無自覚は罪か否か
長い!長いよ!出島さん、暴走し過ぎだよ!
というわけで、今回も、うらら譲と出島さんのみのお話。
次話からは、放っておかれっぱなしの岡崎くんと猿人種も出てきます。
今回、徹頭徹尾、うらら嬢を恥ずかしい目に遭わせてみました。
出島さんの視点にたって、にやにやしていただければ、作者冥利につきるというものです。
ひとり、ベッドの上に放っておかれたあたしは、ようやっと肩の力を抜いて息をついた。
出島さんがいなくなっただけで、部屋はしんと静まり返っている。 空気が微動だにしない。 その静寂は、周りの家具をも色褪せさせる。 いつも、そう。 出島さんと一緒に見た景色は、出島さんがいなくなると、途端にアルバムに収められた写真みたいになってしまう。
普通に息を吐いたつもりだったのに、静まったこの空間では、それすらもため息のように聞こえる。
ひとしきり、何を見るでもなく、漫然と部屋を見渡した。 そして、出島さんが似合うと言ってくれた服に視線を落とす。
何ていう色なんだろう。 ゴールドではあるんだけど、ぴかぴかした成金っぽい色味ではなくて、もっと控えめな色。 天井から吊されたシャンデリアの光を受けて、きらきらと控えめに、でも美しい反射を返す。 そっと手を伸ばして、ドレスだと思われるそれに触れてみた。 触った瞬間に、これは上等な生地なんだと分からせるその手触りは、思わずずっと撫でていたくなるほど。
「きれい……」
両手にとって、目の前で広げてみる。 ボートネックとVネックのあいのこのような襟元。 ノースリーブの、シンプルなドレス。 少しだけ高い位置からふわりと落ちるスカートライン。
「きれい……」
もう一度、呟いてから、あたしはベッドから立ち上がる。
このきれいなきれいなドレスが、あたしに似合うって?
そう言ったのが出島さんでなかったら、完全に皮肉だ。 出島さんの場合は、酔狂かな。 そこまで考えて、またしても、可愛いことを思いつかない自分にげんなりする。
ドレスをベッドの上に置いて、きょろきょろと左右を見渡した。
「出島さん?」
一応、声をかけてみる。 この部屋がどうなっているのかは知らないけれど、あたしが入ってきた扉も閉まったままだし、出島さんからの反応もないし、とりあえずはセーフだということにして、あたしは、濡れて肌にまとわりつくトップスに手をかけた。
体育なんかでも着替えが早いあたしは、あっというまに着替えを終わらせる。
いや、違うか。 厳密に言うと、自分が出来る分の着替えを終わらせた。
さっきドレスを見たときには気がつかなかったのだけれど、ドレスの後ろが、すごいことになっていた。 ジップになっているかと思われた後ろにそれはなく、サイドにももちろんジップはなく、だからといって被れるタイプのドレスでもなく。 なんと、後ろが、総ボタンになっていた。 しかも、貝殻のすごく華奢なボタンがたくさん並んでいるタイプ。 もちろん、着るときに、それらを全て手で外さなくてはいけなかったのだけれど、そのときは割とすんなりと外せるボタンだったから、自分でも留められるんじゃないかと思ったのだ。
あたしが、甘かった。
全部で二十個くらいついていたであろうボタンのうち、腰に近いところの数個は、何とか自分で留められた。 でも、その位置から上はまったくだめ。 顔が真っ赤になるくらい頑張ってみたけれど、どうしても自分では留められない。 息が少し上がるくらいまで挑戦したあと、どうにも出来ないという事実を認めざるをえなくなった。
脱いだ服が視界に入る。 あれに着替える、という選択肢ももちろんある。 でも、すでに濡れている服を着たままいるのと、わざわざ濡れている服に着替えるのとでは勝手が違う。
どうしよう。
背中のボタンを半端に留めたまま、あたしはベッドの前に仁王立ちになって、この局面をどう切り抜けようかと悩む。
「ああ、やっぱりこの色は、うららさんによくお似合いですね」
どこから出てきた!と叫びたくなるくらいに、猫の足音よろしく出島さんがいつの間にか背後に立っている。 それだけではなくて、うっとりとした声と共に、出島さんの指を思われるものがあたしの背中を這う。 ボタンが外されたままの、背中に。
「ひゃああ!」
情けない声を上げて体をよじらせれば、腰をつかまれ、更にぞわぞわと体全体に悪寒みたいなものが走る。
「で、出島さ」
「じっとしててください。 ボタン、留めますから」
そう言われれば、あたしは抵抗すら出来ない。 言われた通りにじっと立ち尽くすと、出島さんがボタンを留めにかかった。 またセクハラ行為に走るんじゃないかと危惧したものの、きちんとボタンに取りかかる出島さんに、正直あたしは驚きを隠せない。 ただ、ボタンを留める際に、少しだけ、ほんの少しだけ肌に触れる出島さんの指の感覚に、あたし野肌は何度も粟立った。
恥ずかしい、の許容量をはるかに超えている。
「はい。 終わりましたよ」
出島さんが明るく言うけれど、咄嗟にあたしは何も言えず、こくこくと何度も頷くだけだ。
「うららさん?」
「見ないで!」
訝しんだ出島さんが、顔を覗き込もうとするので、あたしはくるりと体を半回転して背中を向ける。
「どうしました? お気に召しませんでしたか?」
「そうじゃなくて」
「他に、お気に召されたドレスがあるなら、着替えていただいても良いんですよ?」
「そう、そうじゃなくて」
「シャンパンゴールドは、うららさんの肌をきれいにみせますよね。 あ、元々きれいな肌のうららさんだから、余計に、ですけど」
まともな返答も出来ないあたしにはお構いなしに、出島さんが満足げに言って、後ろから二の腕をさする。
「ひゃっ!」
何なの。 何なの、あたし。 何か、病気とかなの、あたし? 何で、出島さんが近付く度に、心臓がばくばくするの。 何で、出島さんがあたしに触れる度に、電流が走ったみたいになっちゃうの。 あたし、おかしいよ。 絶対、おかしい。
「あ。 髪の毛。 乾かさないとですね」
どっくんどっくんと、心臓がありえない自己主張を始めたあたしの体は、最早あたしが制御出来るものではないみたいで、出島さんの言葉が、時差でもあるみたいに遅れて聞こえてくる。
床の一点を凝視したままのあたしの耳に、衣擦れの音がする。 と思ったら、腰に手を回されて引き寄せられ、ベッドのある位置に横座りさせられる。 ただし、残念ながらそこは、ふかふかのベッドの上なんかじゃない。 ベッドの上に座った出島さんの膝の上である。
「わ、わっ」
またしても時差付きでやってきたショックから、あたしは手足をばたばたとさせてそこから逃げ出そうとするけど、出島さんの片腕ががっちりと腰に回っているので、バランスを崩すことは出来ても逃げ出すことが出来ない。
「で、出島さん」
「はい?」
「な、なんで」
「どうしました?」
「なんで、な、なんで」
「なんですか?」
「こ、こんな、格好、その、恥ずかしい、ん、ですけど」
「知ってます」
いけしゃあしゃあと言う出島さんの瞳が、いつもよりも意地悪な輝きを見せる。
「鬼畜!」
「お、新しいですね。 鬼畜。 良いですねえ。 うららさんに言われると、何だかぞくぞくします」
「変態!」
「そうですよ? 僕は、うららさんが関わったことにだけ、理性を大幅に失うんです」
「大幅に? 嘘つかないでください、本能丸出しのくせに」
「僕が本能丸出しにしちゃったら、うららさん、この部屋から一生出られませんよ」
恐ろしいことをさらりと言ってのけると、出島さんは空いている手で、どこから手に入れたのか、タオルをあたしの頭の上に置く。 それを、優しく動かして、あたしの髪から水分を取っていく。
「ど、どういう意味ですか」
タオルがあたしの視界を遮ることで、何となく安心する。 何ら、状況は改善されていないのだけれど、出島さんの瞳が直接見えないと、自分のペースを取り戻せるような気がするから。
「んー? だって、こんな傍にうららさんがいるんですよ? どうしてわざわざ、外に出ようなんて馬鹿なこと考えるんですか? ここにうららさんを閉じ込めちゃえれば、僕は、何も心配しなくて済むじゃないですか」
「心配?」
「心配です。 岡崎さんに、あんな笑顔を向けているなんて、心配になります。 僕が本当に本能だけの生き物になっちゃったら、今後一切、うららさんが僕以外の人間に笑顔を向けるのを禁止しますね」
「はあ……」
出島さんの言ってることは、意味が分からない。 岡崎と一緒に笑ったからって、どうだと言うんだろう。 そんなこと言ってたら、あたし、学校行けないじゃない。 しょっちゅう笑ってるのにさ。
タオル越しに頭皮をマッサージされて、うっかり気持ち良くなってしまう。 どこで覚えたんだろう、出島さんたら。 マッサージが上手いだなんて。 毛先をタオルでくるんで、とんとんと叩く。
「終わりですか?」
タオルが離れたのを見て言ったら、腰の手に力を込められた。
「まだです」
すちゃ!と出島さんの胸ポケットから櫛が出てくる。 用意周到すぎる。
「ふふふ」
「なんですか」
あたしの髪を梳きながら、ふいに出島さんが笑う。
「だって。 うららさんが、僕の膝の上にいるんですよ? うららさんが、ドレスを着て、僕の膝の上に座って、髪を梳かされているんですよ? うららさんが。 僕のうららさんが」
「誰が出島さんのですか」
「うららさんです」
「あのですね!」
「そして、僕はうららさんのものです。 全部、まるごと、うららさんのものです」
「し、知りません、そんなこと!」
出島さんたら、本当にどうかしてる。 リアクションに困ることばっかり。
負け惜しみみたいに聞こえたであろうあたしの言葉に、そっと笑って、出島さんはゆっくりと櫛を動かす。 少しでも櫛がつっかえると、わざとなのか何なのか、顔を近づけてくるのだ。 その度に体に力を入れるあたしの頭頂部に、とうとう、出島さんはゆっくりとキスを落として、
「はい。 終了です」
言いながら、出島さんが腰にやった手から意識的に力を抜いた。 俯きがちにありがとうございますと呟いて、あたしはそそくさと立ち上がる。
「あ、待ってください。 裸足でどこに行くつもりですか?」
「あ」
そういえば。 元々履いていたサンダルは脱ぎ捨てたんだった。 いやでも、このドレスにあのサンダルを履くべきでないことくらい、おしゃれでないあたしにだって分かる。
「どうぞ」
柔らかな笑みと共に、靴が差し出される。 ドレスについたボタンと同じ色をした、淡い色をした靴。
「きれい」
ボキャブラリーの乏しいあたしの言葉に、出島さんは満足そうに頷く。
「うららさん、僕の肩に手を置いてください」
靴のたもと、あたしの足元に出島さんがしゃがみ込む。 何がどうなっているのか分からなかったけれど、おずおずと出島さんの肩に手をのせた。
片方ずつ、出島さんがあたしの足にはめ込むようにして靴を履かせてくれる。 靴もそうだけど、ドレスも、サイズぴったりなんだった。 どうやって調べたんだろう。
「秘密です」
あたしの頭の中を見たらしい出島さんが、悪戯な微笑みを上目遣いと共によこしてくる。 思わず、背の低い女子に萌える男子の気持ちを理解しそうになって、軽口を叩くことで誤魔化す。
「どうだか」
「さて。 参りましょうか、うららさん?」
立ち上がって、手を差し出す出島さんを見て、あたしは今更なことに気が付いた。
「あれ? 出島さん、いつ着替えたんですか?」
そう。 出島さんたら、いつものカジュアルな格好ではなかったのだ。 濃紺のプレスの利いたパンツに、ウイングチップのキャメルの革靴。 真白いシャツに、パンツと共布のベスト。 そして、濃紺のベルベットジャケット。 胸元からは、褪せたブルーのポケットチーフ。
「そんなに見つめられたら、襲ってしまいそうになります」
爽やかな笑顔でえげつないことを口にする出島さんは、でも、問答無用に美しかった。 のぼせたみたいな感覚で出島さんの服を見て、そのまま、出島さんの顔を見つめる。 焦点が定まらないものの、出島さんの瞳がこちらを見ていることに気付く。
ぱっと実が弾けるようにして、あたしは急に目を覚ます。
初めて会ったときと、同じだ。
出島さんの瞳を見つめていた自分に気付いて、顔が赤くなるのを感じる。 目を逸らそうと、目を逸らさなければとたじろいだその一瞬で、出島さんが距離をつめる。
「なけなしの理性を奪うおつもりですか?」
呟いて、強引に唇を重ねられる。
「意味が、分かりませ、んっ」
空気を吸えるその合間で言い返したら、にやりと不遜な笑みを浮かべられる。
「では、そのまま。 無自覚なままでいてください」
結局、出島さんに手を引かれて部屋を出る頃には、あたしの髪はもう一度櫛が必要なくらいにぐちゃぐちゃになっていた。




