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柔らかな拒絶

 恥ずかしいから嫌だと言っているのに離してくれない手はそのままに、あたしは衣装部屋を後にした。

 入っていたのは、ほんの数十分だったと思うんだけれど、目の前で歯を見せて笑いかけてくれる岡崎の姿を目にして、浦島太郎の気分になる。良かった、あのままあの部屋に一生閉じ込められなくて。そして、つい先程までの出来事をまざまざと思い出してひとり、顔を赤くする。


 「お。似合うじゃん」

 「え?あ、ああ……」


 屈託なく言う岡崎の褒め言葉に、あたしはまたしても顔を赤くする。ここで本来は、えへへーなどと笑って、くるりと一回転してみせて、スカートの広がり具合を見せびらかすのが可愛い女の子の基本なんだろう。残念ながら、あたしにはそんな小器用な技など備わっていない。


 上手く反応出来ないばかりか、下を向いて黙りこくってしまったあたしに、岡崎は、

 「さすが、出島さんだな。黄本のこと、よく分かってるっていうか。黄本のことしか頭にないっていうか。だって、おれなんてこれだぜ?」

 そう言われて初めて、あたしは岡崎の着ているものに注意を払う。

 「着替えたの?」

 「着替えさせられたの」

 「着替えさせられたんだ」

 「そ」


 着替えさせられたとか、これ、とか言っているけれど、岡崎の着ているそれは、彼に良く似合っていた。何ていうんだろう。ヨーロッパの時代劇なんかに出てきそうな感じ。でも、王子様って感じじゃなくて、えっと。こういう服、何て言うんだっけか。


 「ふっとまんー」

 「ふっとまんー」


 どこから湧いて出たのか、猿人種があたしの左右からスピーカー発言を繰り出す。しかも、ひとの頭の中を覗いていたかのようなタイミングで。


 「ふっとまん?」


 聞き返しながら、左右の彼らを見ると、ふたりとも岡崎と同じ服装をしていた。


 「フットマンだってさ。っていう役職があったらしいよ、昔」


 ということは、この服は、一種のコスプレみたいなもの?

 

「今日は皆さん、使用人ですからね」


 丁寧に説明してくれる岡崎の隣にやってきて、何気に辛辣なことを口にする出島さん。猿人種の膝の裏に蹴りを数発入れて蹴散らすと、あたしの背後に回り、貼り付いたような笑顔のまま、肩に手を置く。


 「使用人って、出島さん。失礼じゃないですか。岡崎はもちろんのこと、猿人種のふたりだって、出島さんが勝手に連れて来たんでしょう?」

 「うららが正しい」

 「お前が悪い」


 あたしの言葉に後押しされたのか、猿人種が、げすげすと出島さんの背後から蹴りを入れる。


 「貴方たち」


 えらく凄みのある声を出して、出島さんが後方を睨んだ。その眼光からビームでも出ているのか、さっと後退すると、にゃんこ口をすぼめて、


 「卑怯だー」

 「鬼畜だー」

 「ずるいぞー」

 「ひどいぞー」

 「うらら独り占めすんな」

 「うらら返せよ」

 「血迷いましたか?うららさんが、貴方たちのものなわけがないじゃないですか。うららさんは、僕のものです。その証拠に、今あの衣装部屋で僕はうららさんの柔肌に、いたたたたたたた」


 堂々と胸を張って、自らのセクハラ履歴を岡崎の前でばらすつもりの出島さんの手の甲を、思い切りつねってやった。それだけじゃない。あたしは、誰のものでもないはずなんですけど。出島さんてば、本気で誰かを自分の所有物に出来るだなんて思っているんだろうか?だとしたら、どうやって所有するの?


 「いたたた。痛いじゃないですかー、うららさん」

 「へん、ざまーみろー」

 「へん、いい気味だー」

 「一度死んでみますか……?」


 そしてコントが始まる。またしても、だ。


 がっくりと肩を落として呆れたあたしに、この場で唯一の常識人が慰めてくれる。


 「はは、元気だなー」


 前言撤回。岡崎は、常識人と呼ぶには、人間が出来すぎている。


 真っ白ではないものの、素朴な白をしたブラウスの襟元には、深緑のリボンタイ。サテン生地で出来ているらしい深緑のベストに、厚手の黒のパンツ。長靴に良く似たブーツは、黒と深緑のツートーンカラー。誰が選んだ服なのか、岡崎にしてもそうだけど、猿人種のふたりも良く似合っている。


 「岡崎も、それ」

 「ん?」

 「似合うね」

 「ありがと。こんな堅苦しい服着たの初めてだからさ。何か緊張するよ。おれなんてさ、始め、このリボンみたいなやつ、どうやってつけて良いのか分からなくてさ。ひとりでおたおたしてたら、あそこのふたりが手伝ってくれたんだよ」

 「猿人種のふたりが?意外」

 「だろ?案外、悪いやつじゃないのかもなー」


 楽観的にそう言うと、岡崎は、未だ出島さんと体を張ったコントを繰り広げるふたりに目をやった。岡崎の視線を追って、あたしもふたりに目を向けると、ふとその内のひとりと目が合った。癖の強い方の髪の毛だから、あれは花梨さんの方か。


 「うららー」


 花梨さんは、するりと出島さんの腕をすり抜けると、一目散にこちらへ駆けてくる。くるくると丸い瞳をあたしにだけ見据え、にゃんこ口はそのままに、花梨さんはにへら、と緊張感の伴わない笑顔を作ると、

 「行こう」

 あたしの手を取った。


 「ああああ!」

 「ああああ!」


 これに、もうひとりの猿人種、馨さんと出島さんが同じ反応を同じタイミングで返す。ふたりは、いつから双子だったのだろうと首を傾げたくなるほどに酷似した動きで、両手で頭を掻きむしった。


 「何してるんですか!」

 「ずるいよ、花梨!」


 台詞は違えど、ふたりは苛立ちを露わにして、つかつかとあたしに近寄ってくる。空いている方の手を馨さんが掴めば、出島さんは真正面からあたしの頭を胸に引き寄せる。と、ここでまた抗議の声があがる。


 「おい、水棲種」

 「反則だ、反則だ」

 「何が反則ですか」

 「うららを離せ」

 「貴方たちがうららさんを解放してくれれば、僕も安心してうららさんとラブラブ出来るんです。早くその薄汚い手を離しなさい」

 「嫌だ」

 「絶対、嫌だ」

 「ふん。小癪な。まだ、うららさんが誰のものか、分かっていないようですね。いいですか?うららさんは、僕の」

 「あたしは、誰のものでもありませんけど」


 冷たい声音でそう釘を刺すと、うっと言葉を詰まらせた出島さんが、おそるおそるあたしの顔を覗き込む。


 「う、うららさん?」

 「なんですか」

 「あ、冷たい!冷たい声だ!」

 「用件は、なんですか」

 「お、怒ってらっしゃいます?」

 「怒ってませんよ。愛想がついただけです。出島さんの、自分勝手な言い分に。あたしが、いつ、出島さんのものになったんですか?」

 「え、あ、あの、それは、ですから……。じょ、冗談、です。よ……?」

 「冗談だとしたら、世界一つまらない冗談ですね」


 おろおろする出島さんと、一向に眉間に寄った皺を直そうとしないあたしに、敏感に異変を感じ取った猿人種は、そろそろと握っていた手を離す。そして、なるたけ音を立てないように、後退していった。もちろん、猿人種のことなので、後退する途中に踵で廊下に無造作においてあったテーブルを蹴ることも忘れない。派手な音を立てて、ブーツがテーブルの脚にぶつかる音がした。


 「う、うらら、さん……?」


 出島さんがあたしの名前を呼ぶけれど、返事をする気にもなれない。


 さっき、ふたりっきりの時に、出島さんは言った。出島さんは、あたしのものだって。あたしは、出島さんのものだって。


 でも、だったらどうして、あたしは『あたしのもの』の筈の出島さんに、会えないの?同じ屋根の下に暮らしていたって、出島さんはずっと家にいない。出島さんのお仕事が不規則なのは知ってる。急に出張の話が来ることだって、知ってる。でも、あたしはいつも、それを知らされない。出島さんはいつだって、急なんだ。急にいなくなって、急に帰ってくる。そしてあたしは、それに振り回されるだけ。

 いつ帰ってくるのだろうと、誰もいない部屋を眺めるあたしは、何て鬱陶しいんだろう。そう思ってたから、何も言わなかった。

 いついなくなってしまうか分からない出島さん。そんなひとを、『あたしのもの』だと、どうやったら思えるんだろう。あたしが、『出島さんのもの』だなんて、どうやったら分かるの?あたしは、『出島さんのもの』だから、一言もなしに急にいなくなられてしまうの?


 結局のところ、あたしは出島さんの何なんだろう。


 「出島さん」


 徐々に目頭が熱くなってくるのを感じる。岡崎や猿人種のいる前で涙なんて流してしまったら、恥ずかしさで地球の真ん中まで穴が掘れるな。どこか冷静に、そんなことを思ったときに、助け船を出してくれたのは、岡崎だった。


 「さっき、おれらどっか行くって言ってませんでしたっけ?しかも、誰か待たせてるとか言ってませんでした?」

 「あ、ああ……。そうでした。うららさん、こちらです」


 はっと岡崎の言葉に目を覚ました出島さんは、額に手をやって一、二度頭を左右に振った。何かのスイッチを切り替えるように一度目を固く瞑った後、あたしに向かって弱々しく微笑む。


 それに罪悪感を感じないではなかったけれど、こうなってしまうと、後には退けない。ここで、何事もなかったように接するのが大人な振る舞いなのかもしれないけれど、あたしは自分を律することを今回は放棄して、出島さんが伸ばしてきた手をやんわりと振り払った。


 「先、どうぞ。今は、一緒には歩きたくありません」


 言いながら、あたしは何て馬鹿なんだろうと思った。もっと上手く振る舞えないのか、となじる声を聞いた。それでいて、紡いだ言葉は、あたしの制御が及ばないどこかからゴーサインをもらって口をついて出る。


 考えてみれば、こんな風に出島さんを拒絶したことは、これまでになかったかもしれない。その可能誠に気付いて、更にばつの悪い思いをしたあたしは、視線を所在なげに床に巡らせた。だから。


 「わかりました」


 落ち着いた声音でそう応えた出島さんが、どんな顔をしていたのか、あたしには知る由もない。


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