可愛いのはどちら?
閑話休題てきな。短い目です。
出島さんの瞳の中にあたしの顔が見える。きっと、出島さんが見ているあたしの瞳の中にも、出島さんの顔が映っているんだろう。
こうしていると、この世界中で、あたしと出島さんしかいないような気分になる。大事な家族も、大切な友達の顔も一瞬、脳裏から消え去って、今がいつでここがどこなのかさえ気にならなくなる。そして、ふと我に返ったときに、とても恐ろしくなる。あたしは、出島さんに依存しすぎているんじゃないだろうか。出島さんさえいれば、あとはどうなってもいいだなんて、あまりにも身勝手だ。一瞬でも、そんな風に思っていた自分を恥じるし、薄情な自分を悲しく思う。
いつからあたしは、こんな風になってしまったんだろう。
出島さんと出会ったあの日から、ちょうど一年くらい経つ。たったの一年で、なんだかあたしは別のひとになってしまったみたいだ。去年のあたしが見たら、きっと驚くと思う。
「うららさん。引かないで聞いてくれますか」
「ひとが引くようなことを四六時中言ってるくせに、いまさら何ですか」
「たまにね。たまにですよ? 毎回ってわけじゃないですよ? うららさんの顔を見た瞬間とか、出張中にうららさんのことが恋しくなりすぎて、うららさんの敷き布団に落ちていた髪の毛を拾ってくれば良かったと悔やむ瞬間とか、うららさんが岡崎さんに笑顔を振りまくだけでどす黒い嫉妬の闇に呑まれてしまった瞬間とか、本当に、たまーにごくたまーに起こる瞬間だけですよ?」
「もう結構引いてますけど、それ本題じゃないんですよねえ……」
「当たり前です! こんなの、自然の摂理と同じくらいの問題ですから」
「で、そのごくたまーに訪れる瞬間っていうのは、結局どれくらいの頻度で起こるんですか」
「毎秒? もしくは、毎二秒?」
「それ、ごくたまーにって言わなくないですか」
「そうですか?」
キモい。
そう思った。へへ、と笑顔を振りまいて、そっと離れようとしたら、逆に出島さんの腕に絡めとられる。
「折角、この至近距離にうららさんをおびき寄せたんです。そうそう好機は逃しませんよ」
「おびき寄せるって、あたしは虫ですか」
「世界一可愛い虫です!」
「でも虫なんだ」
「うららさんが虫だったら、僕は花です。何をしてでも、僕に近寄ってもらう花」
「で、あたしを食べちゃうとか?」
冗談で言ったのに、出島さんははっと目を見開いてあたしを凝視する。そして、とても居心地の悪い沈黙のあと、急に乾いた笑いをあげた。なんて見苦しい。そして、なんて分かりやすい。
「それが本題ですか」
呆れたあたしが言えば、出島さんは出島さんのくせに顔を少し赤らめた。散々、恥辱に満ち満ちた言動をしておきながら、何をいまさら?
「う、うららさん」ごくり、と出島さんが喉を鳴らす。「それは、もしや、僕にた、食べて良いですよっていうお誘いでしょうか」
「どんな思考回路ですか!」
「いやだって、あんなにタイミング良く、そんな卑猥なことをおっしゃるなんて」
「卑猥じゃない! 卑猥なのは、そういう風にしか受け止められない出島さんの頭の中身です!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね」
片手はあたしの腰にあてたまま、もう片方の手を顔の近くで広げ、待ったのジェスチャーを取った。セクハラに半身浴しきっている出島さんは、その頭の中身とは似ても似つかない長く美しい指をこめかみにあてて、何やら真剣に考えている。伏せられた目を見下ろすあたしの位置からは、多分にあたしのよりも長いであろう出島さんの睫毛が良く見える。いいなあ、何にもしなくて睫毛が長いひとはさ。
「状況確認ですけどね? うららさん」
こめかみから離れた指は、まるでそうするのが自然なのだといわんばかりに、あたしの頰に添えられる。じっとあたしを見つめる出島さんの表情は、真摯で誠実そうにみえる。
「うららさんは、僕に食べられたいとおっしゃる?」
出島さんのあまりにもふざけた失言に、あたしは小首を傾げて微笑んでやる。ぱっと輝いたその顔、その綺麗な指が今までいた場所、両のこめかみに、握った拳のとがった場所をつきつけてやる。そして、ぐりぐりと、すべての指の第二関節で思い切りこめかみをえぐるようにしてやった。
「痛い痛い痛い、痛いです、うららさん! きゃー、痛いー!」
さすがの出島さんも、あたしがこんな形で反撃に出るとは思っていなかったらしい。パニックになって悲鳴をあげる出島さんを、あたしは満足そうに見下ろした。
「状況確認、もう一度してみたらどうですか?」
「うう、どうせ、駄目っておっしゃるんでしょう……。えぐ、もういいですよ……」
「どうせの使い方が完全におかしいです。駄目に決まっています。そもそも、どんな欲求ですか、あたしを食べたいって。どこをどう間違えたら、あたしがそんなとんでもない質問に頷くと思ったんですか。ていうか、どこをどう間違えたら、そこまで変態になるんですか?」
たたみかけると、出島さんはわざとらしい涙目をこちらに向けて、どうやっているのか知らないが、その瞳をうるうると涙で揺らした。
「だって……」
可憐な、と評してもまったく違和感のない言い方で、出島さんがあたしを見上げる。まるで、出島さんはあたしの暴挙が起こした卑劣な暴力による被害者だと言わんばかりに。まるで、出島さんは至極真っ当なことを主張していたに過ぎないとでも言わんばかりに。まるで、あたしが出島さんの申し出を断るのは、親切に仇で返すばかりか、純粋無垢な親切の顔につばを吐きかける行為だろうと言わんばかりに。
「うららさんとこんなに近くにいると、むらむらしてしまうんですもん」
まったく反省の色のない出島さんの頭頂部に、あたしは渾身の力を持ってして、肘鉄をくらわせた。