第十一話 話前にニコニコする君、刺す前にブンブン鳴く蚊
「おはよう」
「おはようございます。小浜大将、今日はずいぶんご機嫌のようで」
笑顔は気持ち悪い、と言ってあげたいが、龍之介は我慢した。
「うん。伊弉森くんのおかげさまで」
――ピキッ。
龍之介の額に怒りマークが浮かんだ。
(はいはい、伊弉嵐じゃなくて悪かったな。そろそろ“伊弉森”と呼ぶのはやめてくれ!)
「陛下、おはようございます。本日もご健勝であられますよう」
憲吾はわずかに頷くだけで、すぐ視線を星系マップへ戻した。
伊弉嵐小浜は、軽い口調で話し始めた。
「ネットでね、ちょっと面白い動画を見つけてさ。伊弉森くん、知ってるかな?」
次の瞬間、ホログラムに映像が浮かび上がる。
――艦隊食堂。
そこには、乗員たちに囲まれながら、得意げに語る龍之介の姿があった。
『自分の言うことを信じなかったから、こうなったんだよ』
『9億 BTC? 目もくれずに渡すなんてな。私に10 BTCくれれば、湖畔に別荘を二つ、使用人も十人――百年は遊んで暮らせるのに』
『敵は92万の伊弉人を殺したんだぞ? それなのに9億 BTCを渡す? 民族の守護者どころか――裏切り者だろ』
憲吾は、ようやく反応を示した。
眉間に深い皺を刻み、深くため息をつく。
「……マジ?」
「違います! 明らかにAI生成画像です! 私は昨夜ずっと自室で報告書を作成していました。一度も食堂には行っていません!」
龍之介はそう言って、自らホログラムを起動する。
映し出されたのは、静かな室内。
机に向かい、報告する自分の姿。
「――これが証拠です」
「ふん。どう見ても、伊弉森くんのほうがAI画像だろう?」
龍之介はそれ以上の言い争いを切り上げ、憲吾へと向き直った。
「陛下、もし私の映像が偽物であると証明されたなら、私は自ら宇宙へ流刑となりましょう。
ですが、大将閣下が私を貶めるために、無用の騒ぎを起こしたのであれば――どうか、陛下に公正なる裁きを願います」
(おやっ、この展開では、また昨日の喧嘩の続きではないか)
憲吾は、改めてため息をついた。
懐かしい、青海星の蓮池。
白い石畳。
揺れる水面。
池の中央に建つ蓮亭。
宮殿の回廊で菓子をつまみつつ、柱の影に隠れる赤い鯉を眺める。
風が吹けば、花弁が揺れ、ただそれだけで一日が過ぎていく。
あの頃は、こんな騒ぎとは無縁だったのに。
「陛下! もしわしの映像が偽物であれば、この大将の座、潔くお返しします!」
「返したらどうするつもりだ!」
憲吾は目を見開き、勢いよく机を叩いた。
「戦時中だぞ、そんな戯れ言が通用すると思うな!!」
小浜大将は、慌てて頭を垂れた。
「よく聞け、龍之介!」
「はっ」
「お前がやったかどうかは――いったん置く。だが、動画はネットで拡散されている――それ自体が問題だ」
一拍。
「護衛班! 龍之介を連れて行け。事情が明らかになるまで拘束しろ」
「はっ!」
「はっ!」
その号令と同時に、衛兵たちが一斉に動き出す。
「お待ちください、陛下! 私はこれまで、陛下に忠誠を尽くしてきました! どうか、それだけは……!」
「伊弉森くん。涼しい場所で、少し頭を冷やしてきたらどうだ?」
――火に油を注ぐ一言。憲吾の眉がぴくりと動いた。
(……気に入らん。それに、処罰は、少々厳しすぎたかも)
「待て!」
衛兵の動きが止まった。
「龍之介。貴様は自室に戻れ。数日、外出を禁ずる。事が明らかになった暁には、必ず公正な裁きを下す。よいな」
「はっ……!」
「しかし、陛下」
小浜が一歩、前に出る。
「すでに動画は広く拡散されております。何らかの形を示さねば――陛下の威信に傷がつきましょう」
「……もっともだ」
躊躇なく告げる。
「閣下に頼む。生成AIを使い、龍之介が投獄された映像を作らせよ。それを流し、この騒動を終息させよう」
「なっ……!」
「何か問題でも?」
「は、はっ」
小浜大将は、ゆっくりと片手を上げ――艦橋の出口を示した。
「伊弉森くん、どうぞ、自室へ」
龍之介は、きちんと一礼する。
「真相が明らかになったときには――どうか、約束を守ってくれ――」
視線はまっすぐ、小浜を射抜く。
「――大将の座は、お辞めいただきます」
「もちろんだとも。この場にいる全員が証人だ。今さら逃げも隠れもしないさ」
――その瞬間。
甲高い悲鳴が、艦橋に響き渡る。
憲吾の身体がぐらりと揺れ、そのまま床へ崩れ落ちた。
「陛下!?」
「陛下!」
「医療班を呼べ!」
人垣が一瞬でできあがる。
憲吾はぐったりと横たわり、顔色は青白い。
唇は血の気を失い、呼吸も浅い。
焦点の定まらぬ視線。ぽろり、と涙が零れ落ちた。
「あああ……ネットで言う通りだ。俺は……戦死した兵に顔向けできぬ......五野を失い……敵に資金まで渡した……」
「……俺は愚かな君主だ。裏切り者だ……お前たちに……申し訳が立たない……」
「陛下!そのようなことは!」
「責任を一人で背負われる必要はありません!」
「我らが至らぬばかりに……!」
次々と応援の声が上がる。
憲吾は、かすかに目を閉じた。胸の奥の重石が、ほんの少しだけ軽くなる。
「龍之介……」
「はっ、陛下。何でもお申し付けください」
「義兄の伊弉嵐蒼真、五野で戦死したことは知っている。お前は、誰よりも復讐を望んでいたはずだ。だが、それでもお前は俺のために、ミカド星に進出することを勧めた」
荒い呼吸の合間に、言葉を紡ぐ。
「だからといって、俺が龍之介の助言を軽んじたと思うな。もし俺が五野を取り返さなければ――お前の涙に応えられない。千万の夫を失った妻たちの涙にも……背くことになる」
「陛下の御仁義ゆえのご決断……。目が曇っていたのは、私のほうでした」
龍之介の言葉に、憲吾は頷く。
「小浜大将……」
「はっ!」
「ネットの騒動は放っておけ。閣下は私の信頼できる大将だ。心は正しい戦場に向けろ」
「はっ! 陛下の御心に背くことなど、万に一つもございません!」
そのとき、医療兵たちが駆け寄る。
憲吾は担架に乗せられ、医務室へ運ばれていった。
艦橋に残ったのは――少し気まずそうな龍之介と小浜大将。
◇◆◇
医務室 。
伊弉嵐市川が聴診器を腹に当てた瞬間、憲吾は反射的に座り直した。
「あああ! 陛下!」
「騒ぐな、市川」
「ご無事でしょうか?」
「大丈夫だ。ただ――小浜がまた騒ぎを起こしただけだ」
「小浜大将が……? 通信官の伊弉森龍之介と争っていたとか……」
「争う、だと?」
憲吾は鼻で笑う。
「正確には、小浜が一方的にやられたのだ。俺が仮病を使わなければ、大将の地位すら危うかった」
「そ、そんな……一体どういうことです……!」
憲吾は立ち上がり、肩の埃を払った。
「ネットに出回った映像は偽物だ。AIで作られたものだ。だが、撒いたのは小浜ではない。龍之介だ」
市川は目を丸くした。
「しかし……なぜ龍之介が、自分に不利な映像を流すのですか?」
憲吾は、淡々と指を一本立てた。
「第一。自ら偽のAI動画を作り、拡散する。
第二。小浜大将がそれを見れば、必ず告発に動くと読んでいる。
第三。追及されても、龍之介には完璧なアリバイがある。責任は問えない。逆に、小浜は虚偽の告発を行ったとして、解任される。
第四。私は世論に押され、ミカド星を強襲せざるを得なくなる。四野への帰還ではなく」
「あああああ! あれだ!」
市川が思わず声を張り上げた。
「一石二鳥!」
「声がでかい」
「えへへ……失礼しました、陛下殿」
「陛下! この男は非常に狡猾で危険な人物のようです。陛下のそばに置くべきではありません!」
憲吾は顎に手を当て、じっと考え込む。
「とは言え、その才能は十分、我らの役に立つ。但し......」
「但し?」
「こういう鬼才、我ら伊弉嵐一族の者ではない」
差し出されたお茶を、憲吾は受け取った。
「熱っ! 市川」
「はっ」
「……俺を除けば、伊弉嵐一族に、恐らくあの男と渡り合える者はいないだろう。もし、俺が戦場で倒れたら……」
お茶を吹きかけ、一口すする。
「あの伊弉森龍之介を、必ず始末しろ。外部の者に、我ら一族の上に立たせてはならぬ」
「はっ! 陛下、ご安心ください。茶に毒を盛ることなら、私の専売特許にございます」
憲吾はお茶を吹き出した。
「ゲホゲホッ! ……おい、市川。今俺、その茶を飲んでるんだが?」
「ご安心ください。その茶には毒は入れておりません」
「そういう問題じゃない!!」
「え? ですが、もしご希望でしたら——」
「入れるな!!」
伊弉帝国、伊弉軍、伊弉人、
伊弉嵐憲吾、伊弉森龍之介、伊弉冥隼人




