厄介な救済者
私用で、今週末あたりから数日PCに触れません。
それまでに投稿できればいいですが、少し難しいかもです。
分かっていたことだけど、最早、辞書で「変態」と引くと「出島さん」と書いてあるのではと疑うくらいのレベルだけど、でも、これだけは言わせてもらいたい。
整った顔にお似合いの王子さま然とした服装で、血走った目にぬめった両手をした出島さんに、鼻息荒く迫られると、寒気がする。
プロレスラーが組み合う直前のような前屈みの体勢で、出島さんがじりじりとこちらににじり寄ってくる。ああ、この既視感。ほんの数十分前に、これと同じようなことが起こっていた気がする。あのときも、あたしは嫌がっていたっけ。
「やですからね! 絶対に、嫌ですからね!」
何かにつまづいたり、壁に当たらないように気をつけながら後進する。とりあえず、さっき行った洗面所には逃げ道もなかった。あっちには行かないようにしなくちゃ。幸い、あたしの真後ろが入って来た扉になっている。このまま、出島さんをかわしつつあそこまで逃げ切られれば。後ろ手で扉を開き、廊下に出た瞬間、岡崎と猿人種の名前を叫べば。猿人種が出島さんに攻撃をしかけてくれて、そうしたら、出島さんの対象があたしから外れるのでは。
あたしは軍師か。出島さんは敵か。これは戦争か!
……ある意味、あたしの貞操をかけた戦争かもしれない。
くだらないひとりツッコミをして、心を落ち着ける。
とにかく、扉を開けてこの部屋から出るまで、そこまで自力で持ちこたえられれば。
「うららさん、僕のことが好きなんじゃないですか?」
「そ、それとこれとは別!」
「おお、好きだとは認められるですね」
にやり、と腹黒そうに出島さんが微笑む。今日の格好でやられると、悪役っぷりが増す。この隠れサディストめ!
「出島さんこそ、あたしのことを大事にしたいとか言ってたくせに!」
攻撃こそ、最大の防御なり。
なりふり構っていられないあたしは、恥ずかしい内容ではあったけれども、出島さんの威勢を殺ぎ、ペースを乱すためだけにそんなことを口走ってみた。
「大事にしたいですよ? もちろん。僕の腕の中で。好きなだけ」
「この、わがまま自己中河童! 出島さんの腕の中が、世界で一番危険区域です!」
「ま! なんてことをおっしゃるんですか、うららしゃん! 泣きますよ?」
「泣けばいいじゃないですか、泣き虫、へたれ! 泣いたら、その瞬間にここから脱出してやります」
「ひ、ひどい! どうしたらそんなことが言えるんですか。僕は、僕はただ、むらむらしただけなのに!」
「だから! その擬音語の使い方がそもそも間違ってるんです! 好きだろうがなんだろうが、むらむらしているからこの腕の中においでと言われて、はい分かりましたなんていう女子は、この世にはいません!」
「あ、今のもう一回お願いします」
「は? 今の?」
「今の、はい分かりましたってというところ、もう一度言ってもらえませんか? ああ、録音機を持ってくれば良かった。そうしたら、永久保存版にして、毎日最低百回は聞きます。色んなシチュエーションを妄想しながら……」
乙女が天に祈りを捧げるポーズで、身の毛もよだつ恐ろしいプランを口にした出島さんは、あたしの軽蔑に満ち満ちた視線を受けて、嘘くさい咳払いをした。
「本当に食べたりはしませんよ。河童は、確かに肝も喰らいますが、基本的には草食の生き物です」
「知ってますよ、そんなこと」
「あれえ?」
大きな声を上げたあたしとは反対に、出島さんは声を潜める。正面からではなく、斜め上からあたしを見ると、不敵にそしてやけに色っぽく笑った。声まで低く、甘くしてから、
「じゃあ、うららさん。僕が食べたいって言ったのは、どういう意味で受け取られたんでしょう?」
「この、セクハラ河童!」
「おやーあ? どうして今のが、セクハラになるんです? 僕、何も破廉恥なことは言ってませんよーう? そういう風に解釈されたうららさんの方が、余程、破廉恥なのでは?」
「う、うるさいうるさい!」
「ああ、でも、ご心配なく。僕は、破廉恥ではしたないうららさんも、シャイでイノセントなうららさんと同じくらい大好きですから」
大好きの部分を、だあいすき、とアイドル風に発音してから、出島さんが例の殺人スマイルを繰り出してくる。
くっ。くそう。めちゃくちゃ腹が立つのに、可愛いじゃないか!
ああもう、誰か助けて! あたし、いつのまにか出島さんに感化されて、相当馬鹿になってる!
出島さんが、調子を狂わせるひと……。出島さんが、どうもマイペースになりきれないひと……。そんなひとが、ここに偶然来てくれたなら……!
余裕しゃくしゃくの笑みを浮かべながら、悪魔のささやきをたたえて、出島さんがこちらに近付いてくる。あたしはと言えば、心の平静を取り戻そうと必死になっていて、攻撃に回れない。いかんいかん。後手に回っては、この欲しいもののためには手段を選ばない変態に、どんどんつけ込まれる!
靴のヒールが重い扉に当たる音がして、その直後に、肩甲骨が扉に触れた。
こ、ここまでは来れた。今のところ、ノータッチ。
このまま、扉を開けさえすれば……。
「じゃーん」
明るい声音で、出島さんが上着の胸ポケットから何かを取り出す。
鈍い金色のそれは、それは。
「鍵!?」
「はい!」
「て、まさか!」
後ろ手で、扉のノブをがちゃがちゃとしてみるけれど、びくともしない。
「鍵かけたんですか、出島さん。いつ?」
「そりゃあ、入って来たときにです」
「どうして」
「えーと、プライバシー保護のため?」
「誰のプライバシーですか!」
「僕とうららさんのです」
「あたしは、そこに同意していません!」
「えーでも、途中でひとが入って来たら、うららさん、恥ずかしいでしょ?」
「何の途中ですか!」
「言っても良いんですか?」
「だめ! 言わないで!」
出島さんがほくそ笑むのと同時に、あたしは両耳を両手で塞ぎ、思わず目を閉じた。
しまった、目なんか閉じたら、出島さんの思うつぼ……!
「……へ?」
背中に触れていたはずの堅い感触がなくなり、背中と首の後ろにすきま風のようなものを感じる。出島さんから逃れようと、全体重を扉に預けていたあたしは、後ろ向きに倒れ始める。ちょ、ど、どういうこと? あたし、倒れちゃう系?
「はあい、うららちゃん。久しぶり。相変わらず、キュートな叫び声だね」
肩に暖かい何かが乗っかっている。そして、背中はその何かの持ち主に触れている。
「ちっ。空気読めよ」
おもむろに眉根を寄せて、乱暴な言葉遣いをする出島さんに、あたしを支え、肩に手をおいているひとはこう答えた。
「読んださ。抜群のタイミングだろ? お前の邪魔もして、うららちゃんのピンチを颯爽と助けてる」
「今のは、うららさんのピンチなんかじゃない」
「いや、誰が見てもピンチだったでしょ」
「えー、うららさんもピンチだと思われていたんですか?」
「そもそも、ピンチだと思ってなかったら、逃げてませんてば!」
可愛いこぶりっこして、あたしにバンビの瞬き攻撃を仕掛けて来た出島さんを無視して、あたしは振り返る。
「助けてくれて、ありがとうございました。賢介さん」
出島さんよりも高い身長。闇の中ならきっと同化してしまうであろう、漆黒の髪。闇の中でも輝くのではないかと思わせる、意志の強そうな漆黒の瞳。
くすんだオレンジ色のスラックスに、スウェードのローファー。色はキャメル。細いストライプの入ったピンクのシャツに、深い緑のジャケット。
出島さんが着ているものに、良く似た系統の服だけれど、出島さんよりも都会的な雰囲気がするのは何故だろう。
あたしの肩においた手に力を込めて、賢介さんが微笑んだ。
「うららちゃん。浩平から乗り換えて、俺にしない?」
何度でも言いましょう。私、黒本賢介がめちゃめちゃ好みです。
おいしいとこ取りの出場も、許してたもれ。




