第二話 幽霊船——〈オブリビオン〉
ピッ……ピッ……ピッ……
「艦長、正面方向より救難信号を受信。発信源は敵軍の軍隊輸送船〈流星舟〉です」
「救難信号か……罠の可能性は?」
副艦長リュカは眉間に皺を寄せ、短い間を置いて沈黙した。
すぐには答えず、慎重な女だと、誰もが思わされた。
「......さきほど何度も船を回らせたが、『骨』はずっとあの座標を指していました。もしかして、あそこが艦長の目的地では」
――ほう。
そこまで見抜くとは。
八百名の乗組員も、どうやら全員が使えないわけじゃないらしい。
「何かいい提案でも?」
「......いい提案ではないですが、補給艦二隻を隠蔽してから、本艦単独で接近すべきかと」
「採用する。その案で動け」
航海士は胸を高鳴らせ、声を張り上げた。
「アイアイサー! 経路計画、完了しました!」
スクリーンには、救難信号へのルートの他、さらに二つの撤退ルートが映し出された。
罠だとすれば――即座に撤退ルートへ切り替えることができるのだ。
——見事な手際だ。
この航海士、バーコード状の髪を読み取ればわかる。
名前は『シアー』。
口の悪い女だが――命令された仕事は、テキパキと片づけてしまう。
鍛えさえすれば、きっと一人前の人材になれるはずだ。
「採用する」
こうして、〈オーロラ〉は舵を切り、〈流星舟〉へと航跡を伸ばしていく。
◇◆◇
ガン、ガガガッ、ガン……!
鉄板を叩く雨のような音が、艦体を覆い尽くす。
〈流星舟〉に近づくほど、音が大きい。
艦橋の空気が、一瞬で張りつめた。
船員たちと漆黒の宇宙を隔てているのは、ほんの数センチの鋼板。
艦体は外の何かに、急き立てられるように鳴り、その不吉な響きは、艦体だけでなく、船員たちの心までも揺さぶり、試練を与えてくる。
アストレイアは八百年以上を生きてきたから、この音を知っている。
――隕石ではない。もっと鈍く、重たい響きになるはずだ。
――〈流星舟〉の残骸でもない。鋼鉄がぶつかるなら、もっと乾いた音になるはずだ。
これは、アストレイアが最も耳にしたくない音。船員に説明する勇気すら持てなかった。
屍雨 。
――宇宙に凍りついた人間が艦体に衝突し、砕け散る。
ばらばらになった五体は再び衝突を起こし、さらに砕けて、雨音のように降り注ぐ。
この音が響くということは――〈流星舟〉の乗組員が、救援を待ちきれず、遭難したのだろう……。
今日は〈流星舟〉。
いつか未来のある日、自分の身にもこういう禍が降りかかるかもしれない――。
戦争は残酷だ。宇宙での戦争は、なおさら。
外は息を奪う深空。船員たちに退路はなく、ほとんどの場合、艦と運命を共にするしかない。
急に――骨コンパスはぐるぐると回転している。
アストレイアは即座に蓋を閉じて命じる。
「――止まれ!」
「探照灯を点けろ!」
光が闇を切り裂き、前方へと伸びる。
次の瞬間――
ディディディディディディ......!
ウーウーウー......!
ディディディディ……! ウーウーウー……!
――警報が一斉に鳴り響く。レーダー警告、脅威指示、すべてのシステムが赤く点滅する。
サイレンが艦内に鳴り響いた。
眠っていた者は飛び起き、食事中の者は手にした食器を取り落とす。トイレにいた者は慌ててズボンを引き上げ、そのまま外へ飛び出した。
わずかな時間で、艦橋には十数名の戦闘員が駆け込んできた。
皆がそれぞれの持ち場へ急ぐが、目の前に広がる光景に、思わず息をのむ。
艦橋のガラス穹頂いっぱいに、黒鉄の壁がせり上がった。
光に驚いた巨獣のように、幾百もの砲塔がゆっくりと起き上がり、接近中の〈オーロラ〉へと向けられていく。
「艦長! これは……!」
「イージスシステム、目標追跡中!」
「粒子砲、ロックオン! 発砲許可を!」
〈流星舟〉ではない! !
〈オーロラ〉の二十倍。
サイラス連邦のティターン級戦艦〈インフィニティ〉の三倍に及ぶ、異形の艦影だった。
奴が救難信号を偽装したのか。
あるいは〈流星舟〉を撃沈し、残骸に潜んで、救援艦を狩ろうとしているのか。
いずれにせよ――罠だ!
やられる前にやらなきゃ!!
「艦長! ご指示を!」
副艦長リュカは、珍しく慌てた表情を浮かべた。
右足が一歩、外へと踏み出す。
視線は巨艦、艦長、そして脱出ポッド――三つの方向を絶えず行き来している。
しかし、アストレイアは立ち尽くしたままだ。
――怯えて動けなくなったのだろうか?
……いや。耳を澄ませば――
カリ、カリ......
カリカリ......
アストレイアは右手を掻き終えてから、口を開く。
「慌てるな。味方なら逃げる必要はない。敵なら逃げ場はない。とりあえず通信を開いてください」
リュカは目を丸くした。
(――これが、八百年以上も生き抜いた者だけが持つ、揺るぎない落ち着き……)
ジリリ......
「こちらは〈オーロラ〉の艦長、アストレイア。登艦許可をお願いします」
ジリッ——
沈黙。
艦橋の誰もが、息を止めた。
やがて、通信機が低く震える。
「こちらは〈オブリビオン〉――登艦を許可する」
オブリビオン……?
皆が困っている中、リュカが最初に思い出した。
――宇宙を漂う孤魂たちは、〈オブリビオン〉に迎えられ、三途の川を渡り次なる世界へと旅立つ、と。
「神様……!? そんな……!」
アストレイアはさりげなく説明する。
「神、という呼び名は、文明の尺度差から生じた誤解にすぎない。
かつて彼らは人間と共に暮らしていたが、人類がバベルの塔を築き、神が脅威を覚えたその瞬間から姿を隠した」
リュカは、神という存在に強い憧れを抱いている。
「......神様は、いったいどんな存在なのでしょうか」
「人間より――ずっと不細工よ。」
「……えっ?」
アストレイアは肩をすくめ、ふっと笑った。
「もしリュカが人形を作るとしたら、きっと、自分が理想とする姿に仕上げるだろう?
人類は、神が生み出した《最も美しい作品》。
そして私たちアンドロイドは、人類が創り出した《最も美しい作品》だよ」
「――誇りなさい、リュカ」
そう言いながら、アストレイアは手を伸ばして、リュカの前髪を撫でた。
バーコード状の髪から、名前『リュカ』と製造年月日が読み取れる。
17歳。
806歳のアストレイアからすれば、あまりにも幼い。
リュカは顔を赤らめ、あまりにも近い距離にあるアストレイアから漂う匂いを、無意識のうちに吸い込んでしまった。
「……私がいない間、〈オーロラ〉を任せてもいい?」
「は、はい! ぜひ任せてください!」
「――行ってくるわ」
リュカは息を整え、敬礼をした。
「いってらっしゃい!」
神に手を伸ばす艦長のことを、リュカは祈りながら、シャトルに入って消えるまで見送った。




