私の完璧なモブ生活は、ただ優しくて顔がいいだけのクラスメイトに壊される
私は前世、帝国の最高位貴族にして、あらゆる魔法を極めた大魔導士だった。
しかし政治の道具として扱われ、過労の末に凄惨な死を迎えた私は、今世の現代日本では絶対に「モブ女子高生」として平穏に生きると誓ったのだ。
今日も完璧なモブを演じるため、私は全神経を集中させていた。
「えーっと、今日の小テストの平均点は……よし、クラスの正確な平均点と全く同じ点数になるように、採点者の認識を操作っと」
息を吐きながら返却されたプリントを受け取ると、隣の席から明るい声が降ってきた。
「おっ、結衣も65点? 俺と全く同じじゃん! 奇遇だな」
屈託のない笑顔を見せてきたのは、サッカー部のエースである翔太だ。顔が良くてスポーツ万能、そして誰にでも等しく優しいクラスの人気者。彼には、前世のトラウマを抱える私が最も苦手とする「眩しさ」があった。
「……偶然ですわ。いえ、偶然だね」
「なんだよそのお嬢様みたいな言葉遣い。お前、たまに変なとこあるよな」
からかうように笑う彼に、私は内心冷や汗をかく。この平和な日常を守るために、私は常日頃から神経を尖らせている。その気になれば、私には世界を滅ぼすだけの力だってあるが、そんな力があると知られれば、この、夢にまでみた平凡な生活は失われることになるだろう。
しかし、彼と一緒にいると、なぜか調子が狂ってしまうのだ。
放課後の図書室。日直の仕事で重い本の詰まったダンボールを運んでいた私から、彼が「貸してみろよ」とひょいと箱を奪い取った瞬間だった。
バランスを崩した彼の頭上に、壁に立てかけられていた脚立が倒れてきた。
「っ!」
私は反射的に物理障壁を展開しようとした。だが、それよりも早く、彼は私を庇うように抱き込み、自分の腕で真っ向から脚立を受け止めた。
鈍い音が響き、彼の腕に痛々しい痣が浮かび上がる。
「……っ、わり、大丈夫か結衣?」
「どうして……っ、怪我してる! 私なんて放っておいてよかったのに!」
私は思わず声を荒げてしまった。魔法を使えば、誰も傷つかずに済んだのに。
「ばーか。女子に怪我させられるわけないだろ。しっかしやべーな。明日の試合あるのに。まぁどうにでもなるか」
彼は痛みを堪えながらも、いつものように優しく笑った。
その笑顔を見た瞬間、私の胸の奥に泥のような罪悪感が沈殿していった。
彼が私に向ける無条件の優しさ。それに触れるたび、嬉しさよりも「真実を隠してこの人と接している」という息苦しさが募っていく。
本当の私を知れば、彼は過去の人間たちのように私を恐れ、化け物と罵るのだろうか。
彼との距離が近づくほどに、嘘をついている自分が許せなくなる。これが、今の私の感情を支配する、逃げ場のない呪いだった。
「……翔太君。今から起きることを、誰にも言わないと誓ってくださいますか」
「え?」
私は図書室の空間を完全に遮断する結界を張った。そして、彼の腕にそっと手を触れる。
「《時よ、その理を遡れ(リバース・ヒール)》」
眩い光と複雑な魔法陣が図書室を包み込む。光が収まった後、彼の腕の怪我は跡形もなく消え去っていた。
私は俯いた。もう、待ち望んだ平和なモブ生活は終わりだ。
「実は私、異世界から転生してきました。人間を簡単に殺せる力を持つ、化け物です。ずっと騙していて、ごめんなさい……」
震える声で告白し、絶望的な拒絶の言葉を待つ。彼が少しでも恐怖の表情を見せれば、記憶を強制的に消去し、二度と彼の前には現れない覚悟だった。
しかし、降ってきたのは思いがけない温もりだった。
ポン、と頭を不器用に撫でられる。
「なんだか、正直よくわかんねーけど……」
恐る恐る顔を上げると、彼は呆れたように、けれどひどく優しい目をしていた。
「お前、そんなすげえ秘密を隠してて、ずっと苦しかったんだな」
「え……? 怖く、ないの?」
「はぁ? 怖くねぇよ。俺の怪我のために、その大事な秘密をバラしてくれたんだろ。……ありがとう。すげえな、お前の、魔法?」
私の持つ全能の力は、ただの「少し変わった特技」として、彼の中にすんなりと受け入れられた。世界を滅ぼすほどの魔法が、彼という等身大の優しさの前にあっさりと敗北した瞬間だった。
翌日の帰り道。
「あ、雨降ってきたな。傘、一個しかないけど入るか? しょうがねぇし途中で傘買ってやるよ」
「……そうですね」
私は少しだけ頬を赤らめながら、彼の傘に入った。
本当は、通学路の雨雲を全て吹き飛ばすことなど造作もない。でも、今の私にはそんな魔法は必要ない。
☆
圧倒的な力を持つ元令嬢は、ただ好きな男子と相合い傘をするためだけに、こっそりと最寄りのコンビニの傘の在庫を「残り0本」に改ざんする魔法を行使するのだった。




