第一章 PROLOGUE ~あれから十年
「もーっ! どこに行ったのーっ!!」
「おこりいっらろぉー」
「置いて行くなんて、ずるーい!!」
「うぅーい」
雲ひとつない青空の下の、小高い丘の上――。見回せば鬱蒼と木が囲み、その傍らには奥行きの見えないひまわり畑が存在を誇示するように広がっている。
「帰ってきたら絶対に許さないんだからーっ!!」
「ゆうはあいんあー」
心地のいい風が吹き抜け、ザワザワと波立つ緑葉の上でジダンダ踏みながら拳を振り上げ文句をブチ蒔く。その隣、斜め下には彼女の真似事をするチビっこい少女がいる。
腰まで伸びた赤茶色の髪の毛をふわりふわりと踊らせながら、リタ・クエイドは怒りを露わに「ンもーっ!」と眉をつり上げつつも一旦気を落ち着けようと鼻から深く息を吐き、仁王立ちの膨れっ面で腕を組んだ。
「タグー、絶対に許さないんだから!!」
「ゆうはあいんあっ」
「……」
リタは口を閉じてじっとりした横目で足下を見下ろした。どこか呆れるような視線に気付いた少女は、瞬きをして、キョトンとした顔で見上げ無邪気に首を傾げた。くりくりとした大きな目が「なあに? どうしたの?」と伝えている。
――かわいらしいのは認めよう。だが、“それ”と“これ”とは別だ。
「……違うでしょー」
リタは「まったくぅ」とため息混じりに腰を下ろし、彼女の顔をじっくりと覗き込んだ。
「そうじゃなくて、許さないんだから、って言ったの」
先生さながら、普段以上に発音正しく言葉にするが、少女は「?」と首を傾げてリタの目を見つめた。
「……ゆうはあい」
「ゆ・る・さ・な・い。でしょ? ほら、ちゃんと口元を見て」
自分の唇を指差し反復すると、そこをじっと見ていた少女はにっこりと笑った。
「ゆうはらい?」
カク、と、首を傾げて繰り返す言葉に、リタはがっくりと頭を落として「はぁ……」と再度ため息を吐いた。
――いつもこの調子だ。何度教えてもちゃんと発声してくれない。
毎度のことだと教え甲斐もなくなり、段々と嫌になる。しかし、あどけない笑顔を見ると放っておけなくなるのだ。
リタはゆっくり腰を伸ばして立ち上がると「ほら」と手を差し出した。ふっくらとした手のひらを見て、少女は嬉しそうに笑い、腕を上げてしっかり繋いだ。
小さな手を握ったリタは見下ろしていた目を上げ、遠くそびえ立つ建物をぎろりと睨み付けて口を尖らせた。
「……きっとノアコアにいるのよ。……私のこと放ったらかしてぇーっ!!」
その頃、リタがいつか「破壊してやる!!」と目論むノアコアでは……
「――駄目だな。こいつはホント、直ってくれないな」
「ダメッスねぇ……。なんでですかねぇ……」
「みゅ。決まってるみゅ。タグーが触るからみゅ」
なにげにサラリと馬鹿にされたタグー・ライトは、振り返ることなく「……フローレル。あっち行ってろ」と冷静に突き放した。近距離で油にまみれた工具を磨いていたフローレル・ランゲルは「みゅーっ」と頬を膨らまして不愉快さを露わにするものの、反抗することなくおとなしく離れた。その昔は徹底して馬鹿にし続けたが、さすがに今は“彼の方が大きく”なり、雰囲気からも敵わなくなっているのだ。
ノアコア内、地下組織――。外の明かりも空気も入らない、錆臭い場所。常に換気はされているが、元から機械が放つ鉄臭さは消えることなく漂っている。
無数の部屋が連なる階の中、最下部である地下六階はほとんど部屋も通路もなく、とある一室が階の全面積をほぼ占めていた。この数ヶ月の作業拠点となっていて、ここに寝泊まりをするのもしばしばだ。
タグーは、黒くなった布手袋を外してそれを支障のない空きスペースに置くと、肺の中の空気を一掃するように深く息を吐いて手の甲で軽く額の汗を拭った。彼の前には大小様々なモニタ-、無数のメーターにスイッチ、レバー、ツマミやターミナルが、どれから触れば良いのかと頭を悩ませるくらいの数で並んでいる。しかも、これこそどう触ったらいいのか、と戸惑ってしまうガラス細工のような四角い固形や、デスクから突き出る数本の棒、見慣れないパネルまで。それが一台のコンピューターデスクとしてそこにぽつんと存在するだけならいい。しかし、似たような型が壁一面にずらりと設置されているのだ。この部屋に足を踏み入れた時は、タグーでも一瞬「見なかったことにしよう」と考えてしまったくらい。
この数年でノアコアを隅々まで散策し、地図を作り、そして「ここは重要だ」と思われる部分から手当たり次第、調査した。タイムゲートのあった部屋も。
実は、この地下組織の存在に気付いたのは五年程前だ。
地下二階までは認識していたが、更にその下に六階まであるとは思わなかった。異人たちも知らなかったくらいだ。なぜ気付かなかったのかというと、それが“地球の作り”ではなかったから。自分たちが今まで見たことのある“ドア”ならすぐに気付いただろう。
そのドアは“壁”だったのだ。
ノアコアの調査も大詰めの状態で、残すは地下二階、と、その階に来て安堵のため息を漏らし壁に寄りかかった時、――それは開いた。シャッターのように上部へ壁が消え、タグーは思わず仰向けに倒れそうになって驚いた。中を覗き込むと、パパパッと明かりが奥まで灯り、更に下まで続く坂道が現れたのだ。
まるでからくり屋敷だ。通路の突き当たりにあるならまだわかる。誰もが通れる通路の、特に何もない壁の一部がドアになっているなんて。それを知った時、どれほど驚いたか。
よく見てみれば、天井に小さなセンサーが仕掛けてあるのがわかった。それからは、異人たちの手も借りてノアコア内いちから隠しドアの捜索だ。二年掛けて調査した結果、結局地下組織にしかそのようなドアがないことがわかった。――もうすぐ終わりだと思っていただけにみんなはガックリとしていたが、タグーは違う。まるで、宝の部屋を見つけた考古学者のように顔を輝かしていた。
それから現在。ようやく最終階のこの部屋へと辿り着いたのだが……。
「……こいつさえ使えたらな……」
今まで見て回った中で、ここが一番重要な場所だと感じた。コンピューターの質や数はもちろんだが、何より、“先住人”が破壊した跡があったからだ。何か大事なものがあったのだろう、と、勘を信じて探りを入れてみると、通信記録がいくつか見つかった。しかし、解読不能の文字類で埋め尽くされ、理解できない。どこへ通じるコードなのか調査したいのだが、破壊された部分がひどく、作業が進まない。
「しかし、機動したらどうなることかわかりません」
奥で電力供給コアを修理し終えたガイは、タグーの傍に立って、彼が外したパネルの奥から乱れ出る配線を軽く指先でつまみ持ち、それを離した。
「これらの機能を取り戻した時は」
「ああ、わかってるよ」
言葉を遮ったタグーは、真顔で解体途中のコンピューターを見つめた。
「けど、それはみんな覚悟してることだし。……いつかはケリを付けなくちゃ」
「はい」
「奴らの居場所さえわかれば簡単な話なのに……」
「けど、ひょっとしたらもうここのコトは忘れてるかもしれないッスよ?」
少し疲れた様子で鼻から深くため息を吐く、そんなタグーに、司令部だったのか、室内の中央位置にある、椅子を設けた機械を調べるカール・グランバードが作業の手を止めて肩をすくめた。
「襲ってくるならくるで、とっくの昔に来てもいいはずッス。なんの音沙汰もないってコトは、もう諦めたんじゃないッスかね?」
「それならそれでいいさ」
タグーは軽く首を振り、深刻な面持ちで目を細めた。
「……でも、もしかしたらここの二の舞を受けている人たちがどこかにいるかもしれない。……それだけは避けなくちゃ」
「タグーさんは相変わらず厳しいッス」
「厳しくないさ。実際、宇宙での行方不明者がまた増えてるって話だから。……何もなければいいけど、何かあってからじゃ遅い。……ここには奴らが残したものがこんなにあるんだ。何も手掛かりがないはずはない」
再び黒くなっている手袋をはめるタグーに、カールは「……そうッスね」と同意して作業に取り掛かる。
ガイは、気合いを入れ直して大きく息を吐くと「……よし」と一言呟いて意気込むタグーを窺った。
「あまり根を詰めすぎないでください。作業に取り組む姿勢は立派ですが、この数ヶ月、休んだ姿を見ていません。時には安息も必要ですよ」
声色は変わらず単調だが、労いと、どこか心配を含む言葉に、タグーは「うん。わかってる」と、安心させようと笑って見せた。
「気になって気になって仕方ないんだ。眠ろうと思っても、ひょっとしたらあそこの回線かも、とか、あれを繋げたらいいのかも、とか、すぐ思い付いちゃうし」
「すべて的を外しています」
気遣いなくバッサリと斬り捨てられ、タグーは「う……」と渋い顔で一瞬息を詰まらせ身動いだが、自分が今情けない態度をとっていると思ったのだろう、すぐに背筋を伸ばして目を据わらせた。
「何事にもチャレンジ、ってヤツだろー」
わかってないなー、と、方眉を上げて果敢さを気取り、再びコンピューターを分解しようと平然と手を伸ばすタグーに、ガイは言葉を続けた。
「先程、リタから通信が入っていたようですが」
今までとはまるで違った内容にタグーはキョトンと瞬きを繰り返して手を止め、訝しげに見上げた。
「……僕、何か約束してたっけ?」
「いいえ」
「じゃあ放って置いていいよ」
無関心さを露わにして何事もなく作業に取り掛かるタグーに、カールが小さく吹き出し笑った。
「タグーさーん、リタを怒らせると怖いッスよー?」
まるで忠告するような、脅すような言われ方にタグーは顔を上げて振り返り目を据わらせた。
「みんなが甘やかすからいけないんだ」
「大半はタグーが甘やかしているように見えますが?」
ガイがカクっと首を傾げると、タグーは「違う違う」と手に持っていた精密ドライバーを怪訝に軽く振った。
「甘やかしてるんじゃなくて、教育してるんだ。少しは女の子らしくなるかと思ってたのに……。いったい何がどうなってああなったんだろ」
「それはタグーの教え方が悪いみゅー」
少し離れた場所のコンピューターを分解し始めたフローレルが、楽しげに、「クスクス」笑いながら振り返った。
「タグーの教え方じゃ、リタは益々タグーのことが好きになるみゅー?」
「……難しい年頃だなぁ」
照れることなく、むしろ、厄介事を押しつけられて困惑しているかのよう。ため息混じりに肩を落とす、相変わらずのタグーにフローレルはにっこりと笑った。
「いいみゅー。リタと恋人になるみゅー」
「やだよ。リタは妹みたいなモンなんだから。それに、歳も離れてる」
「たった十歳みゅ」
「十歳も、だよ」
「みゅー?」
タグーは、訝しげに首を傾げたフローレルを振り返ることなく、再び作業に取り組みながら言葉を続けた。
「君たちクロスは僕たちと違ってなかなか歳を取らないみたいだからあまり実感ないのかもしれないけど……十年っていう地球時間はすごく長いよ」
「そうッスねぇ……。タグーさんもリタも見る見るうちに大きくなってますモンねぇ」
カールが口を挟んで、一人、納得するようにうなずいた。
「地球人って、ホント成長が速いンスねぇ」
「君たちが遅いんじゃないの?」
「コレが普通ッスよ」
「僕たちが普通だと思うけど?」
喧嘩腰にはならないが、互いに引く様子のない二人。このままでは埒が明かないだろうと、ガイが二人の間に入り込んだ。
「タグーもカールも。何が一般的なのか、それはあなたたちが決めることではありません。あなたたちにはまだまだ理解し難いものが実在しているのですから」
ごもっとも。
カールは苦笑して再び作業の手を動かし、タグーは「……まぁね」と深く息を吐いた。
「その理解し難い奴らを、早く見つけたいモンだよ……」
「教官、さようならーっ」
「はい。気をつけて帰るのよ」
「アリス教官、また明日ねーっ」
「はい、明日ねー」
元気良く教室を出ていく候補生たちに、教卓の上を片付けながら笑顔を向ける。
賑やかな声が広がる、ここ、フライ艦隊群所属、候補生育成艦デルガ内のライフリンク候補生Aクラスの教室。まだまだ居残りを続けて談笑する少女たちの気配を感じながら、アリス・バートンは、ハラ……と頬に落ちてきた髪を耳にかけて、数種類の電子ノートを集めて重ねまとめた。
――候補生を卒業して十年が経った。その後、しばらくライフリンク戦闘クルーとして活躍をしていたが、四年前に教員免許を取り、こうして教官として働いている。最初は憂鬱だった授業もやっと慣れてきて、今では元気な少年少女と過ごすのが日々楽しく感じるようになっている。
トンッ、と、まとめた電子ノートを小脇に抱えると、まだまだ会話に花を咲かせている候補生たちに「早く帰りなさいよー」と声を掛け、教室を出た。
カツカツとヒールの音を鳴らしながら通路を歩き、すれ違う候補生たちと挨拶を交わして教員個人室へと向かう。寄り道することなくロックを解除してそこに入ると、ほっと全身の力を抜いて教官の表情を消し、持ってきた荷物をデスクに下ろして「んー……っ」と大きく背伸びをした。こんな気の抜けた姿は子どもたちに見せることはない。大人として、教官として、彼らの見本となるような行動を心掛けてしまう。教員免許を取り立ての頃は、候補生たちと“友だち”のような関係でいたい、と望んだが、しかし、それでは彼らのためにもならないとわかってきた。彼らの尊敬に値する存在でなければいけないのだ。……とは言っても、候補生たちからは「アリス教官は優しい」「教官大好き」などと懐かれてしまっているのが現状なのだが。
「……ふぅ」と、肺の中の空気を一掃しつつ、コーヒーメーカーに残っているコーヒーをカップに注ぎ、軽く口を付け、喉を潤した。ほんの短かい休憩だ。
カップを手に持ったまま、部屋の片面、強化ガラスが張られた方へと足を向け、宇宙空間を見つめた。
――闇の世界を見ていると、なぜか落ち着いてしまう。けれど、一際目立つ恒星やシャトルの姿を目に捉えてしまうと、どうしても心がざわついた。それでも、以前よりマシな方だ。こうして宇宙を見渡せられるようになっただけでも。
『……じゃーな』
『……大丈夫よ……』
時間が経つごとに段々と霞んでいく面影や言葉。……なのに、最後に聞いたそのセリフと表情だけはいつまで経っても消えない。
アリスは少し視線を落としたが、俯きかけた顔を上げると小さく息を吐き、コーヒーをグイッと一気に飲み干した。
……寂しくなんかない、全然。……日々は充実してる。退屈なこともない。暇なことさえない。……寂しさを感じる余裕なんて、ないんだから……。
何度となく候補生たちの明るい笑顔に救われた。そんな時には必ず思う。「私はあの子たちのために生きなくちゃ。あの子たちを、立派なクルーにするために」と。しかし、今、その気持ちをリセットしようとしている。
ピピピ、ピピピ、と、デスクの上の内線が鳴り、そこに近寄ってコーヒーカップを置くと通話ボタンを押した。
「はい、アリスです」
《総督からお呼びが掛かっています。ケイティにお越し頂けますか?》
「わかりました。すぐに向かいます」
通話を切ると、早速、身支度を始めた。
――なんの用事かはわかっている。そう。つい数日前、彼女は“パイロットとして合格”したのだ。
アリスは、鏡に映った正装姿の自分を見つめ、表情を引き締めると「……よし」と気合いを入れてうなずき部屋を出た。
……そう。これからよ。これからが本番なんだから――。
凛々しい表情で闊歩し、シャトルに乗ってフライ艦隊群の母艦・ケイティまで赴く。真っ直ぐな目を向ける彼女の姿にクルーたちが「受かったんだな」と察するが、誰もそのことには触れない。大半のクルーたちは“昔馴染み”だ。彼女のその突拍子もない行動が何を意味しているのか、漠然とだがわかっているから――。
寄り道することなくさっさと総督室へ向かっていると「アリス教官ーっ!」と、手を振る元気のいい声に足を止めた。対面から四人の少年少女たちがやってくる。その中の一人の少年が愛想のいい笑顔で駆け寄ってきた。
「じゃーんっ! 先にもらっちゃったぜーっ!」
目の前に立ち止まるなり、アリスの顔の前にバッと大きく広げて見せたのは、パイロットの合格証書。
アリスは笑みをこぼして、嬉しそうに証書を丸める少年、トニー・スパイド(19歳)を窺った。
「これでトニーも少しはクルーとして落ち着きが出るかしらね?」
「バンバン活躍しちゃうよーっ!?」
ワクワク顔でトニーは身を乗り出した。
「オレのインペンドに乗ってよ!」
「そうねー。けど、私もパイロットだからねー」
アリスはいたずらっぽく笑って、ニヤリと方眉を上げた。
「今日からお互いライバルよ?」
「ひぇーっ。アリス教官をライバルにしたら、オレたち絶対いじめられるんだっ」
「……いじめてないじゃない」
「よく言う! パイロットとエンジニア泣かせのアリス教官のくせにー!」
首を縮めてオーバーに嫌がるトニーに一瞬ムッと目を据わらせたが、
「教官も今からですか?」
と、トニーの後からやって来た少女に笑顔で問い掛けられ、アリスは笑みをこぼしてうなずいた。
「そうよ。……みんなと一緒にもらいたかったなぁ」
「教官だから仕方ないね」
別の少年に苦笑され、アリスは思い出したように彼らを見た。
「けど、あなたたち……、もう今日から立派なクルーなんだし、パイロットとして対等なんだから私のことを教官って呼ばなくてもいいのよ?」
「じゃあ……アリス!」
遠慮のないトニーのタメ言葉にアリスは目を据わらせた。
「私は年上なのよ? せめて、サン、をつけなさい」
「ちぇーっ。ケチーっ」
「……トニー君って呼んで欲しい?」
「い、嫌だそれ。それは絶対嫌だ。やめて」
気味悪がって顔を青ざめ首を振るトニーに小さく笑いが起こり、そんな和やかな彼らをの横を数名のクルーたちが通り過ぎ横目で窺っていく。
アリスは少し息を吐くと、気を取り直し、笑顔で彼らを見回した。
「みんな、早く一人前のクルーになってね」
「了解!」
「アリス教官……じゃなくて、……アリスさんも立派なパイロットになれるようにね!」
「はいはい」
アリスは、「それじゃーね」と、笑顔で彼らの横を通り過ぎた、その時、一人の少年と目が合った。ハル・タカハシ(20歳)は、いつものように無表情で小さくお辞儀をした。そんな彼の仕草にアリスは微笑み、「おめでとう」と労ってそこを後にする。
「……すごいよねー、アリス教官って」
ロマノ・ロゥ(19歳)が、足早に歩いていく後ろ姿を振り返って吐息を漏らした。
「最高のライフリンクで、しかもパイロットの免許まで取っちゃうんだから。……才能って言うより……がんばり屋サン?」
「猛勉強してたもんな」
ジュード・マクドウェル(20歳)は、合格証書を脇に挟んでズボンのポケットに手を入れ、上目遣いで何かを思い出す。
「絶対パイロット向きじゃないと思うけど。体力ないし」
「けど、やる気マンマンって感じよねー」
「教官のまま寿退社すりゃいいのに。何もわざわざパイロットになって戦場に繰り出すようなことしなくってもさ」
「戦うのが好きだったりしてっ」
ジュードとロマノの会話に身を乗り出して飛び込んだトニーがニヤリと笑った。
「あんな優しそうな顔してさっ、実はすっげー凶暴かもっ」
「……あんたはアリス教官に叩かれるのが好きなんでしょ?」
ロマノがいやらしい横目で窺うと、トニーは慌てて「バ、バカなこと言うなよなっ」と否定した。だが、その仕草がなお怪しく、ジュードも馬鹿にするように笑った。
「おまえ、そういう趣味があったのか? あー、だからやたらとアリス教官に楯突いてたんだな?」
「ち、違うって!」
不気味な笑いが起こる中、ハルはその輪に入ることなく、消えてしまった姿の方を振り返り、そこをじっと見つめた。
「――失礼します」
秘書官に案内され、自動ドアが開いたと同時にアリスは敬礼をし、数秒後、それをやめると一歩、二歩と足を進めて中に入った。そして、背後のドアの閉まる音が聞こえ、この空間、執務室に二人だけになるとフッと肩の力を抜き、表情を緩ませた。
「……他の子たちと一緒でいいのに……」
「特別扱い」
「……だからよからぬ噂が……」
「大歓迎」
アリスはガックリとした顔で深くため息を吐き、総督席から笑顔を向けているクリス・ロバーツにのんびりと近寄った。
「……あんまり、私一人だけをここに呼ばないで欲しいんだけど」
「噂は噂。気にした方の負けだよ」
「クリスはいいわよ。みんなからジロジロ見られることはないんだから」
「けど、そのおかげで変な虫が付かなくて済むでしょ?」
「……おかげで恋人もできないし、このままじゃあ結婚もできません」
「その時はわたしがもらってあげるよ」
にっこりと、気のいい笑顔で黒革張りの椅子から腰を上げ、不愉快そうな目を据わらせているアリスの前へと歩み寄った。
「……合格、おめでとう」
「……。ありがとうございます」
スっと差し出された証書を素直に受け取ると小脇に抱える、笑顔もなく凛々しいアリスに、クリスは困ったような、呆れるような笑みを浮かべて胸の前で腕を組んだ。
「それで、……まだ諦めてないってわけだね?」
「はい」
真顔で即答するアリスに、クリスは「やれやれ……」と言わんばかりにため息混じりで苦笑した。
「キミのがんばりは認める。……戦闘クルーになり、教員の免許も取って、パイロットにもなった。次に目指すのはエンジニア?」
「茶化さないでください」
笑顔で首を傾げて伺われ、アリスはそれに乗っかることなく軽く首を振って睨むような目を向けた。
「マニュアル、もらえますよね?」
「……しかしなぁ」
「昔は、パイロットとしての知識がないからって断られました。……けど、今は違う。パイロットにもなれた。……私に欠けているものはないはずです」
声色は冷静だが、緊迫した雰囲気で訴える。そんなアリスにクリスは小さく息を吐き、デスクに軽く腰を下ろして体重を掛けた。
「けど、アリス。……キミもわかっているはずだ」
切り出した話にアリスはピクッと目蓋を動かしたが、ただそれだけ。動じることなく、尚も目で「マニュアルを」とせがまれて、クリスは誤魔化すことなく鼻からゆっくりと息を吐き、総督としての顔で続けた。
「キミが真剣だっていうことはよく理解しているつもりだ。……でも、キミはやっぱり特別なんだよ。……セシルとロックが残した、大切な人だからね」
言い聞かせる声が、どこか優しく、そして悲しくも聞こえる。
「もし、あの二人がここにいたら……キミがディアナに乗ることを許さないだろう」
「……でも、……二人はいません」
アリスは寂しげに目を細めてようやく感情を出したが、俯きかけた顔をすぐに上げて、クリスを真っ直ぐすがり見上げた。
「マニュアルを私にください。どちらにしても、ディアナを起動することができるのは……セシル教官と同じくらいにフル活用できるのは私しかいないでしょ?」
「……アリス」
「今はまだディアナの出番は必要ないかも知れない。けれど……いざという時必要になる。……私にマニュアルをください。……ディアナを、私にください」
訴えるような視線を注ぐ、そんな彼女にクリスは肩を落として深く息を吐き出した。
何を言っても聞かない、頑固な性格になってきたのは“教官”の影響か、それとも――。そのことを考えることなく組んでいた腕を解くと、ゆっくり頭を左右に振った。
「……今は無理だ」
「どうしてですかっ?」
少しムッとして眉間にしわを寄せ、身を乗り出すアリスに、クリスは真顔で総督席に戻った。
「キミはパイロットとして合格したばかりだろ。経験も実績も少ない。それに、ギリギリのラインで合格できただけだ。パイロットとして優秀な者なら他にたくさんいる」
アリスは何か言いたげにモゴモゴと口を動かしたが、反論できず、悔しげに唇を一文字に結んだ。
確かにその通りだ。クリスの言っていることは間違いない。けれど、「パイロットとしての腕がない」とあの時断られたのに、今度は経験と実績を問題視されて断られたら、次はきっと、体格が小さい、とか、全く関係ないところで弾かれそうだ。
そんな戸惑いもあって、動けずに目を泳がせていると、クリスは椅子に腰掛けて更に深く息を吐いた。
「キミの熱意は受け入れよう。しかし、ディアナが出動するということは、それだけ緊迫した状況の中でのことになる。……その時、キミが本当にフル活用できるか、それは疑問だと思うぞ。マニュアルを読んだからって、すべてこなせるわけじゃない。優秀なライフリンクだからって、力を込めればいいってものじゃない。パイロットだからって、ただ操縦すればいいってものじゃないんだ」
また胸を刺すようなことを――。正論なだけに文句も反論も言えず、けれど、引っ込めないアリスは、とうとう口を尖らせて拗ねてしまった。「もういい。もう知らない」と駄々を捏ねるような様子でそっぽ向く、そんな彼女の扱いには慣れているのか、クリスは構うことなく無視してデスクワークに戻ろうと手を探り出した。
「もうしばらくパイロットとしての経験を積んでみること。それからでも遅くはない。……様子を見て、判断を下そう」
完全に突き放すでもなく、チャンスを与える、そんなクリスをチラッと見て、もうこれ以上ここにいても無駄だろうと感じたアリスは「……失礼しました」とふてくされながらも断って背を向け、総督室から出て行った。クリスは閉まったドアに目を向けると、デスクの上、並ぶフォトスタンドに苦笑した。
――なんとなく予想はしていたわよ。どうせこうなるだろうって。
ふてくされたままで歩く彼女に声を掛けるクルーはいない。横を通り過ぎる際、「……あ、総督と喧嘩したな」と察して。
予想通りだけど、でも、悔しい。すごく。
「――絶対、私にはマニュアルをくれない気だわ」
「諦めるこったな」
「……いやっ。絶対いやっ」
「そんなわがままブッたって、クリスがそう言うんじゃ仕方ないだろ」
「ディアナは私のものなのに」
「パイロットになりゃあ、みんながそう言うけどな」
アリスはムスッと頬を膨らませてザックを睨み付けた。
ケイティ内、機動兵器格納庫――。
苛立ちに任せてここまでやって来ると、フライ艦隊郡専用戦闘機動兵器・インペンドが使用する光弾銃の点検を行っていたエンジニア教官のザック・ハーランドを見つけ、すぐに駆け寄ってすがりついた。この数年、いつもそうだ。何かあるとザックを話し相手にした。話し易さもあるが、この格納庫の雰囲気も好きなのかもしれない。
「どうして? 私の何が不満なの? 今でもライフリンクの中じゃ能力値を高く維持してるし、力だって安定してる。そりゃあパイロットにはギリギリ合格だけど、でも、試験と本番は違う。そのことはよく知ってる。試験の点数がすべてじゃないでしょ?」
傍を通るエンジニアクルーたちの興味津々な目を気にすることなく不愉快げに愚痴をこぼす、そんなアリスに、ザックは油汚れで黒くなりながらも作業の手を止めることなく、銃口を磨きながら苦笑した。
「心配してるんだ、クリスも。……セシルの二の舞にはしたくないんだろ」
「……わかるけど。……けど……」
何か言いたくて、けれど何も言えず。アリスは悲しげに細めた目をゆっくりと上げた。その視線の先には、遠く、格納庫の壁際に並ぶ三体の個人機動兵器の姿が――
「……ただの見せ物みたい」
「見せ物でいいだろ。それだけ平和ってコトだ」
ぽつりと呟く寂しい声にザックは「ふーっ」と一息吐いて、遠くを見つめるアリスに目を向けると「ったく……」と呆れ気味に肩の力を抜いた。
「お前はライフリンクの教官として働いてりゃいい。才能を生かせる職業じゃないか」
説教染みた雰囲気で軽く顎をしゃくられ、アリスは鼻から息を吐いた。「なにもわかってない」と言いたげな様子で。
「……教官なんて、免許さえ取ってその気になれば誰にだってできます。けど、あそこの機動兵器を動かすことができるのは……」
ただ欲に駆られているのか、恋しいのか、それとも――。
寂しそうに言葉尻を細くする、そんなアリスの視線の先をザックも見つめた。
「……飾り物でいいじゃねーか。追いかける必要がどこにあるんだ?」
アリスはゆっくりと視線を落とした。元気をなくして口を閉じる、その姿に目を向けることなく、ザックは気を取り直すように深く呼吸をした。
「お前はお前の、自分の道を進めばいい。……他の奴らはそうしたんだ。お前だけ、ここに留まることはない」
諭すように告げて再び作業を始めるザックを目で追い、アリスは、また遠くへと視線を戻した――。
「しかし、どういうことなのでしょう」
不意にガイがそう言葉を発して、タグーはこじ開けたコンピューター内部に顔を突っ込み覗きながら「えーっ? なにーっ?」とこもる声で問い掛けた。
「ショートしていない記憶回路では、わたしが見掛けたのは逃げ惑うようなノアの番人たちだけでした。いったい、ここは誰が破壊したのでしょう」
「そりゃ、ヒューマじゃないの?」
「そうでしょうか?」
「だって、ノアの番人を殺したのもヒューマだろ? ここを僕たちに乗っ取られるってわかって、壊していったんだよ」
タグーは「よっ……」と顔を出して深呼吸をひとつし、ガイを見上げた。
「どこかへ通信してたのもわかってるし……よほど知られちゃまずいことでもあったんだ。……あの時の状況からじゃ、丁寧に破壊する余裕はなかっただろうからね」
「そうですね。……しかし、まだ何か引っ掛かります」
「何が?」
「わかりません。ショートしてしまった回路に何かの断片が残っているのですが、それがはっきりとしないのです」
「んー……。また、メモリーをチェックしてみようか?」
「何度やっても同じッスよー」
二人の会話を聞いていたカールが遠くから口を挟んだ。
「ショートした部分を呼び覚ますのは無理ッス。セカンドメモリーを搭載してればよかったッスけどねぇ」
「そうだね……」と、タグーはため息混じりにガイを見上げて、彼の堅い腕を撫でた。
「気にすることはないよ。ここさえ直れば済む話なんだしさ」
「もう地球時間の一年が経ちますが?」
「……それは言わないでよ」
じっとりと目を据わらせ、何か一言、文句を言おうとしたが、「みゅーっ」とフローレルが走ってきて振り返った。
「フライからの連絡みゅーっ。話があるから戻って来いってーっ」
「連邦と話が付いたのでしょうか」
ガイに訊かれ、「だといいけど……」と、タグーはどこか無関心っぽく返事をしながら鼻から息を吐いて工具を置いた。
「でも、あまりいい返事は期待できないよ。これだけ待たせるんだから……」
「人間という生き物は、なぜ種族にこだわるのでしょう? ここにはたくさんの人間が生活を営んでいます。それだけでも充分な価値があるのではないでしょうか? ヒューマが作った土地だからといっても、クロスの方々がいるからといっても、何より大切なことはそんなことではないはずです」
「そうだね。……僕もそう思うよ」
タグーは手袋を外すと、目を細めてため息を吐いた。
「……きっと小さい生き物なんだ、僕らって」
そう。地球に存在する世界宇宙連邦に同盟惑星として申請して十年。未だいい返事はない。最初は強く期待していた。何しろ、エバーの人たちもまだここにはいたのだから。彼らはれっきとした地球人だ。ここに強制的に連れてこられた、いわば被害者だ。このノアを征服し、彼らを助け出したということは、地球に住む人々にとっても吉報のはず。……だと思っていたが、不許可の通知が届き、みんなは戸惑った。何か申請に不備でもあったのかと思ったが、そうじゃないらしい。
何度も申請を繰り返し、連邦と連絡をしているうちに、彼らは気が付いたのだ。「自分たちは、“邪魔”なのかもしれない」と――。余計なことには関わり合いたくはない、という雰囲気さえ感じられた。最初のうちは物資支援に応じてもらえたし、逆に「不便はないか?」という問い掛けもあった。「技術士を派遣しようか」とも。しかし、それも最初のうちだけ。すぐにそのような関係もなくなってしまった。支援もなくなった。「地球との距離がありすぎるために物資輸送運賃が掛かりすぎる」のが理由だということだが――。
ずっとその状況が続いて、今では誰も、地球に対してすがる気持ちを持たなくなった。ただでさえ何年も辛い時期を耐えてきた。元エバーの住人たちは、ここにさらわれてきて、いつか地球から救助が来ると信じていた。でも、助けてくれたのは一艦隊だったのだ。今更地球の誰かに対しての信用もなにもない。「やっぱりか――」と、どこか落胆した空気さえ広がっていた。だから、もう誰もそのことには触れなくなっていた。
作業をカールとフローレルに任せてガイと一緒に一旦ノアコアを出たタグーは、ガイにバギーを操縦してもらい、森の中を駆け抜けて途中でそれを降り、徒歩で居住地まで向かった。ノアに住む人の中には、戦いの記憶が忘れられず、未だに怯えている人もいる。あまり激しい機械音を立てると、更に怯えさせてしまうのだ。だからできるだけ、居住地には機械を持ち込まないようにと心掛けた。
――青空の下、エバーラブが所々に咲く原っぱ。その少し離れたところに居住区画があり、生活を営む人たちの姿が見える。楽しそうな声が風に乗って流れ、更に森から小鳥のさえずりが耳をくすぐる、とてもいい環境だ。そして、それらに負けないほどの広大なひまわり畑が人々の心を和ませ、そして必要な油や蜜を提供してくれる。何も不自由なく、何も不満もない、そんな大地――。
パタパタと小さな羽を動かして飛ぶ黄色い蝶を追いかけて遊んでいた少女は、ふと、顔を上げて振り返った。
「あうー!」
嬉しそうな笑顔でタタタッと駆け出したその先、ガイを連れてノアコアがある方の森から歩いて戻ってきたタグーは、ドンッとぶつかってきて、そのままの勢いでガッシリと足にしがみついてきた少女を見下ろし、苦笑しつつ腰を曲げて頭を撫でた。
「ジェイミー、ただいま」
「あうぅーっ」
「タ・グ・ウ・だよ。ほら、口元見てごらん。タ・グ・ウ」
自分の唇を指差し教えるものの、少女は顔を足にすり寄せるだけで見上げることもしない。タグーは「やれやれ……」とため息を吐き、ジェイミー・クエイドの両脇に手を入れて抱き上げ、ガイを連れて歩き出した。
ジェイミーは、タグーの首に腕を回した後、斜め後ろを歩くガイを見上げてにっこり笑った。
「あいーっ」
「……。もう一度高性能聴覚器を造られてはいかがですか?」
ガイが伺うと、タグーは歩き保ってジェイミーを軽く抱え直し「うーん……」と目線を上に向けて考え込んだ。
「造ったものが全部合わないんだよ? どうやって造ったらいいのか……。クロスのみんなの知恵を絞っても駄目だし。メディカルチームに連絡取っても、大していい案はもらえないし。……何か、根本的に違うのかな」
「このままにしておくのはどうかと思います」
「まあね。ジェイミーの負担にならないように、一度、身体調査を……」
タグーは言葉を切って足を止めた。
――少し離れた目の前に、腕を組んで仁王立ちしたリタがいる。しかも、かなりご立腹の様子。
じゃれるようにタグーの首にしがみついていたジェイミーは、ふと顔を上げてリタの方を振り返ると、危険を察知してか、「あいー」と両手を伸ばして呼んだ。ガイは腕を伸ばしてジェイミーをタグーから引き離し、右腕に座らせ支える。
「わたしは先にジェイミーと戻っています」
タグーは青ざめた顔でガイを見上げ、怯えるように狼狽えた。
「ぼ、僕を置いていくの?」
「リタの大声は、ジェイミーの負担に成りかねませんので」
「では」と、無情に一礼して歩いていくガイとすれ違っても挨拶も何もしない、無愛想で、怒りを露わにしたリタが近寄って来て、タグーは無意識のうちに後ろに後退していた。だが、そんな距離はリタの詰め寄る大きな歩幅に比べれば微々たるもの。恐怖を感じ、誰かに助けを求めようと辺りを見回すが、構ってくれそうな人はいない。狼狽えているうちに、目の前までリタがやってき来てしまった。
「どーして私を放って置くの!?」
鬼のような形相でいきなり怒鳴る、リタの先制パンチにタグーは焦って首を振った。
「ち、違うって。放って置いてるわけじゃなくて……」
「放って置いてるじゃない! 私のこと無視してる!!」
「そ、そんなつもりはないよ……」
「無視してる!!」
「し、してないって……」
怒りに任せて怒鳴り散らすリタの声が辺りに響き渡るが、しかし、いつものこと。遠く居住区画にまで届いても誰も気にも留めない。
頬を引きつらせ笑いながら、タグーは困惑気に「ま、まぁまぁ……」と両手を胸元まで上げて見せた。
「ほ、ほら……僕たちも忙しいから……」
「私とノアコア、どっちが大切なの!?」
身を乗り出し険しい顔で訊かれたタグーは「んー……」と視線を上に向けて考えたが、
「どうして私って即答できないの!!」
と、今にも殴り掛かってきそうな勢いにビクッと肩を震わして一歩後退した。
過ぎ去りし日の、いつかのフローレルのようだ。いや、フローレルの方がまだかわい気があったな――。と、心の中で思いながら、タグーは「はは、ははは……」と、なんとか笑顔を取り繕った。
「リ、リタはジェイミーの面倒見なくちゃいけないだろ? ジェイミーをノアコアに連れて行くわけにもいかないし……」
「いつもそればっかり!!」
リタは、悔しげに拳を振り上げて地団駄を踏んだ。
「私だってタグーと一緒にノアコア行きたいのに!!」
「リタが行っても邪魔なだけじゃないか」
「何か言った!?」
ギロリと睨まれてタグーは焦って口を閉じ、ブンブンッと首を振る。
リタは、「ンもーっ!!」と自棄気味に拳を振り回した。
「いつも私だけ仲間はずれにしてーっ!!」
「リタ、わがままを言うンじゃない」
冷静な声と気配に振り返ると、苦笑気味なキッド・クエイドを連れてフライス・クエイドがやって来た。二人の姿を捉えたリタは「うっ……」と不味そうな表情で言葉を詰まらせて、場所を譲るように身動いだ。
「タグーは仕事をしているんだから。遊んでいる暇はないんだ」
彼に言われると反抗できず、拗ねるように口を尖らせてタグーを睨み付けた。まるで「タグーのせいで怒られたじゃない!!」と言わんばかりの表情。「あとで覚えてなさいよ!!」と脅す視線から逃げようと、タグーはフライスに近寄って話題を変えるべくすぐに切り出した。
「話って? 連邦のこと?」
「権利の方じゃなくてあっちの方だ。まだまだ調査段階でしばらくは時間が掛かるらしい。そっちは?」
「駄目。……どこかの回線が焼かれてるっぽいんだけど、それを見つけるのが……。あれだけコンピューターが巨大だと、なかなか上手く進まないよ」
「根気よく行くしかなさそうだな……」
深刻そうに視線を落として目を細めるフライスに、タグーは不安を露わに首を傾げた。
「被害は? ……拡大してるの?」
「連邦に入ってきている情報では日々増えているらしい。ただ、加盟していない艦隊もあるから実際の被害はもっと多いだろうな」
真剣な面持ちに、タグーは深く息を吐いて俯き、少し考え込んだ。
「……早くなんとかしなくちゃいけないね……」
「ケイティの方にも連絡をしてある。近々、こっちにやってくるだろう」
その言葉にタグーは目を見開いて顔を上げた。
「そう、なの?」
「ああ。……久し振りだろう? クリスと少し話したが、ここに来るのを楽しみにしているよ」
笑顔のフライスにタグーは「う、うん……」と返事をするものの、嬉しさや楽しみを表に出すことはない。逆に、少し視線を逸らし、戸惑って胸の前で手を握ったり揉んだり、落ち着きをなくしてきた。
リタはピクっと顔を上げた。……ってコトは――
「アリスお姉ちゃんも来るの?」
見上げて問い掛けるリタに、フライスは「ああ」とうなずき答えた。
「今もまだ艦に乗っているそうだ」
「ふうーん……」
愛想なく返事をしながら、チラ……と横目でタグーを見る。彼は何かを考え込むように、じっと下を見ているだけ。
何か雰囲気を察したのか、キッドは「……あ」と顔を上げた。
「リタ、夜食の準備をするから手伝ってちょうだい」
「えーっ!?」
いかにも不愉快っぽく声を上げるが、「リタ」とフライスに注意するように名を呼ばれ、リタはムスッと頬を膨らませながらながらも歩き出したキッドの後を付いて家へ向かった。
フライスは二人の背中を見送って、目を泳がせるタグーを窺った。
「……アリスとは全然連絡をしていなかったのか?」
「う……ん。……忙しかったし……」
「一度ちゃんと話をした方がいいぞ」
「……でも……」
真顔で勧められ、タグーは悲しげに目を細めた。
「何をどう話したらいいのか……わからないんだ……」
「そのままでいいんだ。お前が望むことを伝えたらいい。……あとはアリスが判断するだろう」
タグーはゆっくりと顔を上げて、遠くを見つめた。その視線の先には居住区画があるが、彼が見ているのは住居ではない。別の建物だ。主に、ノアコアから運び出した小さな機材を置いている建物。そして、地球に要請して送ってもらった物資や機材、その他いろんなものがそこに眠っている――。
「僕は望みなんてないよ。ただ……ここに来るならイヤでも鉢合わせする。……そうなった時……」
言葉を切らして寂しく俯く彼の肩を、フライスはポンと優しく叩いた。
「アリスだっていつまでも悲しんじゃいないさ……。せめて、お前が彼女を元気付けるようにがんばらなくちゃ駄目だぞ」
「……うん。……わかってる――」
「……はあ」
……私には何も連絡無しなのね。
ケイティ内の中階部、クルー休憩室――。
心地よい疲労回復を促すために広い室内はゆったりとした間合いでテーブルや椅子が設置され、壁際や間仕切り用には観葉植物や綺麗な花々が並べ置かれている。個室スペースには自動マッサージ室や雑談室もあり、注文カウンターで飲み物や軽食をオーダーしてそちらで気軽に時間を過ごすことも可能。窓はテーブル位置に合わせて配置され、誰にも邪魔されずにのんびりと宇宙空間を眺められるため、ここからクルー候補生たちの試験中継をおもしろ半分に眺めるクルーも多い。
今は、あまりここを利用しているクルーはいない。十数分前から、クルーたちがいきなりバタバタと動き出した。
窓際のカウンターテーブルのひとつ、強化ガラスの向こうの闇の世界を見つめながらアリスは頬杖を突いてため息を吐いた。
先程クルーから、
「ノアに向かうそうですよ! 十年ぶりですね! 準備をしろとの通達です!」
そう笑顔で声を掛けられた。
何事なのかわからなかった。だが、その“何事”を考える余裕はなかった。ただ、頭の中が真っ白になって……気が付いたらここに座って遠くを見つめていた。
……クリス。何かを企んでるに違いないわ。
疑うことなくそう思うのは“逃げ道”だと頭の片隅ではわかっている。直視することができない自分への当てつけのようにもう一人の自分が冷静に判断しているが、頭ではわかっていても心が動かない。動くことを拒んでいる。
振動などはないが、艦が移動を開始し、止まっていた星が流れるように見つめる目に映る。アリスは突いている肘の側にあるコーヒーカップを手に取って、少し口の中を潤した。
……ノア……。……。
「……ここ、いいですか?」
斜め後ろから声を掛けられ、顔を上げて振り返ると、湯気の立つ紙コップを手に立っている――ハルがいた。アリスは一瞬キョトンとしたが、すぐに「あ、ああどうぞ」と隣の椅子を勧め、腰掛ける彼の様子を目で追って首を傾げた。
「まだ帰ってなかったの?」
「……調べものがあったから」
「勉強熱心ね」
「……そういうつもりはないけど」
笑顔で褒めるが、真っ直ぐ宇宙を見つめたまま小さく返事をして表情なくコーヒーをすすり飲む。
ハルはパイロットだし“教官と候補生”として大きな関わり合いがあるわけではない。ただ、パイロット試験の勉強の時、彼らにいろいろとお世話になった。一人で猛勉強をしている時にトニーから声を掛けられたのが最初の切っ掛けだ。それからというもの、彼らから様々なことを教えてもらった。
トニーに負けず劣らず、ロマノやジュードもいつも笑顔で接してくれたが、彼だけは違う。よく懐いてくるトニーとは逆にハルはほとんど懐くことなく、ただぼんやりと、あくまでも「仲間たちが付き合ってるから自分もいる」といった雰囲気だけで傍にいた。そのせいか、会話した記憶もあまりないし、彼のこともいまいち掴めない。ライフリンクとしての力を生かせばそれなりになんらかの“空気”を掴むことも可能なのだが、なんとなく、それはアリスにとって気の乗らない行動のひとつになっていた。
無口な時間を過ごしつつ、アリスは再び宇宙空間へと目を向けた。あまりハルの存在は気にならない。そこにいるのかも、目を向けない限りわからない。ハル自身も何か話をするわけでもなく、ただぼんやりと星を眺めているだけ。
背後からこの二人を見て、クルーたちはどう思うやら――。
「……ディアナ」
しばらく間を置いた小さな声にアリスは「え?」と振り返ると、ハルはじっと宇宙を見据えたまま続けた。
「……乗るんですか? ディアナ」
バレているのか――。少し分が悪い気もしたが、アリスは「うん……そうね」と情けなく笑った。
「私としてはそのつもりだけど……なかなか許しが出ないから」
苦笑するアリスを見ることなく「ふうん……」と小さく鼻で返事を漏らし、テーブルに置いたコップが放つ暖かさを両手でそっと囲んで受け止めながら間を置いて更に続けた。
「……ちょっと無理あるんじゃないですか?」
率直な意見に、クリスの時とは違ってまた違う不愉快さを感じながらも、アリスは軽く口を尖らせ小さく息を吐き出して星屑へと視線を戻した。
「わかってるけど……」
「……わかってたら余計だと思いますけどね」
「……。それでもディアナに乗りたいの。そのためにパイロットの資格を取ったんだから」
「……あんまり意味ないんじゃないですか?」
淡々と意見され、アリスは無表情な彼の横顔を訝しげに見つめた。
「どういうこと?」
「……資格を持ってても、その腕でディアナを操れるとは思えないですけど」
「それは……これからの実績次第でしょ?」
「……実績……ね」
繰り返された言葉が、どこか馬鹿にされているようにも聞こえる。
ただの一度もこちらを見ることなく、小さく息を吐いてコーヒーを飲む、そんな無愛想な彼にアリスは目を据わらせた。――生意気なヤツだ。とは言っても仕方ない。なんていったって、アリスは“最低位”にて合格して、ハルは“最高位”にて合格している。この差は大きい。あまり出しゃばったことは言えない。――そう考えるだけで悔しさがあふれるが。
「……ムチャでしょ。ディアナに乗るのは」
あっさりと言われるが、
「そんなの、やってみなくちゃわからないでしょ」
と、ツンとそっぽ向く。
「……自分の技量を把握するのも、大切なことだと思いますけどね」
グサッと何かが胸に刺さったが、それを押し隠し、そっぽ向いたままで眉をつり上げた。もうそろそろ、何か文句のひとつでもブチ撒けようかと思った、その時、
「……大体、初代のパイロットはそのせいで死んだんでしょ?」
その冷静な言葉にアリスは目蓋を動かし、細めた目をテーブルの隅に落とした。
「……それだけ体に掛かる負担が大きいってコトですよ。……あんた、精神力が強いだけのヒョロけたライフリンクなんだから、ディアナに乗ったら一発で即死しますよ」
「あんた」と呼ばれた。それだけでも不愉快だ。沈み掛けた気持ちを持ち直し、アリスは心の中で握り拳を作った。何かを言い返してやりたいが、「彼より年上なんだから」という意識と「教官なんだから」という意識、そして……「ごもっともです」という心の中の素直な自分が押さえつけている。
ハルは残り少なくなった紙コップを片手で軽く持ち上げ、遠く、砂粒のような星の塊を見つめた。
「……あんた見てると、まるで死に場所を探しているみたいです」
ピクっと眉を動かして軽く眉間にしわを寄せる、何も言わないアリスの気配を、もし彼がライフリンクなら充分感じ取っていただろう。だが、ハルは小さく息を吐いた。
「……迷惑な話ですよね」
声は単調だが、その台詞にはムッと来た。
アリスは頬を膨らませて頬杖を突くと、再び宇宙空間を“睨んだ”。
「私の勝手でしょ。それに、パイロットとしての腕前はともかく、ライフリンクとしての能力値はこの艦内でトップなんだから。……パイロットの実力なんて実績さえ積んでいけばなんとかなるわよ。体力だってがんばって付けていけばいいんだから」
「……ライフリンクの能力って、いわば生まれつきの才能ですよね。努力もしないで付いていた才能に自惚れてるから、パイロットとしてディアナだって簡単に乗りこなせるって思ってるんじゃないですか? ……考えが甘いですよね」
さすがにカチンッ! とハルを睨み付けた。
「キミね、さっきから何? 私に文句ある?」
「……文句ですか。……そうですね……。たかがライフリンクのくせにパイロットになろうなんて百年早いってことでしょうか」
やはりこちらを一瞬たりとも見ることなく、落ち着いたのんびり口調で言う。
「百年早ェよばーか!」と文句を言われるよりも、こちらの方が神経を逆なでした。彼は人を怒らせる天才なんじゃないか、とさえ感じてしまう。
こいつーっ、と、アリスは心の中で握り拳を強く震わせた。だが、ハルは気にすることもなく更に追い打ちを掛ける。
「……あんたはディアナには相応しくないですよ。とっととパイロットの免許なんか放棄して、おとなしくライフリンクとしてやっていくことです」
「大きなお世話よっ」
「……忠告ってヤツです」
アリスは「ふんっ」とまたそっぽ向く。
ずっとおとなしいだけの少年……いや、青年かと思っていた。トニーが賑やかすぎたせいなのか、このギャップもどうも気に食わない。
ハルは残ったコーヒーを全部飲み干すと、クシャ、と紙コップを潰した。
「……とは言っても、教官としての仕事の方が忙しいだろうし。どうせパイロットとして活躍はできないでしょうから、やっぱりディアナには乗せてもらえないでしょうけど」
――ホントにいちいち気に障る言い方をするヤツだ。
アリスは深く息を吐き出し、横目で睨み付けた。
「そういう自分は何? どうせいつか個人機でも造ってもらうつもりなんでしょ?」
「……個人機ですか。……そうですね。いつかはそれもいいかも知れませんけどね。……でも、そこまで優秀になれるかはわかりませんから」
表情を変えることなく、足下のダストボックスに紙コップを投げ入れる。
謙遜しているのか、なんなのか――。
……よく言うわよ。パイロット候補生の中でもズバ抜けて才能があるくせに。能ある鷹は爪を隠す? ……違うわ。こいつの場合はそうじゃない。……こいつは……――
何かの空気を読みとろうとした、その時、ハルがふと顔を上げ、訝しげに眉を寄せた。
「……戦争があるって情報、ありましたか?」
問い掛けられて、その言葉にアリスは「え?」と視線を追う。
「戦争って? ……どこかの艦でも見えた?」
「……いえ。何かのレーザー砲みたいなものが今、数本伸びたから……」
真っ直ぐと宇宙を見つめて冷静に答えるハルを振り返ったアリスは怪訝ながらも真剣さを漂わせた。どこか切迫した雰囲気を露わにする彼女の視線に向き合うことなく、ハルはしばらくして小首を傾げた。
「……何も起こりませんね。レーザー砲みたいに見えたけど……違ったのかな。試し撃ちかな……」
少し納得いかなげだが、それでもため息を吐いてその場を納めようとする。だが、アリスはそうもいかない。突然椅子から腰を上げると、見上げたハルに真っ直ぐな目を向けた。
「ホントに見えたのねっ?」
焦るような口調で問われ、ハルは少し顔をしかめてうなずいた。
「……見えたのは間違いないですよ。……なんなのかはわからないですけど」
アリスは目を泳がせて戸惑いを露わにすると、押さえ込むように彼の肩をグッと掴んだ。
「今日はケイティにいなさい」
「……。え?」
「いいわね? 外に出ないで」
「……けど、スバルに帰らないと」
「いいからここに残りなさい!」
睨みながら険しい表情で命令する、そんな彼女の大声に休憩をしようとやってきていた数名のクルーたちが二人を振り返った。「なんだ?」「どうした?」とじっとこちらを窺われるが、その目を気にすることなく、ハルは訳がわからないまま、口答えもできずにただ小さくうなずいた。それを見届けたアリスは、
「絶対よ! 外に出るんじゃないわよ!!」
そう大きく念を押し、どこかに走っていった。
休憩室を出て行った彼女の背中を見送り、ハルは訝しげに眉を寄せていたが、彼女が飲みっぱなしで置いていった紙コップを見て、ため息混じりにそれを片付けだした。その間に、周囲にいたクルーたちに次々と交信が入り、彼らは「すぐに向かいます!」と焦って返事をして片付けもそこそこに出て行く。彼らの背中をも見送ったハルは、一人、その場にぽつんと取り残される形になった。
――何かが起ころうとしているのか?
ふとそう脳裏に過ぎったが、だからといって何もできない。何をしたらいいのかもわからない。
「……どうしようかな」と考えた結果、とりあえずぼんやりと休憩室を出たが、クルーたちが走り回っている姿に驚き、邪魔にならないように壁際に寄ってそれを避けた。
あまりにもいきなりだ。アリスがどこかに行って、それからまだほんの数分後。――まるで戦争でも始まるかのような雰囲気に、正直呆気に捕らわれていた。
「外に出るな」と言われただけにどこにも行けず、不慣れなケイティ内でぼんやりとする。話し相手も遊び相手もいない。クルーたちはドタバタと走り回っているのに、ポツンと立ち尽くしているのは彼一人だけ。
……なんだか、サボってるみたいだな……。
変な誤解はされたくないが、走り回っている彼らに声を掛けて止めるのも気が引ける。ここにトニーがいれば何かしら情報を仕入れて、「聞いて聞いて!!」と探さなくても自らやってくるのだが……。
――困った。と、心の中で焦り思っても、無表情で立っているとただボーっとしているだけにしか傍目からは見て取れない。
……このままじゃ怒られそうだな……。……どうしようかな……。
それでも、行く当てもなく、やっぱりじっと立ち尽くす。
「キミっ、邪魔よっ!」
とうとう注意されて「……はい」と後退して壁際に更に寄る。そこでまたじっと立ち尽くすハルを見て、アリスと同じくライフリンクの教官、メリッサ・ギルバートは顔をしかめた。
「そんなトコで何してるのっ? 所属はっ?」
駆け回るクルーたちの間を縫って近寄り訝しげに問うと、ハルは「……所属……」と繰り返して視線を落とし考え、顔を上げて首を振った。
「……今日、パイロットの合格証書をもらったばかりなんで、所属ってわからないんですけど」
候補生か、とすぐに理解したメリッサは呆れてため息を吐いた。
「なんでこんなトコにいるのっ? 用が済めばスバルに帰らなくちゃ駄目じゃないっ!」
「……帰りたいんですけど……ライフリンクのアリス教官が外に出るな、って」
表情はほとんどないが、声色が拗ねて聞こえる。メリッサは「ああっ、そういうことっ……」とうなずき、今までの“目上目線”を消し去って焦りを浮かべた。
「とにかくここにいちゃ邪魔なだけだからっ。えーと……っ、パイロットの集会場は知ってるっ?」
「……知らないです」
「あーっ、ンじゃあっ……、誰か知り合いはっ?」
「……いないです。……。……あ。……アリス教官なら少し」
のんびりと考えて返事をするハルに、メリッサが「困った子ね!」と言いたげなため息を吐いた、その時――
【緊急事態発生! 戦闘クルーは直ちに出撃庫に集合!! 手続きを済ませて待機せよ!!】
【乗組員、および一般市民に警告する!! 非常事態に付き、衝撃等に備え各自座席に着き、シートベルトを着用の上、指示を待て!!】
通路に設置された警告ランプが点滅をしてサイレンが鳴り響き、クルーたちの慌ただしさが更に輪を増す。
メリッサは小さく舌を打ってキョロキョロと動揺するだけのハルを見た。
「キミ、名前は!?」
「……ハル」
「司令塔の場所は知ってるわね!?」
「……はい」
「OK! そこに行きなさい! アリスがいるはずだから彼女の指示に従って! 私はもう行かなくちゃ!」
「……はい」
「急ぎなさい! ……揺れるわよ!!」
表情を険しくメリッサは言うだけ言うと、ダっ……! と走っていった。
益々ワケがわからないが、とにかく言われた通りにするしかない。走り回るクルーたちの中、紛れるようにハルも司令塔へと走った――。
「各艦長に通達は!?」
「済みました!!」
「シャトルすべて格納、チェックOKです!!」
「熱量確認!!」
「ゲートシールド、パワー上昇!!」
「80! ……85! ……90!」
「各艦隊保護距離確認!! 範囲内に収まりました!!」
口々に叫ぶオペレーターたちを見回し、一段高いところに位置する中央司令席の側でアリスは焦りを浮かべて強化ガラスの向こうの宇宙空間を凝視した。
ケイティ内司令塔――。
アリスが駆け込んだ時には、すでに慌ただしさが充満しつつあった。彼らもハルが見たものを捉えていたようだ。同時期にここへ現れたクリスはすぐに状況を把握し、シールドの指示を出した。
……何かが来る。間違いない。この感覚は……あの時と同じだ。
アリスはゴクンと唾を飲んだ。
何かに狙われているかのような視線を感じる。心音が早く鼓動して落ち着かない。――恐怖心に煽られて、声すら出すことができない。
上官たちに囲まれ指示を出すクリスは、それぞれから送られてくるデータを確認しながら険しい面持ちで顔を上げた。
「ゲートシールドディスチャージ!!」
「了解!!」
オペレーターたちが慌ただしく手を動かしていると、強化ガラスの向こうに薄い光の膜が広がっていく。
アリスは鼓動を沈めようとして胸元の服を強く握りしめた――時、ポンッと肩を叩かれ、油断していただけにビク!! と驚き、振り返った。
「こんなトコで何してるの!?」
息を切らすハルを見上げて訝しげに眉間にしわを寄せると、ハルはハルで不愉快げに軽く目を据わらせた。
「……ここに行けって言われたんです。あんたの指示に従えって」
「誰がそんなこと!!」
「……、知らない人」
こんな時まで冷静なハルに、アリスは「ああっ、もーっ!」と苛立ちを露わにしながらも、周りに迷惑を掛けられず、彼の腕を掴んで壁際に寄ろうと引っ張った。だが、ゾクッと背筋に悪寒が走り、それと共に目を見開いて息を止めた。それを目で捉えたハルは「?」と顔をしかめ、声を掛けようと口を開き掛けたが、その瞬間、突然、司令塔に目映いほどの光が入り込んできて各場所から小さい悲鳴が上がった。艦が突き押されるように大きく揺れ、それぞれが何かにしがみつく。足下がグラついて倒れ込んだハルにつられ、アリスも「キャッ!!」と床に崩れた。
目を開けることもできないほどの光は長く続き、その間、ゴゴゴゴッ……と唸るような音を立てて艦が振動し続ける。――誰も言葉を発せなかった。恐怖に駆られて、声も出なかったのだ。そして、数十秒後……。
クリスは「クッ……」と、目の前にかざしていた腕をゆっくりと下ろして、暗くなってきた目蓋の向こうを見ようとその目を開けた。
「……。現在地確認!! 状況は!?」
クリスの大きな声に周りのクルーたちが戸惑いながらもチェックを入れる。
「……現在地、ウルティノス星群内!! ……現距離変わりません!!」
「ゲートシールドパワーダウン!」
「艦内破損状況確認中!」
「外装損傷チェック!」
「各艦長に至急状況確認をしろ!!」
「了解!!」
「トード艦、内部にて火災発生!! 消火活動中です!!」
「ゲートシールド搭載インペンドによる外部調査隊の派遣はいかがしますか!?」
大きな言葉が飛び交う中、アリスとハルは「てて……」と倒れ込んだ際に打った体を撫でながら立ち上がった。
「……大丈夫だった?」
アリスが打ち付けた膝を撫でながら顔を歪めて問い掛けると、ハルは腰を押さえ、深く息を吐いてうなずいた。
「……あんたは?」
「……なんとか」
お互いの無事を確認し合い、一旦ホッとしてから騒々しくやりとりをする室内を見回した。
「……成功したみたいね……」
安堵のため息をもらす、そんな彼女を見てハルは訝しげに眉を寄せて首を傾げた。
「……今のは? なに? 攻撃?」
「……。みたいなものよ」
アリスはそう答えて、ゆっくりとした足取りでデータのチェックを入れるオペレーターの一人に近寄った。
「……状況はどう?」
「なんとか大丈夫みたいですね。……シールドが効果あったようです。あとは、あの振動による被害でしょうか……」
「……そうね……」
「ご苦労様」と彼女の肩を軽く叩いて労い、アリスは強化ガラスの向こう、何事もなく静まり返っている宇宙空間を見つめながらハルの傍に戻った。
「一般宿泊施設があるから、今日はそこで休むといいわ。……もう何もないと思うけど、一応念のためにね」
「……で、アレはなんです?」
「……タイムゲートよ。あれに飲み込まれると、知らないところに連れ去られちゃうの」
「こっちよ」と歩き出すアリスの後を追って、ハルは首を傾げた。
「……知らないところって?」
「だから、知らないところよ」
投げやりな返事にハルは少しムッとした。その空気を感じ取り、誘導しながらアリスは鼻から息を吐いた。
「勉強熱心みたいだから、今度過去の資料でも調べてみなさい。……光の柱って名前で検索できると思うから」
愛想なく教え、「宿泊施設はこっち」とハルを連れて歩き続ける。
艦内はクルーたちが大忙しで走り回っていた。声を掛け合う者、何かの部品を持って走る者、先程の振動の衝撃が酷かったのか、開いているドアから各部屋を覗くと、棚から物が落ち、床に散らばっている。
「……はぁ。私の部屋も掃除しなくちゃ……」
嫌そうに呟く、先を歩くアリスの後をハルは辺りを見回しながら付いていく。
「……こういうのって、ここに来て初めてなんですけど……よくあることなんですか?」
「……十年ぶりね」
ぽつりと聞こえた言葉にハルは見回していた目を止めて、訝しげに彼女の背中へと向けた。
「……十年って。……あんた、いつからここにいるんです?」
「十年以上」
「ふうん……。……おばさんだな」
冷静な声に、アリスは「まだ27歳よ!」と不愉快げに目を据わらせた――。
「……」
夜が訪れた。――とは言っても、日の出入りはノアコアで制御されているに過ぎないが。
耳に入るのは心地のいい虫の声。そしてたまにどこからか獣の寂しげな遠吠えが耳に届いた。
――いつもいつも賑やかで楽しい日々を送っている。仲のいいフライスとキッド。二人のおおらかな人柄に包まれているのがよくわかる。リタだって、わがままを大爆発させているが、それは言ってみたら幸せの裏返しだろう。ジェイミーは障害を負っているものの愛情を注がれ大切に育てられている。そして、それは自分にだって――。
「ここでしたか」
聞き慣れた声に振り返らず小さく笑みをこぼすと、横にやってきた冷たい感触に体を震わせることなくそっと見上げた。
「……ジェイミーは眠ってた?」
「はい。キッドが見ています」
「そっか……」
気の抜けた返事をして目の前に視線を戻した。
タグー専用の機材倉庫。空気のひんやりとした部屋で、明かりと言えば天井から吊り下げられたぼんやりと光る豆電球だけ。こんなに薄暗いのに、布を欠けられたカプセルだけははっきりと見える。――「見える」と言うより、目蓋の奥に焼き付いていてそれが消せないだけなのかも知れない。
「ケイティがこちらに向かっているそうですね。フライスから聞きました」
「……うん」
「アリスとも久し振りに会えますね」
「……。……うん」
返事はするものの、そこにまったく生気がない。心ここにあらず、だ。
ぼんやりとしているタグーをガイは見下ろした。
「どうしました? いつものタグーらしくありませんが。アリスに会えることが嬉しくないのですか?」
「……そんなことないよ。嬉しいさ。……。嬉しいけど……」
言葉を切って目を細める彼の視線の先を追ったガイの顔が止まった。
「……。ロック、ですか」
保存している機材とは明らかに一際違う、布のかけられたカプセル――。中央位置に陣取るそれを見つめていたタグーは、少しずつ顔を下に向け、足下に目を落とした。
「……イヤでも鉢合わせする。そうなった時……」
「そうなった時は、支えればいいんです」
「……わかってる。それはわかってるんだ。わかってるけど……。……言うほどそれは簡単じゃないと思う……」
「そうでしょうか?」
「だってさ、友だちだったんだよ? ……ううん、恋人になっていたかもしれない。……その人がこんなところにいるなんて……耐えられることじゃないと思うんだ。……できるなら支えたいよ。でも、十年って時間は長い。……会うことも、話しをすることもなくて、お互いずっと過ごしてきた。……僕に何ができる? ……精々、話を聞くことくらいしかできないよ……」
悲しげに話した後、ゆっくりと顔を上げてカプセルを見つめた。
「……どうしたらいいのかさえ、わからないんだ……」
再び俯いて視線を逸らし、黙り込む。
気落ちしている彼を見下ろして、ガイは首を傾げた。
「わたしにはそうは思えませんが?」
迷いもないすっきりとした声にタグーは顔をしかめ、不可解気に見上げた。「なんで?」と目で問うと、ガイは綺麗に磨かれた顔をタグーに向けたまま続けた。
「人間というものは死者を丁重に葬ります」
「……うん」
「では、なぜロックはこのままなのですか?」
タグーは少し眉を動かし、ガイの真っ直ぐな顔から逃げるように視線を逸らした。
「……それは、……だって……ロックは特別だから……」
「特別と考える時点で、タグーの中ではこの先どうしたらいいのか、もう決まっているのではないでしょうか? あなたが地球の医科学チームにロックの引き取りを願ったのも、そういうことなのでは?」
――なんだか痛いところを突かれた気分だ。
タグーは戸惑いを露わに目を泳がせ、「……けど」と声を漏らした。
「僕の判断だけじゃ……」
「では、アリスに問い掛けてみたらいいんです」
「……だからさ、それが簡単にできればいいけど……」
「簡単です。聞けばいいんです」
さらっと返されると、なんだか沈んだ気持ちが押さえられて、逆に「何も伝わっていないのかな」と訝しげに思ってしまう。
タグーは深く息を吐き出し、呆れてガイを見上げた。
「アリスの気持ちを考えてよ。ロックのことなんて、聞きたいと思うか?」
「しかしタグー、あなたが迷っていることこそ、アリスを不安にさせ、心的外傷を与えるのではないでしょうか?」
――また痛いところを突かれた。
「う……」と分が悪そうに軽く身を引いて「……それは……」と口ごもって目を泳がせるタグーに、ガイは更に続けた。
「あなたがロックをここに呼んだんですから。なぜそうしたのかを、はっきりとアリスに伝えるべきです。迷い続けている姿を見せるのは逆に不信感を与えるのではないでしょうか?」
問い掛けを含めた正論に、タグーは意見することもできずに視線を落とし、そっとカプセルを見つめた。
「……ロックは……このままの方がいいのかな……」
「ではタグー。あなたはなぜ、わたしを修理して蘇らせたんですか?」
弱気でいたタグーは、ガイの問い掛けに少し目を見開いた。
――なぜ。それは決まっている。
自分の腕試しがしたかったわけじゃない。
実力を誇示したかったわけじゃない。
答えは、ただひとつだ。
真顔でじっとカプセルを見据えるタグーを見ていたガイは、その視線を追って顔を向けた。
「アリスとよく話し合ってください。悩むのはそれからでも遅くはないでしょう。……今は、再会できることを喜びましょう」
タグーはガイを見上げ、ゆっくりとカプセルの方に目を戻すと小さく息を吐き、笑みをこぼしてうなずいた。
「……そうだね。……。アリス、変わっちゃったかなぁ……」