第七話 祝杯、プロポーズ、次の目標
「――総員聞け。総員聞け」
艦内無線に、凛とした声が響いた。
アストレイアはマイクを手に取り、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「こちら艦長。作戦行動、ご苦労だった」
「これより、本艦は後方宙域へ撤退する。全艦、戦闘配置を解除。各員、休息に入ってください」
通信が切れた瞬間。
艦内の空気が、ふっと緩んだ。
ほんの数分前まで、彼らは――
敵を殺すか、殺されるか、その二択しかない道を歩いていたのだ。
そして今。
その羅生門を、敵の血を浴びたまま、確かに生きてくぐり抜けてきたのだ。
「終わりました......」
艦橋は、静まり返っていた。
だが――それは、艦のどこかで爆発した歓喜が、まだ届いていないだけだった。
「……前方宙域では、友軍がまだ突撃を続けています。我々は、ここで引くのですか?」
「ええ。功績は部下たちに譲る。部下に花を持たせるのも、指揮官の仕事よ」
「……了解しました」
副艦長リュカはきびきびと敬礼し、そのあとで深く頭を下げた。
「申し訳ございません。先ほど、私が感情的になりすぎました」
アストレイアは肩をすくめる。
「そんなに自分を責めなくていいよ。そもそも、そういう設計だ。感情モジュールは危険回避にも役立つしね」
「本当に申し訳ありません! すでに感情感度は最低値まで下げました!」
「なんでこのようなことを? 正直に言うと――前のリュカのほうが、好きだったけど」
一瞬。
リュカのcpuが、フリーズした。
「……前のほうが……よかったんですか?」
「うん。焦ったり、ちょっと嫉妬したりするところ……すごく可愛いよ」
「――っ!?」
リュカの顔が、一気に真っ赤に染まった。
感情感度は下げたはずだった。
なのに、なぜか――逆に上がってしまったらしい。
「今は祝杯の時間よ。責任を追及する場じゃない。キッチンにあるシャンパン、全部持ってきなさい!」
(……許して、くれたんだ)
リュカは肩の力を抜き、胸を張って敬礼する。
「アイアイサー!」
◇◆◇
グラスの中で弾ける泡が、ぱちぱちと消えていく。
リュカは、一口のつもりが、一杯を飲み干した。
視界が、ふわりと揺れる。
軍用型である彼女は、本来アルコールを禁じられている。
そのせいで耐性はほぼゼロだ。
一方で、メイド型のアストレイアは違う。
社交の場に出ることも多く、六杯飲んでも平然としている。
「……げぷ」
リュカは、酔っているようだ。
「艦長……失礼かもしれませんが……旦那様のこと、あまり聞いたことがなくて……」
アストレイアはグラスを置き、柔らかく微笑んだ。
「世界で一番、頭のいい人よ」
少しだけ、視線を遠くに投げた。
「わがままで……いつも私を心配させて……焦らされてばかり」
「……私も、艦長のことで、焦ることがあります」
「その焦りね」
アストレイアは静かに言った。
「支配したい気持ちと、独り占めしたい気持ちの混ざりもの。つまり――愛情」
「げほっ」
リュカは言葉を失った。
「……私、酔ってます......」
◇◇◆
ビ......ビ......ビ......ビ......
「......艦長。〈オハイオ〉からの通信......」
「〈オハイオ〉?」
リュカはシャンパンのボトルを一口あおり、続けて言う。
「......艦長ドリアンは、腐敗で悪名高い名家の出身です。接触は……艦長のご名誉に——」
「金持ちってこと?」
アストレイアは、反射的に通信機に手を伸ばす。
「ちょっと聞いてますか艦長……あの人、急速前進で戦場を暴走する問題児ですよ……げほっ、あまり、私を心配させないでください」
「分かっている。規則に縛られるのが嫌いなタイプだろう?」
一瞬だけ、目を細める。遠い記憶をなぞるように。
「……まるで、私の夫みたいな行動パターン。会ってみたいと思っていた」
艦橋の中央に、淡い光が集まり、人型のホログラムが立ち上がる。
若い――そして、自分が世界の中心だと疑っていない顔。
「よくやったな」
「ありがとう」
「家事ロボットのくせに」
――ブッ。
リュカは、シャンパンを吹き出した。
「ロボット」という呼び方は、アンドロイドへの蔑称だ。
初対面の女子大学生に向かって「おばさん」と呼ぶようなもの。
だが。
アストレイアは、微塵も表情を崩さない。
完璧な笑み。
社交用に最適化された、理想的な角度。
「とんでもございません」
澄んだ声で、丁寧に一礼する。
「すべては、閣下のような勇敢な将士が、前線で奮戦してくださるおかげです」
ドリアンは満足げに頷き、顎を上げた。
「ちょうどいい。私は、あなたのように賢く礼儀正しい人を妻にしたいものだ」
「恐れ入ります。ですが、閣下にはすでにご美貌の奥方がいらっしゃると伺っております」
「ロマリオ聖国から連れてきたおもちゃだ。感情など、欠片もない。今すぐにでも離婚できる」
リュカは、無言でグラスを握りしめていた。
(……艦長は、絶対に同意しない……だって彼女は――)
「ドリアン様とのご婚姻、承りいたし......ます」
「………………」
「え?」
「えええええええええええええええ!!」
アストレイアは勢いよく前に飛び出し、そのまま、ホログラムをすり抜けた。
飛べば飛ぶほど、着地の痛みが待っている。
「いっ……!」
即座に立ち上がり、再びホログラムへと身を乗り出した。
「痛いけど、嬉しい!」
ドリアンの目が、大きく見開かれる。
(え? こんなにイージー!?……やはり俺は、運命に選ばれた男だ)
一方。
リュカはボトルを飲み干す。
「……艦長なら、きっとまた変な策でも考えているでしょう。こんな自慢の男と結婚なんて、するわけがない……。なのになんだろう、この焦り……」
アストレイアは、前髪をくるくると巻きながら、その仕草で本音を覆い隠そうとしていた。
(兵書に記された「最後の一枚の駒」……来た! しかも自ら寄ってくるとは……!!
こんな都合のいいことがあっていいのか。まさかの運命……! ドリアンには少し申し訳ないけど)
「ご主人様! 今すぐ結婚しましょう! 全世界に発表しましょう!」
「ちょ、ちょっと急ぎすぎではないか?」
「もう我慢できません。ご主人様に一日でも早くお仕えすること……それが私の生涯の願いです!」
「……そうか。なら、いいだろう」
「結婚式は後日にしませんか?」
「後日? 何か理由でもあるのか?」
「明日は……別の用事があるから」
一拍置いて――
「――四野を占拠します!」
下手なウインクした。
「......はー? 馬鹿なことを言うな。一日だけでは四野を制圧できるはずがない!」
ぱっと表情が変わり、ドリアンの口角が吊り上がる。
「邪道? いや、誰も知らない近道を、すでに見つけたのか?」
耳元で、短く囁きが落ちる......
ドリアンの目が瞬き、獣のように輝く。
「あなたは……私の妻であって、敵ではないこと――実に素晴らしい!」




