているのに、俺には何もできることがないという自虐心に狩られそうになる。
「ねえ。ねえってば――」
彼女が屋上の錆びついた柵に手をついたところで、俺に好奇心にあふれた子供のような声を出しているのに気付いた頃には、俺は彼女の薄い体を抱きしめていた。彼女は弾んだ声を閉じ込めて、機微に震えている俺の肩に優しく指を掛ける。彼女の顔や痛んだ長い髪は俺の胸元にすっぽりと収まって、肉付きのない体は抱きしめている気がしなかった。
「まったく、早乙女くんは甘えん坊だなあ……えへへ」
その後、俺は彼女の気が済むまで星を追いかけ、星の名前を憶え、そして同時に彼女に残った微かな温もりを肌に刻み付けるように、彼女の傍にいた。大切な記憶は時に人の心を締め付けて、一生についてくるということを聞いたことがあったけれど、その通りに彼女の名前は今も胸から離れようとしない。
たった数週間の間に、俺たちは一生分の恋をした。星の名前からすべてが始まり、君が俺を追いかけ、俺もいつしか君を追いかけるようになった。お互いに星の名前を持った俺たちはまるではじめから決まっていたかのようにお互いを追いかけあって、そしてひたすらに好きになっていった。
そしてやがて、君は俺の前から姿を消した。星の名前を借りた翼が、輝きの向こうに旅立っていったかのように。
短期連載、上下で話が終わります。
2年前に也屋さんから頂いたベースの作品を個人的に練り直して作品にしました。この場ではありますが原案の提供をして頂いた也屋さんに御礼申し上げます。




