お着替えにまつわる喜劇
ぎゃー!忙しくしていたら、なんと1ヶ月も経っているではありませんか!
怖い!怖いよ!光陰矢のごとし過ぎて、怖いよ!
今回も、うらら譲と出島さんの、おばかでらぶらぶしたお話です。
あたしの目の前に、涙目の出島さんが仁王立ちしている。 すっくと背筋を伸ばし、長い脚の上に乗っかる、均整の取れた上半身、その更に上にある理想的なラインを描く首筋、そして頂点にあるのはスーパーモデルも裸足で逃げ出す小顔。 それが今、世にも情けないものとなって、あたしの目の前にある。
こういうのも、豚に真珠って言うのかしら。
冷静にそんなことを考えてしまうあたしは、薄情者なんだろうか。
「うう、えぐっ、な、何でですか」
世にも情けない顔の出島さんは、世にも惨めったらしく鼻をすすって言った。
「だから」
あたしも、これで何度目になるのだろうかと呆れつつも口を開く。 いつのまにやら、あたしまで仁王立ちになっている。 もっともあたしの場合は、腰に手をやって少しばかり高圧的とも見える態度であるけれど。
「何度も言いますけど。 いやです」
「うららさんっ!」
何度も同じ事を聞かれて、その度に同じ答えを返しているはずなのに、出島さんのリアクションはサンタクロースのいないことを聞かされた幼児のそれである。
「でも、どうしてですかあ」
「だからっ。 それも、何度も答えてますけど。いやだからです」
「どうしてですかっ。 僕ですよ、相手は?」
「だからこそ、余計にいやなんですってば!」
「僕以外に、誰がいますかっ」
「質問の意味を汲み取りかねますけど、出島さん以外のひとは、そういう変態なことを考えつかないものだと思います」
「嘘です! そんなことはありません。 みんな、口には出さないだけど、同じようなことを考えているはずです!」
「じゃあ、出島さんのような変態と一般のひとの差は、口にするかどうかなのでは?」
「僕は、口にするだけではなくて、きちんと実行に移します! 有言実行な男ですから!」
「変態な提案に限って有言実行なんですか? はた迷惑にもほどがありますよ」
「とにかくー、良いじゃないですか、うららさんー」
仁王立ちだった出島さんは、ついに地団駄を踏み始めた。 文字通り、その場でばたばたを足を踏み鳴らすその姿は、少年の心を持った大人の間違った例として、文部省に写真提供されるべきだと思う。
「いやなものは、いやなんですってば!」
負けじと声を荒げると、出島さんはぴたりと動きを止める。 不気味な静けさが部屋中に広がる。 ここで不安になってしまっては相手の思う壺。 あたしは、精々平気な顔を決め込んでみせた。
「どうしてもですか?」
ぽつりと、さっきよりも数段情けない声で出島さんが呟く。 同情を買う作戦に出たらしい。 そうはいくか。
「どうしてもです」
なるたけ冷たく言い放てば、途端に出島さんの化けの皮がはがれ落ちる。
「いーやーでーすー!」
「いやなのは、こっちですってば!」
「どうしてですかー。 何がそんなに嫌なんですかー」
普通、それを聞く? そんな分かりきった、常識云々以前の問題を、わざわざ口にする?
あまりに我が儘のすぎる出島さんを、睨み付けて、あたしは意識的に声を低くし、抑えた声音で、
「いきなり、衣装部屋とかいうのにほっぽり込まれて、逃げ出せないように外に人まで置いて、着替えなくてはいけない状況に無理矢理追い込んで、尚かつ、目の前で着替えろなんてことを思春期真っ盛りの女の子に要求してくる出島さんが変態でなかったら、ただのパワハラセクハラ親父ですよ」
「お、親父っ!?」
まったく想定していなかったらしい言葉に大打撃を受けたらしい出島さんは、いつものオーバーリアクションでもってして、よろりよろりとその場で八の字を足で描く。 そのショックを受けたにしては軽やかなステップが、逆にあたしの神経を逆撫でするとは知らずに。
「これが学校だったら、訴訟問題もんですよ」
「僕が校長なら、校則を変えてみせます」
きりりと真顔で言われると、出島さんのおつむのいかれ具合を心配せざるをえない。
「そういう頭の中がお花畑のひとは、そもそも校長職になんてつけないんじゃないでしょうか」
「そうですね。 僕の頭の中は、うららさんという麗しいお花でいっぱいですもんね」
「いや、別に上手いこと言って欲しいんじゃなくてですね?」
「えへへ、うららさんに褒められてしまいました」
「褒めてない」
言下に切り捨てたのに、出島さんはえへへと幸せそうに笑う。 その屈託のない笑みを見ていると、怒っている自分が馬鹿らしくなる。 そもそも、あたしは怒るのが苦手なのだ。 だって、きりがないじゃない? 疲れるし。
というわけで、あたしが小さく、「もう」と言えば、出島さんの顔の中に埋め込まれていたらしい電球が省エネモードから蛍光灯モードに変わった。
「じゃ、じゃあ」
はあはあと荒い息をしながら、わきわきと胸の前で怪しく指を動かしてみせる出島さん。 どんな麻薬中毒者かと思われる据わった目つきで、じりじりとあたしとの距離を縮めようと摺り足で近寄ってくる出島さん。 どこをどうみても、残念な美青年にしか見えない。 なまじ、容姿が整っているだけに、余計に気持ちが悪い。
「脱ぎませんよ。 着替えませんよ。 出島さんの見ている前では、絶対に!」
「えー」
アヒル口を残念悲鳴対応型にしてから、出島さんが天を仰ぐ。
「むう、矢張りうららさん。 一筋縄ではいきませんね。 いいえ、でも、それくらいが丁度良いのです。 貞操観念の弱いうららさんなど、うららさんではない!」
「貞操観念以前の問題だと思いますけど」
「うららさんが、そうやってご自分の身を守ろうと頑なになればなるほど、僕の情熱は燃え上がるのですから!」
「嫌がらせですか?」
「うららさんたら、小悪魔さんですねー」
「そういう出島さんは、救いようのない電波さんですよね。 たまに、どうやってここまで生きてこられたのかが不思議になります」
「それはもちろん、」
と、ここで出島さんはとびきりの笑顔を見せる。 例のあれだ。 バックにお星様がきらんきらんして、こちらが無防備であるものなら一発K・Oをかませられてしまう、内容如何に関わらず王子様的な雰囲気をばりばり醸し出す、例の笑顔である。
「うららさんにお会いするために、今まで生きてきましたから。 生きてて良かったです」
くらり。
ああ、なんたる不覚。 出島さんが変態なことも、出島さんが空気を読まないことも、出島さんが背筋が凍り付くほどのロマンチストだということも、出島さんが悔しいかな、異常に眉目秀麗なことも、全部全部知っていた筈だというのに。
あたしはあえなく、出島さんの殺人スマイルに硬直させられてしまう。
か、かわいい。
隙を見せると殺られるぞ、と危険信号が鳴り響く脳みそとは裏腹に、あたしはぼんやりと脳天気なことを思いつく。
「隙あり!です」
宣言するや否や、出島さんの両腕がさっと伸びる。 ほら言ったじゃないか、と半ば呆れながら嘆息する頭の中の声に反論する余地もなく、あたしはあれよあれよと言う間に抱え上げられてしまう。
「ちょっと! 出島さん! 本気で嫌なんですってば!」
「はい。 分かってますよ?」
このまま、身ぐるみはがされるのかと想像して、躍起になって言えば、出島さんからは冷静な返答が。
「分かってるなら……」
尚も言いかけたあたしの口元に、出島さんはそっと人差し指をあてる。 先程よりも穏やかな笑顔を向けると、言った。
「うららさんのお着替えは、見ません。 でも、早く着替えてしまわれないと、風邪を引いてしまうでしょう? 身体もこんなに冷えていますし、髪の毛だって乾かさなくては」
「な、なら、良いんですけど……」
急にしおらしくなられると、途端に居心地が悪くなる。 こんなとき、出島さんって、馬鹿ばっかりやっているけれど、一応年上なんだなあ、なんて当たり前のことに気付く。 反対にあたしは、背伸びばっかしているけれど、いつまでたっても子供なまんま。 大人になるなんてこと、もっと簡単なことだと思ってたのに、いつまでたっても思い描いていた大人には近付けない。 出島さんは、こんなあたしのこと、面倒だなって思ったりしないのかな。
「うららさん? どうかしました? お姫様抱っこに見せかけて、太ももの感触を楽しんでいるのがばれましたか?」
「ばらさないでください。 楽しまないでください。 ばらしてからも、さわさわしないでください。ていうか、下ろしてください!」
「どうして? 恥ずかしいからですか?」
「は、恥ずかしいに決まってるじゃないですか」
「どうして? ここ、うららさんと僕しかいませんよ?」
「で、出島さんがいるから、出島さんがいるなら恥ずかしいんです」
あたしの顔を覗き込むように顔を近付けてくる出島さんから逃れる術もなく、あたしは両手で自分の顔を覆う。
「嬉しいなあ」
そんな言葉が聞こえたかと思えば、おでこに音を立ててキスをされる。
「ありがとうございます、うららさん」
何に対してのありがとうなのか、あたしには分からない。 それを尋ねようと両手の隙間から出島さんを覗き見ると、出島さんの瞳とばっちり目が合ってしまう。 更に何も言えなくなって体を強張らせるあたしを、そっとベッドの上に戻してから、出島さんは立ち上がった。
「さて、と。 よくよく考えたんですが、やっぱり、うららさんにはその服が一番が似合うと思います。 僕は、ちょっとやらなくてはいけないことがありますので、ここから離れます。 安心して、着替えてくださいね」
では、ときびすを返して去っていく出島さんの背中を、あたしは困惑の眼で見つめる。
出島さんって、本当に読めない。




