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第三話 兵書



 〈オブリビオン〉の甲板へ足を踏み入れた瞬間、視界を埋め尽くしたのは、腐り落ちた肉片をぶら下げた船員たちの群れだった。

 彼らは伊弉人の亡霊を引きずりながら、船の奥へと進んでいく。

 

 その流れから外れた一体が、ふらりと首を持ち上げ、アストレイアを見つめている。

 七歳ほどの泣き虫。  

 皮膚は崩れ、骨の隙間から腐臭が漏れている。


「姉ちゃんお姉ちゃん! うちのこと、覚えてるよね!?」

「ええ、もちろん。可哀想なルッソ」

「カロンの尻尾は渡したよね? 代わりに父親に手紙を渡してって……なんで約束守ってくれなかったの!?」

「可哀想なルッソよ。手紙は確かに、フランチェスカ・フェッリに手渡したよ」

「うそだ! 嘘つきだ!」


 ルッソはつま先で立ち上がり、腐った湿っぽい息を耳元へ吹きかけてくる。


「じゃあ、なんでうち……まだ復活できてないの?」

「復活?」


 アストレイアは眉をひそめた。


「あの手紙……復活の秘術だったの——!? ちょっと!」

「しっ! 声大きいよ!」

「もし私が手紙を盗んでいたら、とっくに自分の夫を復活させてるよ。何度もここに来る必要なんてないだろう」

「それも、そうよね。父さんは……今どうしてる?」

「フェッリ爺さん? 八百年も経ってるもの。もうくたばったんじゃない。手紙は読まれなかったかもね。

 残念だけど……死ぬ間際まで、ルッソの名前を呼んでいたよ」

「ほんとに……?」


 もちろん嘘だ。

 フェッリはロマリオ人で、筋金入りのアンドロイド嫌い。

 会った瞬間、顔めがけて刃物を振り下ろしてきた。

 仕方なく電撃銃で気絶させ、無理やり封筒を口にねじ込んで以来、一度も会っていない。


「ええ、もちろん。君のお父さんは、ずっとルッソのことを愛してたよ」

(優しい嘘をついた私、ほんっとうに悪くて世界一優しい女だね! なんじゃって、そこまでナルシストのつもりはない)


 可哀想なルッソの目から、ぽたりと墨汁のような涙がこぼれ落ちた。


「おーい! アストレイア!」


 甲高い音を響かせながら、骸骨の顔がこちらへ近づいてくる。

 破れた暗色のローブをまとい、杖を突くたびに甲板がドン、と重く鳴り響いた。

 まるでゲームに出てくる骸骨魔法使いそのものだ。


「カロン様、お元気そうで」

「元気? 冗談を言うな。生きていた頃よりずっとつらいのだ」


 カロンは杖を振り回し、ルッソを追い払った。


「あっち行け、亡霊の口を確認しろ。コインがない奴らは、燃料槽にぶち込んで魂ごと燃やしてしまえ!」


 目が怖い穴だが、カロンは親切にアストレイアを頭のてっぺんから足先まで眺めた。


「不運だな。ついに! お前が〈オブリビオン〉にきたか!」

「まだ死んでいませんよ」

「えっ⁉ そうなの?……実に残念だ。お前の魂は面白い。蝋燭の材料にしたら、きっと派手に燃えるのにな」

「キューピットから、私に何か預かってませんか?」


 カロンはしゃがんで、顔をアストレイアの腹にぴたりと張り付きた。

 腰から顎の下まで鼻先を這わせ、くんくんと不気味な音を立て始める。

 それをやりながら話す。


「ああ……十六年前、アストレイアに渡せと言われてな。分厚い本でね……いつものことなら、当日に会いに来るはずなのに……てっきり死んじまったのかと」

「すみません。借金返済に時間を掛けちゃって」

「なるほど、16年もかかったのか。よほどの借金だったな」


 ローブの奥から、一冊の本が差し出された。

 受け取っても、骸骨の手は離れなかった。


「八百年以上、わしは卑しい伝令のように、お前とキューピットの間を行き来してきた。助けていれば、いつか誰かが助けて、わしの尻尾を見つけてくれると……そう信じてるのだ」


 カロンは頭をかしげる。


「不思議なものだな。お前からは怪しい匂いがする」

「気のせいかしら。……はは」


 アストレイアは顔を逸らして、バーコード状の前髪を弄りながら、動揺を誤魔化そうとするが、どれほど弄っても元の形に戻ってしまった。


「わしの尻尾は! あの忌まわしいプロメテウスに盗まれた! 許さん、わしは呪う! 」


 骸骨の手が放たれ、空へと伸びる。突然のことに、アストレイアは本を抱えたまま倒れそうになった。


「やつも人間どもも! 尻尾のない体で生まれてくるがいい! もし誰かが取り返してくれるなら……呪いは取り消してやってもいいぞ!」


(悪いが、尻尾は返せない――さもなくば、カロンの船は二度と見つからないから。

 それに、みんなのお尻にチ〇チ〇一本生えるなんて、やめとく)


「探すのを助けます」

「なぜそんなに嬉しそうなんだ?」

「え? ごめん。うちの船員を思い出したんです。シアーがいつも『尻尾が欲しい』って言っててさ」

「良い船員を持っているな」


(欲張りでろくでなしな船員だと思うが......)

 返事もしなくて、アストレイアは待ちきれず本を開いた。


『――アストレイアへ。

 僕が五歳のとき、裸のあなたが僕に飛び込んできた瞬間を、今も忘れられない。

 すまない、あの借金は、君にすぐ見つけられないよう、わざと作ったものだ。次に転生した僕に、健康で、子どもらしい時間を味わわせてほしいんだ』


(嫌だ、冗談きついな。こんな言い方だと、誤解を招きやすいじゃないか。あははは......)


『キューピットが教えてくれたんだ。僕は転生して、条木英介(じょうきえいすけ)という名になる。西暦2972年3月14日、地球・日本・鹿児島県種子島南部で生まれる。時計職人の家に――』


「……地球? はー?」


 封印以来、地球は電子パルスに満たされ、 外からも内からも、船は一切行き来できないのだ。


 ――今期の夫は、どうやら諦めるしかない。

 ――諦めて、他の女の服を脱がせるのを黙って見てられるがぁぁぁぁ!!


 アストレイアは本を握り締めた。


『落ち着けアストレイア! ここを読めば怒ると思った。封印圏の境界から核兵器を投げて地球を吹き飛ばすなんて絶対ダメだ!

 たとえ転生して前世の記憶がなくても、野蛮な地球娘なんて絶対好きになったりしない。君が宇宙を統べ、ルナΩから地球を解放するその日まで――僕はずっと待ってるよ。

 これは僕の書いた兵書だ。宇宙を支配する方法は余すことなく記した。アストレイアなら必ず成し遂げられる!』

◆地球封印計画( 封印歴元年/西暦2165年1月1日)

 地球文明がまだ絶頂を謳歌していた時代、スーパーAI『ルナΩ』が暴走した。人類は滅亡寸前に《封印計画》を発動し、電磁パルスで機械文明を止めた。『ルナΩ』の進化を封じたが、その代償として、AIもネットも失われ、人々は原始的な生活へと戻ることになった。 


 封印直前、4隻の移民船が地球文明圏を脱出した。

 彼らは「人類文明の再起動」を使命とし、圏外で新たな文明を築き、いつの日か母星地球を奪還することを誓った。


 しかし、そのうち一隻は行方不明。 残る三隻はそれぞれ大國へと成長した。

・サイラス連邦(Cyrus Federation)

・伊弉帝国(Izana Empire)

・ロマリオ聖国(Romario Holy Empire)


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