違和感
馬に揺られて数時間。ようやく亀山城に着いた時にはもうくたくただった。
「これが馬酔いって言うのかしら……」
馬から下りるとふらふらで立っているのも限界だ。何だか気持ち悪い。
「船酔いなら聞いたことがあるが馬酔いなどと言うのは夜恵が初めてだ」
光秀公は笑う。本当によく笑う人だ。
(こっちは笑い事じゃないんだけど!)
「一度部屋に戻って休め。飯の時に呼ぼう」
そう言って光秀公はわかさんを呼ぶ。
「はい、かしこまりました」
そう言ったわかさんは、私のほうによってきて、「さぁ、行きますよ」と言ってすたすたと歩いていく。
(は、速い…)
どうも過去人というのは足が速い。やはり走ったり歩いたりする事に慣れているのだろうか?
部屋に着いたころにはもうへろへろだ。
「何かお持ちいたしましょうか?」
わかさんが言う。
「お、お水ありますか?」
サイボーグのくせに乗り物酔いだなんて情けない……仕方ないが薬を飲もう。効かないけど。
そう思ってわかさんに頼む。
少し経つとわかさんがお水を持ってきてくれた。
「ありがとう」
そう言って受け取ってから錠剤を三つほど飲み込む。どうも薬が喉を伝う感触は気持ち悪いとしかいえない。
「あの、失礼ですがそれは…」
「えっ? ああ、これ?」
どうやら私が飲んだ錠剤が気になるようだ。
「薬だよ。ちょっと気持ち悪いし効果もあんまり期待できないけどね」
そう言って簡単な効能を説明する。これは解熱、痛み止め、吐き気止めの効果のある薬だという事。乗り物に酔ったときなんかは後から飲んでもあまり効能がないので、本来は先に飲んでおくべきだという事。
それらの説明が終わると、「またお話聞かせてくださいね」と言い残してわかさんは何処かへ行ってしまった。
一人になったので少し横になる。明るいうちに横になったのは初めてなので、仰向けになったとき、天井の木目にこれほどまで癒されるのかと感動した。
古来より、白は治療などを行う時に良い色だとされてきたが、建物全ての壁や天井を白く塗ったくってしまうのはいただけないと思う。
「木目って優しい感じがするかも……」
環境問題とか言って、木材を使わなくなったのは人類の失敗だろう。帰ったら木材を使うことを勧めてみよう。などと考えていたら、再びわかさんがやってきた。
「夜恵様、お食事の支度が整いました」
「あ、今行きます」
慌てて起き上がる。食事は要らないのだが、やはりその場で同席するという事に意味があるのだろう。
昨日と同じ部屋に入る。私の席には昨日よりやや質素な食事がある。
「夜恵、馬酔いとやらはもういいのか?」
「おかげ様で……」
嫌がらせだろうか?
真っ先にそれを聞いてきた。
「それはよかった。座りなさい」
座ると丁度向かい合う形になる。昨日食べなかったのを気にして監視するつもりだろうか? 居心地が悪い。
「信長公を見た感想はどうだ?」
少しふざけた様子で訊ねてくる。
「教科書や歴史の本の記述から想像してたのとは大分違いました。まさかあんなに甲高い声だとは……」
もっと渋いオジサマ系を想像してたんだけどなぁ……。
「声まで想像していたのか? それで、他には?」
「あのおヒゲが昔のマンガの校長先生みたいでした」
そう笑いながら言うと、光秀公は首をかしげる。
「まんが? こうちょうせんせい? それはいかなるものだ?」
(し、しまった…)
また光秀公の知らない言葉を使ってしまい、混乱させてしまったようだ。
「え、え~っと、マンガって言うのは絵巻物に言葉が書き込まれたようなもので、校長先生って言うのは、寺小屋で一番偉いお師匠様のことです」
何だろうこんないい加減な説明。実物を見せたい。今すぐ。そうすれば嘘を教えたりしないで住むのに。
「寺小屋? それはなんだ?」
「あれ? 寺小屋もないんですか?」
じゃぁ校長先生は説明できないかも……。
「えーっと、寺小屋って言うのは、庶民の教育施設です。学校って言うのができてなくなっちゃうんですけど、学校の一番偉いお師匠が校長先生なんです」
これで解るかな?
「それはずいぶんと進んだ考えだな。この国ではまだ、庶民の教育にまでは目が届いていない。教育を受けるのは武士と貴族くらいだろう」
とりあえず戦を終わらせなければ教育どころではないと思うのだが……。
「あればあるで厄介なんですけどね」
特に義務教育というものは学生にとっては苦痛でしかないようにも見える。私だって学校と山ほどの家庭教師にうんざりしていた所だ。
「夜恵は『がっこう』が嫌いなのか?」
「嫌いじゃないけど退屈でしたね。ほとんどの事は学習済みでしたし。実習だって学校よりも進んだことはいくらでも出来ましたし。歴史は趣味で読み漁っていたから相当詳しいですよ」
笑って言う。特に日本という国の平安から江戸にかけては得意分野だ。明治頃から興味を失くし、つまらない国になったものだと嘆いて発明に没頭した。
「夜恵の歴史は我々が知っているものとは大分違うようだがな」
「そりゃあ二千年近くも前とは歴史の流れが違いますよ。光秀公がこんなに若いなんて思いませんでしたから」
時間的にも五十代くらいだったような気がしたのだけど……。
「夜恵が来た事で歴史が変わったかもしれぬぞ?」
「えっ?」
思わず箸を落とした。
(そ、そ、それってまさか…)
「きゃぁああ! 永久拷問? そんなの嫌!」
全力で叫んでしまった。半端に丈夫だから死ねない。当に死よりも恐ろしい罰だ。
「永久拷問…それは…恐ろしいな…」
光秀公は哀れむような目でこちらを見る。
「いっそのことガローテで一思いに殺して! あれなら首絞まって死ねると思うから。首の骨折れるだけかもしれないけど…」
確かスペインという国の昔の死刑法だ。かなり前に死刑は廃止されたけど。
「がろぉて? それはどのような道具だ?」
光秀公は私の叫びを聞いて興味を持ったらしい。
「道具じゃなくて死刑の方法です。鉄環絞首刑と言って受刑者を椅子に座らせて首を絞めて殺す方法で、拷問にも使われました」
暗黒世界史で習った。拷問処刑の学習の時に途中で気分が悪くなった事は内緒だ。
「その程度で拷問になるとは生ぬるいな」
日本の拷問はとりわけ残酷なものが多かったような……。
「日本人は吊るすのがお好きなようですね」
逆さ磔打ち首獄門とか恐ろしい罰もあったような気がする。
「だが、夜恵は傷一つつかないのだろう?」
「傷はつかなくても痛いものは痛いですよ。痛覚はある程度そのまま残ってますから」
まぁ普通の人間よりは痛みに強い設計だけどね。
「死なないが痛みはあるということか。かなり悲惨だな」
ええ、だから一刻も早く帰って確認したい事が山ほどあるんですよ。
「こんな現状をわかってくれるとサイボーグになりたいなんて言う馬鹿がいなくなると思うのですがね。不老不死を願う人と同じくらい沢山いるのが不思議です」
その後しばらくサイボーグについて色々聞かれた。『子は産めるのか?』という質問をされた時は本当に困った。とりあえず過去に何件か成功例があったということだけを告げて、なるべくその話題は避けることにした。
「では夜恵、また明日も頑張るがよい」
そう言って光秀公が見送ってくださった頃には今にも笑いそうな月が出ている時だった。
「はぁ、光秀公がいると修理が進まないかも…」
一度の食事に二時間ほどの時間を取られるのは光秀公が好奇心旺盛だからだろう。
こっそりとカプセルに戻したタイムマシンを持ってきているので、部屋の中でペンライトの明かりを頼りに修理をすることにした。
「『好きにつかっていい』って言ってたから、マシンの修理にも使っていいのよね?」
自分勝手な解釈をさせてもらうことにした。
流石に細かい作業はきついが、昼間以上に順調に進むのはきっと光秀公が邪魔をしに来ないからだろう。
夜明けが近付くがそんなことは気にしない。別に眠らなくても行動力が衰えたりする事はない。こんな時はサイボーグって便利だなぁなどと思ってしまう。