辺境の人形
「おや。あなたは――」
扉を開けた私を出迎えた人形は驚いた様子で微笑む。
「珍しいですね。こんなところに人がいらっしゃるなんて」
「そう?」
私はそう言いながら人形を見る。
造りそのものはそこらの人形と変わらない。
布と綿で出来ている。
体も衣服も。
大きさは人間と同じ。
小柄な私よりも大きい。
少しほっとする大きさをしている。
「いやはや。この土地には人が住んでいないのですよ。昔から」
「そんなことはないよ。外を見てごらん。今じゃ、この場所には多くの人々が住んでいるよ」
事実だった。
かつて辺境と呼ばれたこの地は今や数えきれないほどの人々が住んでいる町。
「あなたは何用でこの場所に来たのですか」
「随分と簡易な魔法ね」
「おや。お気づきになりましたか」
「ええ。君には分からないだろうけど、直前に私は君の言葉を否定する内容を口にしたの」
「ほほう。ならばおそらく私はその言葉を理解できずに無視をしたのでしょうか」
「その通りね」
「それは申し訳ありません」
「いや。構わないさ」
人形はペコリと頭を下げる。
この人形を動かしているのは随分と原始的な魔法だ。
エルフである私から見れば稚児である頃に覚えるようなレベルのもの。
はっきりと言ってしまえばこれはままごと遊びに使うものなのだ。
つまり、これはただのおままごと。
決められた動作しか出来ない人形遊び。
人形が口にするのは裏に居る人間の声。
魔法のおかげで人間がいなくても話せはするけれど。
家の中は記憶にあるものとほとんど変わっていない。
おそらくはこの人形が毎日清掃をしているのだろう。
この場所を離れて何年が経つだろう?
ごめんね。どうしても戻る気になれなくて。
どうしても辛さが勝っちゃって。
「にしても、いつの間にこんな人形に魔法を仕込んだんだか」
「死ぬ間際にです。本当に最後の最後」
「そんなのに魔力を使うくらいなら少しでも体力を温存しておけばよかったのに」
人形は何も答えない。
変わりに手慣れた動作で動き出して笑う。
「コーヒーでも入れましょうか」
「そうね。お願いしようかな」
「かしこまりました。私は飲むことは出来ませんが最高の一杯を入れて差し上げましょう」
コーヒーか。
考えてみればあの人も好きだった。
元々は私が入れたものを飲んでいたのにいつの間にか役目が反対になっちゃったんだよね。
お湯が沸く音がする。
豆が挽かれる音がする。
目を閉じればずっと昔に戻ったよう――。
「へえ。懐かしい」
差し出されたティーカップを見て私は呟く。
「このカップ。私の主人が生前大切にしていたものなのです」
「知ってるよ。よく知ってる」
だって、これ。
私がプレゼントしたものだもん。
あの人ったら生前どころか死後まで大切にしているなんてね。
「ねえ」
「どうされました?」
「あなたの主人ってどういう人だったの?」
「そうですねえ。一言で申し上げれば純粋な人でした」
「へえ。色々聞かせてよ」
「かしこまりました」
私の言葉に人形は頷いた。
意外なことにこの言葉は理解出来るらしい。
簡易な魔法だけれど、丁寧に何十も設定をしているらしい。
人形の語るあの人の話。
それらは全て私からしたら懐かしい話ばかりだった。
温かいコーヒーは冷めてしまいそれをあっさりと飲み干して、すると人形は新しく温かいコーヒーを注いで、それがまた話をしている内に冷めて――。
その繰り返しだった。
「それじゃ、最後には死別しちゃったんだ。奥さんと」
「ええ。そうなります」
「エルフなんかを妻にしたからよ」
くすりと笑った私に対し人形は頷いた。
「主人にとり奥様を独りにしたことはこの上のない苦悩でした」
「そうね。ずっと悔やんでいたもん。悩んだところで何も変わらないのにね」
そう。
私とあの人は死別した。
人間は五十年。
エルフは数千年。
寿命が違いすぎるのだから当然だ。
「ええ。ですが、奥様が死に目に会えなかったことを悔やみ続けるだろうと主人は悩んでいました」
「仕方ないでしょ。あの頃は本当に道も何もなかったんだから」
そう。
ここは今は町だけど、以前は辺境の孤立した小屋。
もっと言ってしまえば私の家だった。
こんなところに住んでいたせいで私はあの人の死に目に会えなかった。
「買い出しの途中で死んじゃうなんてね」
人形は何も答えない。
きっと、設定されていないのだろう。
あの日を思い出す。
朝、私はあの人に挨拶をして町へ向かった。
いつものように買い出しをするために。
帰り道で雨に降られた。
突然の豪雨。
それから雹。
長く生きていればそういう日もある。
だけど、よりにもよってこの日になるなんて。
――まさか、最後の言葉が『いってきます』だなんてね。
「せめて言いたかったなぁ。ただいまって」
ぽつりと言葉を漏らした途端。
名前が呼ばれた。
「え?」
人形を見る。
「おかえり」
人形はそう言った。
ぽかんと見つめたまま、私はあの人の名を呼んだ。
しかし、人形は申し訳なさそうに首を振る。
「申し訳ありません。こちらは主人が設定した言葉です。私にはあなたが奥様か分かりません」
そうだ。
これは簡易な魔法で動く人形。
ままごと遊びのようなもの。
「そっか」
全てを理解した私は微笑み、もう一回人形に声をかける。
「『ただいま』」
人形は再び私の名を呼んだ。
「おかえり」
人形は再び声を出してくれた。
あの日、きっと私にかけたかったであろう言葉を。
「せっかくなら愛の言葉でも設定してくれればいいのに」
くすりと笑う私に人形は立ち上がり言った。
「コーヒーを入れましょうか。もう一杯」
「そうね。お願い」
もう三杯目。
だけど、もう飲めないと思っていた味はまだまだ飲み足りないほどだった。




