第六話 四ツ辻星系五野星域会戦③
伊弉軍の補給艦群は損害ゼロ。
一方、連邦軍の五百六十隻の補給船は、すでに「処理済み」だった。
スクリーンに表示されたログは淡々としている。
撃沈。炎上。通信断。
感情の入る余地など、最初から存在しない。
残っているのは――
アストレイアが個別に管理していた八百隻。
まだ敵の索敵網に引っかかっていない、言い換えれば――最後まで残された補給資産だ。
前方で、味方戦艦が一斉射を放つ。
黒い宇宙に火線が走り、夜空が一瞬だけ、赤く点滅する。
アストレイアは、楽しそうに息を吐いた。
「リュカ。伊弉のことわざ、知ってる? 『雨が降る、先に知るのは、禿げ頭』」
「……これは初耳です」
「意味分かる?」
「……今の状況に当てはめるなら、前衛艦が先に敵を捕捉し、接敵したということでしょう。このペースなら、我が艦が敵と接触するまで――あと三分」
「やっぱりリュカは賢い。私の考えことが分かってる。もしリュカが敵指揮官だったら、どう配置する?」
「……残念ですが、全主力戦艦を集中させます。連邦軍に各個撃破の隙を与えないように」
「厄介ね、そうされたら、こっちには勝ち目がない」
その直後、前衛艦の信号灯が点滅した。
「前衛艦から信号、‘’エンジン被弾。戦線離脱する‘’」
アストレイアの眉が動く。
「エンジン……? まさか敵が後ろにいるのか!? リュカ——」
「——うわあああ!」
床が、足元から抜け落ちた!
船内の重力制御が破綻し、乗員全員が一斉に宙へ投げ出された。
皆の手足が宙で泳ぐ刹那――
床が跳ね上がり、全員を容赦なく叩きつける。
「……ッ!」
骨の奥に、鈍い痛みが沈殿する。
肺の中で空気が震え、視界が一瞬だけホワイトアウトした。
「損害報告!」
「エンジン区画で火災! ダメコン班、展開中!」
ダメコン班――正式にはダメージコントロール班。
艦が最も危険で、最も脆い瞬間に飛び込み、船をつなぎ止める最後の砦である。
アストレイアは歪む身体を引き起こし、立ち上がる。
が、船員たちの様子に目を配る余裕は、一秒もなかった。
——後方から、青いレーザーがなおも〈オーロラ〉に突き刺さっている!
「信号灯で発信しろ! ‘’こちら〈オーロラ〉! 撃つな、友軍だ!‘’」
「アイアイサー」
「味方の射線を避けるよう、針路を計算しろ!」
「アイアイサー!」
友軍相撃――つまり、味方同士が互いの位置を把握できていないということだ。
「全艦に通達! ‘’位置灯を点灯せよ‘’」
「アイアイサー」
ほどなくして、二百三十隻を超える主力戦艦が次々と位置灯を点灯し、暗闇の中にその存在を晒した。
スクリーンには、味方艦を示す緑の矢印が浮かび上がる。
どれも敵の方向を向いてはいるものの、向きはばらばら。重なり合うもの、戦列から大きく外れているものまである。
――隊形崩壊。
(隊形すら維持できん。これでは戦えない。くそっ!)
「艦長! 我々の位置、完全に露見しました!」
「構わん! このまま戦う。味方に沈められるより上等だ」
サイラス連邦軍は闇雲に撃つ。
だが敵は違う。位置を把握したうえで、一隻ずつ、確実に沈めていく。
「敵艦――位置灯点灯!」
スクリーンに、赤い矢印が一斉に咲いた。
千百隻を超える主力艦。その背後には、壁のように並ぶ八千隻の補給艦。
それは、嘲笑以外の何物でもなかった。
「隊形すら保てないのか」と、赤い矢印が無言で突きつけてくる。
「ふん......最後に笑うのは、私だ!」
その直後。
スクリーンが、緑に染まった。
「……百、二百……」
「……八百隻、確認!」
リュカは息を呑んだ。胸の奥から、熱いものがこみ上げてくる。
――やっぱりだ。艦長なら、無策なはずがない。
さっきまで兵書だの何だのと、うるさかったくせに、誰にも言わず切り札を隠していたのだ!
緑の矢印は、闇を切り裂く援軍の光となって、前方へと広がっていく。
「これは、私が担当していた八百隻の補給艦だ。火力を吸わせる囮としては、申し分ない」
「!?@##う&%エ$」
リュカは一瞬だけフリーズした。
「!%^ほ、補給艦を前線に……?」
「その通り」
「もし全滅したら……我が軍は補給を一切失う。撤退して立て直すことも――!」
「違う。補給はすでに下ろしてある。これは主力戦艦を守るための囮だ。これで最終的に、戦力の均衡を取れるはずだ」
リュカの胸が締め付けられる。冷酷で正しい策かどうか、まだ確信は持てない。
「......なるほど。敵が八百隻の補給艦を沈めて、こちらが八百隻の敵艦を沈めれば、最終的な戦力は互角になる。そうなれば、仮に撤退しても惨敗にはならない......」
「撤退じゃない」
アストレイアは即答した。
「勝つんだ!」
戦場で、敵は補給艦を狙い始めた。
先頭の数隻は撃沈されたが、殉爆は起きない。弾薬はすでに下ろしたからだ。
策は効いた。
補給艦を囮にすることで、主力戦艦への脅威は避けられる。
(……何かが、おかしい)
リュカの顔から血の気が引いた。
意図は見破られたか――たとえ補給艦が伊弉軍艦隊を横断しようとも、無視されがちだ。
すべての砲火が、主力戦艦へ集中する。
二十分後。
サイラス連邦軍の戦線は崩れ始める。
報酬目当ての者たちは敵に攻撃することなく、退却を始めた。
スクリーン上の緑色の矢印が、爆ぜた火花のように四散していく。
(やっぱり、最低の男だね。本当に艦長を想うなら、私みたいに全力で危険から遠ざけるべきよ。戦場に立たせるなんて、ありえない......)
リュカは、悲しそうに言う。
「……艦長。脱出ポッドへ急いでください。ここは私が時間を稼ぎます!」
「リュカに責任を押しつけるわけにはいかない」
「私はまだ若い。死んでも構いません。でも艦長は違うんです。八百年分の経験を、こんなところで終わらせるべきではありません!」
アストレイアは、どこか諦めたように自嘲気味の笑みを浮かべた。
「八億の借金を背負った私に、もう後はない。この戦いは――一かゼロかだよ」
「生きてさえいれば何とかなります! 短い間でしたが、艦長の下で務められて、本当に誇りでした。どうか、脱出ポッドへ!」
(覚悟はできている――もし艦長がこれ以上拒むなら、力ずくでも逃がしてやる!)
「いいだろ、これは最後の命令だ。全艦に通達せよ......」
......
◇◆◇
〈オハイオ〉の艦橋に、小さな鉄の檻を置いた。
半メートルほど。子供ひとり入れるのがやっとのサイズ。
「勝負は決まったな! 〈オーロラ〉に発信しろ。”今日から俺のメイドになってくれ。これから檻に入って世界に展示するよ!”」
「アイアイサー」
「八百歳の珍品なら、チケットは瞬殺だ! うっははははは!」
ドリアンの声が大きすぎて、空気を震わせた。
「ドリアン様!」
「急になんだ?」
「敵艦が、なぜか殉爆を始めました」
「馬鹿な!」
対面は瞬く間に火海と化した。
赤い矢印が一つ、また一つと消えていく。
まるで疫病の炎が艦隊を貪り食うかのように――伊弉軍の大半が、瞬時にして消えた。
ドリアンはガラス越しに、燃え上がる火海を見つめた。
だが、炎の向こう側は――まったく見えない。
「これは一体、何が――!?」
レーダーに目を戻す。
微細な変化を追い、規則を見つけた瞬間、全貌が現れる。
無視されていた補給艦たち――
伊弉軍艦隊の隙間を縫うように縦横無尽に駆け抜け、敵艦の中心で次々と自爆を開始する。
破片は広範囲に飛び散り、近隣の艦に連鎖的に被害を与える。
まるでドミノ倒し。
次々と、敵艦は炎に呑まれていく。
「馬鹿な......そんなはずがない、ありえない......」
ドリアンは顔面を真っ青にし、何度も後ずさった。
「ドリアン様、〈オーロラ〉からの発信です。‘’二十分経過。各艦、自由作戦へ移行せよ‘’」
戦局が一瞬で逆転した。
攻撃指示など一切ないのに、散開していた緑の矢印たちが集結し、残存の敵へ突撃を開始する。
まるで、弱り果てたライオンに群がり、肉をむさぼる犬どものようだ。
「勝った?」
「ええええ勝った!?」
勝ったというのに、なぜが心が済まない。
「ロボットのくせに、メイド型のくせに、よくやったな!」
ドリアンは檻を蹴り飛ばす。
「ありえない......」
「チートだ! 何らかのいかさまでもやっただろう! こんなインチキをやった後、何の罰もないのか?」
「許せない!」
「殺す……あいつを殺す……全員、片っ端から殺す……」
艦橋では、怒りを含んだ命令が響いた。
「急速前進! 敵を全滅させろ! 投降者も逃走者も見逃すな! 全員殺せぇぇ!!」
〈オハイオ〉の尾部エンジンが、八本の火舌を噴き上げた。
彗星の尾のように長く、明るく。
その光は、東の常世星系からでも肉眼で確認できるほどだ。
これはサイラス船特有の加速技術であり、大量の燃料を犠牲にする禁じ手だ。
マニュアルには「命からがら逃げる時にだけ使え」と明記されている。
どうやら、ドリアンは怒りのあまり、正気を失った。
◇◇◆
「どう、フリーズしたか?」
「頭が、オーバーヒートして処理が追い……つきません……」
リュカは冷却シートを額に貼りつけた。
「ただの盾役ではありませんか......」
「あっ、ようやくついてきた」
......
「……もし伊弉軍が補給艦を優先して攻撃すれば、連邦軍の主力艦隊はその庇護を受けられます。
逆に主力艦隊を優先すれば、補給艦が陣へ突入して自爆してしまいます。
伊弉軍にとっての最善策は、撤退や分散戦術を選ぶことです」
「いや。彼らはそんな手を選ぶはずがない」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「もしあなたが一千万払って私立の名門に通ったとして、月二十万の給料で満足する?
敵は攻撃機と五百六十隻の補給艦を撃破したあと、戦果を拡大するために強気の戦術を選んだのよ」
リュカはハッとした。
「まさか……無理やり攻撃機を送り出したのも、計画の一部だったんですか?」
「あれは、マッサージよ」
「マッサージ?」
アストレアはリュカの肩を揉みながら続けた。
「力加減はどう? 敵の指揮官に、『自分は簡単に騙される単純な女』だと思い込ませるためよ」
リュカの顔が真っ赤になった。
「でも、同じ手は二度と通用しない。私の名は、きっと全宇宙の新聞の一面を飾るはずだ。
今後、私を相手にする敵は決して油断せず、一切の手加減もしない。
その時は……」
アストレアは、リュカの肩の固い部分に指先へ力を込めた。
「ヒヒ、リュカに任せるわ」
額に貼った冷却シートからは、もはや熱気が立ちのぼっている。
リュカは、完全にフリーズしてしまったようだ。
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