第四章 再会 ~別人
「……」
――やっと涙が枯れた。
涙はいつか尽きる。そして尽きた後は……結構開き直れたりする。まるで、涙と共に何かを流してしまうように。
……がんばれた。……上手く行った。……。がんばった。……がんばった……。
薄明かりの付いたコクピット内。外は窺えないが、きっとクルーたちは大忙しのはずだ。
……手伝わなくちゃ。……人手が足りないだろうから……。
ここからそろそろ出ようと思ってシートベルトを外した。そして全てのスイッチを切り、シートから腰を上げようとして……上がらなかった。
体に力が入らない。まだ恐怖の余韻が残っているのだと思った。――だが、違う。本当に力が入らない。
再びシートに沈み込んで、愕然と目を泳がせた。
……これが、ディアナの力? ……こんなことに、セシル教官はずっと……。これを繰り返してたら……。……。
悲しげに目を細めてどこかを見つめる。その目の奥で蘇るのは、“あの時”の記憶――。
――クリスからのプロポーズにセシルは困っていた。
「駄目よね、やめた方がいいわよね。絶対そうだと思わない?」
「どうしてですか? ふふっ。いいじゃないですかっ。結婚しちゃったら!」
「アリス、あいつが裏で何してるかわかってるでしょ?」
「でも、クリスはセシル教官を選んだんですよ? それってすごいですよね!」
……なんとく嬉しかった。
セシルは大切な存在だったから。友だちのいなかった自分をいつも気遣ってくれて、心配してくれた。両親以上に自分を愛してくれた。その人の幸せがとても嬉しかった。だから、クリスの申し込みを受け入れた時はそれこそ泣いて喜んだものだ。彼女が幸せになるんだと感じて。
その時は特に嬉しかった。……あの後だったから――。
「ンじゃ……、そろそろだから」
「……そうね」
「なんだよ? ずっと俯きっ放しで」
「……当たり前じゃない。……どうしてそんなに急いで地球に戻ろうとするの? ……ダグラス教官の奥さんが待ってるのはわかるけど、……ノアを離れたばっかりなのに」
「なんだ? お前、寂しいんだろ?」
「……そんなことないわよっ」
「強がるな強がるな」
「……。そのうち戻ってくるんでしょ?」
「んー……。まぁ……予定ではな」
「……。いつ戻ってくる?」
「さぁ……未定」
「……」
「そんな顔すンなって! もう二度と会えないみたいな顔だぞ!?」
「……。なかなか会えないじゃない」
「お前ねぇ。……俺たちゃ仲間だろ。タグーもそう。遠く離れてたって、それは変わらない。……俺は地球からお前とタグーのこと……見上げてるよ」
「……」
「お? 泣くか? 泣くのか?」
「……ホントにっ……。バカっ……」
「……。元気でな」
「……」
「お前なら立派なライフリンクになれる。セシル教官を追い越しちまえよ。……お前なら、きっとできるからさ」
「……」
「辛いことがあった時は星を見上げろよ。俺も見上げてるから。……と、そろそろ行かなくちゃ」
「……ねぇっ」
「ん?」
「……。……私のこと……」
「……」
「……」
「……じゃーな」
――何も答えなかった彼はそのまま笑顔で地球に帰った。
……問いつめなかった。問いつめれば、彼を苦しめてしまうだろう。けれど、日が経つに連れて段々と後悔した。「ここに残って」と、そう言えれば良かった。そんな沈んだ自分に、セシルは常に話題を提供してくれたのだ。クリスとのこともそう。そういう前向きな話を聞いているうちに、「このまま沈んでいちゃ駄目だ」と自分に言い聞かせるようになっていた。
ロックとはその後、何度か交信はしていた。彼の義母であるパトリシア・ウォールとも。とても豪快な笑い方をする女性で、おおらかさが雰囲気からも滲んでいた。ロックを快く受け入れてくれて、二人とも、本当に楽しく過ごしているようで安心した。
ある日、パトリシアはこう言った。
「ロックにね、遠慮しないで宇宙に戻りなさいって言ったのよ。あの子、夜になるといつも星を眺めているから。そっちが恋しいんじゃないかと思ってね。そしたらなんて言ったと思う? 宇宙なんて俺には狭すぎて退屈だ、って威張って。何言ってンの、地球の方が狭いのよって言ったら、今度はモゴモゴしちゃって。……ホンット、死んだ亭主にそっくりで笑っちゃったわよ。おもしろい子だわあの子は、あっはっはっ!」
パトリシアの話は愉快だった。ロックの近況を知ることができていたのも彼女がいたからだ。ロックからは「俺の知らないところで俺の話をするな!」と怒られていたようだが、最終的には彼もパトリシアには逆らえなかったようだ。
――ロックも楽しそうに暮らしている。パトリシアも、本当に楽しそうで……。
彼らと話をしているうちに、嬉しさと安心と、そして寂しさを感じた。一種の疎外感だろう。そんな気持ちから目を逸らすため、「彼らが幸せに暮らしているならそれでいい」「もうこれ以上、強い愛しさは抱えない方がいい」と、自分を押さえつけ、気持ちを新たに歩き出そうとした、そんなある日――
セシルから聞いたのは、「ひとつの賭ね」という笑顔の言葉。
「ディアナに乗ってたせいね……。まぁ……少しずつ体内異変って言うの? そういうのは感じていたけど……仕方ないわ。パイロットの運命みたいなものよ」
しばらくして、セシルの体調が悪化しだした。最初は咳き込んだり、息苦しそうにしていたり。彼女は「宇宙風邪よ」と笑っていたが、医師たちの診断でそうではないことがわかった。急激に体力が落ち、免疫機能も落ちていた。宇宙ではよく起こる、“パイロット病”といわれる症状の重度だった。
そして、その同時期にひとつの命を宿していることを知った。
「……。降ろさないんですか?」
「んー……。ほら、せっかく宿った命だし。……チャレンジしてみようかなーって」
「……。けど、……けど……。……」
「大丈夫よー。私だってそんなにヤワじゃないわ」
「……。クリスはなんて……?」
「……やめておけって言ってるけどね」
「じゃあ、やめなくちゃ!」
「イヤよ。産むったら産むの。そう決めたんだから」
「けど、もしなにかあったら!?」
「何もないわよ。医務官の脅しなんか私が気にすると思ってるの? ぜーったい大丈夫」
――大丈夫であることを信じていた。
それは、何事もなく、楽しく会話をしていた時に突然起こった。
デルガの休憩室で世間話をしていた。椅子に腰掛け、楽しく。その時突然、セシルの顔色が変わった。眉を寄せ、苦しそうに息を荒くして。「ヤバイ!」と感じてすぐに緊急ブザーを鳴らした。セシルは椅子から崩れるように床に座り込み、大きくなってきていたお腹を押さえ体を丸め込んでいた。駆け寄り、腰を撫でながら「セシル教官!! しっかりして!!」と何度も声を掛けた。セシルは額に汗を浮かべながらも、「……大丈夫……」と笑顔で言ってくれた。しかし、次の瞬間、ひざまずいていたそこに血が広がり――、大きな悲鳴が周囲から上がった。
緊急で手術を行った。急いでやって来たクリスは、ただオペ室のドアを見つめて……。
――数時間後、医者が現れてクリスに何かを告げ、彼はそのまま沈み、泣き崩れた。
未熟児のまま取り上げられた子どもを「私に育てさせてください!」と懇願した。しかし、子どもは結局誰かの手に委ねられ、ノアまで運ばれたのだ。
……セシルの宇宙葬が行われ、クルーたちが涙に暮れた。
そして、悲しみが癒える間もなく、ロックから連絡が届いた。パトリシアが事故に遭ってしまった、と――。
気が気じゃなかった。連絡をしてきた彼自身、声にも覇気がなかったから。
「……一度、そっちに戻ろうか?」と提案した。――彼の支えになりたかった。だが、彼からは「……いいんだ」と断られてしまった。
「……心配すんなって。俺は大丈夫だしさ。それより……お前のほうこそ、きついだろ? ……俺のことは気にするな。パトリシアも、きっと助かるから……」
その言葉を信じた。パトリシアも大丈夫だと。
だが――、地球から連絡が入った。ウォール家の親族からだ。
婦人が事故で亡くなり、その後、まもなくロック自身も眠りについた、と。
突然のことにわけがわからなかった。眠りにつく、というその意味も理解できず。……心を崩してしまう寸前だった。それを支えてくれたのがメリッサや、ライフリンクの仲間たち。ザックやアーニーや……そしてクリス。
タグーを失い、セシルを失い、そしてロックも失った。タグーは自分の意志でそうしたから、本当に心の奥でがんばって欲しいと、そう願っていた。けれど、セシルとロックは――
……きっと、バカげたコトだって言われる。……わかってる。……でも……、……。
どこかを見ていた目にうっすらと涙が浮かぶが、それをこぼすことなく、グッと堪える。
……何を言われてもいい。……何を言われたって……――。
「……あ!」
リタが声を上げるとみんなが見上げる。――ディアナのハッチが開いた。
アリスは「よいしょ……」とハッチに手を付いて身を乗り出し……て止まった。さすがに機体まで伸びているはしごを下りる自信はない。そんな彼女の様子に気が付いたキッドが「……ガイ」と声を掛けた。ガイはうなずくと素早く登り上がってスタッとハッチに飛び移った。あまりにも簡単にやって来てアリスはヒョッと背中を仰け反らせてキョトンとする。
「大丈夫ですか?」
鉄の顔は無表情だが、声がどこか心配を帯びている。そんな彼と目を見合わせず、アリスは目を逸らして「う、うん……」とうなずいた。
「タグーたちが心配していました。……体調は?」
「……なんとか。……ちょっと疲労を感じるけど」
「ということはだいぶということですね?」
見抜いているのかなんなのか――。
アリスは分が悪くて「うっ……」と拗ねるように俯いた。今は何も反論することができない。そんな力はない。
「あとで医務室へ参りましょう」
言葉を詰まらせるアリスの背中に腕を回して抱き上げると、彼女の負担にならないように機体の上を身軽に伝い降りる。その時に格納庫内を見回したアリスは愕然と目を見開いて固唾を飲んだ。
回収されたインペンドのほとんどがボロボロに破壊されている――。
スタッと床に降り立ったガイにそっと降ろされ、アリスは足を踏ん張ったが、真っ直ぐ立っていられず少しふらつき、様子を察したガイに背中を支えられた。
「アリスお姉ちゃん! 心配したんだからっ!!」
真っ先にリタに睨み怒られ、アリスは「……ごめん」と、か細く微笑んで謝る。リタはまだ何か言い掛けたが、隣のキッドに肩を抱かれて口を閉じ、見上げた。拗ねる目にキッドは苦笑して深く息を吐き、リタの頭を撫でながら小さくうなずいた。
「本当によかったわ。無事でいてくれて」
安心した笑みを浮かべる彼女を見ると、とても心苦しい――。
アリスは悲しげに目を見開いて、申し訳なく俯いた。
「……すみません。……心配掛けて……」
「大丈夫?」
「……なんとか」
アリスは小さくうなずいて周りを見た。……この三人しかいない。
「フライたちは執務室の方よ。今内線を入れたから、すぐにやってくると思うわ」
察しよくキッドに笑顔で告げられ、「……入れなくていいのに」と、内心がっくりと項垂れた。
リタはアリスの傍に寄って彼女の手を掴み、しばらくじっと気を集中してから、見下ろすアリスに真顔を向けた。
「かなり疲れてるでしょ? 私、わかるんだからね」
隠すとためにならないよ? と脅すようにじっとりと目を据わらせるリタに何も言えず少し視線を落とすアリスを見てキッドは苦笑した。
「どうだった? ディアナは」
「……。正直……すごく疲れてます。……何も考えないで乗ってたけど……あんな短時間でこんなに力を消耗するなんて……予想以上……」
「アーニーの話じゃ、結構無茶なことをしていたって。フルパワーもいいトコだって怒ってたわよ?」
「……」
「けど……これでわかったでしょ? 乗り続けていくことの恐ろしさも」
「……。そうですね……。……けど……乗りこなせた」
悲しげに俯くアリスにリタは「はぁーっ」と深くため息を吐いた。
「全っ然懲りてないよね!」
呆れるような台詞にアリスは少し苦笑し、ゆっくり顔を上げると、忙しそうに動き回っているクルーたちを目で追った。
「……戦いは……?」
「敵は完全撤退したみたい。もう、ノアの上空にもいないから」
「……そうですか」
「戦闘員のみんな、アリスに感謝していたわ」
笑顔のキッドに、アリスは「……?」と少し目を見開いた。
「ディアナには乗せたくないけど……ディアナでしか太刀打ちできなかった。それは事実として受け止めなくちゃいけないから、今はアリスの無鉄砲な行動には感謝してる」
「……怪我人は?」
「戦死した人は?」とは聞けなかった。言葉を濁すアリスに気付いたのだろう、キッドは優しく微笑んだ。
「大怪我をした人はいるんだけど、亡くなった人はいないの」
「……え?」
「不思議ね。私たちはシェルターに避難していたから実際よくわからないけど、みんながあの戦いで死者が出なかったっていうのは不思議だって言ってたわよ」
そう言われたアリス自身も不思議だった。あんなに防戦一方だったのに、死んだ人はいないなんて――。
「アリス!!」
大声にそちらを振り返るち、クルーたちを避けてタグーを先頭に数名が走ってきた。
「大丈夫!? なんともない!?」
目の前に立ち止まるなり不安げな目で窺うタグーにアリスは苦笑してうなずいた。
「大丈夫よ……」
「って言ってても、かなり疲れてるんだよ」
と、リタが目を据わらせて報告すると、タグーは「もぅ!!」と腰に手を置いて睨み付けた。
「なんて無茶なことをするんだ!! あれほど言ったろ!! ディアナに乗っちゃ駄目だって!!」
「ご、ごめん」
「反省してないだろ!?」
「し、してるってば」
不愉快さを爆発させてにじり寄るタグーに戸惑い後退しようとしたが、背後に立つガイにぶつかって逃げることもできない。
「キミはホントに……」
クリスは呆れて深くため息を吐いた。
「……マニュアルも何も無しで、よくもまぁ……」
アリスは申し訳なさそうに俯いた。
彼には自分の弱っている姿を見られたくはなかった。元気な姿で胸を張って「ほら、大丈夫だったでしょ?」と笑って会いたかった。自分自身のためじゃない。彼のためにも――。
だが、悲しげに目を細めるそんな彼女にクリスは間を置いて苦笑した。
「けど……クルーたち、みんなが助かったし、全滅を喰らわなくて済んだ。……それは感謝してる。……ありがとう」
「しかし、それはそれ、これはこれだ」
フライスが表情を険しく腕を組み、アリスはシュンと顔を下に向けた。
「ディアナがどういうものか、これでよくわかっただろう。もう二度とこんなコトをするんじゃない」
怒りを含めた声に、アリスは何も言えず俯いたまま。そんな彼女を後ろから支えていたガイが彼らを見回した。
「お話の途中、申し訳御座いませんが、お叱りでしたらアリスが完全に復活してから存分に行っていただけますか? 今は充分な休養が必要です」
ガイの言う通り、アリスは彼に支えられて立っている。それだけ疲れ切っているということだろう。
フライスは深く息を吐いた。
「じゃあ復活でき次第、キミにはコンコンと説教をしてやる」
アリスは「……だったら今のうちにやって……」と心の中で半べそになる。――と、その時、誰かが自分の前に立った。人影に気が付いて顔を上げると……ハルだ。
ハルは訝しげなみんなの視線を集めながらじっとアリスを見ていたが、いきなり、何の予告もなくパンッ!! と、思いっきりアリスの頬に平手打ちを入れた。
リタは「うわっ!」と驚いてフライスにしがみつき、みんなはキョトンとして彼を見つめる。
アリスが唖然と頬を押さえ、ゆっくり顔を戻すと、ハルは手を降ろしていつもと変わらぬ無表情さで告げた。
「……後で一発殴るって言ったでしょ?」
「……じゃ」と、それぞれに軽く会釈して歩いていく、その背中をぼんやりと見つめていたアリスは「……っ!?」と目に一杯の涙を浮かべた。
……殴られた。……殴られた! 殴られた!!
ジンジンと頬が痛むと同時に悔しさがあふれ、アリスは人目も気にすることなく顔を歪めて涙をこぼした。その目は遠くインペンドの修理に向かうハルの背中を恨めしそうに睨んでいる。ガイは泣き出したアリスを抱き上げると、「……では」と、そのまま医務室へと足早に向かった。一部始終を見ていたクルーたちの訝しげな視線を集めながら格納庫を出た姿を見送り終え、クリスは顔をしかめた。
「……。あれは誰だ?」
「確か……ハルって名前だったよ。アリスのしもべって聞いたけど」
タグーが肩をすくめて答えると、「……。しもべ?」と繰り返して更に顔をしかめる。
「クロスの機体に乗ってましたよ」
アーニーが横から告げ、クリスは「はっ?」と驚きを含めて目を見開いた。
「誰がそんなことを許可したっ?」
「知りません。他にもジュードというパイロットもあの子と一緒にクロスに機体を借りていたみたいですけど。……その二人が、アリスと一緒に敵艦を撃ったんです」
「……、待てよ。ジュードとハル。……確か、この前試験に合格したばかりの……」
クリスはそう思い返して呟いていたが、途中で深くため息を吐いて項垂れ首を振った。
「……やれ、……また問題児が増えたか……」
リタはオドオドしくフライスを見上げた。
「す、すごく怖いお兄ちゃんっ。アリスお姉ちゃんを殴ったっ!」
フライスは「ひどい!」と言わんばかりに眉を寄せる彼女を見て、頭を撫でつつ苦笑した。
「みんなの気持ちを代弁してくれたんだ」
「うーんっ。……それなら納得っ!」
大きくうなずくリタにキッドは少し笑ったが、一息吐くと、真顔に戻るなりクリスを窺った。
「……ディアナ、どうするつもりなの?」
その問い掛けに、クリスは少し考え込んで小さく息を吐いた。
「封印でもしようかね……」
「……けど、実際ヒューマに太刀打ちできたのはディアナだけだったんでしょ?」
「難しいところだな」
フライスが軽く首を振って腰に手を置いた。
「確かに、インペンドじゃ性能的に劣っている。……かと言って、ディアナを使うのはパイロットの命を削ってしまう。……アリスはまだこれが最初だったからいい。けれど、何度も続くのは好ましくない」
「ディアナをなんとかパイロットに負担を掛けないよう改良できないのかしら……?」
「全く無理だとは言えないけど、それには時間が掛かる。アポロンやグランドアレスならともかく、ディアナは特殊能力を備えているから」
「……そうね」
キッドは理解を示しつつも、少し不安げに目を細めた。
「……けど、また攻撃に遭ったら……どうするの?」
静かな問い掛けにフライスは何か考えているのか、黙り込んでしまった。
リタは真顔の大人たちを見回してにっこりと自分の鼻先を指差した。
「私が乗ってあげようか?」
「何馬鹿なことを言っているの」
アーニーに睨まれて、すぐにフライスの背後に隠れる。
タグーはため息混じりに腕を組んだ。
「けど、キッドの言うとおり、これからのことを真剣考えなくちゃね。……インペンドもほとんどやられちゃったし、クロスの機体も爆撃で一部破損したから修理だし。……アポロンとグランドアレスが動ければ、そのカバーはできると思うんだけど……」
「……けど、そのパイロットがいない」
クリスも腕を組んで首を振った。
「アポロンに乗るのはフライにはもう無理だ。……グランドアレスこそ、操縦できる人間なんていないし」
「いざとなれば、あと一回くらいは大丈夫だ」
フライスが申し出るが、そんな彼をクリスは睨み付けた。
「そのあと一回っていうのが恐ろしいんだろ。……お前、アリスのことを説教できる立場じゃないぞ」
「なんとかできないか、考えよう」
タグーがため息混じりに話に割り込む。
「しばらく攻撃はないと思うけど……。もし不意打ちされたら、それこそ僕ら、無抵抗なまま終わっちゃうよ」
「アリスさん! はい!」
「ありがとう、ロマノ」
個人病室。
受け取ったグアバのジュースを一気に飲み干すと、コップをロマノが片付ける。
――あれから二日が経っていた。
敵からの攻撃はないが、「いつあるかわからない」という緊張感と、そして「一刻も早く機動兵器や戦闘機の修理をしなくては!」という焦りで、クルーたちが交代で睡眠をとりながら作業を行っている。
そんな中、ロマノが休憩時間を利用して様子を見に来てくれた。
「ずっと眠ってたね。このまま眠ったままだったらどうしようかと思っちゃった」
「心配掛けてゴメンね……」
アリスは申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
――そう。あの戦いの後、医務室に運ばれたアリスは「少し休みます……」と、ベッドに潜ったまま起きなかった。医務官が声を掛けても起きず、すぐに医療施設へ運び入れ、集中治療を受けたのだ。このことを知ったタグーたちは「やっぱりこうなった!」と怒っていた。もう二度と、彼女をディアナには近づけない、と――。
「もう大丈夫よ。復活。気分もスッキリしてる」
「って言うとみんなから恨まれるよ。ヘトヘトになってるから」
一応着替えて来てくれたのだろうが、顔や手などに黒い汚れがこびりついている。苦笑するロマノに、アリスは不安げな目を向けた。
「……作業は進んでるの?」
「だいぶ。ウチの機体よりも、まずはクロスさんたちの機体を重点に直そうって話になってね。あっちの方が性能がいいから」
「そう……」
「クロスさんたちの機体の方の修理は終わったんだよ。今はインペンドの方を直してる」
「……怪我人の方は?」
「ほとんどの人たちが復活してる。重傷してた人たちも、動けるようになったからって簡単な作業手伝ってくれたり」
「……。ってコトは、眠ってたのは私だけ?」
「そういうことだねー」
にっこりと笑われて、アリスは情けない気持ちに襲われてため息を吐いた。
「……悪いことしちゃったわね」
「そんなことないよ。だって、アリスさんがディアナを出してくれたからみんな助かったんだもん。今のウチに少しでも疲れをとってもらわなくちゃ、……次が期待できないじゃない?」
いたずらっぽく方眉を上げるロマノにアリスは少し笑った。
「けど、総督たちはアリスさんをもうディアナには乗せないって言ってるの。……そんなこと言われたって、ねぇ?」
無理だと思わない? と、目で問われ、アリスは「そうね……」と、布団を掛けた膝に視線を落とした。
「……みんなが心配してくれているのは嬉しいんだけど……。……でも、ディアナの力はやっぱり必要だと思うわ……」
「みんな、ガンコジジィだもんねー」
何気なく言ったその言葉に、アリスは「プッ……」と吹き出して笑う。ロマノは「おかしいこと言った?」と小首を傾げた。その時、コンコンとドアがノックされ、アリスは「ふふ、……はーい」と明るく返事をした。
「ちわ」
ドアが開いて、ヒョコっとタグーが顔を覗かせる。振り返っていたロマノは「……あっ」と椅子から立ち上がってアリスに目を戻した。
「じゃアリスさん、私、行くね」
「……あ、いてもいいのに」
「んーん。……少し眠る」
小さく背伸びをしてあくびを漏らすロマノに、アリスは苦笑した。
「疲れを溜めないようにね」
「了解!」
ロマノは笑顔で愛想良く敬礼をすると、ドアに向かい、タグーに「失礼しまーす」と挨拶して出ていった。そんな彼女の背中を見送ってタグーは中に入る。
「元気な子だよね。……ロマノだっけ?」
「そう」
「疲れを溜めないようにって……自分に言い聞かせた方がいいんじゃない?」
現れるなりの嫌みさに睨み付ける。そんなアリスに笑いながら、タグーは椅子に腰掛けた。
「で、どう? 回復した?」
「元気よ。作業の方、手伝うわ」
「まだ無理しなくていいよ。……大体、キミの言う元気とか大丈夫とか、ホントにアテにしてないから」
「悪かったわね」
ムッと不愉快そうに頬を膨らませてそっぽ向くと、タグーは苦笑して小さく息を吐き出し、静かに切り出した。
「ジェイミーがずっとウロウロしてたよ」
アリスは少し目を見開いてタグーへ顔を戻した。
「会わせてあげたかったんだけど、ディアナから降りたばかりだったし、アリスに近付けたら何かを感じ取るんじゃないか、ってキッドが心配してたから……。後で顔を見せてあげて。喜ぶよ」
笑顔で勧められ、「……うん。わかった」と、少し笑みをこぼしてうなずいた。
タグーは少し間を置いて深く息を吐き、気を取り直すように苦笑気味に続けた。
「アリスが眠ってる間、もうホントにドタバタしてたよ。いつ奇襲があるかわからないしさ」
「みたいね。……ごめんね、ずっと眠ってて」
「仕方ないよ、ディアナに乗った後じゃ疲れて当然だと思う。……だからと言って、もう二度と勝手な真似はしないでよね?」
「じゃあ、乗る前にはちゃんと教える」
にっこりと笑うと、タグーはじとっと目を据わらせた。
「そういう意味じゃないんだけどさ」
「でも……、ディアナじゃないとどうしようもないでしょ? ……どうしようもないって、感じたもの。……必死だった。ホントに」
アリスは悲しげに目を細めて視線を落とした。
「……心配してくれるのは嬉しいけど、でも……みんなを助けることができたってコトの方が、何倍も嬉しいよ」
俯きながらも少し笑みを浮かべるアリスの横顔に、タグーは間を置いてため息を吐いた。
「……呆れたモンだね。よくそんなこと言えるよ」
「言えるわよ、ホントにそうなんだから」
「キミの心配してるのが馬鹿馬鹿しくなってきた」
「うるさい」
アリスは「ふんっ」と生意気にそっぽ向き、そしてゆっくりと顔を戻した。
「……でもさ、……ホントにそう思わない? ……敵わないよ、このままじゃ」
どこか緊迫したような、切羽詰まった様子ですがり見つめるアリスに、タグーは「……そうだね」と、茶化すことなく真顔で床を見つめた。
「それはクリスたちとも話をしてたんだ。……アリスがディアナを出したことは許せないけど、それで敵を追っ払ったのも事実だし……ディアナの力が必要だってコトは理解してる。……理解はしてるんだけど……問題はパイロットなんだ。一回乗っただけで、キミはこんなだし」
「それは仕方ないでしょっ?」
アリスは怪訝に眉を寄せて軽く身を乗り出した。
「マニュアルも何もなかったのよっ? 初めてであれだけできたのはすごいでしょっ? もし、マニュアルをちゃんと読んで理解してれば、こんなに疲れなかったわよっ」
「それはどうだろうね? アリスのことだからどうせ自分のコトなんて考えずにパワーを掛けすぎて突っ走るに決まってるよ」
目を細めて見透かされ、アリスは「うっ……」と身を引いた。――できることなら昔の“過ち”を消し去ってしまいたい。
分が悪そうに口を尖らせるアリスにそれ以上突っ込むことなく、タグーは小さく息を吐いて視線を落とした。
「……みんなといろいろ話し合ったよ。これからのこと。……奴らとどうやり合っていけばいいのか」
「……。私をディアナのパイロットにする!?」
目を輝かせて更に身を乗り出すが、「しないよ」と即答されて目を据わらせた。
「けど、もしもの時はそうなるかも知れない。……あくまでも、も・し・も、だけど」
強調されて「……あのね」と呆れて何かを言おうとしたが、「その代わり……」と続く言葉に口を閉じた。
「……アポロンとグランドアレスを復活させることに決めたんだ」
アリスは訝しげに顔を上げた。
「けど……パイロットが……」
「うん。パイロットはまだいない。今からパイロットになる人を選考していくことになると思う」
「何よそれっ」
まだたった一歩しか進んでいない、そんな計画には納得いかない。そう言わんばかりにアリスは眉をつり上げた。
「じゃあ私だってディアナに乗ってもいいじゃない! 問題ないでしょ!?」
「まだわからないの? ディアナが一番危険だってコトが」
タグーはため息混じりに目を細めた。
睨んでいるわけでもない。ただ、心配する目にアリスは息を詰まらせた。
「ノアコアのタイムゲートと同じように、人の霊力を動力源にしているって気が付いたろ? フルPSYコントロールシステムなんだよ。アポロンとグランドアレスは、機体に掛かる圧力や衝撃にパイロットがどれだけ堪えられるかってリスクで済むけど、ディアナは人の命を吸い尽くしながら動いてるんだ。アポロンとグランドアレスと同じじゃない。実際、データ的にはセシル教官よりフライの方が倍はアポロンに乗ってたんだよ? なのに、フライは後遺症のみで済んでるんだ。……この差は大きいよ」
「……」
「ディアナのシステムを作り替えることは可能なんだけど、それには時間が掛かるんだ。かといって、そればかりに時間を注ぐわけにもいかない。……ディアナに乗って疲れるくらいなら、インペンドに乗って、ライフリンクとして働きなよ。その方がいいよ」
「……。それじゃ駄目。……絶対に駄目」
俯いて真顔で首を振るアリスに、タグーは鼻から深く息を吐いて肩をすくめた。
「そんなこと言われても、僕には決定権はないからね」
冷たくあしらわれ、アリスは軽く睨み付けた。
タグーは少し息を大きく吸い込み、……深く吐き出した。そして、視線を落とし、間を置いて切り出す。
「……アリス」
「……なによ」
「……。大事な話があるんだ」
急に真顔になる。そんな彼を見てアリスは……嫌な予感がした。だが、それを表に出すことなく、「……なに?」と問い掛ける。
「……もう、歩ける?」
「……うん」
「……。じゃあ……ちょっといいかな」
「お前には無理だろ」
「……なんでだよ」
「お前はなんて言うか……気迫が足りないんだ、気迫が」
「……。そんなものなくたっていいだろ」
「バカモノ。敵を威嚇するくらいの気迫ってのは必要だろ」
「……威嚇して勝てる相手じゃない」
「気持ちの問題だ、気持ちの」
休憩に入り、冷静に言い合うハルとジュードを見て、ロマノは傍でジュースを飲んで傍観しているトニーに近寄った。
「何言ってるの? あの二人」
「んあー。ハルがさぁ、今度のアポロンのテストに出るって言うんだよ」
「……アポロンの?」
「ロマノ、お前からも言ってやれ」
ジュードが不愉快そうに彼女を振り返る。
「こいつには無理だって」
「……やってみなくちゃわからないだろ」
ハルがふてくされる。
ロマノは「んー……」と視線を上に向けていたが、話題を変えるように笑顔で切り出した。
「さっき、アリスさんの様子を見てきたよ」
「どうだった!?」
トニーが目を見開いて身を乗り出す。
「元気だった!?」
「復活してた」
「オレ、行こーっと!」
「あ、けど今タグーさんと会ってるよ」
トニーは不愉快そうに「チッ」と舌を打って床にドスッと腰を下ろす。
ジュードは「そういやあ……」とふと思い出してハルに目を向けた。
「お前、あんまりアリスさんに意地悪するなよ」
「……してない」
「してるだろ。お前のマイペースは酷すぎるぞ」
「……マイペースじゃない」
「マイペースだろ。この前だって、いきなりアリスさんひっぱたいたって聞いたぞ。お前、ホントよくそんなことできるよな?」
「……。ちゃんと予告して置いたんだからいいだろ」
「予告するなよ、予告を」
「……いきなり殴るよりいいだろ」
「どっちもやめろってーの」
無表情で淡々と答えるハルに、ジュードは「ったく……」と目を据わらせながら呆れてため息を吐いた。
「あの人はあの人で苦しんでンだろ? お前だってわかってンだから、少しは理解ってものを示せよな」
「……示してる」
「してないだろ」
睨み合う二人にトニーとロマノは顔を見合わせると「また始まったよ」とお互いに肩をすくめ合った。
「……」
医療服のまま、タグーの後を付いて歩いている。
――ケイティ内。どこに向かっているのかはわからない。だが……。
嫌な予感が消えない。それはむしろどんどん大きくなっていく。
……“嫌な予感”? ――違う。予感じゃない……。……感じる。
一室の前に立ち止まると、タグーは真顔でゆっくりとアリスを振り返った。彼女は表情をなくしている。
「……。わかる?」
「……」
「……あの後、僕が引き取ったんだ」
タグーは言いながらカードキーを出してそのドアを開けた。窓から外の明かりが入り込み、何もないガランとした部屋の中、中央に置かれた長テーブルの上のカプセルを浮き彫りにする。
アリスは中に入ったタグーの後、足を踏み込むことができずにその場に立ち尽くした。
心音が速くなって、呼吸が苦しい。足が、身体が固まって動けない――。
目を泳がせて立ち尽くす彼女を振り返ると、タグーは間を置いて近寄り、手を掴んだ。その感触にアリスはビクッと肩を震わせ、ゆっくりと、震える視線を彼に向けた。
タグーは真剣な表情で言う。
「……キミが向き合えないと、この先に進めない。……大切なことなんだ」
ゆっくりと手を引くと、アリスは引っ張られるまま、つまずくように中に入った。背後のドアが閉まり、部屋の中は静まり返る。
タグーはアリスの手を離すとカプセルに近寄り、そして振り返った。
「……アリス」
アリスは俯いて目を泳がせた。どうしてもカプセルを見ることができない。
戸惑いを露わにする彼女に、タグーは少し間を置いて言葉を切り出した。
「……クリスたちと話し合ったんだ。……今回の戦いのこと。……ディアナやアポロン、そしてグランドアレス。……これらの三体は必要不可欠だって。……けど、そのためのパイロットがいない。それも事実だ。……アポロンは今のクルーの中から一番優秀だと思われる誰かにがんばってもらうしかない。……けれど、ディアナとグランドアレスだけは……そんなわけにもいかない。ディアナは特にそうだけど、グランドアレスもパイロットを選ぶ。ただ体力があるだけじゃ務まらない。それは、ダグラス教官がそうであったために……彼のために作られた機体だったから。……けど、たった一人、ダグラス教官以外でグランドアレスを起動させて操ったパイロットがいた。……、ロックだ」
アリスの目が落ち着きなく動き、段々と下に向けられる。
「……僕がロックを引き取ったのはね、……ロックの死に納得がいかなかったからなんだよ。……こんな終わり方なんて、僕は許せない。……そうだろ? ……こんなのロックらしくないよ。……どうしてもロックを復活させたかったんだ。……復活させて……怒鳴りたい気分だったんだ。……けど、引き取ったものの、この姿を見て……すごく迷った。……ロックは自分が人間じゃないって知って……一度はその命を絶とうとした。……そして本当に絶ってしまった。……ロックが望んでそうしたことを僕が邪魔していいのか、それがわからなかったんだ。……アリスの気持ちもあるし」
「……」
「……キミがここに来る前までは、なんとか許してもらって復活させちゃおうって思ってた。……でも……思ってた以上にキミは吹っ切れてないし……。だったら、もうこのままにして置いた方がいいのかなって……そう思ってたんだよ。……。けど、こんな状況だろ……。……ロックの力が必要だ、って、僕たちは思ってるんだ」
アリスは顔を歪めてグッと目を閉じた。呼吸が荒くなり、唇が、体が震え出す――。それらを押さえることなく目を開けると、瞳一杯に涙を浮かべて悲痛な表情でタグーにゆっくりと首を振って見せた。
「……やめて、タグー。……そんなことしないで」
「……」
「そんなことしたら……ロックはそれこそ戦うために生まれてきたってことになるじゃない。……そうじゃないでしょ? ……ロックは……そんなことのために生まれたんじゃなかったでしょ……?」
問い掛ける瞳から涙がこぼれて頬を伝った。
訴えながらポロポロと涙をこぼす、顔を紅潮させて息を詰まらせる彼女を見て、タグーは少し視線を落とした。
「……わかってる。……ロックは戦うために作られたんじゃない」
「だったら戦いのために復活させないでよ!!」
怒鳴り声が部屋に響き、アリスはこぼれる涙を拭うことなく額を押さえて首を振った。
「言ってることがおかしいよ!! おかしい……!!」
タグーは声を震わせて怒鳴るアリスから目を逸らしていたが、顔を上げると、そんな彼女を直視した。
「……。ロックの、……彼が記憶してある僕たちのデータを消して、復活させる」
「……」
「ロックを、アンドロイドだと認識させ、この戦いのために作られたんだと認識させた上で復活させる。そしてグランドアレスのパイロットとして参戦してもらう。……これが決定事項だ」
アリスは背中を丸めると崩れるようにそこに座り込んで両腕で頭を抱え、肩を震わして微かに泣き声を漏らした。その姿を目で追ったタグーは、俯き、グッと拳を作って目を閉じた。
「……今夜、僕が指揮を執ってオペをする。早ければ明日にはロックは復活できる。……アリス、……その前に見て欲しいんだ、ロックのこと。……ロックはもう、僕たちのことを忘れてしまう。……忘れる前のロックを、ちゃんと見て欲しい。……僕たちの仲間のロックに……、……さよならをして」
プツン、と何かが切れたように、アリスは「うわあぁぁーっ!!」と大声を上げて泣き出した――。
『この先、俺、お前らのこと見捨てないし、絶対護るから。お前らは、俺と唯一タッグ組める奴らだからな。俺、お前らを失くさないぞ。絶対に』
「……」
――遠くで作業音が響く。頭上には、いつもと同じ満天の星……。
『怖がるなよっ。俺たち、簡単には切れねぇってっ! 仲間なんだぜ!? ここでの戦いを終えるまでさっ! 試験を終えるまでっ……。……それからも、ずっと……さ』
「……」
ぼんやりと一人、森の手前の大木の枝の上に座っている。
『さっきの質問……。なんで戦うのか、って。……わかんねぇよ、戦う意味なんか。……けど、俺はここにいるんだ。ここにいる俺が全てだ。理由なんて、ない。ここにいるから戦う。それと……お前がディアナに乗りたいって気持ちと、一緒かもな。……護りたいモノがあるから、戦う』
「……」
『なんでなんだ!! なんでこんなことになったんだ!! 俺はいったいなんなんだァ!!』
静かに閉じた目から、再び涙がこぼれた。
――何度流しても枯れない涙。痩せていって、堅くなっていく心。
目蓋を開けると、その拍子に再び涙がこぼれるが、それを拭うことはせず、潤んだ瞳で夜空を見上げた。
……忘れてしまう。……全部を忘れちゃう。……一緒に試験をがんばったことも、ここで一緒にがんばったことも、笑ったことも、怒ったことも泣いたことも、……、……星に刻んだことも……。
頬を伝う大粒の涙がポタポタと胸元に落ちる。
――とても穏やかな顔をしていた。ガラスの張ったカプセルの中、本当に眠っているように目を閉じて。
思わず声を掛けそうになった。「ほら、起きて」と。そしたら目覚めてくれるんじゃないかと期待して。けれど、カプセルの蓋を開けてもらって彼の冷たい頬に指先が触れたとき、その時に初めて頭が「死んだんだ」と認識した。信じられずに頬を両手で覆い、頭を撫で、肩を、腕を、胸を撫で、そうしているうちに心が空っぽになった。
暖かみのない体。開かない目。動かない心臓――。
……ロックは本当に死んだんだと、心が認めてしまい、その途端にまた泣き崩れてしまった。
今から現れるだろう彼は、違う人なんだ。ロックであってロックじゃない。戦うために生まれた、アンドロイド――。
『……俺たちゃ仲間だ! これから先も! 何があっても!! ずっと仲間だ!!』
……もう……仲間じゃなくなっちゃうんだよ……――
逃げるようにタグーを残して部屋から出た。もう何も見たくなかった。何も聞きたくなかった。“ずるい”ことはわかっていた……。
「アリスお姉ちゃん、見ーつっけた!」
木の根本から元気な声が聞こえるが、アリスは見下ろすことも、身動きをすることもない。
リタは顔色を窺うことのできないアリスを笑顔で見上げていたが、間を置いて腰を下ろして木に背もたれた。
「……ロックお兄ちゃんが復活するんだってね。聞いたよ。びっくりだね」
明るい口調――。
「結構覚えてるんだ、いろんなこと。私、記憶がいいんだよ。……って言ってもね、ロックお兄ちゃんと大して遊んでないから、あんまり記憶に残ってないんだけどね。でも……覚えてるんだ。……アリスお姉ちゃんを心配してたことも、すごくがんばってたことも、タグーをいつも怒ってたことも」
アリスがそっと閉じた目から新たに涙がこぼれ落ちる。
リタはそのまま膝を抱え、遠くを見つめていたその目を地面に向けた。
「……タグーがね、……、泣いてたよ」
「……」
「初めて見ちゃったんだ。……真っ正面からは見てないけどね、……隠れて泣いてた。……ずっと泣いてたんだ……」
アリスの顔が歪み、目からポロポロと涙がこぼれた。
「パパもママも、クリスおじさんも、ちょっと悲しそうにしてたけど……、……ガイは仕方がないって、そう言ってたよ。……ロックお兄ちゃんの力がどうしても必要なんだって。……タグーを説得してた」
「……」
「ロックお兄ちゃん、復活したら私のことも忘れちゃうんだよね? アリスお姉ちゃんのことも、タグーのことも、……みんなのことも。……。……でもね、ロックお兄ちゃんはロックお兄ちゃん。私、それでもロックお兄ちゃんのこと、好きだよ。……違う人になっちゃっても、きっと……好きなのは変わらない」
――いつか聞いたセリフだ。そう。ロックがアンドロイドだとわかった時も、リタは「ロックはロックだから好きだ」と言っていた。
アリスはゆっくりと目を開けた。
「それよりもさっ、ロックお兄ちゃんがどんな風に復活するか、楽しみじゃない!? 私たちのこと忘れちゃっても、その根本的な性格がそのまんまだとしたら……、タグー、またいじめられちゃうかも」
リタの心配そうな言葉に、少しアリスの顔に笑みが戻る。
「アンドロイドだって認識させちゃったら、なーんか暴走しちゃうと思うんだ。私、そっちの方が心配。だって、ただでさえお調子者だったもん。絶対にみんな、振り回されちゃうんだよ。復活してもひょっとしたら、パイロットにはならない、とかわがまま言いそうだよね」
アリスは少し吹き出した。
「みんな、期待しすぎだよ。こう……悪いコトってのを予想してないって思うんだけど。アリスお姉ちゃんもそう思わない? ロックお兄ちゃんがわがまま言った時、いったい誰が止めるんだろうね? ……って、それはアリスお姉ちゃんくらいか。結構、ロックお兄ちゃんには強かったモンね」
「……そんなこと、ないわよ……」
「んーんっ。ぜーったいそう! タグーが注意したら殴られるけど、アリスお姉ちゃんが注意すると、チェッて感じでそれでも渋々従ってたもん。……絶対にロックお兄ちゃん、アリスお姉ちゃんの尻に敷かれるって思った」
「……」
「アリスお姉ちゃん、まだまだ苦労しそうだねぇー」
かわいそうに、と、哀れみを含めてため息を吐く。リタの言葉を聞いているウチに、アリスの目からもいつの間にか涙が消えていた――。
リタは「よっ」と立ち上がってアリスを見上げた。
「カールに頼んで、ロックお兄ちゃんが言うこと聞かなかった時のための……電撃ムチとか作ってもらう?」
アリスは少し笑うと服の袖で乾き掛けた涙を拭い、小さく息を吐いてリタを見下ろした。
「……大丈夫。……その時は……思いっきりゲンコツを落とすから」
「さ、さすがアリスお姉ちゃん。アンドロイド相手にそこまで強気に出るとは」
冗談交じりに頬を引きつらせて笑うリタを見下ろして、アリスは少し微笑んだ。
「……ありがとう、リタ。……もう……大丈夫」
「うん」
リタは笑顔でうなずいて手を伸ばした。
「一緒にご飯食べよ?」
「……そうね。……うん。……食べる」
アリスは滑るようにぎこちなく木の上から降り、待っていたリタの横に並んで一緒に歩き出した。
リタは真っ直ぐ道の先を見つめるアリスを見上げて手を繋いだ。
「ロックお兄ちゃん、アンドロイドで復活してもご飯食べるかな? 鉄くず食べちゃうとか、そういうのかな?」
訝しげに問われ、アリスは少し笑った。
「……」
大きく深呼吸をして、ドアの前に立った。――ここに来るまでかなり迷った。昨夜、自分の中ではケリを付けたはずだったのだが……いざ、その時になると心が動揺してしまう。
……もう、ロックはいない。……この中にいるのは別人。……別の人――。
俯いて、悲しげに視線を落とした。
……もう……戻れない……――
少し間を置いて顔を上げると、一歩ドアに近寄った。その一歩だけでドアが開き、先に集まっていたみんなが彼女を振り返った。
ドアの向こうで立ち尽くして戸惑うアリスに、タグーがゆっくりと近寄ってきた。
「……待ってたよ」
「……。うん……。……タグー、……昨日はごめんね……」
寂しそうな笑顔で謝る彼女に、タグーは少し微笑んで首を横に振った。そしてその背中に手を当て、促すように中へと足を進めさせる。アリスは顔を上げることなく、部屋の隅の方に佇んだ。そんな彼女にリタが近寄って手を握りしめる。アリスは力強い表情のリタを見て、「……大丈夫」と言うように小さくうなずいてみせた。
タグーがクリスを窺うと、彼は真顔でゆっくりとうなずいた。それを見て、タグーは顔見知りのみんなが集まったこの部屋の中央、長台の上に横たわる青年に掛けられている真っ白なシーツをゆっくりと捲った。――黒い短パンを履いただけの格好。目を閉じたままの彼を見て、みんなが身動きすることなく見守る。
タグーは青年の顔を覗き込んだ。
「……。目を覚まして。……僕の声が聞こえるだろ? ……目を覚ますんだ」
囁くような声に、みんなも息を飲んだ。
「……キミの名前は……ロック。……ロック……、ほら、目を覚まして。……ロック」
――ピクっと指先が動いてみんながそれに気付いて注目し、そっと彼の顔へと目を移した。
「……ロック。……さぁ、起きるんだ。……眠ってる場合じゃない。……目を覚ませ」
繰り返されるタグーの真剣な声。
アリスは息を飲んでギュッ……とリタの手を握った。
――ロックの目が“まるで機械のように”震えることなくゆっくりと開いた。タグーはそんな彼の視線の真ん前に顔を寄せる。
「……ロック、僕の言葉が理解できるか? ……ロック」
「……」
ぼんやりとした目でタグーを見つめている。そして――
タグーは少し身を引いた。ロックは「んしょ……」とのんびりとした動作で上半身を起こすと、
「……ふ……あぁぁー……」
と、大きく背伸びをしながらあくびをひとつ。
気だるそうにガリガリと頭を掻いて、寝ぼけ眼でぼんやりと目の前を見つめていたが、みんなの視線に気が付いたのか、タグーたちを振り返って、少し間を置き、言葉を発した。
「――で。どこのどいつをブッ殺したらいいんだ?」