白狼宗駕
東京上空六〇〇メートルを、一機のヘリコプターが夕日に染まって飛ぶ。その機内には、若いパイロットと壮年の男性がいた。
「間もなく、着陸地点です。向こうに見える山ですね」
パイロットは前方に見える、他の山々より一段飛び出した山を指差し、同乗の男にそう告げる。すると、その男は座席から身を乗り出し、
「山中!? ばか。息子たちが待ってるんだ。オレの家の庭に降ろせ」
男はそう言って、人差し指を下に向けた。
「そんな。むちゃ言わないで下さい。決まった所にしか降りられないんです」
パイロットは困り果てるも、『決まりですから』と男に告げる。
男は観念し、座席に座り直した。
「そっか、決まりなら仕方ないね……」
心なしか、その声には元気が無かった。
しょんぼりとして、機内の床に目線を這わせる。
「五年ぶりでしたよね? 息子さんたち喜ぶますよ。きっと。私にもね、3ヶ月の息子がいまして、それが可愛くて」
「おお! なら話は早い。息子の可愛いさが分かる者同士、ここは手を取り合って、オレをオレの家の庭に……」
男が言い切る前に、パイロットはピシャリと制した。
「だから無理なんですよ。決まりは決まりですから」
「そこを一つ。ね!? こんど、銀座でスシでも!?」
「何と言われようとも、出来ないものは出来ないんです!」
パイロットのご機嫌を取ろうとしたが、それは上手く行かず、結局、自宅の庭には降ろしてくれそうになかった。
白狼家から笑いが消え、不気味な静寂が訪れてから数分、競賀が口火を切った。
「ウソつくなよ……、風画兄貴……」
顔中に汗を垂らし、引きつった笑みを浮かべて訊く。その笑みには『信じたくない』というニュアンスが含まれていた。しかし、風画は首を横に振った。
「ウソなんかじゃない。本当だ」
競賀は風画の顔と対峙する。それと同時に、競賀の論理的思考回路が働き出した。
『風画の顔は真剣そのもの。額から脂汗を流し、険しい顔つきで、こちらを見ている。では、海雅はどうか。海雅は風画と違い、いつもいい加減で適当だ。もし、海雅がへらへらしていたら、これはドッキリの類である』
競賀はコンマ数秒でその論理を構築し、論理の答えを得る為に、海雅の顔を見た。
海雅もまた、風画と似たような顔つきをしていた。
競賀の論理の答えは出た。
『風画の言葉は紛れもない事実。即ち、今日中に親父が帰ってくる』
と。
その時だった。
「わん! わん! わん!」
庭から飼い犬のレックスの鳴き声が聞こえた。いつもと違った強い鳴き声。そして、尻尾をピンと立てている。これは『警戒』のサインである。
レックスの異変に誰よりも早く気付いた風画は、ガラス戸を開けて裸足で庭に降り、駆け足でレックスに近づいた。
「どうした!?」
片膝立てでレックスの頭を撫でる。
「わんわん!」
レックスは空に向かって吼え続ける。
「?」
風画は空を見上げた。 そのおり、海雅と競賀が玄関の方向からやって来る。
「どうした? 二人とも空なんか見上げちゃって。宇宙人の侵略か?」
海雅も空を見上げ、隣にいた競賀もそれに倣う。
澄んだ夜空に眩い月光と散りばめられた星。そんな夜空の一部分が、小さくぽっかりと切り取られていた。
「わん! わん!」
レックスは更に吼える。
そんな中、地上にいる彼等を上から風が吹き付け、けたたましいローター音が響き渡る。
「ヘリ?」
競賀がポツリとこぼす。
その時だった。
『ぃよぉーう!! みんな元気かぁ?』
ローター音をかき消さんばかりの大音声。それが拡声器によって作り出された物と認識するまで、さほど時間は掛からなかった。
『待ってろよ! オレはすぐ行くぞ!!』
ヘリから身を乗り出し、右手の拡声器越しに声を張り上げる。
地上の三人と一頭は、その光景を唖然として見ていた。
「白狼さん! 危ないから戻って下さい!」
機内からパイロットの声が漏れる。
『うるさい! あんたが聞き分けないから、オレは一人で降りる』
拡声器の男は、パイロットに拡声器を向けて言う。
「聞き分けないのはアンタでしょーがぁー!」
パイロットが耳鳴りの中叫んだ直後、男は拡声器を機内に放り、変わりにスーツケースとボストンバッグを抱えて、再び身を乗り出す。
「とぉーー!」
地上五メートルから男が飛び降りた。
男はみるみる降下し、地上でぽかんとしている風画に迫る。
「うわわわわわ!」
「風画! 逃げろ!」
「兄貴! かわせ!」
「わんわん!」
「ただいまーー」
四人と一頭が叫ぶのは、殆ど同時だった。
男は風画に馬乗りになる形で着陸した。
「なあ、海雅兄貴」
競賀は海雅に言いたい事があった。
「何?」
海雅は風画と男に釘付けになりながらも、競賀の声に応える。
「宇宙人より厄介なのが来たね」
「そうだな。ついでに、ノストラダムスの予言は六年と五ヶ月遅れみたいだな」
「俺は予言なんて信じないね、非科学的だ」
「じゃあ、今日この瞬間から信じろ」
ヘリは闇夜に向かって飛び立ち、辺りに静けさが戻る。そんな中、先ほどまで吼えていたレックスは、尻尾を振って跳ね回っていた。
「わんわん!」
「久しぶり〜」
仰向けの風画の上で、彼等の父親は陽気に手を振った。
「ヒャッホォーーイ! 帰って来たぜぃ!」
彼等の父親、白狼宗駕は、荷物を放り出して叫んだ。
白狼宗駕 身長…一八八センチ 体重…八一キロ とある大企業の重役で、毎日のように海外を飛び回っている。そのため、家に帰ってくる事は稀。白狼三兄弟から恐れられているが、その理由は後ほど………。