第一話 旅立ち
「艦長はどこ行くんですか? 今日は旦那さんの命日だと聞きましたけど……」
暗闇の宇宙に潜航し、ウィンスロー級駆逐艦〈オーロラ〉の艦橋で、
操舵士が、隣の航海士へ、計器の死角を縫うように尋ねた。
「違う違う。今日は転生した旦那さんが完熟した日だぜ。ウヒヒヒ......」
アストレイアは、ぴくりと眉をひそめた。
まったく。
女三人寄れば姦しい。
聞こえないふりをしても、小さくため息を吐く。
この艦は借り物。
乗組員は、買ったばかりの安いアンドロイドたち。
規律にも、戦闘能力にも期待していない。
そんなはずだが......
副艦長リュカが、わざとらしく咳払いをした。
「……艦長、交戦エリアに入りました」
封印歴824年7月13日。
《821領土交換条約》から約三年。
サイラス連邦はまだ黄金縄星域を完全に掌握できず、伊弉帝国――伊弉嵐一族は、今も激しく抵抗を続けている。
――今まさに、交戦エリアに突入してしまった。
アストレイアは、無言で小さな赤い箱を開けた。
中に収められているのは、指一本ほどの『骨』。
その骨が――
(……動いた?)
副艦長リュカが息を呑む。ありえないはずなのに、箱の中で回転し、迷い、そして――ぴたりと向きを定める!
まるで、意志を持つ羅針盤!
(まさかとは思うが、艦長はこの骨コンパスで、転生した夫を探すつもりなのか?)
骨が、再び震えた。
今度は、鋭く震動を繰り返す。――急げ、と催促するように。
アストレイアは即座に命じる。
「針路修正。五一二・九六三・一六五」
「針路修正。五一二・九六三・い、一六……?」
「『五』! 封印歴元年――西暦二一六五年。そう覚えなさい!」
思わず、操舵士を叱った。
――戦場では、一瞬の曖昧さすら大惨事となる。
アストレイアが求めるのは、どんな状況でも冷静に命令を聞き取れる人材。それが823名の命を背負う艦長の責務だ。
巨艦は低速で右へ旋回する。
同時に、指のような骨が蠕動し、やがて正艦首を指し示す。
「……据えろ」
舵が左へ切られ、右旋回の慣性を打ち消す。
「遅い!」
骨は正艦首から逸れてしまった。
それにしても――
頭を上げ、スクリーンに視線を走らせた瞬間、異変に気づいた。
補給艦二隻。隊形が、崩れている。
本来なら三角形の隊形を維持すべきところを、〈オーロラ〉の右旋回に反応できず、左後方60kmに取り残されている。
即座に艦隊無線機を掴む。
「〈パトロス〉、なぜ右に回らなかった?」
「隣の〈テラノス〉が右に回ってませんでしたし……補給艦は、ついていかなくていいのかと……」
「〈テラノス〉、なぜ回らなかった?」
「直進してる〈パトロス〉に、私が右旋回で突っ込んだら――ぶつかるでしょう」
艦ごとに性格がばらばらで、勝手な判断で動く。
反応の鈍い艦は命令を理解できず、慎重な艦は他の船の動きを見届けてから動き出す。
そのせいで、隊形の維持すら困難だった。まして戦場での前進や後退、攻撃の連携となれば――壊滅は避けられない!
アストレイアは怒鳴り散らしたかった。
だが艦長である以上、ブチ切れは許されない。
三隻、八百名以上の命が掛かっている。たとえ全員が「安価なアンドロイド」であってもだ。
「〈パトロス〉、〈テラノス〉、デルタ隊形に戻れ。針路修正せよ――五一二・九六三・一六九」
「五一二・九六三・一六五。アイアイサー」
違う!
「一六九」と言ったはず!
なのにうちの操舵士が、あっさりと「一六五」と復唱した!
アストレイアは目を覆い、くそをこらえた!
落ち着いて私!
ひ、ひ、ふぅ……
危うく皺を増やしてしまうところだった。
ポンコツの戦友だけど、敵さえ現れなければ、何の問題もない――。
敵さえ現れなければ…… な。
◆《821領土交換条約》( 封印歴821年6月1日)
伊弉帝国の国王伊弉冥・剛心は、『魔女』に誘惑され、サイラス連邦と悪名高き《821領土交換条約》を結んだ。
豊な黄金縄星域をサイラス連邦に譲り渡し、代わりに虚ろなダーダッディ星域を得た。
三か月後、国王は急死。




