羞恥プレイはおきらい?
少し時間が空いてしまいました。
三話目です。
フライング登場ですよ、あのひとが……。
名字にさん付けで呼ぼうとしたら、にゃんこ口を思いっきり歪めて、口をそろえて「えー」と言われた。 口数が少ないのが、語彙が少ないのか、定かではないけれども、それはどうやら不服を示しているのだと思って、あたしなりに譲歩した結果、名前にさん付けを提案してみる。 すると、またしてもにゃんこ口を尖らせて、鼻の頭に皺を寄せる。 ちょうど、ねこがあくびをしたときみたいな皺の寄り方に、このひとたち、河童なんかじゃなくて猫なんじゃないだろうか、なんてことに気がいってしまう。
「うららは、うららじゃん?」
「うららのこと、うららって呼ぶじゃん?」
「は、はあ。 そうみたいですね」
あたしは、うららって呼んでね☆なんてことを言った覚えはないのだが。
「だから、花梨」
「だから、馨」
「えっと、今の非常に少ない単語から、無理矢理要約すると、あななたちはあたしのことを名前で呼び捨てにしているから、あたしもあななたちのことを名前で呼べと?」
何故だろう。こめかみのあたりがじんじんする。 おかしいな。 あたし、偏頭痛持ちなんかではないのに、ここ数ヶ月、頭痛を感じる日が増えた気がする。
控え目に眉根を寄せて、くらくらする頭に耐えているあたしにはまったく意を介さず、猿人種河童のふたりは、にゃんこ口の口角を更に上げて、にぱーとしか形容出来そうにない笑みを浮かべた。 ああ、こんなに頭弱いのに笑顔は可愛いとか、何だか反則だわ。
「うららー!」
「うららー!」
何故かあたしの名前を連呼して、猿人種はあたしの周りをくるくると回り始める。 その足元は軽やかで、よおく見れば、何かダンスめいたものに見えなくもない。
「いやあの、テンションあがっちゃったところ悪いんですけど、あたし、そういうノリ、苦手なんで」
こういうタイプには、言いたいこと言っちゃった方が、後々楽なのだ。 ということを、某出島さんという変態で学んだあたしである。
もちろん、あたしの言うことなどお構いなしなふたりは、そのまま、くるくるとあたしの周りを回り続けた。 無視して前進しようとすると、ふたりは器用に回ったまま前進する。 台風の目か何かのように、あたしを中心として、非常にからみづらいふたりの電波さんをはべらせて、どこへ行くのか皆目見当もつかないまま、あたしは長い廊下を歩き続けた。
閉じ込められていた部屋を出れば、部屋ほどではないものの、高い天井に、先が見えないほどに長く続く飴色の床に彩られた廊下に出たあたしは、頼りにならないガイドと一緒に歩き始めたのだった。
まだずぶ濡れになったままの服は乾く気配もなく、そろそろ身体も冷えてきた。 歩く度に、濡れた靴下が不快な音を立てて、靴の中で暴れる。 ぺしょんこぺしょんこと、情けないペンギンみたいな足音を立て、完全にハイになってしまった河童を周りに回らせて、あたし、今気付いたんだけど、ちょっとおかしなひとじゃない?
一応誰も見ていないとはいえ、一体いつまでこの羞恥プレイが続くんだろう、なんて絶望しかけたところ、廊下の両側にある扉のひとつが音を上げて開いた。 かちり、とドアノブが回って、重厚な扉が廊下の方へ向かって開く。 その扉までは、まだ距離はあったけれど、そこから顔を出したその姿に、あたしは見覚えがあった。
「…え?」
くるくる回り続ける河童の肩に手を置いて、その妙なダンスを止めさせると、あたしは目を見開いて笑顔になった。
「岡崎!」
「よー。 遅いよ、黄本」
「え、え、何してんの? 岡崎も拉致されたの?」
拉致されたなんて記憶はどこにもないのだが、出島さんが関与してて、目覚めたときに頭が痛くて、久しく顔を合わしたことのない猿人種がなぜかあたしの前に現れて、思わせぶりなメモが天井から落とされて、そして、ここへきて岡崎がいるとなると、それ以外の選択肢はないように思われる。
「はは。 拉致ね。 まあ、そんなとこだな。 おれがここにいるのは、お前がここにいるからなんだけど」
「意味分かんない。 あ、嘘。 分かった。 あたしの巻き添えくったのね?」
「あれ? 覚えてないんだ、黄本は」
「何を」
同情の瞳を向けたあたしに、岡崎は屈託なく笑った顔を崩さない。 たまに思う。 岡崎って、意外と人間出来てるなって。
「おれ、お前と一緒にいたんだよ。 お前が拉致?されたとき」
「え、そうなの?」
これには、あたしも素直に驚いた。 でも、そういわれてみれば、そんなだったような来もする。 そうか、散歩に出ようとして、その途中で偶然岡崎に会ったんだ。 特に目的もなく歩いていたわけだから、散歩がてら、話し相手が欲しくて、岡崎が自ら相手になろうかと言ってくれたんだった。 そして、その後ふたりとも拉致られたわけか……。 ほんと、岡崎ってば災難よね。
「つーかさ、黄本。 お前、それ、何?」
それ、と岡崎が指さしたのは、あたしを軸にして、円を描き続いている猿人種のことだ。
「ああ、えっとね。 あたしも、いまいち現状を把握しきれてはいないんだけど……。 出島さんの元敵で、河童の、桃城花梨と辻乃井馨です」
「河童? 出島さんと同じってこと?」
「うーん、いや、厳密に言うと違うんだけど」
「どう違うの?」
「関東人と関西人的な違い?」
「ああ、なるほど」
吹き出すのを堪えもせずに、岡崎が興味津々な瞳を河童たちに向ける。
「じゃ、黄本はこっち」
あたしよりも随分と日焼けした岡崎が、扉の中を指し示す。 顔だけを部屋の中へ突っ込むと、目に入ってきたのは、煌びやかな家具と、それ以上に煌びやかなおびただしい服の数々。 服だけじゃない。 靴に、アクセサリー。 しかも、それのどれもが、お伽噺に出てくるお姫様が着るようなものばかり。
「ちょ、ちょっと待って……。 岡崎……」
「ん?」
「元凶は、十中八九出島さんだから、そこは良いとして、お、岡崎はどうしてここにいるの?」
「ああ……」
うろたえるあたしに、合点がいったという頷きを返して、岡崎がばつが悪そうに苦笑いをした。
よくない! それ、よくない兆候なんですけど!
「いや、その……。 おれも、全部はちゃんと聞いていないんだけどさ。 とりあえず、おれはここで待ってろって。 で、お前が、誰かにエスコートされてここに来るから、この部屋に案内して、着替えが完了するまで、扉の外で見張ってろってさ。 それさえ済んだら、おれは帰れる、らしいよ?」
「ひどい! あたしを売るつもりなの、岡崎!」
「売るって……。 着替え中に、誰も入らないように見張り役任せられただけじゃん」
「だって! 見てよ、あの服! あんな、きらきらびらびらしたの。 あ、あんな、ふりふりでぶりぶりなの。 あんなの、あんなの、何の羞恥プレイなのって思わないの?」
あたしだって女の子なのだから、ああいうザ!女の子ってな服に憧れがないわけじゃない。 でも、恥ずかしい。 恥ずかしすぎて、拒否反応が出る。 アレルギー反応が出る。 あの中に閉じ込められて、服を選ぶ自分を想像するだけで、顔から火を吹いて、この屋敷みたいな場所を全焼してしまいそう。 だって、考えてもみて? たった一着、ドレスが用意されているだけならまだしも、何着もあるんだよ? 服も、靴も、アクセサリーも! ということは、どれを選ぶかはあたし次第なわけで、ということは、どれを身に纏っても、それはあたしが選んだということになるわけで、そうなったら、何を着ていても何を身に纏ってしても、岡崎やら猿人種やらから、へー黄本うららはそういうのが好きなのか、なんて思われる。 恥ずかしすぎる。 だったらいっそのこと、このずぶ濡れになったカジュアルすぎるほどカジュアルな服で、身体の芯から冷え切って風邪をひいてしまいたい。
「絶対やだ」
情けない声をあげて、あたしが両手で顔を覆うと、岡崎がぷっと吹き出した。
「なに」
「いや、黄本、面白いなって」
「面白い? あたしは全然面白くないんですけどっ」
「そりゃそうだろうけどさ。 おれ、女の服なんて全然分かんないけどさ。 似合うんじゃないの?って思ってたから。 黄本に。 だから、何が恥ずかしいのか、よく分かんないや」
「岡崎……」
眉を八の字にして、あたしは岡崎の牧歌的な笑みを見つめる。 岡崎も、あたしから目を逸らさずに、終始にこにこしている。
恥ずかしいのが分からないのは、岡崎が鈍すぎる男だからよ。 女子高生の微妙な心理も分からないで、似合うんじゃないの?なんて軽口、よく叩けるわよね。 デリカシーってものに欠けてるんじゃないの?
なんて内容のことを言おうと、息を静かに吸った。 のに。
「だだだだだだ、駄目です~~~~~~~~!!!!」
地震?それとも、雪崩?と、頭の中にお花が咲いているような猿人種のふたりでさえ、奇妙なダンスを止めて何事かときょろきょろし始める。 かくいうあたしも、鼓膜を震わせるほどの大声に、びくりと肩を上げて、上半身を両腕で抱き締めた。
「ううう、うう、う、うう、うららさーん!」
諸悪の根源、もとい、世界の害毒、もとい、乙女を裏切る変態イケメン、出島さんがこちらに猛スピードで近付いてくる。 走っているのだろうが、その両腕は、ゴールテープを切る陸上選手かグリコランナーかという程の、完璧な万歳体勢になっていて、そのまま鼻水だか涙だかをちょちょぎらせて走ってくる出島さんの姿は、テロリストも裸足で逃げ出しそうな迫力である。
「うららしゃん!」
すでに涙声すぎて、呂律の怪しい出島さんは、走ってきたそのスピードのままにあたしをがばおう!と抱き締める。 まったくもってロマンチックではないこの抱擁は、しかし、あたしにとっては逆に好都合。 出島さんの「愛情表現」とやらは、素直に受け取るにはあまりにもハードルが高い。 肋骨が、抱き締められてきしきし言いそうなあたしには気付かず、出島さんは岡崎に首を向けると、
「めっ!」
と半泣きの声で言った。 どうやら、威嚇のつもりらしい。 大層怖い威嚇もあるものだ。
「うう、うららさん……。 大丈夫ですか? 岡崎さんという皮をかぶった狼に、手籠めにされませんでしたか?」
「は? 意味が分かりません。 されるわけないじゃないですか、岡崎はあたしの友達ですよ? むしろあたしは、今出島さんの馬鹿力で抱き締められているせいで、いつ肋骨が破裂して命を落としてしまうんじゃないかとひやひやしているところです」
「だだだ、だって、うららさんたら、岡崎さんと見つめ合ってにやにやしていたじゃないですかっ」
「にやにやじゃありません。にこにこです」
「ああああ、でも、見つめ合っていたのは事実だと認められるのですね!」
「誰のせいだと思っているんですかっ!」
そもそも、出島さんが岡崎まで拉致してくるから。 そもそも、出島さんがあんな部屋にあたしを閉じ込めるから。 そもそも、出島さんが、あんなこっ恥ずかしい服を着ろとかいうから!
少し声を荒げると、押しつぶされた肺から酸素が抜けていく。 けほんと小さく咳をしたら、出島さんは腕の力を少しゆるめてくれた。 ほっと息をつくあたしを、出島さんが穴があくほどに見つめてくる。 岡崎のさっきの視線なんて、ハムスターのそれ。 出島さんのは、何て言うの? は虫類のねちっこさがあると思う。
「あの……」
とんとんと、控え目に出島さんの肩を叩いて、岡崎が言う。
「出島さん、黄本に会うのは、最後の最後にするんじゃなかったんですか?」
出島さんは、岡崎とあたしとを交互に見比べ、涙でぐしゃぐしゃになって上気した顔を、一瞬で氷点下までもっていくと、高い天井を仰いで叫んだ。
「不覚!」